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第8話【洗濯】

「うーん、ないかぁ」


 更衣室のロッカーを開けて、ため息をついた。


「やっぱり買うしかないかなぁ……」


 独り言を呟いて、扉を閉めた。


 昨日の放課後に体操着がないことに気が付いた。家でも探し、今日も教室で探し回り、それでも見付かっていない。

 どこかに忘れたのかな……と思って最後の砦だった更衣室にも来てみたが、やはりどこにも見当たらなかった。

 何度も記憶を辿ってみたが、どう頑張っても捻り出せない。いつもなら自分のロッカーに入れているはずなのに。

 もうすぐ昼休みも終わってしまう。教室に戻りつつ、次の時間割を思い浮かべた。


 あれ……次の授業、移動教室じゃなかった?


 その時、予鈴が鳴った。


 やばい。遅刻する!


 早足でクラスに戻ると、生徒は移動していて誰もそこに残っていなかった。

 ……一人は除き。


「戸津?」


 私の机の前にいたその見慣れた姿に声をかけた。彼が目を丸くして、瞬間的に振り返る。手には紙袋と、綺麗に折り畳まれた女子の体操着があった。


「えっ?」

 思わずドン引きしてしまう。


「嫌、ちがっ……」

 彼がそれを机に置くと、顔を赤くして一歩後退する。近付いて机の上の体操着を確認すると、やはり自分の物だった。家の柔軟剤とは違う良い香りがする。


 これは何かあったな。

 私の勘がそう告げた。


「言い訳は散歩の時に聞くからね」

 彼の肩を叩くと、戸津は眉と口を引きつらせた。


「おい待て、俺じゃねぇからな!」






「……で、本当に聞きたいのか?」

「そりゃそうだよ」 


 薄手の長袖を着て、前を向いて早足で歩きながら答えた。

 十一月も後半になり、夜のひんやりした空気は散歩中の私には居心地よかった。


「いつものごとく、私にとってマイナスなことでしょ?」

 直感を口にすると、戸津は空笑いをする。


「まあ……そうなんだけどな」

「やっぱりね。いいよ、教えて。だいぶ慣れてきたし」

「そんな事、慣れるなよな」


 困ったように言われて今度は私が笑った。


「ごめん。慣れたって言うより『なんか大丈夫そうな気がする』って言う方が合ってるかも。とりあえず気になるし教えてよ」


 うんうんと唸り、戸津はしばらく悩んだ後、観念したように長いため息を吐いた。

 早足で歩きながら、彼をちらりと見る。


「どこから話すか……。俺の元カノ、水泳部のマネージャーだな、そいつが寄りを戻したいってしつこく言ってきててさ。別に好きでもないし、ずっと断ってたんだ。で、彼女――まあ今は元カノなんだけど、そいつも水泳部の一個上の先輩でさ。結局、二人揃って『細川のことを構い過ぎ』って、文句言ってきてな。もうこの時点で意味分かんねぇだろ?」

「うーん……」


 思わずその構図を想像して苦笑する。どうしたらそこがタッグを組むのだろうかと一瞬思ったが、共通の敵が私という点で意気投合したのだろう。


「で、その二人に部室で俺が責められてた。そこに大樹が横からチャチャ入れだな」

「あー……」


 ずっと私が苦笑いをしていると、再び戸津が長い長いため息をついた。


「その時はいさめるだけでなんとかなったんだけどよ。まあ何というか……大樹が斎藤さんにまでダル絡みし始めててな」

 その名前を聞いて、目を見開いた。思わず足を止める。


「は? 春ちゃんにまで?」

「なんだ、聞いてないのかよ?」

「聞いてない」


 戸津は止まるなと、私の腕を引いてまた歩き出した。


 聞くと『戸津の彼女の友達じゃん』とからかっていたらしい。そして、それに怒った春ちゃんが「いい加減に仲良いならあいつを何とかしろ」と、戸津に怒りのご報告をしたようだった。ようするに私の知らないところで被害は拡大していた。


「許せん」

 眉間にシワが寄ってしまう。


「まあ怒るのは無理ないんだけどな。最後まで聞けよ?」


 戸津は頭を掻くと話を続けた。


 春ちゃんの被害報告から数日後、今日から約一週間前、それはプール練習の休憩中に起きた。



  ◆



 部活の度に、あいつらは相も変わらず、俺をからかい続けた。女はグチグチ言うし、大樹はただひたすらにうるさかった。そこまではいつも通りだった。


 しかし、大樹は俺の反応を面白いと思ったのかどんどんエスカレートしていった。俺の制止も聞かず、ついに許せない一言を放った。


「細川はさ、デブだから早死にしてもおかしくねぇよな」

「お前、いい加減にしろ……!」


 ――ドン!


 俺が大樹を突き飛ばした音がプール場内に反響した。

ここまで俺が本気になると思っていなかったようで、最初は言葉をなくしていたが、大樹はすぐに睨んできた。


「てめえ、やったな」


 大樹がそう言い放つと今度は俺の頬にグーパンが飛んできた。


 くっそ、いってえ。なんでグーパンの本気なんだよ、あほなんじゃねぇのこいつ!


 そこからはもう何が何だか覚えてない。相手をプールに突き落として、相手も落ちるときに俺の腕を掴んで道連れにした。髪を引っ張り、殴って、蹴って……と言っても、水圧があるのでそこまで衝撃はなかったが、水は鼻に入るわ口に入るわで息苦しかった。塩素の臭いが鼻いっぱいに広がっていた。


 他の部員に呼ばれて先生が二、三人やってくるまで、それは続いた。

 無理やり先生に引き剥がされるとお互い肩で息をする。


「俺じゃねえよ、戸津だ! こいつが先に手を出した!」


 それを言われてまた頭に血が上る。


 確かに手を出したのは俺だ。だけどな……!


「ずっと、言葉の刃を振りかざしてたのはそっちじゃねぇのか! お前みたいなやつに、努力してるあいつがとやかく言われる筋合いはねぇだろ!」


 あいつがどんだけ頑張ってるのか、必死に変わろうとしてるのか、お前らは知らないだろ。俺なんかを許せるくらい優しいやつなのに、お前らみたいなのがからかっていいわけないだろうが。


 全てを言ってやりたかった。ギリギリと奥歯を噛みしめる音が自分の頭に響いた。

 大樹は俺を睨みつけたままボソリと呟く。


「偽善者が」

「お前よりマシだ」




 それから、大樹とは口を聞かなくなって気まずい時間が過ぎていた。怒りが和らいできても、あれだけの喧嘩をしたせいで口を聞きたくても聞きにくい状態だった。

 だけど、今から数日前の夜に急に大樹からメッセージで連絡がきた。


 ベッドに横になりながら漫画を読んでいたのに、一気にそんな気分ではなくなった。まああれだけの喧嘩したんだから当たり前か。


『話があるんだけどよ』

 嫌な感じがしたがとりあえず続きを見た。


『お前の彼女とマネージャーがやばいことやってたぜ』

 そこまで聞いてヒヤッとした。


 あいつら何やったんだ?


 俺はベッドにあぐらをかいて座りなおした。メッセージでのやり取りも煩わしくなり、そのまま大樹に電話をかける。


「どういうことだ?」

「久々なのにいきなりそれか……まあいいんだけど」


 そう大樹が言う。


「放課後、遅くなってな。で、帰ろうとした時、たまたま見かけた。細川の体操着、あれをお前の彼女達がゴミ箱に捨ててたぜ」


 これを聞いて頭が真っ白になる。どこまでダメ女に俺は引っかかってしまうのだろうか。


 いや、今はそんなことより……


「大樹、それでお前はどうしたんだよ」

「ああ、俺? まあ見ちまったし。色々言ったな」


 電話向こうでため息が聞こえる。


「『彼氏に相手にされないからってやりすぎなんじゃねえの』『まあ俺も人のこと言えないけど、少なくとももう少し正々堂々やるぜ』とか色々な。あ、あとお前にチクるって言ったら泣いてやめてくれって言われたけど、嫌だって言ったら逆ギレ始めたんだぜ? ありえねぇわ。とりあえずゴミ箱から体操着を救出だけして、めんどくせえから家に帰ってきたところ」


 思うところは多いが、大樹がそんなこと言うなんて正直意外だった。


「それで体操着は?」

「俺んちで洗濯中。さすがに引いたし」


 また大樹はため息をついた。


「なんだ。大樹、人が変わったのか」

「んなわけねぇ。細川のことはまだデブオタって思ってるし。あいつらのやり方が気に食わなかっただけだ。まあ、少しは反省したってのはあるけど……」


 それから何か付け足すようにボソボソと電話越しに話していたが、何を言ったのか聞き取れなかった。


「あ? なんて言ったんだ?」

 そう聞くと今度はキレ気味になって声を張り上げてくる。


「だから! あの時、殴って悪ぃなって言ったんだよ!」


 マジか。あいつ謝れるのか……


 かなり失礼なことを思ったが、俺も人のことは言えない。


「先に手を出した俺も悪かった、ごめん」

 ちょっとは俺にだって罪悪感はあったんだ。今言わないと絶対後悔すると思って口に出した。


「ま、本当に謝らなきゃいけないのは細川にだけどな」

「それハードル高すぎ」


 しばらく沈黙して、お互いに吹き出した。ひとしきり笑うと、息をついた。


「言いにくいんだけどよ、また話したりできねえかな」

 大樹が言ってくる。正直喧嘩する前は割と仲良くしてたんだ。俺だって願ったり叶ったりだ。


「そうだな」

 なんだか照れくさい。首を無意識に掻いてしまう。


 そこまでしてハッとした。


 細川の体操着をいつ渡せばいいんだ?

 大樹から直接渡すのはトラブルになりかねない。かと言って、そんなことに気を遣えるほど大樹も繊細じゃないし、バレないように返せと言っても面倒くさがるだろう。細川をこんなことで傷付けたくないし――

 最善の返し方に思考を巡らせる。


「おい、どうした?」

 大樹が突然黙り込んだ俺に話しかけてくる。


「あ、わり。あのさ、それ俺が返しとくから、紙袋に入れてくれねぇか?」

「なんだ? まあ、俺はそれでもいいけどよ」


 ――そして今日に至る。


 移動教室で人がいなくなったタイミングを狙って置いておくつもりだったのに、運悪く本人と鉢合わせした。



  ◆



 戸津は一通り話し終える。

 橋本と喧嘩したこと。女子が捨てていたこと。それを橋本が拾って洗ったこと。色々と理解できた。

 でも、戸津が橋本の何を聞いてそこまで怒ったのか、その核心だけは最後まで口にしなかった。


「――という、いきさつでした」

「……なんというか、苦労人だね戸津も」


 散歩終わりがけにある、公園のベンチに二人で座りながら、思わず彼を哀れんだ。汗をかいた後の空気はかなり冷たい。少し前まで鈴虫が鳴いていたけれど、もうその声は聞くことはなくなって、今は冬独特の静けさがある。


 正直なところ、体操着をゴミ箱に捨てられるのは衝撃もあるし、不快極まりない。けれど、彼女達には同情した。ケンジくんの話を聞いたせいもあるけれど、世の中にはこうすることでしか生きていけない人達がいるのだと思った。可哀想な人達なのだ、と。きっと、私でなくても起こりえたことなんだ。


 それから橋本大樹も。春ちゃんの一件もあるし好きにはなれないが、多少は見直してもいいのかもしれない。


「それでその……なんかごめんな」

「何で戸津が謝るの?」


 不思議に思って尋ねると、彼は返事の代わりに苦笑した。

 そして言われて初めて、あまり悲しんでいない自分に驚いた。どちらかというと戸津の苦労話が笑い話にも思えてしまう。


「びっくりはしてるよ。でも戸津が画策してくれたおかげかな。案外大丈夫」

 自然と笑みが出てしまった。

 それを見て、彼は少しだけはにかんだ。


「そっか。それなら、いいんだけどさ」

「むしろ、ありがとう」


 お礼を言うと彼は一瞬だけ息を飲んで、それから安堵した表情になった。


「それで彼女さん達は?」

「ああ、もうさすがにねぇわってことで縁は切らせてもらった。表面上の付き合いが多少残るけどな」

「どんまい戸津」


 戸津の肩を叩くと、彼は苦笑する。


「本当、付き合うなら断然お前の方がマシだな」

「またそういうことを言う」


 苦笑いして返事をすると、戸津は、はははと笑った。


「マジだって。あいつら見た目は可愛いだろうけどよ、正直今は全然可愛く思えない。細川の方が何十倍もいいって」


 何を言ってるんだこいつは。

 無意識にため息が出た。


「そういうからかいはやめてって」

「からかってるわけじゃないんだけどな」


 何言ってるのこいつ。マジで分からない。


「ん? どうしたよ」


 ああ、なるほど。こいつに惚れる女の気持ちがちょっとだけ理解できた。口がうまいんだ。それどころか天然タラシの可能性もある。


 まあ、私は絶対引っかからないけどね!


「なんでもないよ! さ、帰ろ!」


 冷たい空気の中、少しだけ火照る頬を冷やすようにして帰った。

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