第9話【羨望と努力とご褒美と②】
それから試験も終わり結果が返された。
私はクラス維持。戸津は、というと
「くっそー、英語と数学、中レベルクラスか!」
と言って教室の机を軽く叩いていた。
教室の右端の一番前の席で悔しがる姿を、斜め後ろ側の自分の席から見てた。立ち上がると、彼のところへ向かう。
「よかったじゃん。中クラスに戻れて。結局二学期の間だけだったみたいだし、英数の下のクラス在籍期間」
戸津の成績を横目に座っている彼に声をかける。進学校だから真ん中のクラスでも全国で見ればそれなりの成績のはずだ。彼が顔を上げるとそれは満面の笑みで満たされていた。
「おう、しかもぎりぎり上クラスとの境目だったみたいだしな。悪い気分ではない」
数学も英語も飛躍的に伸びていた。ここまで成長が著しいと嫉妬さえ覚える。でもそれもこれも頑張ってきた彼の成果なんだろう。
正直私も少しだが成績が伸びていた。戸津に教えることで自分の勉強になっていたのを実感する。ダイエットもこれくらい結果が出ればいいのに、なんて思っても仕方ないのだけど。
「ん? 何浮かない顔してんだ?」
「あ、ああ。なんでもないよ」
「そうか? まあなんにせよ、これでひと段落だな!」
戸津が背伸びをして席を立ちあがる。それから私の肩をポンと叩き、
「よし、今日帰りにカラオケ行こうぜ?」
と、言った。
「え、今日?」
「そう、今日! 学校も午前授業なわけだし、俺も部活が休みだしな」
今日は……別に用事もない。戸津は部活が忙しいだろうし、合わせた方がいいのだろうか。
それにしても急に現実を突きつけられて、なんだかそわそわしてくる。考えたところでそわそわの答えなんて見つからず、私はただ「分かった」とだけ頷いた。
それから学校帰りそのままで、戸津がよく行くというカラオケで待ち合わせをすることになった。彼は細々とした用事があるようで、先に行くように指示される。
店舗につくと受付を済まし、ドリンクバーでお茶を入れ、指定の部屋に向かう。部屋は割とこじんまりしていて、三人入ったらいっぱいになりそうな所だった。
「うわ、狭……」
思わず口をついて出てくる。
席に座るとお茶を一口飲む。
――コクリ。
なんだろう。やっぱりそわそわする。
いてもたってもいられなくて戸津にメッセージを送った。
『あと何分くらいかかりそう?』
するとすぐに返事が来た。
『あと十分くらい! 部屋何号室?』
『三〇五号だよ』
『了解。先歌っててもいいからな』
こんな状態で歌えるはずもない。
というか戸津の前で自分の歌を披露するのか?
……あ。やばい、これだ。
その緊張だこれ。すごく聴かれたくない。合唱とはわけが違う。あまりにもプライベートすぎる。なんでこんな安請け合いしてカラオケ行くなんて言ってしまったんだ。
後悔が私を襲う。
とりあえず気持ちを落ち着かせるためにリモコンで選曲をする。歌は好きだけど、とびきりうまいわけでもなく本当ただ歌うだけだ。
とりあえず人当たりのいい曲を選ぼうとするも、特にこれと言って浮かばない。たいてい自分が歌うものは合唱曲かミュージカル音楽だ。
参った。何もない。
そうこうしているうちに部屋の扉が開いた。
「よう、って。なんだ歌ってないのか?」
「あ、うん……」
「なんだよ、しけた面して」
戸津が荷物を席に置くと自然と私の隣に座った。
え、隣? そこは荷物じゃない?
更なる動揺が私を襲う。
「もしかして、一般受けする曲選ぼうとか考えてないか?」
どきりとした。
こいつ、エスパーか!
それが顔に出たのか戸津は私の背中を軽く叩く。
「好きなもの歌えよ。今日はストレス発散する日なんだぜ!」
と言われても……
そうして渋っていると、戸津が「よし、分かった」と言ってリモコンを手に取る。
「これでどうだ」
ピッと送信の音が鳴ると聞いたことのある音楽が流れてくる。
これ一昔前に流行ったアニメソングじゃ……しかも確かこってこての魔女っ娘アニメだ。
画面いっぱいに幼い少女たちが魔法使いになって現れてくる。そこに戸津の声が乗った。
う、うまっ!
あまりの完成度に口が半開きになってしまう。これは相当歌いこんでいる。
隣で熱唱が終わると彼はにぃと笑いかけてきた。
「ほれ、これで入れやすくなっただろ」
「見てたの? このアニメ?」
「おう、見てたぞ。あ、これ秘密な」
そう彼は言うと、私にリモコンを渡してくる。
「どんなのでもいいぞ」
もうここまで来たら――
そう決意を決めてよく家で聴いている劇団の曲を入れた。ミュージカル音楽だ。途中で台詞も入ってくる。
音楽が始まると全身の火照りを感じながら歌い始める。そして台詞のシーンだ。さすがに、と思って黙っていると
「台詞だろここ? 言わねぇの?」
と、促される。
確かに台詞が長いので延々と黙るのも気まずい。思い切って台詞も歌ってみる。
「『君のことを思い出すだけで胸が締め付けられるんだ』『ああ、なんてことなの』」
台詞ありの選曲を一発目にするべきじゃなかったと盛大に後悔する。
こんなの恥ずかしすぎる……
それでもなんとか最後まで終えると、やっと胸を撫で下ろすことができた。
「へぇ、知らなかった。細川って歌うまいんだな?」
安堵していた矢先に、その一言でまた緊張が走る。そんなことを言われるとは思っていなかった。
ダメだ、ストレスが溜まる気しかしない……
しかしそれも束の間だった。最初に台詞の恥ずかしさと戦ったおかげでどんな曲でも歌える気になった。お互い交互に曲を入れて、少しずつこの状況にも慣れてきた。
それに、戸津は否定しない。昔みたいに、はやし立てたりもしない。お互いが歌いたい曲を入れて満足する。
だからなのか、気付けば夢中になって歌っていた。最高に気持ちがいい。
二人で熱唱を続けていたが、戸津が「少し休憩」と言った。ちょうど私もいい感じに疲れてきていたので休むことにした。
そこでふと彼が何を思ったのかメニューを広げる。
「なんか頼むの?」
「違う違う、これだよこれ」
そう言って指を指したのは野菜スティックだ。
これがなんだ?
「ここの店な。男女デュエットオンリーなんだけど、それで八十五点以上出すと一品タダでくれるんだよ。元カノと何回かトライしたんだけど出せなくてな。小腹も空いてきたし、やってみねぇ?」
そういえば時刻は十四時を回っている。お昼を食べ損ねたことを今更思い出す。軽くお腹が鳴ったが、カラオケ画面の待機中の音で掻き消された。
野菜スティックか、ダイエットには悪くない。
「うん、やってみよう」
しかし問題があった。
「二人で歌える曲なんてある?」
そう首を傾げると待ってましたと言わんばかりに戸津がリモコンを手にして慣れた手つきで打ち込んでいく。それからその画面を見せてもらうとハッとした。
「え? この曲知ってるの?」
「おうよ、これは完璧だぜ」
それは私の好きな劇団の中でも代表作にあたる、普通の人でも確かに良く耳にする曲だった。
当然、私もよく聴くし、よく歌う。
このデュエットソングをいつも一人二役でやっていたので、男子と一緒に歌ってもらうのは初めてだ。しかも、かなりうまくいきそうな気がする。わくわくが止まらなくなった。
「入れよう!」
「そうこなくっちゃな!」
採点サービスを予約して、それからその曲を入れると音楽が流れ始める。
これは身分の差がある男女が、出会いそして惹かれていく音楽だ。
まさかこんな曲を戸津と歌うことになるとは……
まずは戸津の男性パートからだった。
やっぱりうまい。
音程も合っているし違和感がない。これなら気持ちよく女性パートに入れる。
それから私のパートになり精一杯歌ってみた。途中から一緒に歌い、最後は二人で終わる。戸津のハモりは終始完璧だった。
終わってから彼に向き直る。
「戸津、最高だよ!」
そう興奮を露わにすると、戸津は画面を指差し、すかさずスマホでそれの写真を撮った。
「見ろよ! 九十三点だってよ! よっしゃあ!」
「やったー!」
思わず戸津にハイタッチを求めてしまった。ハッとするも彼は何一つ驚きもせず、そのハイタッチに応えた。
パンッ、といい音が小さな部屋に鳴り響く。
手を離すと戸津が自分の掌を見ていた。
「戸津? え、痛かった?」
「あ? いや、なんでもない」
彼はすぐに笑うとその掌をぎゅっと握りしめていた。
それから部屋の電話で男女ペアだということを伝え、店員が部屋まで来ると先程撮った写真を見せ、欲しい一品を注文する。しばらくすると野菜スティックが運ばれてきて二人でそれを食べた。
お腹いっぱいにはならないが、今は楽しさでいっぱいだ。こんな風に胸が高鳴るのはいつぶりだろう。そう考えてみると、花火大会以来だと気付いた。
そういえば、あの時はお兄さんと一緒にいられてすごく嬉しかった。
そこまで考えて、違和感を感じた。その正体がなんなのか、さっぱり不明だ。なんとなく喉の奥が熱くなった。
まあ、いっか。
考えるのはやめにして、それから戸津と一通り歌い切った。
十六時になり、そろそろ帰ろうかという話になった。
荷物を持って立ち上がったところで
「あ、そうだ、ちょっとだけ本屋行きたいんだけど。英語の参考書買いに。選ぶの手伝ってくんね?」
と、彼は唐突に振ってきた。
「ん? いいよ」
確か本屋はここから徒歩五分くらいのところだ。カラオケ屋を後にして、大きなビルが立ち並ぶ道を真っ直ぐに歩いていった。
途中、女性ファッションの店がいくつも立ち並んでいる。
それを横目に見ながら歩いた。
可愛い服。
私の着れない服。
いつもは見ることもしない。だって虚しくなるだけだから。
だけど今日はなんだか見ていたい気分になった。
そして、ふと目に飛び込んできた。薄い赤桃色のとてもシンプルなワンピース。思わずそのウィンドウの前で立ち止まる。
「どうした?」
「あ、いや、なんでも」
言いながらそのワンピースに釘付けになる。色もだけどシルエットもとても素敵だった。
いいな、いつかこんな服が思うように着れるようになったら……
口元が緩んだのを見られたのか、戸津も私の視線の先のワンピースに目をやった。
「この服、気に入ったのか?」
「え、あ、うん……」
それを言われて現実に引き戻される。これが似合うようになるにはあと何十キロも落とさないといけないだろう。そもそも、着れても似合うかも分からない。
「ごめん、行こうか」
そう促して再び歩き始める。
戸津がすぐ横についてくると口を開く。
「さっきの服、なんかだか細川ぽいな」
「え?」
思わず戸津を見た。
どういうこと?
「似合いそうだなってことだよ。いいんじゃねぇの? 買えば?」
「無理だよ、サイズが入らない」
「ふーん、そっか……」
戸津がそう呟くように言って後は黙っていた。
本屋に着いて二人で参考書を吟味し、彼がそれを購入すると帰路に着いた。
あんなにカラオケは楽しかったのに、帰りの電車の中はほとんど会話はなかった。
戸津は耳にワイヤレスイヤホンを突っ込んで、ずっと窓の外を見ていた。特に話すこともなくて、私も下を向いてスマホをいじった。
ふと視線を感じて顔を上げると、一瞬だけ戸津と目が合う。でも特に表情も変えずに、彼は再び窓の外に目を戻した。
彼が何を考えているのか私には分からないし、きっと彼もそうなんだろう。
後日、春ちゃんにこの日のことを報告すると心底驚かれた。
何故って?
だって春ちゃん曰くあれは『デート』――




