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マンションの空き店舗を後にした俺たちは、来た道を戻っていく。
「……孤立、人間関係の不和」
となりでは、目隠しをした星空が猫背気味に歩いていた。俺の助けも杖も必要としない。とはいえ進みは遅く、さっきから俺が歩幅を合わせている。
そういやこいつ、この珍妙な通りになじんでいるような気もするな……。こいつ自体が珍妙な存在だし。
「自立、成長、縁切り」
「さっきからなにぶつぶつ言ってんだ」
ただでさえ不審者なのに、さらに怪しまれるようなことするなよ。
「……カップの6を、象徴するキーワードだよ」
「あぁ?さっき説明してたやつと全然違えじゃねえか。なんだっけ? 過去と思い出?」
「さっき説明してたやつも間違いじゃない。でも、タロットの6は占う内容によって解釈が難しくなるんだ」
「ふうん?」
一枚一枚そういうの覚えなきゃいけねえのか。占いってのも楽じゃねえな。
「それにしても、縁切り、ねぇ。だから、絶縁か。あの人、なにに悩んでたんだ? あのレベルの人なら大抵の悩み、力でねじ伏せられるだろ」
「……いずれわかるよ」
立ち飲み屋の前を通れば、ろれつの回らない女性の声が耳に入ってくる。振り向くと、開きっぱなしにされたドアの向こうで、妖怪人間みたいな化粧をしたおば――お姉さんが空のジョッキを振り上げていた。
かと思えば、よくわからない昔の歌謡曲を、張り裂けんばかりの声で歌い始める。
居酒屋に差し掛かれば、おっさんたちがゲラゲラと笑いながら出てきた。すれ違いざま、あそこの台が出るだの、今はあの馬が狙い目だのと声を響かせる。
時刻はようやく、夕方と呼べる時間になったかな、という具合。できあがるにはまだ早いんじゃないのか? ――ま、そんな常識的な価値観なんてハナからあてにならない場所なんだろう。
できれば、もうここに来るのはこれきりにしたいもんだ。
――どうか。どうか、今日占ったぶんの報酬がたくさん手に入りますように。
†
俺たちが座るベンチの前では、今日もたくさんの人が行きかっている。老若男女問わず目の前を横切っていくのに、誰も客として捕まっちゃくれねえ。
……いや、俺の顔を見てついてきてはくれるんだ。でも星空を見ると我に返って逃げていく。その繰り返し。
ベンチの背もたれにのしかかって、空を仰いだ。
澄んだ水色の下で、ビルの頭がデコボコと並んでいる。背後に植えられた木々が俺たちに影を落とし、さらにその後ろから車の走行音が響き渡っていた。
負けじと、となりで腹の虫が鳴る。
「……なんか食いに行くか?」
あいもかわらず正面を向いて微動だにしない星空だったが、腹の音はおさまらない。――返事のつもりか。
「別にいいよ。お金もったいないんでしょ」
星空が占ったあの日から、ずいぶんと日が経っていた。今に至るまで、あの親子からの音沙汰はなし。
カプセルホテル暮らしはあいかわらずで、所持金は減っていくばかり。
「いっちょまえに気使ってんじゃねえぞ。おまえに倒れられても困るんだよ」
「僕はなんの役にも立たないのに?」
「……なにすねてんだよ」
「すねてないし。僕はそんな簡単に倒れたりしない」
とはいえ、俺もそこそこ腹減ってんだよな。出費抑えたいし、限界まで使いたくねえから我慢してるだけで。
もう少し休んだら、また女の子でも捕まえに行くか。うまくいったためしはないが、なにもしないよりはマシだろう。
「無駄だよ」
星空の声が、思考に割り込んできた。
「いくら女難の相があるとはいえ、陽太の力は僕に干渉することができないみたいだからね」
「……どういうことだよ?」
「陽太が陽太目的の女の子を捕まえることはできても、僕の占い目的の女の子は捕まえられないってこと。それが、二人でいるときの制約なんだろうね」
「なんだろうねって。おまえもよくわかってねえんじゃねえの?」
「さすがに僕は神様じゃないし万能じゃないから、よくわからない物事は憶測で話すしかないんだ。でも、おおむねそのとおりだと思う。陽太も今ので納得してるだろ? もう、女の子を探そうだなんて考えてない」
そりゃ、まあ……お前が言うなら受け入れざるを得ないだろ。
誰一人連れてくることができない時点で、察するところはあったしな。
「僕はね、これでいいと思ってるんだ。お互いの能力が相殺されている、この状況が」
「俺にこき使われなくて済むからだろ?」
「それもある」
それもある……?
星空の口角が、上がった。
「僕たちみたいなヤツはそもそも目立たないほうがいいんだ。きみの力でたくさんのお客さんを占っていったとしても、のちのち面倒なことになるだけだから」
「そうはいっても、やっぱりこのままじゃ生活が成り立たねえんだよ」
「僕は別に、野宿でもいいけど?」
「俺が嫌なの。野宿するくらいなら、女の子の家渡り歩く方がマシ」
星空の顔が、俺に向く。
――わかる。わかるぞ。巻いた包帯の下で、軽蔑のまなざしを向けてきているのを――。
「野宿なんてなにが起こるかわかんねえだろ。おまえだっていろんな経験してきてんじゃねえのか?」
「経験って?」
「危険な目に遭う経験だよ。田舎はともかく、このへんじゃホームレスだってチンピラだってうろうろしてんだ。なにされるかは大体想像がつく」
金品奪われたり、理不尽にぼこぼこにされたり、男だって襲われる可能性はゼロじゃない。俺はともかく、星空みたいにハンデがありそうな男は特にな。
「少なくとも、そういう目に遭うことはなかったよ。ある程度のことは回避できるしね」
「あー。そうだった。おまえには便利な能力があるもんな」
とはいえそもそもの話。やっぱり周りの目が痛いわけで。
俺はそこまで落ちぶれたくねえわけよ。惨めに過ごすくらいなら、災難に遭う覚悟で女の子の家に泊めてもらうほうがマシ。
「それで死んじゃうかもしれないのに?」
「かわいい女の子に殺されるなら万々歳だね」
「きみの場合は女の子じゃなくて男に刺される可能性のほうが高いだろ」
「うるせえなぁ、ほんとああ言えばこう……あぁ?」
カタカタという音が、耳につく。硬いものを箱に入れて振っているかのようだ。それは、星空のボディバッグから聞こえていた。
星空がファスナーを開けた瞬間、一枚のタロットがふっと飛び出る。
「あ……」
風に乗って宙を滑るよう前方に向かっていった。角度を変え、向きを変え、たくさんの人が横切る足のあいだをうまくすり抜ける。
やがて、カードは見えなくなった。
「な、なんだぁ?」
「客を見つけたから飛んでいったんだよ。……いや、今回は、報酬、って言ったほうがいいかな」
へえ? 毎回あんな感じで飛んでいくのか……。
タロットが飛び去ってしばらく、群衆の間できょろきょろと見渡す影が見えた。じょじょにこちらへと近づいてくる。
俺たちに気づいたのかその足取りは軽くなり、半円状の空間に草履で踏み入ってきた。
「よかった。すごい偶然だ。ちょうどあんたたちに会いたかったところでね」
美南さんだ。先日と同じように黒い着物を着て、髪をまとめ上げている。その手にあるのはたぶん、さっき飛んでいったタロットカードだ。
上機嫌に俺たちのもとへ近づき、自分から星空に差し出していた。
あの日と同じ、カップの6。
星空が引き抜くと、美南さんは俺に顔を向ける。
「あいかわらずいい男だねぇ、あんたは。遠目でもすぐにわかったよ」
はにかむ美南さんに、返す言葉が見つからない。今の俺はきっと、馬鹿みたいにぽかんとした顔で見上げているんだと思う。
「あんたの前だとこの顔が恥ずかしくなってくるねぇ。もうそんな
乙女でもないってのに」
美南さんの顔は、以前会ったときに比べてひどい有様だった。
右目を眼帯で覆い、反対側の頬をガーゼでかぶせている。その周囲からはみでるのは、黄みを帯びる紫のあざ。化粧で隠すのも難しいようだ。かろうじて眉を引き、口紅を塗っている。
殴られたか、叩きつけられたか、なにかを投げ付けられたか……物騒な憶測が頭の中を駆け巡った。詳しい話を聞きたいような聞きたくないような……いや、下手に俺が聞いてはいけないような……。
もしかして……報酬をケチろうとしてそんなことになっちゃった、とか?
「今日は、一緒じゃないんすね、娘さん」
瞬間、美南さんの笑みが消えた。瞳がどす黒く染まり、口は真一文字に引き締まる。
――まさか、地雷踏んだ? 顔に触れないよう無難な話題を出したつもりだったのに。
思わずとなりを見る。星空はカードを持ったまま、美南さんをじっと見上げていた。――たぶん、いろいろと読み取っている最中なのだろう。
助けてもらうのは期待できない。
「二人とも、腹が減ってないかい? ごちそうしてやるよ」
美南さんの声は、思ったより穏やかだ。
「好きなもん食わせてやるからね。……なあに。これが報酬だなんてみみっちいことは言わないさ」
このままついていって、ほんとうに俺たちに害はないのか? 言葉のとおりに信用していいのか?
俺の考えが読めているはずの星空は、否定も肯定もせず静かに立ち上がる。
――こうなりゃ俺も、覚悟を決めるしかない。




