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第63章 平和と日常

丈太郎が日本に帰還した次の日。見慣れた自分の部屋のベッドで目を覚ました。


異世界での約一年にわたる濃密な日々は、こちらの世界ではほんのわずかな時間――金曜日の放課後から月曜日の朝までの、ただの週末でしかなかった。


月曜日の朝。いつものように登校し、2年B組の教室の扉を開けた丈太郎は、駆け寄ってきた親友の大樹の顔を見て、思わず懐かしさに声を弾ませた。


「おおっ、大樹! 久しぶりだな!」


満面の笑みで肩を叩くと、大樹はきょとんとした顔で丈太郎を見た。


「はあ? 何言ってんだよ。金曜日に会ったばかりだろ?」


「え……あ、ああ、そうだった。ごめん、なんか寝ぼけてたみたいで」

 

苦笑いして誤魔化しながら、自分の席に腰を下ろす。大樹にとってはたった二日ぶりの再会でも、丈太郎にとっては一年ぶりの、本当に「久しぶり」の再会だったのだ。


席に着き、ふうと息を吐いていると、隣の席から澄んだ声が掛かった。


「おはよう、丈太郎くん。……あれ?」

 

いつもと変わらない清楚な佇まいの塩原さんが、小首を傾げて丈太郎の顔をじっと見つめてくる。


「おはよう、塩原さん。……どうかした?」


「ううん……なんか、突然大人っぽくなってる……気がする、なって思って」

 

塩原さんは少し不思議そうに、けれどどこか眩しいものを見るように微笑んだ。

死線を超え、誰かを守るための覚悟を身につけた日々。無意識のうちに、その経験が顔つきや纏う空気を変えていたのだろう。


丈太郎は、自分の左腕にそっと右手を添えた。半袖の制服シャツから伸びる左手首には、白い包帯が巻かれている。週末の料理中にひどいヤケドをしてしまったと大樹たちには説明しているが、もちろん嘘だ。

包帯の下には、白金色の細身のブレスレット――菱形にカットされた赤い宝石が埋め込まれた《絆の石》が、今も静かに肌に触れている。


異世界で、フィリスと共に戦い、生き抜いた証。彼女が着けている青い石と対になる、かけがえのない宝物。校則違反で没収されることだけは絶対に避けたくて、こうして包帯で隠して肌身離さず身に着けていた。


ふと、自分の手のひらを見つめる。

世界を越えても、あらゆる干渉を拒絶する異能《絶対防御》は消えていなかった。

だが……魔物も野盗もいないこの平和な日本で、その力が発揮される機会などない。せいぜい、不注意で交通事故にでも遭わない限り、出番は永遠にこないだろう。


窓の外には、抜けるような青空が広がっている。

グラウンドから聞こえる体育の授業の声、黒板にチョークが当たる音、大樹のくだらない冗談。

楽しくも、平和な日常。異世界にいた頃、あれほどまでに渇望し、毎晩のように夢に見た元の生活だ。


丈太郎は、そんな日常をしばらく過ごした。


それなのに――なぜだろう。時間が経つにつれ、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような虚しさが広がっていくのを感じていた。


元の生活に戻れば、あの異世界での記憶も次第に薄れていくのだと思っていた。

しかし、現実は逆だった。ルノア村でのアンクやテラ、ミィナの温もり。迷宮で背中を預け合ったマリナとダリオ。そして何より――常に前を歩き、自分を導いてくれた頼もしい師匠、フィリスの眩しい笑顔。


平和で何もない日常を過ごす分だけ、あのヒリヒリするような死線の空気や、共に笑い合った日々の記憶が、より鮮烈に色彩を伴って蘇ってくるのだ。


(もう、戻る事は……ないのに……)


丈太郎は窓枠に頬杖をつき、包帯の上から赤い《絆の石》をぎゅっと握りしめた。

青空の向こうに、かつて共に歩んだ金髪の剣士の背中を探すように、彼はいつまでも空を見つめていた。

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