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最終話【幸せになって①】

「残すは午後のテスト返しだけ! あっという間に夏休みだねぇ」

 学食でたぬきそばの器を前に、隣に座る春ちゃんに話しかけた。


「来年は勉強でもっと忙しくなるし、少しだけでも遊べたらいいよね」

 彼女が笑って応えてくれた。


「なぁ、また皆でグラウンドゼロ行こうぜ。エアコン効いてて涼しいしよ。今度はボウリングもいいんじゃねえか」

 橋本が意気揚々と提案してくる。


「ストレス発散っていうならカラオケかスポランじゃねぇ?」

 龍介が別の案を提示してきた。

「えっ、なにそれ。僕も行きたいな」

 玲央くんが乗ってきた。


 テーブルを囲って、いつもの五人でワイワイと盛り上がった。

 いつの間にか当たり前になったこの光景が私は好きだ。一年前の私が見たら、きっと信じないと思う。


「おい優奈、そば伸びるぞ」

「あっ、やっば」

「さっきから話しすぎだろ」


 龍介に指摘されて慌てて箸を動かし始める。


「ていうかさ」


 橋本が食べ終わったスプーンで自分のお皿をトントンと叩いた。


 行儀悪い、嫌い。


「いつの間に、お前ら名前で呼んでんの?」

 スプーンで私と龍介を指してくる。


 そのスプーンを吹っ飛ばしてやりたい。


「戸津くんは僕が羨ましかったんだよね?」

「ああ? お前が馴れ馴れしいだけだろ」


 玲央くんが龍介を煽ったかと思うと、思った通りの反応を龍介はした。


「おい、俺の質問には答えないのかよ」

「橋本くん、うるさい」


 春ちゃんが微笑みながらピシャリと告げる。

 箸を進めながら横目で皆のやり取りを見て、思わずフフと声に出して笑いそうになった。


「あ、そういえば、聞いてくれよ」

 橋本が思い出したようににんまりとスマホを手に取る。


「俺、彼女できたんだ」

 彼女の写真を私達に見せびらかす。

 お前、そういうところだぞ。


「へぇ」

「よかったね」

 と、龍介と玲央くんはスマホをいじりながらそれぞれ言葉を発する。


 私と春ちゃんはあからさまに引いてしまって声も出ない。

 しかし、この陽キャにはこういった態度は通じなかった。


「そういや、戸津や細田はどうなんだよ? お前らの彼女の話とかたまには聞かせろよな」


 その一言で、そこにいた四人が一瞬だけ固まったのを感じた。


「いねぇよ」

「僕もいないな」


 龍介が腕を組みながら鼻で笑って私を見てくる。

 玲央くんもにこにことテーブルに肘をついて私を見てくる。


 いたたまれなさすぎる……!


「はぁ? お前らがいないとか嘘だろ?」

 二人の些細な態度に気付く神経を持ち合わせているわけもなく、橋本が話題を広げようとした。


「私食べ終わったし、食器片付けて教室戻るね」

「あ、じゃあ私も」


 春ちゃんが私の後ろを着いてきた。


「俺も戻る」

「僕も片付けるね」

「ちょ、待てよ。お前ら、なんなん?」


 慌てて橋本がお盆を持って逃げるように去る私達の後を追いかけていた。



  ◆



 ――龍介と公園で話した翌日。

 人気のないところに玲央くんを連れ出した。


「玲央くん、こんな場所に呼び出してごめんね」

「へぇ、こんなところがあったなんて知らなかったよ」


 プレハブでできた美術室の裏手は、外壁と桜の木で行き止まりだ。ここを知っている学生は少ないだろう。

 まだ友達も少なくて中学に入学したての頃の私は、たった一度だけ避難場所を求めてここに迷い込んだ。


「玲央くん、少しだけ自分語りしていい?」

「うん、教えて」


 植え込みの石造りに腰をかけると、彼も一緒にそこに座った。

 今から話すことは長いこと私の胸の内にしまいこんでいたこと。それが今の気持ちを伝えるのに、一番分かりやすいと思った。


「ここは春ちゃんにも教えてない秘密の場所なんだ」

「そうなの?」


 私は笑って頷くと、空を見上げる。

 学校の壁にコの字型に囲まれた突き抜けるような青空に、ちぎったような雲がいくつか浮かんでいる。


「私がここに来たのは中一の四月でさ」


 今は葉しかない頭上の木の枝を指差して、その指先に過去の情景を重ねた。


「あの木は桜でね、その時はもう葉桜だったんだけど。今でも覚えてるの。真っ青な空に、緑と薄い桃色の桜がすっごく映えてて……」

 懐かしさで少し胸が熱くなる。


「そこから私、空を見上げるのが好きになったんだよね」

 へへ、とつい笑ってしまう。


「なんか感傷に浸ってるみたいで恥ずかしくて誰にも言えてないんだけどさ」

 玲央くんは何も言わず、静かに微笑んで私の話に耳を傾けてくれている。


「……私、小学生の時に太ってるとか、不細工だとかそんなことが原因で人と話すのが怖くなっちゃったの。で、中学に上がってもずっと床ばかりみてて。春ちゃんに話しかけてもらうまでは友達も全然できなくて……そんな時に逃げてここに来て、たまたま見上げたら、一面が絵画みたいでびっくりしちゃった」


「そうだったんだね……」


 今は桜の花をつけない枝を玲央くんも見上げた。青々とした葉が風に揺れている。


「でも私それからここに一度も来れてないの」

「そうなの? なんで?」


 彼は私の顔を覗き込んでくる。


「怖かったから……かな。桜はすぐ散っちゃうから。それに、あの一瞬が大切すぎて。……私、そんなことでも逃げちゃうような憶病者だった」


 自身への否定的な言葉を耳にして、彼は首を横に振る。温かい大きな手が私の手を包んだ。


「じゃあ、僕とまた見に来ようよ。四月になったら、またここに……」

「ごめんね、それだとダメなんだ」


 玲央くんから笑みが消えた。彼の視線が一瞬揺れたのを、見て見ぬ振りをするしかなかった。私がこれから言おうとしてることは、彼を傷付けることなんだと分かっていた。


「あの時がどんなに大切でも、私はずっと来たかった。無理にでも、誰かにここに引っ張ってきてほしかった」


 でも、それは……と言いかけて言葉が止まる。


 あの玲央くんが、目線を外して地面を見つめていた。私は静かに彼の手から自分の手を引く。


「きっと玲央くんはそんなことしない」


 葉桜を一緒に見ようって言われたら、前の私ならそれだけで喜んでいたかもしれない。


 でも――今は違う。


 ここは私にとって、空を好きにさせてくれた大事な場所。例えどんな姿でも、桜は桜だから。


「私を女性扱いしてくれたこと、本当に嬉しかったんだ。そんなこと言ってくれる人は今まで誰もいなくて、玲央くんは今の私のままでも好きって言ってくれて……何度お礼しても言い足りないくらいなの」


 俯く玲央くんを見て胸が痛む。



「でも私はこれからも変わり続けたい」



 その先の言葉を口にするのを躊躇する。


「……ごめんね」


 彼が目を合わせてくれない。笑わない。それだけで心の悲鳴が聞こえてくるような気がした。


 私は息を吸って、彼の頬に両手を添える。


「玲央くん」

 真っ直ぐと見つめた。


「私がまたここに来れたのは玲央くんのおかげ。だから、ありがとう!」


 彼が私を見た。目を見開いたかと思うと、徐々にその瞳は柔らかいものに戻っていった。


「優奈ちゃん。君はもう憶病者なんかじゃない」


 頬に当てた私の手を彼は握った。


「かっこいい。また好きになっちゃった」


 ふんわりした笑顔に、私も笑い返した。


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