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第54章 崩壊

「やった! フィリスさんが勝った!」


「グルルッ!」 


丈太郎の歓声に合わせ、ピーちゃんも嬉しそうに喉を鳴らした。



砂埃が晴れた広場の中央。そこには、Sランクであり帝都神殿騎士団長たるユリウスが地に伏し、その首筋にフィリスの《イグニシア》が突きつけられていた。


「ばかな……団長があんなあっさりと……」


「神炎のフィリス……なんて圧倒的なんだ……」


周囲を囲む神殿騎士たちは、信じられない光景に愕然とし、言葉を失っていた。


「約束通り、神殿には通してもらうわよ」


フィリスは《イグニシア》を背中の鞘に納めると、丈太郎の方へ向いてニコリと微笑んだ。



だが――。


「……そうは、させない」


地に伏していたユリウスが、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

光を反射して白金にも見える淡い金髪は乱れ、常に冷静沈着だった深いエメラルドグリーンの瞳は、どす黒い執着と激情に濁りきっていた。


ユリウスが右掌を天にかざす。

それが合図だった。周囲に散開していた騎士たちが、一斉に両掌をユリウスに向ける。騎士たちから放たれた魔力がユリウスの掌に収束し、眩い黄金の光となって膨れ上がった。


「これは神の意志を遂行するための『必要な処置』だ! ――ドラゴン級拘束術式、発動ッ!!」


ユリウスの掌から放たれた黄金の螺旋が、フィリスに向かって襲い掛かる。


「!!?」


咄嗟に身を躱そうとしたフィリスだったが、複数の騎士の魔力を結集した拘束術式は、彼女の動きと魔力を完全に封じ込めた。

黄金の螺旋はやがて強固な光の鎖へと形を変え、フィリスの全身を締め上げる。


「う、うごけない……」


莫大な魔力で編み込まれた鎖の前に、さすがのフィリスも微動だにできなかった。



「ふ、ふふ……ふはははは! やったぞ!」


ユリウスは狂喜の声を上げ、拘束されたフィリスの眼前に回り込んだ。


「本来は古赤竜が暴走した時のために組み上げた術式。まさか人に試すとは思わなかったが、さすがの君でも抵抗はできまい!」


「こ……の……卑怯者……ッ」


苦しげに睨みつけるフィリスに対し、ユリウスは美しくも歪んだ笑みを浮かべる。


「これは保護だ。神の意志であり、正義のための処置なのだよ、フィリス」


ユリウスが陶酔したようにフィリスの顎へ手を伸ばそうとした――その時だった。



「フィリスさんに触るな。――この、ゴブリン野郎」



広場の空気が、凍りついた。

誰もが認める帝都の完璧な貴公子、神殿騎士団長である彼に向かって。魔力の欠片も持たないただの青年が、「最弱で醜悪な魔物」の名を突きつけたのだ。


「……ゴ、ゴブリンだと……ッ!?」


ユリウスの顔が、屈辱と激しい怒りで一瞬にして朱に染まる。こめかみに青筋が浮かび、端正な顔は見る影もなく歪んだ。


「容姿も実力も、すべてが選ばれし完璧なこの私に向かって……最底辺の魔物の名を口にしたか貴様ァァァッ!!」


完全に理性を吹き飛ばしたユリウスは、地に落ちていた《エクスカリバー》を拾い上げ、Sランクの神速の踏み込みで丈太郎へと突進した。

狙うは首。一切の容赦も、騎士としての矜持もない、純粋な殺意を込めた一撃。


だが、丈太郎は避けようとも、構えようともしなかった。ただ両腕を下ろし、棒立ちのままその剣撃を正面から見据えていた。


「丈…太郎…くん」


フィリスが丈太郎の名を呼ぶ。


刃が首に触れた瞬間――。

キンッとも、ガキンッとも鳴らない。

ただ風が揺れる感触だけを残し、聖剣の絶大な衝撃は完全に無効化され、ピタリと空中で静止した。


「なっ……!?」


驚愕に目を見開くユリウス。


「なぜ斬れない!? なぜだァァッ!!」


怒りと混乱に任せ、狂ったように聖剣を振り下ろし始める。


「死ねッ! 死ね死ね死ね死ねェッ!!」


右、左、袈裟斬り、突き。Sランクの膂力と神速から繰り出される、不可視の連続攻撃。

しかし――。

すべての剣撃が丈太郎の肌に触れる寸前で、まるで誰かが世界の音量をゼロにしたかのように、無音のまま霧散していく。


「あ、ああ……! だったら魔法だッ!! ――《ホーリー・レイ》!! 《パニッシュ・フレア》!!」


至近距離から放たれる、極大の光と炎の上級魔法。

だが、それらも丈太郎の体を包む寸前で、シャボン玉が弾けるように呆気なく消え去った。

どれだけ斬っても、どれだけ魔法を打ち込んでも、何も効かない。反動もない。音すらしない。

丈太郎は一歩も引かず、ただ静かに――そこに立っていた。それだけだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


息を切らし、肩を上下させるユリウス。そのエメラルドグリーンの瞳は、理解不能な現象に対する恐怖と絶望で激しく揺らいでいた。


丈太郎は、狂乱するユリウスを――ひどく悲しそうな、哀れむような目で見つめた。


「……これが」


静かな声が、広場に落ちる。


「これが……お前の欲しがってた『強さ』か……」


「……っ!!」


その哀れみのこもった視線は、ユリウスにとってどんな物理攻撃よりも鋭く、深くプライドを抉るものだった。

自身が「選ばれた存在」であるという自覚。フィリスにふさわしい男になるため手に入れた、Sランクと聖剣という絶対的な力。それを、魔力すらない青年に「哀れ」と見下されているのだ。


「そんな目で、私を見るなァーーッ!!」


ユリウスは子供のように叫びながら、再び滅茶苦茶に剣を振り回す。完成されていたはずの剣技は見る影もなく、ただの力任せな暴力へと成り下がっていた。


「なんなんだお前はーッ!! なぜ死なない!? なぜ私の剣が通じないッ!!」


永遠にも思える無音の剣撃。

やがて――限界を超えて剣を振り続けたユリウスの腕から完全に力が抜け、白銀の聖剣がカラン、と石畳に零れ落ちた。


「なん……なんだ……お前は……」


虚ろな瞳。

圧倒的な「理不尽」と「無」の前に、選ばれし者という彼のアイデンティティは完全に粉砕されていた。

ユリウスはそのまま糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、白目を剥いて気絶した。正義・使命・プライドが暴走し、自己の根幹をへし折られたことによる、完全な自我の崩壊だった。


沈黙。

自分たちが崇拝するSランクの団長が、一切手を出さない青年の前に「心が折れて気絶する」という異常な光景。騎士団の者たちは、完全に言葉を失い凍りついていた。



丈太郎は、足元で気絶するユリウスを一瞥もせず、光の鎖に縛られているフィリスの元へと駆け寄った。

そして、その強固な黄金の鎖を素手で掴む。


バチィンッ!


と空気が弾けるような音とともに、ドラゴンを縛るはずの呪縛は光を散らしながら霧のように無効化され、消え去った。


「フィリスさん! 大丈夫ですか!?」


「じょ、丈太郎くん……」


いつもの少し情けなくも優しい顔に戻った弟子を見上げ、フィリスは呆然としながらも――その頬を、熱っぽく赤く染めたのだった。


「だ、大丈夫。拘束力は凄かったけど、ダメージはないわ。……ありがとね……」


フィリスは少し照れくさそうにうつむきながら答える。


「よ、よかったー!」


丈太郎は心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。


周囲を囲んでいた神殿騎士たちは、その理解不能な光景を前に、ただガチガチと震えているしかなかった。

神の化身たる古竜をも抑え込むはずの『ドラゴン級拘束術式』――その強靭な光の鎖を、魔力を持たないただの少年が、まるで紙切れのようにあっさりと解除してしまったのだ。


「さて……」


ゆっくりと振り返ったフィリスは、恐ろしく冷たく、研ぎ澄まされた瞳で騎士たちを睨みつけた。


「あなたたち……どうしてくれようかしら」


「ひっ!」


その圧倒的な殺気と威圧感に耐えきれず、一人の騎士が後ずさりし、逃げ出そうと背を向けた。それをきっかけに、他の騎士たちも我先にと動き出す。


「逃がすわけないでしょ。《フレイムバインド》!」


フィリスが片手をかざすと、地を這うように伸びた紅蓮の炎が縄となり、数十人の騎士たちを一瞬で縛り上げた。


「ぐわあああ! 燃えるぅぅぅ!」

 

「……あれ? 燃えない……熱くないぞ?」


悲鳴を上げていた騎士たちが、不思議そうに自分の体を拘束する炎の縄を見下ろす。


「安心なさい、それはただの拘束術式だから燃えはしないわ。でも――無理に足掻けば、一瞬で消し炭になるから気をつけてね」


フィリスが氷のような声で告げると、騎士たちはとたんにおとなしくなり、小さく「ひぃっ……」と悲鳴を漏らした。


「いいこと? 今日ここから、この星の神殿は魔術師ギルドマスター、セラフィーナ先生の管理下とするわ。……分かった?」


「し、しかし、我々神殿騎士団の管轄を勝手に……」


副官らしき男が反論しようとしたが、フィリスがスッと目を細めただけで、その言葉は完全に凍りついた。


「……分かり、ました……」


「それから……今日ここで起こったことは他言無用よ。ユリウスの暴走を、私たちが止めたとでも報告しておきなさい」


フィリスの目つきがさらに凄みを増し、青い瞳が静かに光る。


「……は……い……」


副官は、喉から絞り出すように答えた。


「よろしい。さっさとその団長を連れて帰りなさい」


フィリスが指をパチンと弾くと、騎士たちを縛り上げていた炎の縄が霧散する。

解放された騎士たちは、ボロ人形のように気絶しているユリウスを慌てて抱え起こし、逃げるように退散していく。


「あ、そうそう。もし約束を破れば……私がさっき刻んだ『炎の呪縛術式』が起動して、いつでもどこでも灰になるから、十分に気をつけてね」


フィリスの背中越しの言葉に、騎士たちはビクンと肩を跳ね上がらせ、さらに青ざめた顔で転がるように去っていった。


騎士たちの姿が完全に見えなくなると――。


「ま、これで大丈夫でしょ!」


フィリスはクルリと振り返り、いつもの快活な調子に戻ってポンと手を叩いた。


「炎の呪いですか……恐ろしいですね……」


丈太郎は、去っていった騎士たちを思い浮かべ、ゴクリと喉を鳴らす。


「ん? あれ、嘘よ? そんな便利な術式ないわよ」


フィリスはカラッと明るい声で笑い飛ばした。


「マジか……」


丈太郎は、震えながら帰っていった騎士たちを思い、少しだけ気の毒になった。


「さ、邪魔者もいなくなったし! 古赤竜に会いに行きましょ!」


そこには、大剣を肩に担ぎ、太陽のように眩しく笑う、いつものフィリスの姿があった。


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