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第10話【一歩前へ②】

  ◆


 あれからあっという間に当日になった。


 私と春ちゃんが先に合流して、現地で後から戸津と橋本大樹が二人でやってきた。

 橋本大樹だってこの面子はきっと嫌だっただろう。というか絶対に無理に戸津が呼んだとしか考えられない。その男は会ったそばから目線も合わせないし、空笑いしてるし、私と春ちゃんとは一言も口を聞かない。


 早速嫌な感じだこと。


 そのまま私は春ちゃんと、戸津は橋本大樹と会話をしながらスポランにお金を払って入る。入場中は飲食以外はほぼ全て無料で遊べる。


「さて、どうする?」

 戸津が楽しそうに切り出す。


 彼にはこの気まずさが理解できないのかな?


 そんなことを考えながらも周りを見回す。サッカー、バスケット、バッティング、バトミントン、テニス、卓球、ゴルフ、トランポリン、アーチェリー、ローラースケート……様々なスポーツエリアが目に入る。


 ここには二年前に一度だけ春ちゃんと来ているが、如何せん体がついていかなかった。結局スポラン内の無料のゲームセンターでずっと二人で遊んでいた。


 今はどうなるんだろう。

 正直なところ、少し怖い。


 決められずにいると、春ちゃんが口を開いた。


「じゃああれで」

 指し示した先はバッティングエリアだった。


「えっ、春ちゃんできるの?」

「ううん、やったことないよ」


 にこりと笑顔を向けてくる。

 ハッとした。この笑顔は何か考えているときの春ちゃんだ。


「バッティングかぁ、いいな! それにしよ!」

 戸津ははしゃいで橋本大樹と先にエリアに向かっていった。

 それを見届けた春ちゃんがこっそりと私に耳打ちする。


「ひとまず個人スポーツなら気が楽でしょ? むかつくやつを成敗してやるつもりで振ろうよ」

 なるほど、と思わず笑った。


 バッティンマシンは一人ずつ部屋が分かれている。確かにこれなら一人スポーツだ。

 遅い球速の部屋に入ってみる。春ちゃんも隣のブースに入った。

 バットの握り方も何も分からないまま立ち位置に立ってみる。ボタンを押してしばらくすると、球が飛んできた。


「速っ!」

 思わず声に出して、驚いて見送ってしまう。そしてほとんど間も空けずに次の球が飛んでくる。考える余裕はほぼ無い。


 当たれ!


 次は思いっきりバットを振ってみると、その重さと遠心力で腕が持っていかれるかと思うほどだった。そして案の定、球には当たらない。

 もう一度構えてボールが飛んでくるのに合わせバットを振ってみる。当たらない。


 振ってみる。当たらない。振ってみる。当たらない。


 段々腹が立ってきて、その頃から真剣に振り始める。何度か試すうちにボールにかすり始めた。


 そしてついに……


 ――カーン!


 バットにボールがしっかり当たり、力強く真っ直ぐに飛んでいく。


「当たった!」

 嬉しくて声に出てしまう。


「ねえねえ、当たった!」


 そう言って隣のブースに声をかけると、そこにいたのはいつの間にか春ちゃんではなく橋本大樹だった。驚いてブースの外を見ると春ちゃんは椅子に座って休んでいた。


「ご、ごめ……間違え……」

「へえ、すごいじゃん! ここの球、速いのに」

「えっ?」


 何を言ってるんだ、遅いブースを選んだはず……と思って一度外に出て上の看板を確認すると30km/h書いてある。

 ほらやっぱり一番遅い……え? いや、待って……これ。


「『1』がかすれて消えてる……!!」

「え? 何々?」


 橋本大樹が私の声に釣られるようにして確認しに外に出てきた。


「あ! 本当だ! 130km/hの『1』がない! ははは! そんなことある? でもどう見ても30km/hの球じゃないし、そんなのバッティングでまずないだろー!」


 また少し小馬鹿にするように笑われる。

 しかしそんなことはどうでもいい。腹が立つよりも正直恥ずかしい。何も言い返せない。

 一通り笑った橋本大樹は笑い疲れて息を吐いた。


「でもだとしたらやっぱりすごいな。オタクなのに打てるんだな細川!」

「こら、オタクは余計だろ、大樹」


 打ち終わった戸津が戻って、話に割って入ってくる。

 一方春ちゃんはジッとそのやり取りを見つめていたが、終始口元が笑っていることに気付いた。


「春ちゃんも笑ってるでしょ!」

「えっ、いや。ごめん。分かってて入ってるかと思ってたし」


 耐えられなくなって吹き出している。


「だよなー! 神がかってるよな!」


 橋本大樹が春ちゃんに同意すると、彼女の笑っていた表情が一瞬で曇り、

「面白いのは優奈で橋本くんじゃない」

 と一蹴した。


 その様子に橋本大樹は怯んだ表情を見せ口ごもる。そんな彼に戸津が腕で突き、何かを言わせようとしている。


「えっと……今日一日遊ぶんだしさ。もう少し楽しく……」

「そうじゃねぇだろ」

「はぁー……」


 何かを観念したかのようにため息を吐いた。橋本大樹は私の方を向き直ると、先程とは打って変わりごにょごにょと話し始める。


「今まで、その……悪かったよ。デブとかオタクとか男嫌いとか……ちょっとそれで戸津とも喧嘩してさ」

「……知ってる」

「で、まあ……悪かったかなあって思ったりして……だからその、ごめん」


 気まずい空気が流れた。


 このタイミングで謝られると思っていなかった。いや、それどころか、謝ってくるなんてことが起こるなんて思いもしなかった。

 普段チャラチャラした橋本大樹からは想像もできない。

 自分の非を認めるということはかなりのストレスになるはずだ。それが私相手ならなおさらだろう。


 でも悪い気はしない。私に対して陰口を言っている男子は他にもいる。そういう意味では正々堂々と嫌みを言って、正々堂々と謝ってくるのはまだマシな気もする……


 いや、正々堂々と嫌み言ってくるのはマシではないか。


 緊張で手が冷え切っているのを感じながら、表向きは冷静さを保ったまま口を開いた。


「今日、橋本大樹……くんが来るって聞いて、正直悩んだ。怖いし、また嫌なこと言われたらって。でも一つ、私も言わないといけないことがあったから来た」


 戸津と春ちゃんが見守ってくれている。

 正直嫌がらせされたやつにこんなこと言うのは癪だ。でも言わないと長いこと心の中でモヤモヤが残りそうでそれも嫌だった。


「体操着の件、ありがとう。拾い上げて、しかも洗ってくれたんでしょ。それが言いたかった」

 怖くて相手の目を見ることができない。少し俯いたまま相手の反応を待った。


「え、許してくれたってこと?」

 拍子抜けする明るい声に思わず顔を上げる。

 ヘラヘラとした態度が目に入った。


 こいつ! 私がこんなに……こんなに……!


「そんな簡単に許すわけないでしょ!」

「えー! ひでぇ!」


 辺り一帯まで私の声が響き渡り、それまで黙っていた戸津と春ちゃんがそれをきっかけに急に笑い出した。


「ちょっと……二人とも!」

「そんな大声出るんか、細川……くくく」

「あはは、それは予想外すぎるよ優奈」


 急に体が熱くなった。

 色々と悔しくなって同じく笑っている橋本大樹に釘を刺した。


「ええっと……金輪際、ああいうのはやめて! 私と春ちゃんに変な絡みしてこないで」

「了解了解!」

「本当に分かってる?!」


 私一人がひたすらに恥ずかしくなって、他の三人は笑い続けた。


「ちょ、ちょっと飲み物買ってくる!」


 耐えられなくなって一旦その場を離れた――



 それからというもの、私達四人の中に漂っていたピリついていた空気はなくなった。私も頭の片隅にわずかな不安は残るものの、橋本大樹がいじってくることはなく、少しずつだが『楽しい』と思えるようになっていった。


 あと私が橋本大樹のことを呼び慣れないせいで本人から「なんでフルネームなの?」とツッコまれたため「橋本くん」と呼ぶことにした。でも心の中ではずっと呼び捨て対象だな。


 そうしていくつかのスポーツを楽しみ、時々休憩でゲームをしたりしてなんだかんだワイワイと過ごしていたと思う。


 気付けば想像以上に汗をかいていた。さすがに他の三人の体力にはついていけず、一人抜けて近くのベンチで座って持ってきていたフェイスタオルで汗を拭った。

 戸津や橋本は現役の水泳部だけあって体力が凄まじい。春ちゃんもやっぱりできる。


 私は……私はどうだろう?


 以前春ちゃんと来たときのことを思い返してみる。

 確かに人よりバテるのはまだ早いけれど、あの時とは比べものにならないくらい体が軽い。

 散歩を続けて、筋トレをして、たまにドカ食いはしちゃうけど一応食事も気をつけて……まあそれでも脂肪は簡単には落ちてくれないわけだけど。


 でも……動けてる。確実に変わってる。


 フッと口元が緩んだ。


「優奈ー! コートに戻ってこれるー?」

 春ちゃんが手を振ってくる。三人が笑ってこっちを見ていた。

 私は立ち上がって手を振り返した。


「今行くー!」



  ◆



「やー、疲れたねえ」

 駅に向かう途中で春ちゃんが言った。

 足も腕も重い。体中くたくただ。


「明日、筋肉痛になりそう」

 苦笑しならが少し腕を動かしてみたが、すでに体中の軋みが出ている気がした。


「私も明日は一日寝てる」

 春ちゃんが言った言葉に同意してくれて、思わず二人で笑った。

 夕焼け放送が流れてくる。

 汗も引いて体が冷えているが、それさえも今は心地よい。


「でも、楽しいね。動くって」

 ついそんなことを口走る。


 後ろを歩いていた戸津が盗み聞きをしていたのか「そうだろう?」と、私と春ちゃんの間に少しだけ割って入ってきた。


「なら水泳部入るか?」


 戸津が私の肩に腕を乗せて、ありえない冗談を言ってきた。

 ただでさえ体が重いんだから今は肘置きにしないでほしい。


「戸津、それは酷だろー」

 橋本はずっとこの調子だ。


「うるさい橋本くん」

 春ちゃんは今日一日、橋本に対してずっと言葉のトゲがある。それもまた端から見ると面白い。


「あはは、運動部は無理だけど、今日はこれでもかってくらい動いて本当に楽しかったよ!」

 少し大げさに重い腕を広げてみると、満足そうに戸津は頷く。


「な、来てよかっただろ」

 さすが俺の提案とでも言いたげな表情なのが少し腹立たしいが、でも今回ばかりは正しい。


「うん。誘ってくれてありがとう」


 笑って返すと、戸津もまたくしゃりと笑って「おう」と私の頭を軽く指で小突いた。

 なんだか嬉しくなって、思わず次の言葉まで言ってしまう。


「じゃあさ、また皆で来ようね!」

 一瞬の間ができた。


「え? 何?」


 僅かな間だったが、戸津は目を丸くして驚いた表情をしていた。けれどすぐにそれは崩れ、

「くく……いや、なんでもない。そうだな、また来るか!」

 笑ってサムズアップをしてきた。


「橋本くんがいなければ来ようかな」

「斎藤さんって結構キツくね?」


 また笑いが巻き起こった。


 多分ここ数年で今日が一番笑っている。しかも一人で笑うのではなくて皆と笑っているんだ。大声で笑っても気持ち悪いと言われない。楽しいものを楽しいと言える。たったそれだけの事。体は鉛のように重くなっているけど、心はずっと軽やかだった。


 にこにことしていると、トントンと春ちゃんから肩を叩かれ、耳打ちされる。


「ねえ、クリスマス、お兄さん誘ってみたら?」

「へ?」

「だってあの戸津や橋本くんとも遊んだんだよ?」

「いやいやいや。それとこれとは……」

「一緒一緒! だって優奈、今日また一歩前進したじゃん」


 それだけ言って春ちゃんも戸津と同じように親指を上げた。

 彼女の言葉に、思わず息を呑んだ。


『前進』


 私は……進めていた?


 胸がドキドキした。


 ずっと下を向いていた。過去ばかり見ていた。自分にないものを持ってる人達を羨ましく思っていた。私なんかがと諦めていた。憧れも好きも全部全部胸の内に秘めていればいいと思ってた。だってそれが『私だった』から。


 でも私は。今の私は――


 夕焼けに染まる空を見上げる。


 ……誘って、みようかなぁ。

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