第53章 聖剣
翌朝。よく晴れた帝都の空の下、丈太郎とフィリスは再び魔術師ギルド本部の五十階、マスター室を訪れていた。
中にはすでに、気怠げにソファに腰掛けるセラフィーナと、その傍らに控えるリシェルの姿があった。
「おはようございます、先生。昨日はごちそうさまでした!」
フィリスが快活に挨拶をすると、セラフィーナは艶やかな笑みを浮かべた。
「おはよう、フィリス、丈太郎。二人とも、よく眠れたかしら?」
「はい、おかげさまで」
(実はあまり眠れなかったのだが……)
丈太郎が丁寧に頭を下げると、リシェルもにこやかに会釈を返してくれた。
「さて、さっそくだけれど星の神殿への道のりについてよ」
セラフィーナが本題に入ると、丈太郎は少し身を乗り出した。
「星の神殿までは、ここからどのくらいかかるんですか?」
「そうね……徒歩で向かえば、およそ半月といったところかしら」
「半月……結構かかりますね」
丈太郎が呟くと、セラフィーナはふうと息を吐いた。
「本来なら、このギルドと神殿を繋ぐ専用の『転移魔法陣』があるの。限られた高位の者しか使えない術式なのだけれど……今はそれも使用不可能なのよ」
「えっ、壊れてるんですか?」
「あそこに棲みついた古赤竜の莫大な魔力と、地脈エネルギーの干渉で、空間座標が乱れてしまっているんです」
リシェルの補足に丈太郎とフィリスは顔を見合わせた。
「じゃあ、やっぱり歩きで半月かけて行くしかないってことですか?」
フィリスが腕を組んで尋ねると、セラフィーナはくすりと妖艶に笑った。
「まさか。可愛い弟子たちにそんな苦労はさせないわ。……ちょっと、屋上へいらっしゃい」
セラフィーナの案内に従い、マスター室の奥にある階段を上って屋上へと出る。そこは広大な吹き抜けの空間になっており、その中央に――。
「グルルルゥ……」
「うおっ!?」
丈太郎は思わず後ずさった。
そこにいたのは、獅子の下半身に鷲の上半身と巨大な翼を持つ、見上げるほど巨大な幻獣――グリフォンだった。しかし、その獰猛そうな外見とは裏腹に、グリフォンはフィリスの姿を認めるなり、嬉しそうに喉を鳴らしてすり寄ってきた。
「えっ……嘘、もしかして……ピーちゃん!?」
フィリスが驚きの声を上げ、駆け寄ってその巨大な顔を撫で回す。グリフォンは目を細め、まるで猫のように喉をゴロゴロと鳴らした。
「ピーちゃんって……フィリスさんの知り合いですか?」
丈太郎が恐る恐る尋ねると、フィリスは嬉しそうに振り返った。
「ええ! 私がここで修行してた頃、親を亡くした子グリフォンを先生が保護してきたの。私がずっと世話をしてたんだけど……こんなに立派に成長したのね!」
「ふふ。この子に乗って空を行けば、半日もあれば神殿の麓まで着くはずよ」
セラフィーナの粋な計らいに、フィリスは目を輝かせた。
「ありがとうございます、先生! これならあっという間ですね!」
「ええ。ただし、神殿に近づくにあたって一つ注意があるわ」
セラフィーナが、気怠げな声色をわずかに潜めて言った。
「星の神殿は、部外者が入り込まないよう、帝都の『神殿騎士団』が厳重に警護に当たっているわ。彼らは規律にうるさくて融通が利かない連中だけれど……私の名を出せば通してくれるわ」
(神殿騎士団……)
丈太郎は、その物々しい名前に少しだけ緊張を覚えた。
「了解です! さあ、丈太郎くん、乗って!」
フィリスは軽快な動きでグリフォンの背にまたがり、丈太郎に向かって手を差し出した。丈太郎はごくりと唾を飲み込みながら、恐る恐るその後ろへよじ登る。
「いい、丈太郎くん。しっかり掴まってないと振り落とされるわよ!」
「ふ、振り落とされる!? ちょっと待って、これシートベルトとかないんですか!?」
「そんなのあるわけないでしょ! さあ、行くわよ!」
フィリスが手綱を引くと、グリフォンは巨大な翼を力強く羽ばたかせ、ふわりと空へ舞い上がった。
「うわあああああっ!!」
帝都の白亜の街並みが一気に眼下に遠ざかり、強烈な風圧が全身を叩きつける。丈太郎は涙目でフィリスの細い腰にガシィッ!としがみついた。
「ちょっ、丈太郎くん! 苦しい、苦しいから! 抱き着きすぎ!」
「む、無理です! 落ちる! 落ちますって!!」
「大丈夫だから目を開けなさいってば!」
眼下でセラフィーナとリシェルが手を振って見送る中、ビビりまくる丈太郎の情けない悲鳴とフィリスの笑い声を乗せ、グリフォンは澄み渡る帝都の空を星の神殿へと向かって飛んでいくのであった。
――やがて高度が上がり、ピーちゃんが安定飛行に入ると、強烈だった風圧もいくぶん和らいだ。丈太郎もようやく薄目を開け、周囲の景色を楽しむ余裕が生まれてきた。雲海を見下ろす圧倒的な高度感に、少しだけ感動すら覚える。
「……ふぅ。なんとか慣れてきました」
丈太郎が恐る恐るフィリスの腰を掴む力を緩めると、フィリスは前を向いたまま上機嫌に答えた。
「でしょ? ピーちゃん、とっても乗り心地いいものね!」
「はい。ところでフィリスさんは、グリフォンに乗るのは何度目なんですか?」
丈太郎が何気なく尋ねると、フィリスはあっさりと振り返った。
「ん? ないわよ」
「……え?」
丈太郎の思考が数秒停止する。
「えっ! 初めて!? 初めてでこんな高度飛んでるんですか!? 大丈夫なんですか!?」
「大丈夫よ。だってピーちゃんだからね!」
「グルルゥ♪」
フィリスの根拠のない自信に、ピーちゃんも嬉しそうに喉を鳴らして同意する。
「そ、そういうものなんですかね……」
丈太郎が引きつった笑みを浮かべていると、フィリスはさらにとんでもない事実を付け加えた。
「それにね、グリフォンは猛獣指定されてるの。無許可で乗ったりしたら即お縄よ。先生みたいな特権階級だから許される特別なことなんだから、ありがたく思いなさいよね」
「ありがた迷惑というか……」
丈太郎が思わずボソリと呟いた、その瞬間だった。
風の音に掻き消されるかと思ったその呟きを、フィリスの耳は逃さなかった。彼女の肩がピクリと揺れ、ゆっくりと振り返る。その口元には、『意地悪な笑顔』が浮かんでいた。
「そういう生意気な弟子には……少し『特訓』が必要みたいね」
「えっ、フィリスさん? ちょっと待って、何するつもり――」
「さあピーちゃん、行くわよ!」
「グルァァァッ!」
フィリスが手綱を鋭く操作した瞬間、ピーちゃんは巨大な翼を畳み、頭から真っ逆さまに急降下を始めた。
「ギャアアアアアアッ!?」
丈太郎の悲鳴が天空に響き渡る。内臓が浮き上がるような強烈な浮遊感。猛烈な風圧が再び全身を叩きつける。
「あははははっ! 最高ね!」
フィリスの歓声とともに、ピーちゃんは急降下から一転して急上昇、さらにはキリモミ反転宙返りを決める。視界の中で、青い空と白い雲がぐるぐると狂ったように回転した。
「む、無理! 落ちる! 死ぬ! 吐くぅぅぅっ!!」
その先のことは、丈太郎は覚えていない。
再びの急降下からの大回転コンボに精神の限界を超えた丈太郎は、白目を剥いて完全に意識を手放したのであった。
「……っ、うぅ……」
冷たく澄んだ空気が頬を撫で、丈太郎はゆっくりと目を開けた。
視界に入ってきたのは、抜けるように青い空と、それを見下ろすようにそびえ立つ白亜の巨大な建造物――星の神殿だった。
「あら、やっと起きた? だらしないわね、丈太郎くん」
上から降ってきた呆れ声に、丈太郎はハッと身を起こす。隣では、フィリスが腕を組んで見下ろしており、その背後では巨大なグリフォンのピーちゃんが「グルル……」と喉を鳴らしながら毛繕いをしている。
「お、俺……生きてる……?」
「当たり前でしょ。ちょっと急降下したくらいで気絶するなんて、まだまだ特訓が足りないわね」
「ちょっとってレベルじゃ……うぷっ」
胃の不快感をこらえながら立ち上がると、そこは霊峰の頂に近い平らな石畳の広場だった。空気はピンと張り詰め、神聖な気配が漂っている。
しかし、丈太郎が息を呑んだのは、その神聖さのせいだけではなかった。
「……フィリスさん。これ、どういう状況ですか?」
「んー? 見ての通りよ」
広場を囲むように、白銀の鎧に身を包んだ数十人の屈強な騎士たちが、槍や剣を手にこちらを警戒していたのだ。皆、一様に厳しい表情を浮かべており、空気は重く張り詰めている。
(いやいや、完全に不審者扱いされてるじゃん!)
丈太郎が冷や汗を流していると、騎士たちの列が恭しく二つに割れ、奥から一人の男が歩み出てきた。
その姿を見た瞬間、丈太郎は思わず目を奪われた。
光を反射して白金にも見える淡い金髪をナチュラルなセンターパートに分け、深いエメラルドグリーンの瞳を持った、中性的で整った美青年。白を基調とし、繊細な金の装飾が施された神殿騎士の鎧を身にまとい、背には純白のマントが風に揺れている。そして腰には、ただならぬ神気を放つ絢爛な宝剣。
その近寄りがたい気品と清廉さに、丈太郎は思わず気圧されそうになる。
「……何者かと思えば。やはり君か、フィリス」
男の声は静かで、冷たく澄んでいた。だが、エメラルドグリーンの瞳がフィリスを捉えた瞬間、そこにわずかな「熱」――執着のようなものが滲んだのを、丈太郎は見逃さなかった。
(あれ? なんかこの人、フィリスさんを見る目が……)
フィリスはといえば、そんな王道イケメンの熱視線を正面から受け止め、ただ面倒くさそうに肩をすくめた。
「相変わらず堅苦しいわね、ユリウス。部下をこんなに並べて、大げさな歓迎のご挨拶かしら?」
「神聖なる霊峰に、許可もなくグリフォンで乗り込んでくれば当然の処置だ。……君のその奔放さは、昔から変わらないな」
ユリウスと呼ばれた神殿騎士団長は、やれやれと眉間を押さえつつも、どこかフィリスの態度を許容しているような、身内めいた空気を醸し出そうとしている。
(フィリスさんとどんな関係なんだろう……まさか、昔の恋人とか!?)
丈太郎の心はザワつく。
彼が二人の関係性を考えていると、ユリウスの鋭い視線が、不意にフィリスの隣――丈太郎へと向けられた。
「……フィリス。その後ろの男は誰だ? 魔力の欠片すら感じられないが」
ユリウスの声音から先ほどまでの甘さが一瞬で消え去り、絶対零度の冷たさが混じる。
「私の愛弟子よ」
フィリスが堂々と胸を張って答えると、ユリウスの端正な顔がわずかに歪んだ。
「弟子だと……? 君が? こんな道端の石ころのような男を?」
「ちょっと、石ころとは失礼ね。この子は丈太郎。私が見込んだ、最高の相棒よ」
「相棒……!」
その言葉に、ユリウスの瞳の奥で何かがギリッと軋む音がした気がした。
ユリウスは苛立ちを隠すように、鋭い視線で丈太郎を上から下まで値踏みする。そして、丈太郎の腰に帯びられた剣――鍛冶屋で特注した、柄に最高級の『紅玉魔晶』が埋め込まれた黒塗りの剣に気づき、わずかに目を細めた。
「……ほう。魔力を持たぬ身でありながら、そのような業物を帯びているとはな。少しは腕に覚えがあるということか」
(いや、これ『抜かない剣』なんで、ただの飾りなんですけど……)
ユリウスが勝手に警戒心を高めていることに丈太郎は冷や汗をかきつつも、柄にそっと手を添え、無表情で相手を見据える。
「……ふん。不滅のジョー……虚仮威しでなければいいがな」
「それで? 君たちがここへ来た目的はなんだ?」
「古赤竜を退ける為にきたのよ」
フィリスが言うと、ユリウスは深くため息をついた。
「帰れ。神の化身たる古竜を、君たちのような野良の冒険者に任せるわけにはいかない。ここは我々、帝都神殿騎士団の管轄だ」
「あら、でもあなたたち、もう二年もあの子を放置してるじゃない。そろそろ私たちが手伝ってあげようかっていう、親切心よ?」
「放置ではない。神殿への被害を防ぐための『保護』だ。我々には我々の規律と正義がある。貴様らのような異物に何が分かる!」
ユリウスの声に、隠しきれない激情が混じる。
「神の剣は、継ぐべき者の手にある。古竜の処遇は、この《エクスカリバー》を持つ私が決めることだ。君たちの出る幕はない」
「これはセラフィーナ先生からの依頼でもあるのよ。魔術師ギルドマスターの決定にケチをつけるつもり?」
「セラフィーナ殿の依頼だと……!」
ユリウスは少し思案する。
「……例えそうだとしても、神殿に入れるわけにはいかん」
頑なに道を譲ろうとしないユリウスに、フィリスはやれやれと息を吐いた。
「わからない人ね。これ、私へのあてつけ? そんなに私に振られたのが面白くないの?」
「な、何を……ッ! 私はただ、神殿騎士としての職務を全うしているだけだ!」
完璧な仮面を被っていたはずのユリウスが、あからさまに動揺を見せる。
(振られた?……オルドさんと同じパターンかよ……)
丈太郎は内心でホッとした。
周囲の騎士たちも、フィリスの思わぬ言葉にざわめき始めている。
「だって、あまりにも頑なだから。三年前、プロポーズを断ったことをまだ根に持っているのかと思ったのよ」
「だ、団長のプロポーズを断った!?」
「マジかよ……Sランクのプロポーズを断る女がいるとは……」
「神炎のフィリス……おそるべし……」
騎士たちの動揺が波紋のように広がっていく。
「え! ユリウスさんてSランクなんですか!? 凄い!」
丈太郎は、以前マリナから聞いた『Sランクの凄さ』を思い出し、思わず感嘆の声を上げた。
「史上最年少でSランクに上り詰めて、《聖剣の継承者》とか呼ばれて調子に乗ってるのよ」
フィリスは不機嫌そうに吐き捨てる。
「なんでプロポーズ断ったんですか?」
丈太郎が空気を読まずに尋ねると、フィリスはあっさりと答えた。
「そんなの、好きじゃないからに決まってるじゃない」
「そのまんまですね……」
「私を……愚弄するか、フィリス……!」
皆の前で過去を暴露され、さらには「好きじゃない」と一蹴されたユリウスの顔は、屈辱と怒りで朱に染まっていた。こめかみに青筋が浮かび、その美しいエメラルドグリーンの瞳には、冷たい狂気が宿り始めている。
「ちょっとフィリスさん、もっと穏便にいかないと。これじゃ逆効果ですよ!」
ユリウスが腰の聖剣に手を添えると、広場の張り詰めた空気が、さらに限界まで引き絞られた。
「貴様らぁ……ッ!!」
完璧だったはずの神殿騎士団長の血管が、今にも切れそうに脈打っている。
フィリスはため息をつきながら自らの大剣の柄に手を添えた。
「いいわよ。そこまで言うなら、決闘で決めましょう」
「決闘だと……?」
「ええ。私が勝ったら、古赤竜の件からは手を引いて神殿への道を開けなさい。もし私が負けたら、大人しく帝都に帰ってあげるわ。……どう?」
挑発的なフィリスの提案に、ユリウスはエメラルドグリーンの瞳を冷たく細めた。
「……ふん。神の剣に選ばれたこの私に、野良の冒険者が勝てると思っているのか。その傲慢さ、ここで叩き斬ってやる」
「フィリスさん……」
丈太郎が心配そうに声をかけるのを、フィリスは手でスッと制した。
「丈太郎くん、ここは任せて。ピーちゃんと下がって見てなさい」
「でも、あの人……なんかヤバいですよ」
丈太郎がユリウスの放つ異様な空気を警戒して食い下がると、フィリスはくるりと振り返り、悪戯っぽくウインクをした。
「たまには、師匠らしい『いいところ』を見せないとね」
その青い瞳には、揺るぎない自信と決意の炎が宿っている。
「……わかりました。ピーちゃんと全力で応援します!」
丈太郎はフィリスを広場の中央に残し、ピーちゃんを連れて広場の端へと後退した。
それを見届けたユリウスは、周囲を囲む自らの部下たちへ冷ややかに命じた。
「お前たちも下がれ。決闘の邪魔だ」
「し、しかし団長! 我々神殿騎士団に私闘は禁じられております。万が一、敗北するようなことになれば、神殿の権威が……」
副官らしき騎士が慌てて進み出て進言する。だが、ユリウスは冷徹なエメラルドグリーンの瞳で彼を射抜いた。
「敗北だと? 神の剣に選ばれたこの私が、負けるはずがないだろう。――そう、『絶対に』だ。……そうだろう?」
ユリウスの声は静かだったが、その言葉には絶対的な傲慢さと、限界まで張り詰めた狂気が込められていた。彼は意味深な視線を副官へと向ける。
「……ッ! な、まさか……!」
副官の騎士は、ユリウスの視線の意図を理解し、信じられないものを見るように目を見開いた。
ユリウスの端正な顔に、美しくも歪んだ冷徹な笑みが浮かぶ。
「神の意志を遂行するための『必要な処置』だ。下がれと言ったはずだぞ」
「……はっ!」
副官は顔面を蒼白にしながら短く頷くと、他の騎士たちへハンドサインで迅速に指示を出した。白銀の鎧に身を包んだ騎士たちは一糸乱れぬ動きで後退し、広場の中央に立つユリウスとフィリスを中心に、大きく円を描くように散開していく。
広場の端からその様子を観察していた丈太郎は、騎士たちの整然すぎるその配置に微かに嫌な予感を覚えた。
「はじめましょうか」
フィリスは冷たく言い放ち、漆黒の大剣を悠然と構える。
刀身に滲む淡い赤光が、彼女の魔力に呼応して紅蓮の焔へと変わる。吹き荒れる熱量とは裏腹に、フィリスの集中力は氷のように冷たく、鋭く研ぎ澄まされていった。
「ああ」
短い応答とともに、ユリウスが《エクスカリバー》を抜き放つ。彼の手にある聖剣から眩い黄金の魔力が溢れ出し、紅蓮の熱気を静かに押し返す。相反する二つの力が、場を支配していく。
ユリウスは、《エクスカリバー》を静かに正眼に構えた。対するフィリスは《イグニシア》をだらりと下げるように構える。
「神の剣は、継ぐべき者の手にある。大人しく剣を引け、フィリス」
「相変わらずお堅いわね、ユリウス。三年経っても全然変わってないじゃない」
フィリスの挑発的な言葉を合図に、両者は地を蹴る。
主導権を握ったのはユリウスだった。
「シッ!」
短い呼気と共に繰り出されるユリウスの剣撃は、一切の無駄を削ぎ落とした最適解の動きだった。一撃一撃が重く、そして速い。
フィリスは《イグニシア》でそれを受け流すが、ユリウスは攻防一体の完成されたスタイルで隙を見せない。剣の死角を正確に狙って光属性の攻撃魔法が放たれ、フィリスは防戦を強いられながら後退していく。
「凄い! あのフィリスさんが押されてる!」
丈太郎はSランクの圧倒的な実力を目の当たりにし、握る拳にじわりと汗をにじませた。
「どうした? 神炎ともあろう者が、その程度か」
ユリウスの深いエメラルドグリーンの瞳が冷ややかに光る。
光の結界で自身の防御を盤石に固めつつ、精密機械のような連撃でフィリスを追い詰めていく。それは、剣術の教科書を極限まで洗練させたような、完璧で理にかなった剣技だった。
だが、フィリスの唇には不敵な笑みが浮かんでいた。
「……確かに綺麗で完璧な剣よ。でもね、ユリウス」
フィリスは左手に赤い魔力を収束させると、ゼロ距離で炎の魔法を放った。ユリウスが光の結界でそれを弾いた一瞬の隙を突き、フィリスは大きく間合いを取る。
「最適解ってことは――一番『読みやすい』ってことなのよ」
その瞬間、フィリスの纏う空気が劇的に変わった。
《イグニシア》の漆黒の刀身に、深紅の炎が爆発的に燃え上がる。再びユリウスが黄金の光を纏わせた聖剣で踏み込んでくる。だが、今度のフィリスは一歩も下がらなかった。
ユリウスの完璧な軌道の斬撃を、フィリスは最小限の動きで紙一重で躱す。
「なっ……!?」
驚愕で目を見開くユリウスのがら空きになった横腹に、フィリスの回し蹴りが重く叩き込まれた。
体勢を崩したユリウスに対し、ついにフィリスの反撃が牙を剥く。これまでの防戦が嘘のように、無駄のない洗練された動きでユリウスを圧倒していく。
「光縛!」
焦ったユリウスが拘束系の制圧魔法を放つが、フィリスは《イグニシア》の炎を爆発させ、その術式ごと力業で叩き割った。
「甘いっ!」
燃え盛る大剣の連撃が、ユリウスの光の結界を次々と削り取っていく。
ユリウスの精密な剣技は完全にフィリスに見切られていた。彼が剣を振るうたびに、炎の魔法と大剣の重い一撃が、上から容赦なく叩き潰していく。
(バカな……私の剣が、見切られているだと……!? 私は、神の剣に選ばれたはずだ……!)
「す、凄すぎる…」
丈太郎は驚愕の表情で、思わず声を漏らした。
踏み込み、回避、魔法の展開――そのすべてに一切の無駄がない。
流れるように美しい洗練された剣技と、それに完全に連動した魔法のコンビネーション。相手の苛烈な攻撃を紙一重で見切り、生じた隙を的確に潰していく。
それは、かつて見せた『インフェルノ・スラッシュΩ』のような、周囲のすべてを吹き飛ばす規格外の暴力ではなかった。
極限まで洗練された技術と、研ぎ澄まされた戦術の極致。
丈太郎との特訓のとき、彼女は笑いながら魔法を放ったり、丈太郎が目で追えるようにわざとスピードを落として剣を振るったりと、常にどこか余裕を残していた。
だが、今のフィリスにはそんな感情の揺らぎや隙は微塵もない。恐ろしいまでの集中力が、彼女の青い瞳を氷のように冷たく、そして鋭く研ぎ澄ませていた。
丈太郎は、ただ息を呑んでその光景を見つめていた。
今まで見てきたフィリスの中で、間違いなく圧倒的な強さ。殺気と魔力が交錯する死地にあって、彼女の闘う姿はあまりにも美しく、丈太郎の心を強く魅了した。
「これが……フィリスさんの本気……」
完璧主義で隙のなかったはずのユリウスの動きに、明らかな焦りと乱れが生じる。
フィリスは《イグニシア》の刀身に莫大な炎の魔力を集中させた。
ユリウスが起死回生を狙い、《エクスカリバー》にありったけの黄金の光を集めて振り下ろす。フィリスはそれを正面から迎え撃ち、大剣をフルスイングで叩きつけた。
ガァァァンッ!!
光と炎が激しく衝突し、爆発的な衝撃波が広場を揺らす。
しかし、力の差は歴然だった。紅蓮のうねりが黄金の光を飲み込み、ユリウスの聖剣を弾き飛ばす。
「ぐあっ……!」
大剣の峰から放たれた炎の衝撃波をモロに受け、ユリウスの白き神殿騎士鎧が砕け散る。彼の身体は、そのまま地面へと激しく叩きつけられた。
砂埃が晴れる。
そこには、仰向けに倒れ伏し、屈辱に顔を歪めて荒い息を吐くユリウスの姿があった。そしてその首筋には、静かに炎を揺らす《イグニシア》の切っ先が、ピタリと突きつけられていた。
「勝負あったわね」
フィリスは、冷たく研ぎ澄まされた声で淡々とそう告げた。




