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最終章 絶対なる防御の果てに

帝都の城門を背にしてから、フィリスは当てのない放浪の旅を続けていた。


魔物を討伐し、街から街へと渡り歩く。これまでの彼女にとって、それは自由で心地よい日常だったはずだ。だが、今は違う。どれだけ歩みを進めても、胸の奥にぽっかりと空いた穴を吹き抜ける冷たい風は、決して止むことがなかった。


野営の焚き火がパチパチと爆ぜる音を聞いた時。あるいは、酒場で山盛りの肉料理を前にした時。


「フィリスさん、食べ過ぎですよ」


と、少し困ったように笑う声が聞こえた気がして、思わず隣を振り返ってしまう。


だが、そこに彼の姿はない。

そのたびに、彼がもうこの世界にはいないという残酷な現実に突き落とされ、フィリスは自嘲気味に息を吐くしかなかった。


さらに彼女を苦しめたのは、皮肉なことに各地の酒場で毎夜のように響き渡る吟遊詩人の歌だった。


『紅蓮の炎を纏う無敗の魔剣士、その背を守りしは、いかなる刃も魔法も通さぬ無敵の盾!』

『ああ、神炎の影に不滅あり。並び立つ二人の絆は鋼より固く!』

『その名も誉れ高きパーティー《紅き絶防》――!』


彼が元の世界に帰還したという事実を知らない人々は、二人の活躍を新たな英雄譚として熱狂的に語り継いでいた。リュートの軽やかな旋律に乗ってその名が歌われるたび、フィリスは左手首の白金色のブレスレットをそっと握りしめる。菱形にカットされた青い宝石の冷たい感触だけが、彼が確かに自分の隣にいたという唯一の証明だった。


そんな虚しさを抱えたまま旅を続けていたフィリスが、ふらりと足を踏み入れたのは、北東に位置する辺境の拠点都市――アウトリアだった。


暑い夏も終わりかけ、秋の気配が風に混じり始めた頃。

彼が元の世界に帰ってから、一年が過ぎていた。


「……結局、来ちゃったわね」


石畳の大通りを歩きながら、フィリスはぽつりと呟いた。


鼻をくすぐる独特の香りと、もやのような白い湯気が通りに漂ってくる。

提灯の明かりが揺れる温泉街には、湯衣姿の人々が楽しげに行き交い、笑い声が溢れていた。


(温泉にでも入れば……少しはこの胸のモヤモヤも紛れるかしら)


宿をどこにするか歩きながら、かつて二人で泊まった豪奢な宿や、湯上がりに二人で歩いた夜の通りを思い出す。


その時、ある看板が不意に目の端に飛び込んできた。


『コーヒー牛乳 新発売』


何気なく視界に捉えたその言葉に、フィリスは数歩歩いてから、ピタリと足を止めた。


ドクン!


心臓が、大きく鳴る。

弾かれたように振り向いて、その看板を凝視する。


ドクン!!


コーヒー牛乳。……この世界には存在しない飲み物。

温泉街の湯上がりの夜、彼が少し寂しそうに笑いながら教えてくれた、彼がいた世界の定番の飲み物。

この言葉を知っているのは、この世界にただ一人しかいない。


看板の下では、今日分の売り物をすべて出し切ったのだろう、空箱を片付けている売り子らしき女性の姿があった。


『私もいつか飲んでみたいなー!』


かつて自分が無邪気に返した言葉が、脳裏にフラッシュバックする。


ドクン!!!


心臓が痛い。早鐘のように打ち鳴らされる鼓動に急かされるように、フィリスは気づけば売り子の女性に詰め寄っていた。


「あー、スミマセン、本日はもう売り切れで……」


売り子は申し訳なさそうに振り返ったが、目の前に立つ漆黒の軽甲冑姿の剣士の気迫に言葉を失った。


「誰!」 


「ひっ!」


突然の凄みと、圧倒的な威圧感に、売り子は悲鳴を上げる。


「この『コーヒー牛乳』を作ってるのは、誰!!」


フィリスは、自分でも声が震えているのが分かった。あまりの迫力に、売り子は泣きそうになりながら答えた。


「じ、丈太郎さんってひとです……っ!」


その名を聞いた途端、フィリスの青い瞳から、せき止めていたものが決壊するように大粒の涙が溢れ出した。


「そ、その人は……その丈太郎くんは、どこにいるの!?」 


「この時間なら、いつも飲み屋で一杯やってる頃かと……」


フィリスは売り子の言葉を最後まで聞かずに、踵を返して石畳の通りを全力で駆け出した。


周囲の湯治客たちが驚いて道を空けるのもお構いなしに、ただひたすらに走る。


向かう先は一つ。

かつて二人で毎日杯を交わし、名物のロック鳥の唐揚げと冷えたエールを味わいながら、反省会と称して語り明かした思い出の場所――。


やがて、夜の温泉街の喧騒の中に、温かな明かりを灯す大衆酒場『獅子亭』の看板が見えてきた。


「丈太郎くん……っ!」


涙を拭うことすら忘れ、フィリスは獅子亭の重厚な木の扉へと手を伸ばした。



* * *



アウトリアの片隅にある温室には、丈太郎が一生懸命に育てた、赤いコーヒー豆がたわわに実っていた。

彼の「いつか飲ませてあげたい」という願いが、絶対なる防御の果てに、確かに実を結んだ証として――。



FIN



ここまで、丈太郎とフィリスの冒険を一緒に見守って頂き本当にありがとうございました。もし楽しんでいただけたなら、評価やブクマいただけたると嬉しいです。

丈太郎とフィリスは休息の後、番外編にて帰ってくる予定です。

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