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第16話【気付き②】

 春ちゃんと戸津にバレてから数日が経った。彼女にああは言われたものの、結局ずっと答えは見付からないままだった。それでも玲央くんは返事を催促してくることはなかった。


 昼休みに廊下で春ちゃんと立ち話をしていると「優奈ちゃん」と玲央くんがいつもの笑顔で私の傍にやってきた。彼女は気を利かせてその場を去ってしまう。行かなくてもいいのに、と言っても聞いてもらえない。


「それで、どうしたの?」

 春ちゃんの背中を見送って苦笑した。


「え? お喋りしたいから来ただけだよ」


 最近の玲央くんは遠慮がなくなってきている。前は色々な口実をつけては話しかけられていたが、今はただ「話したいから」とか「一緒にいたいから」と平気で言ってくるようになった。

 そういえば彼は元々コミュ力お化けだったのを思い出す。


「あ、でも一つだけお願いがあってさ……」

 何、と問うと、怒らないでねと念押しされる。


「頬っぺ、触ってみてもいい?」

「……へっ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げて慌てて口を押さえた。


「な、何言って……」

 小声で問いかけ直す。


「やっぱりダメかな」


 うぐ……


 どうやら私は玲央くんのこのシュンとした仕草に弱いらしい。


 まあ、減るもんでもないしいっか……


「はあ……別に、いいよ」

 渋々了承すると

「わ、いいの? ありがとう」

 と、満面の笑みでお礼を言われた。


 彼は私の頬を指先で少し突いたかと思うと、今度は掌で弾力を確認するかのように触れてくる。


「やっぱり、ふわふわだ」


 恥ずかしいやら、照れるやら、案外こういうところ失礼だなと思ったりもしつつ、ふとその状態に笑いまでこみ上げてくる。


「何これ、変なの」


 私がそう言った刹那だった。


「触んなよ」

 戸津が急に間に入ってきて、玲央くんの腕を掴んで制止させた。


「えっ。と、戸津?」

「付き合ってもいないくせに、ベタベタ女に触んな。ここ日本だぞ。わきまえろ」


 戸津が怒っている。玲央くんも口元は笑っているけれど、目が笑っていない。何これ、怖すぎる。


「ん。そうだね。スキンシップ過剰だったかも。ごめんね、優奈ちゃん」

 玲央くんはやんわりと戸津の手を振りほどく。


「や、私がいいって言ったんだし、謝られるようなことは……」

「お前、それ本当に言ってんの?」


 戸津は今度は私を睨んでくる。


「戸津くん、優奈ちゃんは悪くないだろ」

「俺は今、細川と話してるんだ。あっちいけ」


 玲央くんは心配そうに私に目をやるが、私が大丈夫と笑って頷くと分かったと教室に戻っていった。


「戸津、機嫌悪すぎ」

 ため息をつく。


 玲央くんが去ると、さっきまで狂犬モードだった戸津が一回り丸くなった。


「そんな怒ることないじゃん」

「お前は男心を分かってなさすぎ」


 戸津は一度深呼吸をした。少し目を瞑って、じっとしている。なんとなく、感情をコントロールしているようにみえた。少しして彼は目を開けて、よし、と小さく呟いた。


「男って単純なんだよ」

「ふーん。戸津も単純なの?」


 からかって笑ってみせる。が、反応がない。


「戸津?」


「……『龍介』」


「え?」


「今から龍介って呼べよ。俺も優奈って呼ぶ」


「はっ?」


 急な提案に思考が追いつかない。


「待って待って。なんでこの流れでそうなるの」

「男は単純なんだよ。バーカ」


 彼はそう言ってぐしゃぐしゃに私の頭を撫で回し、自分の教室に戻っていった。

 一人廊下に置いていかれ、しばし呆けた。少しして、乱された髪を手櫛で戻していく。


 どういうこと? 何が起きた?


 全身から汗が止まらなくなった。激しく動悸がして胸が痛い。頭を撫で回されたと同時に、頭の中もぐちゃぐちゃにされた気分だ。



「あんなの……絶対嫉妬じゃん」



 壁に向かって呟いた……

 




 そこからの戸津――いや、龍介……との散歩は私にとって毎回課題になった。慣れない名前呼びに加えて、お互いほとんど会話をしなくなった。五月の後半は中間試験も迫っていたため、一人で散歩をする日が多かったのが、唯一の救いだった。

 試験が終わり成績表が返され、その日の夜の散歩で久しぶりにちゃんとした会話をした。


「全部、上のクラスになった」

「よかった。と……龍介、頑張ってもんね」


 今までの癖が抜けず、どうしても時々不意に『戸津』と呼びそうになる。そう呼ぶと不機嫌になるから、なるべく呼び間違えないように注意している。


「おう。気抜かずにやってくよ」


 相変わらず、二人で話していると笑ってくれる。

 最近学校では険しい表情ばかりみていたので、以前を思い出して安心してしまう。


「それでさ」


 その日の散歩も終わりかけで、近くの小さな公園の中で、急に彼は立ち止まった。滑り台、ブランコ、砂場、ベンチ。これくらいしかない小さな公園だ。この時間はもう人はおらず、いくつかある電灯がチラついている。ここの公園で、幾度となく長話をしたっけ。

 彼はベンチに座ると、私にも座るように促した。


「どうしたの?」

 なんとなく、胸騒ぎがした。


「俺、そろそろ予備校行き始める」

 だから、と続けた。


「もう、一緒に散歩できそうにない」

 龍介が寂しそうに笑った。


 胸のざわつきが大きくなった。

 龍介が言っているのは、普通のことだ。他の皆だって大学受験に向かって動き出している。私でさえ、頭の中にぼんやりと浮かんでいた。でも自分からはなかなか言い出せなかった。


 だって、それって。それってさ。


「そっか……そうだよね。前から言ってたし。仕方ないよ」

「急にごめん」

「ううん。こちらこそ言いにくいこと言わせてごめんね。そうだよね。医学部だし頑張らないと」


 足下に転がっていた石ころを軽く蹴飛ばしてみた。


「私さ。正直、一年間こんなに続くと思わなかったんだ」


 嫌なことがあっても、辛くても、なるべく淡々と歩き続けた。体重が減ると少しずつ歩く速度も速くなって、距離も長くなって。きっと一人だと途中でめげていたと思う。でも、龍介と歩きながらダイエットの話をしたり、勉強の話をしたり、お兄さんの話をしたり、色々話すにつれてこの時間も楽しみに変わっていった。


 でも龍介は気付いてる? 散歩がなくなるってことはさ。


「一年間、本当にありがとう」


 もうこうやって、沢山話せないってことなんだよ。


 思わず下を俯いてしまう。彼の顔を見ることができない。


「でも、やっぱり寂しいね」


 ポツリと本音を漏らした。


「……お前だけじゃないから」

「え?」


 顔を上げると、龍介は唇を噛みしめていて


「寂しいのは優奈だけじゃないから」


 と、立ち上がった。



 月明かりが優しく彼を包んでいた。その姿が、その横顔がなんとなく綺麗だと思った。ずっと見ていたい、目に焼き付けておきたいとさえ思った。


 思わず私も立ち上がって、龍介の手を取った。彼が振り向くと私は満面の笑顔をみせる。


「『また』学校でね!」


 さよならじゃない。会えないわけじゃない。だから、そんな消えそうな顔をしないで。私はまだ――

 



 その日の翌日、私は玲央くんに返事をした。

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