第11話【背伸び①】
いや、やっぱり無理無理無理無理! 私なんかが調子乗ってすみません! お兄さんを誘うなんてそんなのおこがましさマックスでした! 身の丈考えろよ自分! ごめんなさいもう言いません!
と、言って叫んでる夢を見た。
なんて寝覚めの悪い夢なんだ。
時計を見るとまだ午前五時だった。
今日、夕方は家庭教師の日。お兄さんをクリスマスに直接誘うとしたら今日がラストチャンスだが、あまりに緊張してなかなか寝付けなかった。やっと眠れたと思ったのに、こうして見事に悪夢に叩き起こされている。
今なら引き返せる、と思う自分と、後悔の嵐に苛まれる未来の自分とのせめぎ合いがここ数日起きていた。
あの日、誘ってみようかなとはと思ったものの、やっぱりどうして、私は私のままだ。断られる恐怖と不安。そして『私なんかが』という思考は以前よりはマシになっているのかもしれないが、長年の癖はそう簡単に拭えるものではない。
だけどお兄さんはあと数ヶ月で北海道に行ってしまう。もう簡単には会えない。何もしなければきっと長いこと心のつかえが残る気がしている。
どうしよう……
こうやって答えの出ない問いをずっと繰り返している。
正直、本当はスポランに行った日から気持ちは決まっていると思う。でもループするのは、おそらく自己防衛なんだろう。沢山の言い訳を自分に貯めておいて、いざ辛い返答が来たときに心を守ろうとしている……と、思う。傷付きたい人間なんかいないでしょ?
結局何も解決しないまま、その日の夕方になった。日中も家族と会話してても、運動しててもずっと上の空だった。冬休みは戸津は用事があるとかで、散歩も一人だったし。春ちゃんに延々と答えのない話をするのも気が引けてしていない。
そして、肝心の家庭教師の勉強中も、頭になかなか入ってこなくてお兄さんに申し訳ないことをしたと思ってる。
「今日は少し早いけどここまでにしておこうか」
お兄さんは相変わらず私の変化に気付くのが早かった。
「今日ちょっと、その……ごめんなさい。なかなか集中できなくて」
「大丈夫。そういう日もあるよ」
彼は大きな手でポンと私の頭を撫でてくれる。
胸の奥がギュッとした。
「違うの。あの、理由があって……」
「ん?」
なかなか口を開こうとしなくても、お兄さんは笑顔で静かに待っていてくれている。
言え、勇気を出せ、私!
「お兄さん……クリスマス、一緒にでかけませんか?」
「えっ?」
まともに顔を見ることができない。声色からキョトンとしている彼の表情が容易に浮かんだ。
手は冷たいくせに、顔が熱くてたまらない。心臓の音が全身を駆け巡っている気がする。
でも言った……ちゃんと言った!
ドキドキしながらも、チラッとお兄さんの顔を確認した。すると優しい笑顔でこちらを見つめている。
「いいよ、どこ行こうか?」
「!」
……ああ、私、心臓破裂して死んじゃうんじゃない?
◆
今年は奇跡だ。お兄さんと二回もおでかけができる。しかも、今回は二人きり。
駅前で待ち合わせをしている中、ガラスに映る自分の姿を見て、今日までの数日を振り返っていた。
あのあと春ちゃんにすぐにメッセージで連絡すると、大興奮して電話をかけてきて、当日の服装を決めたりと長時間話し込んだ。嬉しくて沢山浮かれた。次の日すぐに春ちゃんと新しい服を買いに行ったりもした。少し痩せたおかげで、ほんの少しだけど着れる服の幅が広がって、選べる物も増えていた。
赤いロングスカート、白いシャツに、落ち着いた深い赤色のダッフルコート。それに合わせるように金色のネックレスを買った。すごくクリスマスぽいけど可愛いと思う。それから美容室もいって、新しい化粧品も買って練習もした。お小遣いを貯めておいてよかったと心底思う。
それと、クリスマスだから……とお兄さんにプレゼントも買ってみた。
喜んでくれるといいな……
そんなことを思ってにやける口元を押さえていたとき、横から優しい声がした。
「優奈ちゃん?」
「あ、お兄さん!」
「びっくりした。可愛いね、最初分からなかったよ」
ぐ……本当にお兄さんは欲しい言葉をかけてくれる。
お兄さんの横に並びたくて沢山頑張ったんだよ、と心の中で呟いた。
心臓の音がバレないように、にやけてるのが変に思われないように、いつものように「ありがとう」と、笑って返した。
これからショッピングモールに移動した後、少し遅めのランチを食べて、映画を観て、夜はイルミネーションを見に行く予定だ。
大丈夫? 生きて帰ってこれるのかな?
そんな私の緊張をよそに、彼はいつも通りだった。ふんわりとした笑顔、落ち着く声のトーン。紺色のジャケットを着て、大人で、スマートだ。
「お兄さんもかっこいいね!」
「そう? ありがとう」
ポンポンと頭を撫でられた。私はこのポンポンが大好きだ。撫でられたところに手を当て、余韻に浸る。
お兄さんが私の頭を撫でるのは、私が小さいときからずっとだ。多分、彼もほとんど無意識でやっていると思う。それくらい当たり前のことだった。だからこれは彼にとっては、おそらく何の意味も持たない。分かっていてもいつも喜んでしまう自分がいる。
その後もランチを食べながら、沢山会話をした。ダイエットのこと、勉強のこと、春ちゃんのこと。
「すごいね」とか「優奈ちゃん可愛くなったよね」とか「頑張ってて偉いね」とか。
いつだって私の背中を押してくれる。
ダイエットも勉強も頑張っていることを知ってくれている。
私が変わっても、変わらなくてもずっと優しい。小さいときから味方でいてくれて、認めて、褒めてくれる。とても大切にしてくれている。
なのに話していると時々感じる違和感に、たまに――ごくたまに胸がチクリとしていた。
「優奈ちゃんも、もうすぐ高二になるんだね」
デザートを食べながら、お兄さんがふと話を切り出した。
「早いよねえ。こんなに小さかったのに」
そう言ってテーブルより低かったと手で示してくる。
「その時はお兄さんも小さいよ!」
「えー、でも六年違うんだから僕はもう少し大きかったよ」
少しふざけるようにお兄さんが笑う。
「そっか。でもそうだよね。優奈ちゃんが大きくなってるって事は、僕もそうなんだなぁ」
「もう社会人だもんね」
「これから、ちゃんと大学卒業できればね」
卒業できないなんてことはお兄さんに限ってまずないだろうに、と心の中で呟いてみた。
「内定もらったから、北海道……行っちゃうんですよね」
「そうだね、ずっと働きたかったところだし」
「……」
「優奈ちゃんは、大丈夫?」
正直、卒業できなければいいのにって、思わなかったことはない。でもそんな人間だって思われるのは嫌で、ずっと心の内にしまっている。
心配をかけずに、お兄さんがしたいことをやってほしいと思う気持ちも本当だ。
「……ねえ、お兄さん。私今年になって少しずつだけど変わってると思うんだ」
「うん、そうだね」
「まだ心配かけることがいっぱいあるけど、お兄さんが北海道行く前に……えっと、そう、三月! 三月にまたその質問をして!」
そう笑って返事をした。
今胸を張って「大丈夫」って言う自信はない。虚栄はきっとすぐバレてしまうだろう。だからあと数ヶ月でちゃんとお兄さんを安心させる。そして、気持ちを伝えるんだ。
「うん、じゃあまた聞くね」
彼は笑って答えてくれた。




