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第1話【最悪な幕開け②】

 ――当時のことを思い出し、目を瞑る。


 悔しい、悲しい、むかつく。そう言った負の感情が胸の中を支配した。心の中では何度も彼らに言い返し、殴りかかっていた。毎日、消えてほしいと願っていた。


「優奈っ。寝てるの?」

「わ、春ちゃん。ごめん」


 目を開けると、座りこんで机の上に顎を乗せ、顔を覗き込んできている春ちゃんの姿が目に入った。手を振って起きていることを示す。

 彼女の顔を見て、暗い感情が少しだけ拭われた。


「優奈、今日は部活なんだけど来る?」

 春ちゃんは合唱部だ。帰宅部の私は時々助っ人で合唱部の手伝いに入ることがある。朝からの一連のことで気分が滅入っていて、苦笑して首を横に振る。


「ううん、今日はパス」

「オッケー。昼は学食で食べるでしょ?」


 立ち上がった春ちゃんに尋ねられ、横をチラッと見やる。突っ伏して寝ている戸津が目に入った。


「うん、その時さ、相談乗ってほしい」

 こそこそと春ちゃんに合図すると、彼女も黙って親指をぐっと立てた。


「じゃあ今から準備するから」

 そう言って鞄に荷物を詰め始めた……その時だ。


「細川、あのさ――」

 一瞬で体が固まる。目だけ横に向けると先程まで寝ていた戸津が頬杖をついてこちらを見ていた。


「いつまで無視すんの?」

「ご、ごめんなさい……」


 思わず出てしまった言葉。蘇る小学校の時の思い出。


「あー……まあそれより話があるんだけどよ。えっと……」

 彼は春ちゃんに目をやる。


「細川の友達だよね?」

「あ、えっと……。斎藤春香さいとうはるかです。よろしく」

「ああ、こちらこそよろしく。斎藤さん、ちょっと細川借りていい?」


 春ちゃんが私に視線を向けてくる。


「えっと、少しなら。一緒にお昼行く予定だったし」


 ナイスフォロー春ちゃん。私は「そういうことだから」と戸津に言うと、彼も「分かった」と頷く。


 彼女は先に学食に行っているねとだけ残し、戸津と二人で向き合って話すことになった。


「話ってなんですか?」


 目が合わせられず床を見ながら声を絞り出す。


「何で敬語? 同級生なのに」

 怖いから、なんて言えず、少しずつ慣れて崩していくからと話し了解を得た。それから本題へと入っていく。


「俺、中学から、親父の都合で別の学校に行ったのは知ってるか?」

「知って、ます」


 そう、戸津は小学校を卒業すると引っ越していった。それを知ったのは中学に上がってからだ。私の地元では時々、同じ小学校出身の子と顔を合わせることがある。その時偶然、比較的仲の良かった女の子と話が弾み戸津のことを聞いたのだ。中学受験をしたため、小学校の同級生がどうなったかはあまりよく知らないが、こうして情報や噂話は得ていた。


 当然だが戸津以外の男子と道端やお店で会うこともままあり、その度に隠れたり逃げ去ったりしてやり過ごしていた。だが確かに戸津に会うことはここ三年間なかった。


 最も苦手としていた人物が目の前から消えたことで、平常心を徐々に取り戻し始めていた。だから余計に、その後に続く言葉にめまいを覚えそうになる。


「俺も中学で色々あってな。戻ってきた」

「……戻ってきた?」

「ああ、前住んでたマンションにな」


 ということは、それは――



 色々な可能性が頭を過ぎる。戸津も地元は同じ。

 学校生活だけならまだしも、個人的な生活範疇にもこいつが入ってくるなんて……


 感情を押し殺し無表情で対応する。それが私にできる唯一の表情だ。ここで驚いたり、悲しんだりしたらつけ上がられる。


「いや、びっくりしたよ。お前がこの学校にいるなんて」

 それは私の台詞だ。というか、お前が私の学校生活に侵入してきたんだ。

 そう言えたらどれだけ楽だろうか。


「俺さ、中学に行って少しいじめにあったんだよ」

「え?」


 突然のカミングアウトに思わず声を漏らす。


「いや、いじめっていうのかな。普通は小学校からエスカレーター式で中学上がってるだろ? うまいことできあがってる輪に入ることができなくてさ。気付けばハブられていたっていうのが事実かな」

 そういうことかと、なんとなく理解した。

 ふと口元が緩んだ。


 私と同じじゃないか。逃げてきたんだろ?

 ざまあみろ、と私の脳が呼びかける。


 だが一方で疑問もある。


「なんで、この高校を選んだんです?」

 地元からそれなりに離れており、人数も制限されているため入学難易度も高い高校だ。

 まさか質問されるとは思ってなかったらしく、驚いた表情をされた。


「あー……小学校の奴らがいないところに行きたくてな。成績も悪くなかったし、大学で行きたいところもあってな。ここならしっかり勉強できるだろ?」

「小学校の人達……仲よかったじゃないですか」

「まあ正直な事を言うと、あいつらといると思い出すからだな」

「何を?」


 そこまで尋ねると、彼は少しだけ苦虫を噛みつぶしたような表情になる。


「細川にした事をだよ。それにあいつらといたら、いつまた俺がそっち側に回るか分かったもんじゃないから。もう繰り返したくなかった」


 思わず目を見開いた。普通いじめられた側はずっとそのことを覚えており、いじめた側というのは忘れてしまうもの。だけど彼は違うのか。

 だからと言って過去が変わるわけではない。許すこともできない。


「それで、この高校に来たら、細川がいたってわけだ。これも何かの縁だな」

 こんな縁、欲しくなかった。

 喉元まで出かけたものをぐっと飲み込む。


「ずっと謝りたいと思ってたんだ。言葉だけじゃ信じてもらえないと思う。だから俺にできることがあったら言ってほしい」

 至って真面目な顔をして言うものだから、私も言葉を返す。


「それって罪滅ぼしってこと?」

「ああ、そうだ」


 ならば彼にできることは一つしかないだろう。





「……は?」


 私の返答に、戸津はしかめ面になる。

 やっぱり、怖い。調子に乗りすぎたか。でも、これが私の本心だ。


「それ本気か?」

 こくりと頷く。相手は納得していないようだ。


「『話しかけるな』っていうのが罪滅ぼしなのか?」


 目が見れなくなった。

 ただ私の心を乱さないでほしい。やっと得た安寧に介入してこないでほしい。

 そんな簡単なことなのに、了解を得られない。


 なんで。


 私の想いとは裏腹に、彼はズケズケと人の領域を土足で踏み荒らす。


「……細川さ、それでいいのか」

 逸らしていた目を戻し、ハッキリと目の前のこいつを視界に入れる。


「なんていうか、男嫌いなんだろ。色々と大変だろうし、直した方がいいんじゃないか?」

「っ……」


 ふざけるな! 一体全体誰のせいでっ!


 言いさして、私は堪える。


「それのきっかけを作った奴に言われたくない……」

「……そう、なのか?」


 その一言で、我を失った。


「『そうなのか?』だって?」


 ダメだ。やめろ、私。


「私の人生を狂わせたのは、誰だと思ってたの?」


 絶句する目の前の男。その瞳に映る、自身の醜い姿を叩き壊してやりたかった。


「人のこと、デブとか、ブスとか……傷付かないわけないでしょ。あんた達がいなければ、戸津さえいなければ。……こんなことになってないのに!」


 それだけ言って、感情がおかしくなった。泣くな。こいつの前だけでは絶対泣いたらいけない。

 立ち上がり荷物を手に取る。限界だった。胸の奥が締め付けられる。嫌な思い出が頭の中を駆け巡る。


「お、おい。待てよ。話はまだ終わってな……」


 戸津の制止を聞かずに早足でその場を去り、学食へと向かった。

 早く、早く春ちゃんのところへ。



 私の高校生活は最悪な幕開けだった。

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