第2話【嫌い②】
◆
翌日。戸津が絡んできた。いや、絡んでくると予想はしていた。
「なあ昨日の奴、彼氏なの?」
「戸津には……関係ない」
「まあ関係ないのは事実なんだけどな。好奇心ってやつ」
ケラケラと笑う。だがすぐに笑うのをやめると、顔を上げようとしない私の視線にまで頭を下げ、視界に入ってきた。机の高さになった彼は真顔で尋ねてくる。
「で、彼氏なの?」
あまりのしつこさにため息をついた。
「彼氏じゃない」
一言そう返すと今度はまた違う質問を投げかけてくる。
「好きなのか?」
「別に……」
なんでそこまで答えなきゃいけないんだ。なるべく冷たく無関心を装って、視線を合わせないようにした。
「はあ……あのさぁ、細川」
あまりに適当に返答を続けていたからなのか、彼は一回り低い声になると、指で机をトントンと繰り返し叩いた。恐怖で心臓が痛くなってくる。
「お前、ずっとその調子を続ける気?」
何も言い返せない。
戸津の問いに答えずにいると、彼はわざとらしいため息を吐いて、立ち上がる。
「なんか、イライラするわ。そういうところ。変わりたいって思わないのかよ」
剥き出しの針が何本も心臓を突き抜ける気がして唇を噛みしめた。
分かってる。そんなこと。痩せれたら、もっと可愛かったら。何もかもが変わるって。
どうして、こいつは……
「……て」
「え?」
「私の平和な日常を壊さないで。私の前から消えて」
震えたが、なんとか声を振り絞った。どんどん惨めな気持ちになっていく。言いたくもない汚い言葉を大量に吐き出したくなる。一刻も早くこの黒いモヤモヤから逃れたかった。
次の授業は移動だ。急いで教科書やノートを机の中から引っ張り出す。荷物を支度すると、そのままそいつの横を横切り、春ちゃんのもとへと向かった。
◆
あれからますます戸津を避けるようになった。地元でばったり出くわしても、挨拶もせず他人のふりをしてその場を去っていた。
それからあっという間に一週間経ち、再び家庭教師の日になった。
「最近、学校はどう?」
勉強が一区切りついたところでお兄さんが尋ねてきた。
「戸津はあんまり話しかけてこなくなったよ」
シャーペンを置いてお兄さんと自分のコップに麦茶を注ぎ直す。
ありがとうと彼が言うと続けて
「それはよかった、のかな?」
と、苦笑してコップを手に取る。私もガラスのコップを手にして一口飲みこんだ。
「戸津は結局私を見下してる。馬鹿にしてる」
彼は少しの間、無言になった。何か考えているようだ。
「お兄さん、どうしたの?」
「んー……優奈ちゃんのこれからを考えてた」
「私の?」
「そう。大丈夫かな、って」
どういうこと? 私がそう尋ねる前に、お兄さんがおもむろにスマホの画面を私に見せた。来年の三月のカレンダーだ。
「僕が傍にいられるのはここまでなんだ」
とん……と、長くて綺麗な指で日付を示した。
「……え?」
突然言われて、時間が止まる。
「僕さ、大学を卒業したら実家を出るつもりなんだ。北海道に働きたい仕事場があってね。内定が貰えるか、まだ分からないけど。いずれにせよそろそろ一人で暮らそうと思ってる」
一瞬、何も考えられなくなった。
いなくなる? 本当に?
そんなの……無理だ。
受け入れられない事実を突き付けられた気がした。
「そ、そうなんだ……そうだよね。お兄さんも、もう大人だもんね」
忘れていた。お兄さんは大人なんだ。私とは違う。混乱している頭の中を必死に整理しながらなんとか言葉を繋いだ。
「だから家庭教師も今年度で終わりなんだ」
彼の眉が垂れ、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
……やだ、嫌だ。お兄さんがいなくなるなんて、嫌だ。
言いかけて言葉を飲み込む。
今ここでワガママを言っても、多分何も変わらない。お兄さんを困らせるだけだ。
理性で自分に言い聞かせ、抑え込んだ。
心配、させるべきでない。
今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
「大丈夫! 一人でもちゃんと頑張るよ」
お兄さんが苦笑を浮かべて、また黙って私の頭を撫でてくれた。
「うん、そっか……」
その日の夜。
ベッドに潜り込んで、顔を枕に押し付け、声を張り上げた。
「なんで、なんで!」
胸がギュウと締め付けられる。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。
お兄さんがいなくなるなんて、考えたこともなかった。小さい頃から一緒で、離れることなんてないと思っていた。いじめられて泣いていた時も、ずっと傍で見守ってくれていた。
「お兄さんがいなくなったら、私どうしたらいいの……」
誰も答えてくれない問いを宙に向かって吐き出すと、口元と瞼が震えて、涙が溢れた。
――何時間経ったのだろうか。腫れた目で時計を見る。午前二時だった。
泣きながら、沢山考えた。何がベストなのか必死に自問自答した。いつも逃げていたその答えしか、見つけることができなかった。
……どうせ無理だ。
今までだって何度も失敗してきた。変わろうとしても、結局続かなかった。
それでも――
このままお別れなんて絶対に嫌だ。
「痩せて、告白する……」
私の想いは叶わないかもしれないけど、それでも自分の気持ちを伝えたい。自分に自信をつけてもう少し自分を好きになって、お兄さんに好きだと伝えたい。もう大丈夫だよって胸を張って伝えたい。
そう決意して思いきり息を吸い込んだ。肺にめいっぱいの空気を貯めて、一瞬止め思いっきり吐き出した。
頑張る。




