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最終話【幸せになって②】完結

 ◆



「残りのテスト返し、怖いのばっかりで憂鬱」

 学食から教室に戻る道すがら、春ちゃんがそう言って私も頷いた。


「私も。平均点低いことを祈ろ……」

 言いかけて、龍介は急に私の腕を引いた。


「え、何?」

「ちょっと話」


 他の三人とは少し離れたところまで引っ張られる。

 ごめん春ちゃん、先に行っててとジェスチャーで伝えると、彼女は指で丸を描いた。私達のところに来ようとする橋本を、春ちゃんと玲央くんが掴んで引きずっていった。


「あいつ。マジで一生、空気読めないまま大人になるな」

 龍介はその姿をみてため息をついた。


「完全に同意」


 小さくなった彼らを横目に、

「それで?」

 と、尋ねた。


「ああ、最近どうよ。その……細田とさ」

「玲央くん? どうもなにも、見ての通りだけど」

「いや。そうじゃなくてさ……まだ、あいつお前のこと、好き、なんだろ?」


 それを言われてチクッとした。

 もう一ヶ月以上経つのに、玲央くんの悲しそうな顔を時々思い出してしまう。本当にあれで正解だったのか未だに分からない。


「んー……どうなんだろね。それは分かんない」


 同じ学校の同じクラス。玲央くんに返事をしてそれで終わり、というはずもなかった。私と玲央くんの距離感の変化に龍介も春ちゃんも気付かないわけがなくて、言葉にしないものの何となく察してくれていた。今みたいに話せるようになるのも、少しだけ時間がかかった。


「まぁ、いいや。それはただの確認。本題はこっち」

 彼は手に持っていたスマホの画面を私に見せた。


「また、行こうぜ?」


 覗き込むと胸の打つ感覚が走る。


 花火大会……?


「これ、去年行ったやつだよね」


 龍介と……お兄さんと。

 お兄さんとでかけることへの高揚感や、高圧的な女性から守ってくれた背中を鮮明に思い出だして、少し胸がざわついた。


「そ。お前にとっちゃ苦い思い出もあるかもしれないんだけどさ」

 彼は、見せていたサイトのリンクを私に送信した。


「俺はまた行きたいんだ。だから行こうぜ」


 龍介は笑うと「他の奴らには内緒な?」と付け加える。


「なっ」


 それって、分かってて言ってる?


 龍介が踵を返して教室に戻ろうと背を向けた時、何かを思い出したかのように振り向いた。


「あ、そうだ。今年こそ浴衣な!」

「ちょ、まだ行くって言ってな……」

「あーあー、何も聞こえないなぁ」


 いつもそうだ。こいつはこうやって無理を押し通そうとしてくる。私の意見なんか無視じゃんか。

 いたずらっ子のような笑みを見せてきたので、分かるように大げさにため息をついてみせた。


「浴衣って面倒くさいんだから! そっちも浴衣だからね!」





「優奈ちゃん」

 教室に入ろうとして、後ろから声をかけられた。


「もう少し、お話していいかな?」

 玲央くんが廊下の窓際を目で示すと、私は小さく頷いた。


「戸津くんになんか言われた?」

「あー……」


 内緒と言われた手前、内容を伝えることができない。曖昧なら怒られないかな?


「夏休み遊ぼうって」

「えー、ずるい。僕も行きたい」


 クスクスと笑う。


 肯定も否定もできずに苦笑だけした。


「冗談だよ。そんなことしたらまた戸津くんに怒られちゃう」


 彼は窓の外に目をやると、どこか遠くを眺めた。


 綺麗な人だよなぁ。垂れ目の感じなんかはやっぱりお兄さんに似ている。


 でも、私はそんな人からの好意を断った。信じられない。


「嫌だったらごめんね。僕、あの日言われて、気になって……斎藤さんからなんとなくの話は聞いちゃったんだ。外見とかですごく悩んでた時期があるって。それ聞いて最低なことしちゃったなって反省した。本当にごめん」


 玲央くんは私に向き直ると頭を深々と下げた。急なことにギョッとして、彼の肩を掴んで頭を上げてもらう。


「それはとっくに大丈夫だから。あの時も言ったと思うけど玲央くんに救われたのも本当だし」


 そう伝えると、彼は困ったように笑う。

 ああ、やっぱり綺麗な人だ。


「優奈ちゃん。もし誰かに泣かされたら、僕のところにいつでもおいでね。優奈ちゃんがこれから変わり続けても、僕は大歓迎だからさ」


 そして心底優しい人だ。


「うん、ありがとう」

「あと、それと……」


 玲央くんはコソリと耳打ちをしてきた。


「僕が告白したことを皆にバラした日に、僕、戸津くんに連れて行かれたでしょ。あの後、彼にこう言われたんだ――」



『あいつの隣にいていいのは俺だからな』




  ◆




「うーん。変かなぁ……」


 部屋の鏡に映る自分をみて頭を抱えた。

 空色の生地に薄い桃色の桜が描かれた浴衣を着込んだ。髪も美容室でセットして上げてもらった。化粧はこの一年で、それなりに上達していた。そして何より、一年前と比べると、痩せた分だけかなり全体としてはマシに見えた。それが楽しくてついつい着飾りすぎた気がする。


 でも龍介と花火大会に行くだけなのに。どう見ても気合い入れすぎじゃない?


 部屋の中を歩き回って、どうしようと右往左往する。


 浴衣で来いって言われたし。せっかく髪は可愛いし。化粧だけでも落とす?


 そう思っているとスマホが震えた。


『着いたぞ』


「えっ、早っ」

 予定より十五分も早く龍介が来ていた。化粧を落とす時間もない。仕方なく、荷物を最低限入れた竹かごをもって玄関に向かった。


「ごめん、お待たせ」

 慣れない下駄を履いてパタパタと扉を出た。


 なんだか懐かしい。散歩をしていたときはよくこうして合流してたよね。そう思った矢先に、目に入った彼の姿に思わず感嘆の声が漏れた。


 シンプルな紺色の浴衣に身を包んだ龍介が、外壁のブロックにもたれて扇子で扇いでいる。

 普段見慣れないせいだと思うが、鼓動が速くなった。


 そう言えばつい忘れがちだけど、こいつって実はちゃんとかっこいいんだよね。

 それに浴衣は彼の高身長を更に強調させている。いつもよりもなんとなく色気もある。

 浴衣ってすごい。


 龍介に魅入っていると、彼もまた顔を合わせた途端に黙り込んだ。


「あ、これはね。なんていうかその、楽しくなっちゃってさ。ちょっとやりすぎだよね」

 小馬鹿にされるかと思った。そして一瞬、龍介の口元が緩んだのを見落とさなかった。


「やっぱり変だと思ってるんでしょ」

 怪訝そうに彼を見ると、彼は我に返ったように口を開いた。


「は? 本気で言ってる? 普通に可愛いんだけど」


 龍介はハッとすると、やば、と小さい声で呟いて、片手で口を覆った。


 聞き間違いかな?


 と、思いたかった。

 なのに顔を真っ赤にし、そっぽを向いて大股で歩く姿を見ると、私までのぼせてしまいそうになる。


「い、今のなし」

 彼は照れからか手で払う仕草をした。


「はぁ、何それ」

 ムッとして龍介の隣に追いついてみせた。


「うるせぇよ。ほら早く行こうぜ」

 この口の悪さがなければなぁ。勿体ないやつだ。


 でも、こういうやり取りってなんか安心するんだ。




 それから会場に向かう最中、散歩をしていた時みたいに色々なことを話した。何気ない日常の会話がまたできて、少し胸が躍っている気もした。


 時間が経つのを忘れるほどいっぱいお喋りをして、気付いたらもう会場に着いていた。簡単に屋台の料理を一つ二つ購入すると、昨年と同じ穴場スポットに向かった。人はまばらになり、まだあまり知られていないことにホッとする。


 そこには昨年はなかった自転車よけの手すりが設置してあって、そこに二人で軽く腰をかけた。


「懐かしいなー。あの時、お前号泣してたよな」

 買ったフランクフルトを頬ぼりながら、煽るように私に目を向けてくる。


「恥ずかしいので忘れてください。お願いします」

 私も一緒に同じ物を買ったので口に少し頬張り、淡々と返すと目を細める。


「えー。やだね」

「また、そういう……」


 口の中に残ったフランクフルトを飲み込み、文句の一つでも言おうとした。

 だけど、龍介は唐突に笑顔を向けてきて怯んでしまう。


「だってそれもお前との思い出だし」


 予想していなかった台詞を言われ、叫びかけた。

 今日に限ってちょっといい男に見える。意味分かんない。きっと浴衣のせいだ。


「いやっ……よくそんな恥ずかしいことを平気で言えるね」

「言ってから俺も思った。やっぱなし」

「残念、過去は変えられませんー」


 笑ってそう言うと「そうだな……」と、急に落ち着いた声で同意してきた。

 彼の一言で空気が変わった。


 龍介はまだ打ち上がっていない暗闇の空に目をやっている。


「俺がした過去はもう絶対に変えられない。お前が傷付いた過去も変えられない。普通ならそこでドン詰まる。なのに、お前は。優奈は――本当にすごい奴だよ」

 遠くから花火大会の開始のアナウンスが流れた。


 何も返せなかった。

 鞄からスマホを取り出すと「ほら、始まったよ」と平静を装い、空にスマホを向けて動画を撮り始めた。

 一つ、二つと空を彩る花火が上がっていく。

 そうして動画を撮ってると、龍介がカメラの前に立ちはだかった。


「ちょ、見えな」


「好きだ」


 え?


 画面から視線を外すと、龍介が私を見下ろしていた。



「優奈、お前が好きだ」



 彼は私の心の中まで読んでしまうのではないかと思うくらい、真っ直ぐに私を見つめていた。


「明るくて、素直で、優しくて、でも傷付きやすいお前が好きだ」


 彼の背後で花火が次々と上がっていく。なのに、私は彼の目から視線を離せないでいた。


「俺はまだガキで……お前の横に立つ権利なんてないかもしれない。だけど……一緒にいたいんだ。優奈が頑張れない時は俺が傍にいたい。だから……」

 彼は一瞬、言葉を探した。


「一人の男として、優奈を、お前を近くで支えてもいいか?」

 そう言った瞬間、大きな花火が上がった。キラキラとした光が闇に溶け込むように消えていった。


「――戸津龍介」


 やっとの思いで、その名前を口にした。


「あなたが過去にしたことはもう絶対に消えることはないし、私もあなたもそれを背負いながら生きていかないといけない。もし。もしも……私がまた前みたいに太ったら同じことが言える?」

 初めてこの時目線を外して俯いた。でも龍介はそれを許さず、しゃがみこんで私の視界に入ってきた。


「言える」


 ぶれない瞳が私を捉えた。



「太ってたお前も、痩せていってるお前も可愛くてたまらない」



 彼は私の手を取った。


「好きだ、優奈。付き合ってくれ」


 花火の大きな音が胸の奥深くまで響いた。ビリビリと皮膚が揺れた気がした。

 怖かった。学校に行くたびに、その姿を見ると泣きそうになっていた。あの時のいじめっ子が、今も私を見ている。


 でも、その瞳はその時よりずっと穏やかで、熱を帯びていて、私の過去も現在もこれからも、飲み込んでいく気がした。


 スマホを鞄に放った。

 目の前が色鮮やかになった。

 花火のせいだ、きっと。


「好き……」

 思わず言葉が漏れる。


「私も好き」

 ずっと言葉にできなかった。そんなわけないって思っていたから。


 だって彼は私の天敵だった。友達になれてもその先なんて、絶対におかしいって思っていた。

 だけど気付いたら、龍介の強引な手を心のどこかで期待している自分がいた。いつだって、私が変わるときに龍介は傍にいた。私が自分で道を選べるように手を引いて、分岐まで来ると無理やりに背中を押すんだ。前に、前にと。


 私も一緒にいたい。変わっていく私を隣で見続けてほしい。公園で一緒の散歩をやめると聞いたあの日に、そう強く感じたんだ。


 私の言葉を聞いて彼が立ち上がる。それから私の腕を掴み、軽く引き上げ立たせた。


「それ、オーケーってことでいい?」

 こくりと頷いた。

 龍介がふにゃりと見せたことのない笑顔をみせた。


「抱き締めたい」

「へっ」

「抱き締めたい、いいよな?」

「え、でも人もいる、し……」


 私の返答を待たずに龍介の腕の中に抱き締められた。その腕は優しくて、少し力強くて、僅かに震えていた。


「よかった」

 かすれた声を聞いて、思わず私も彼の背に腕を回した。


 温かくて、大きくて、ちょっとごつごつした腕と背中。

 周りが花火に夢中になっているのをいいことに、龍介の胸に耳を当てた。

 彼の鼓動は早くて、ちょっと落ち着く。


 そうしていると、彼は私の肩を掴んで少し引き離した。


「どうし……」


 言いかけて唇を塞がれた。一瞬のことで気が動転する。

 ふんわりとした感触がした。彼の体温が唇を通して伝わってくる。慎重な、それでいてどこか緊張がしているのが、嫌でも分かった。


 すぐに離れると彼は覗き込むようにして

「ファーストキス?」

 と、勝ち誇った笑みを浮かべ、扇子を手にした。


「あったりまえでしょ!」

「やりぃ」


 扇子を開くと今度は顔の横に壁を作り、再度彼は私に口付けをした。



 やっぱり、強引すぎるのもどうかと思うわ。



  ◆



 数年後。龍介は医学生に、私も無事に大学生になっていた。この日も準備万端だった。


 短く切った髪は少し癖が残っているけれど、どうせいつもぐしゃぐしゃに撫でられるから別にいいか。少しだけ化粧をして、ネックレスをつけて、彼に贈られたお気に入りのワンピースを着ていた。

 初めて彼とカラオケをした帰りに街中で目に付いた、淡い赤桃色のシンプルなワンピース。その時は、ただガラス越しに見ることしかできなかった。


 今は――


 歩きながらウィンドウガラスに映った自分を横目で見て、少しだけ口元が緩んだ。


「おい、映画始まっちまう。早く行くぞ」


 龍介は――世界で一番嫌いだった君は、今も私の隣にいる。





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