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第15話【そのままの君で①】

「優奈ちゃん、ここはどういう理由でこの選択肢になってるの?」

「あ、そこはねえ、過去分詞だと……」


 もうすぐゴールデンウィークになる。

 あれからというもの、ほぼ毎日、玲央くんから話しかけられている。話しかけられる内容は様々だ。日常会話だったり、今みたいに勉強のことだったり。さすがの私も毎日話していると肩の力を抜いて話せるようになってきていた。


「なるほど、そういうことだったんだ。ありがとう。僕英語はどうしても雰囲気で選んじゃうからさ」

「雰囲気でほぼ毎回小テスト満点の方がすごいと思うんだけど」


 こんなツッコミを入れるのも抵抗はなくなった。いつも柔らかい笑顔で接してくれて、どことなくお兄さんと被ることもある。玲央くんに対して抱いていた疑心も今はほとんどない。


「英語はテストできるんだし、やらなくてもいいんじゃない?」

「んー。僕、将来は英語系の仕事に就きたいからさ。一応ちゃんと文法知っておいた方がいいかなって」

「通訳とか?」

「細かいことはまだ考えてないなあ」


 高二になって学年の雰囲気が少し変わった。皆が少しずつ受験生モードになりつつある。玲央くんもそうなんだろう。私や春ちゃんも昼休みに勉強の話をすることが増えてきていた。


 戸津は、というと家庭教師がなくなってから二人で勉強会をすることがなくなった。とりあえず彼は一人でももう勉強の仕方が分かるようになっているようだったし、キリはよかったのかもしれない。


「あっ、玲央くんごめん。次の準備もあるし、終わりでもいいかな?」

「うん、大丈夫。ありがとう」


 彼が自分の席に戻ると顔を上げる。はた、と教室の入り口に立っている戸津と目が合った。


「どうしたの?」

 立ち上がって戸津の所まで歩み寄って尋ねた。


「大樹いる?」

「橋本くん……さっきまではいたんだけど」

「そっか。部活のことで話しあったんだけど。まあ後ででいいや」


 彼がチラッと私の後ろに視線をやった。


「あのさ、細川は細田と仲良いの?」


 戸津は同じ外部生である玲央くんとあまり話はしたことがないようだが、散歩で一度玲央くんの話題を出したときに『入学した日に挨拶だけはした』と言っていた。


「玲央くんと? うーん。この学校では話せる男子かな」

「ふーん。……まあ、お前が下の名前で呼ぶくらいだしな」


 それを言われて、玲央くんと会った初日のことを思い出して苦笑してしまう。


「まあ、色々とあったんだよね。何、戸津も名前呼びがいいの?」

 笑いながらからかってみた。


 彼は嫌がるかと思ったが、真顔のままで

「呼べばいいじゃん。仲良いんだし」

 と返された。


 戸津の名前――龍介――を呼んでいる自分を一瞬想像してしまう。途端に顔が熱くなるのを感じた。


「あはは、冗談だよ。ごめん、行くね!」

 ごまかして笑うと、その場を去った。


 びっくりした。今更、名前呼びなんてできるわけがないじゃんか。



  ◆



 しまった。雨が降ってる。


 帰ろうとして、土砂降りの空を見上げた。

 いつもは鞄に折りたたみ傘をいれているが、昨日の夜に鞄の中身を整理したときに置いてきてしまったらしい。


 春ちゃんは部活だし、他の友達も当てはない。一人で帰る日に限ってこんなミスをするとは……


 どうしよう。タクシー呼ぶ? でも高いしなぁ……


 下駄箱の軒先でスマホをいじりながら葛藤する。走れば十五分くらいで駅に着くが、その後一時間以上電車を乗り継ぐことを考えるとあまり得策ではない。今日はお母さんに買い出しもお願いされていて、早く帰らないといけないし……


 頭の中でごちゃごちゃと悩んでいると、後ろから声をかけられた。


「優奈ちゃん?」

 振り向くと玲央くんが立っていた。


「どうしたの? 誰か待ってるの?」

「いや……傘忘れちゃってさ」


 ばつが悪くて苦笑する。


「そうなんだ。じゃあ一緒に入っていく?」


 彼が黒い傘を差した。


「えっ、いやいや。さすがに悪いよ」

「大丈夫だよ。この傘も大きいし」


 そういうことじゃないんだけど……


 と、口に出しかけてやめる。


 男子と相合い傘なんて気まずすぎるし、誰かに見られたらと思うと気が気じゃない。ただ多分玲央くんにとってはこれはきっと当たり前なのだろう。


 短い期間だけども分かったことがあって、彼はとても紳士なのだ。特に女子に対しては丁寧で、レディファーストを体現化している。イギリス育ちというのも伊達ではない。なので、玲央くんの純粋な善意を断るのも気が引けた。それに何よりこれを逃すと帰れないかタクシーという手になってしまう。


 数秒間、思考をフル回転させて断念した。


「じゃあ、お言葉に甘えます。ありがとう」

 にこりと笑った彼が私の反対側の肩を軽く掴んで引き寄せる。


「もう少し寄ってね。濡れちゃうから」

 彼の唐突な行動に驚いて思わずその手を見てしまった。


 こんなの、好きな人じゃなくてもドキドキしちゃうんだけど……!


 平常心を保とうとして、言葉を探し続けた。叩きつける雨の中、歩いている間彼はずっと私が濡れないように傘をこちら側に傾けてくれている。


「あ、あの。それだと玲央くんが濡れちゃう」

「ん? 大丈夫。気にしないで」


 そう笑って言われるともう何も言えなくなる。


「玲央くんって英国紳士って感じだよね。勝手なイメージだけど」

「そうかなぁ。そうだといいんだけど」

「こんな私でも女扱いしてくれるし」


 そう笑うと「え?」と返された。彼の顔を見ると少し驚いた表情をしている。


「優奈ちゃんは女性だよ」

「え、まあ。そうなんだけど。そうじゃなくて……」


 上手く言えずに言葉に詰まる。黙ったままいると、また少し肩を掴んで寄せられた。


「僕は紳士でいようとは思ってはいるけど、誰に対しても同じことするわけじゃないよ?」


 その言葉を聞いて、彼の顔を見上げる。


「どういう意味?」

「そのままの意味だよ」


 いつも爽やかな笑顔をしている玲央くんが、この時に限っては年相応の男子と同じようにいたずらに笑った。




 そうしているうちにやっと駅に到着した。


 学校が始まって以来、一番長く感じた通学路だった……


「ありがとう。本当に助かったよ。でも……」

 玲央くんの肩が濡れている。


「ごめん。風邪引かないようにね」

 ハンカチを取り出して少しでも水気を取ろうとしたが、彼の手にそっと制止される。


「僕がしたかったことだから。それにこれくらいじゃ風邪は引かないから安心して」


 玲央くんのこう言った素振りを見ていると、またお兄さんと重ねてしまう。重ねる自分が嫌だし、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 結局、何もできずにハンカチをしまった。

 その時、ふと何か視線を感じて振り返る。


「あ……」


 戸津がいた。濡れた傘を畳んでいる。


 まさか。


「よう……お前ら相合い傘する仲なんだな」


 見られてた!


「戸津、これは……」

「いいって、別に。俺、関係ないから」


 戸津が鼻で笑う。


「それにしても、お前……とんだ尻軽女だな」


 その一言で頭に血が上った。言い返そうとすると、私の前に玲央くんが立ちはだかる。


「戸津くん、だったよね。優奈ちゃんは傘がなくて困ってただけだよ。失礼じゃないかな」

「……うざ」


 それだけ呟くと戸津は私と玲央くんの間を無理に通り抜けて先に行ってしまった。

 色々と最悪だ。


「ごめん、玲央くん。戸津、たまにああいう所あるんだ。前よりは多少マシなんだけど……」

「あれでマシなの? だとしたら相当酷いね」

「はは、まあ。さっきのはちょっと事情が事情なので……」


 三月にお兄さんのことで散々泣き喚いたんだ。こんなの見たら言いたくなるのも無理はないかもしれない。とは言え、言い過ぎだけど。

 思い返してまた腹が立ってくる。


「玲央くん、本当ありがとう。このお礼はどこかでさせてね。私、やっぱりムカついてきたから戸津と話してくる」

 それだけ言って恩人に手を振ると、戸津の姿を追いかけた。




「戸津!」

 ホームでふてくされた顔で電車を待っている彼を見つける。


「あの言い方、何? 傷付くんだけど」

 お兄さんに振られた日以降、戸津に思ったことを言えるようになっていた。腹が立つことも、悲しいことも、最初こそ抵抗があったが少しずつ慣れてきた。


「……ごめん」

 彼が素直に謝ってくる。しかしその表情は先程のままだ。


「何なの、一体」

 ため息をついた。


「ていうか、気付いてたんなら声かけてくれればいいのに」

「できるかよ、んなこと。そこまで空気読めなくないわ」

「空気読むってただ送ってもらってただけで……」


 そう言うと、戸津はやっとこちらを見て視線を合わせてくれた。そこから急に肩を掴まれて彼の胸にトン……と寄せられる。


「こうするのが『ただ送ってもらってただけ』なのか?」


 驚いて慌てて離れる。


 な、な……何してんの?


 ドキドキが止まらない。顔が熱い。


「そ、それは、雨に濡れないようにって……」

「あそ。じゃあ俺がお前に同じことしてもいいのな?」


 本当にどうしちゃったの?


 こんなのおかしい。

 思えばバレンタインあたりからそうだった。何かとお兄さんのことを気にするし……今は玲央くんだ。


 私は鈍感な少女漫画ヒロインじゃないんだよ?


 ただ単純に私が傷付かないか気にしてくれているだけかもしれない。でも、それにしたって……

 自惚れもいいとこすぎてずっと聞けないでいた。それでもずっとこんなのが続くのも嫌だ。


 覚悟して思い切って

「戸津……嫉妬してんの?」

 と、尋ねてみた。


 途端、その顔がみるみるうちに赤くなっていく。同時に彼が無意識に息を止めているのが分かった。


 何、それ……


 質問したはいいがこんな反応されるとは思わず、尋ねたことを悔いてしまう。

 彼はと言うと、顔の赤さとは裏腹に今にも怒鳴られるかと思うほどに鋭い視線で睨んできた。


「はあ?」


 それだけ放たれるとそっぽを向かれた。電車がやってくる。このまま地元駅まで一緒は気まずい。


 黙って違う車両に行こうとすると「待て」と呼び止められた。


「これ。貸してやる」

 折りたたみ傘を押し付けられる。


「俺は普通の傘あるし。使えよ。駅から歩くだろ」

「あ……ありがと」


 傘を受け取り、違う車両に乗り込んだ。

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