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第9話【羨望と努力とご褒美と①】

 十二月上旬に始まる期末試験へ向けて、戸津との勉強会を増やすことにした。ここ最近は、ほぼ毎日一緒に勉強をしている。


 隣にいる戸津をちらりと見る。

 黙々と数学を解いている。最近はやり方が分かってきたのか、教えるよりもこういう沈黙の時間の方が増えている。

 一人で勉強もしているようだし、私としても成績は上がってほしい。

 そう思いながら自身の問題集に向かった。


 少ししてふとすると、さっきから彼のペンが進んでいないことに気付いた。コクリコクリと首を縦に振っている。疲れているのか、最近度々ある光景だった。


 それにしても長い睫毛だなぁ。シャー芯乗るんじゃない?


 寝顔を見ながら、つい思ってしまう。知ってはいたけど、黙っていればやっぱり普通にイケメンなのだ。

 外見が良くて羨ましいと思う反面、彼が全てを持っているわけではないのは知っている。


 そして、多分。私も見え方によってはそうなのかもしれない。持っているもの、持っていないもの――きっと人それぞれ何かあるのかもしれないと、少し思うようになってきた。


 一通り、戸津のイケメンポイントをジロジロ見たところで、さて、と思う。いつも悩むところだ。


 起こすべきか否か――


 うん……あと十分したら起こそう。


 少し悩んだ末、そう結論付けると、近くにあったブランケットを取りに立つ。

 薄橙色のそれを手に取り、彼の肩にかけた。これで起きないのだから結構深く眠ってるようだ。


 私はというとダイエットと勉強の両立で疲れていないわけではなかった。毎日一時間は歩いているし、少し前から筋トレもするようになった。お母さんのサポートもあってなんとか食事制限も続けているし、勉強だってしている方だろう。

 私なりの努力は継続している。

 それでも最近は体重は横ばいか時々増加する。ストレスを感じるとどうしても食べてしまう悪い癖が出てきている。それに勉強も難しくなってきていて、思うように捗らなくなることもある。


 でも……それ以上に目の前の彼はストレスを溜めこんでいるんじゃないか、と考えてしまう。

 ケンジくんとの約束を守るために目の前の壁にしがみついている。ストレスがないわけないんだ。


「本当すごいよ」

 ボソリと呟いた。


 彼みたいな努力は自分には無理な気がする。自分の想いだけで私は動けなくなるのに、彼は他人の想いも一緒に背負い込んでいるんだ。

 戸津が女子から人気があるのはきっと外見だけじゃないのかもしれない。中身だってそれなりに伴ってるんだろう。


 スヤスヤと眠る彼の横で色々と思考を巡らせた。


「あ、十分過ぎた……」

 そう呟くと戸津を揺さぶり起こす。


「戸津、起きて。そろそろ再開しないと」

「んあ……」


 彼がむくりと起き上がると、眠気眼をこすった。


「やば……また寝てたのか俺」

「疲れてるんじゃない? あんまり無理もよくないよ」

「大丈夫だっての……っと」


 そう言うと彼は肩にかかったブランケットを手にして「これ、細川の?」と尋ねてくる。


「そうだよ」

「そっか……サンキューな」


 戸津は目を細めて笑った。無邪気な子供のような、でも少しだけ大人ぽい、そんな笑顔。

 がむしゃらに過去と向き合おうとして、努力をして、前に進んでいる。彼の笑顔がそれを証明している気がした。 


「なんか、いいなぁ……」

 つい、ぽろっと本音が漏れた。


「あ?」

「あ、いや。ほら、戸津ってよく笑うなぁって思ってさ。……中学で辛いことがあったのに。ちゃんと笑えてる。羨ましいなって」


 戸津が首を捻っているのを見て、言った直後に後悔した。


「あ……ごめん。急に意味分かんないよね、なんでもない」

 言い直しても、もう遅いのは分かっているんだけど。


 私も戸津と再会して自身を変えようと思って頑張ってきた。けれど、彼の過去を知って嫉妬に似た何かを時々抱く。

 どうしてそんなに前向きに生きられるのかな、と。どうしてそんなに頑張れるのかな、と。私もそうなりたかったと。


 そこまで考えていたら戸津が耳の後ろを掻いて、それから目線を外した。


「そうでもないよ」

「え?」

「俺だって、割といっぱいいっぱい」


 彼は苦笑いしながら、持っていたペンをくるっと回した。


「でも行動を変えると、それに心が伴ってくるっていうのを誰かに聞いたんだ。だからそれをやってみてる」


 そう放つ戸津は少し照れくさそうにしている。視線が合うと彼はまた笑う。


「だから細川ももっと笑ってみたらいいんじゃねぇかな。周りなんて無視してさ。気持ちが楽になるかもしんねぇし」

 突然自分に話を振られた。思わず首を横に振る。


「えっ、そ、そんなこと……」

「否定せずやってみな。ほら、にぃ! 笑ってみ? 意外といけるかもしれねぇよ?」

「い、いいよ、私は……」


 少し後退して彼の提案を断るが、

「いいから、ほら、やってみ?」

 戸津がずいっと一歩分、体を寄せてきた。


 こ、断れない……


「は、はは」

 苦笑してみる。


「ダメだって。ほら歯見せて笑ってみろよ」

「やっぱり無理だって! 絶対気持ち悪い顔になる!」

「そんなことねぇ!」


 そこまで言われて私は返す言葉をなくして息を飲んだ。ふざけているはずの彼の目が、少し真剣で、多分本気だった。


 もうどうなっても知らない!


 歯を見せて、口角を引きつらせながら、ぎこちなく笑ってみる。


「そうじゃないんだよなー。こうだって、こう」

 戸津が突然頬をつまんで横に引っ張ってくる。


「ちょ、ひゃめて」

「いいからいいから」


 頬を横に伸ばしたり縦に伸ばしたりしてきて、なんだかおかしくなってきた。


 なんなんだこの状況!


「ひゃはは、ちょ、ひゃめってって」

「そうそう、そうやって」


 一度笑い出すと止まらなくなる。笑いたくもないのになんだか面白おかしい気分になってきた。


「あははは!」


 笑い出すと、戸津は手を離した。


「ほら、笑えんじゃん」

 それを言われてハッとして掌を口元に当てる。思いっきり笑ってしまった。


「隠すなって。よかったぞ」

 満足そうに言われても、さすがにちょっと恥ずかしい。


「女は笑ってるのが一番ってのは真理だと思うんだよな。それにお前も最近笑うこと増えてきただろ?」

「え、そうかな……」

「おう、前に比べたら全然増えてる。安心しろ」


 戸津はわざとらしく、親指をグッと出してくる。


「大丈夫。それに細川は頑張ってる。自信持っていい」


 手を下ろす彼は、満面の笑みを向けてくる。

 それを見て、小さなため息をついた。相変わらず、私の心情なんかそっちのけみたいだ。


「でもねぇ、最近ストレスで全然体重減らないし、ちょっと食べ過ぎちゃってまた少し太ったし……笑うと頬の肉が寄るのが怖いって言うか……」

「ああ? そんなの一時的なものだろ?」

「でも……」

「あのな『でも』禁止。そんなに今イライラするなら、ストレス発散に試験終わったらカラオケにでも行くか?」


 ストレス発散……その提案に顔を上げる。


 カラオケ、そういえば久しく行っていない。

 歌うことは嫌いじゃない。どちらかと言えば好きだ。だから春ちゃんの部活の合唱にも時々参加させてもらうくらいだし。


「分かった。じゃあ戸津の成績が上がったら行こう」


 特に深く考えず、彼の案に乗った。それでこの重圧が少しでも軽減するなら御の字だ。


「じゃ、そういうことなら頑張らないとな! 細川は上のクラス維持! 俺は上のクラスに上がること! それが条件な!」


 そう言って彼はまた類稀なる集中力を発揮し始めた。

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