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第52章 お泊まり

セラフィーナの案内で、丈太郎たちは帝都の中心部にあるレストランへと足を運んだ。


白亜の石造りの外観に、美しい彫刻が施されたすりガラス。その店は、これまで丈太郎とフィリスが通っていたアウトリアの『獅子亭』のような大衆酒場とは明らかに一線を画す、高級感に満ち溢れた佇まいだった。


入り口に立つ身なりの整った給仕は、セラフィーナの姿を認めるなり、恭しく深々と頭を下げた。


「セラフィーナ様、お待ちしておりました」


完全な顔パスである。案内されたのは、フロアの喧騒から完全に切り離された、VIP待遇の瀟洒な個室だった。ふかふかの絨毯に、磨き上げられたアンティークのテーブルが品良く並んでいる。


席につくやいなや、フィリスが子供のように目を輝かせて歓声を上げた。


「ここ、最高に美味しいの! 昔はよく連れてきてもらったのよね!」


「そうね。シュナイゼルが帝都に居た頃は、三人でよく来たわね」


セラフィーナはどこか懐かしむように目を細め、気怠げで妖艶な微笑みを浮かべた。


「シュナイゼル……剣聖と言われている人ですね」


丈太郎がマリナから聞いた話を思い出しながら呟くと、隣に座ったリシェルがにこやかに頷いた。


「ええ。私もたまに、先生とご一緒させていただくんです。味は確かですよ、丈太郎さん」


やがて、テーブルに次々と料理が運ばれてきた。 選りすぐりの最高級の食材と、一流シェフの技術の結晶のような料理の数々。見た目も芸術品のように美しく、一口食べれば洗練された旨味が口いっぱいに広がる。


だが、そんな高級店であろうと、フィリスのスタイルは全くブレなかった。


フィリスは幸せそうに目を細めながら、次から次へと料理を口に運び、モリモリと豪快に平らげていく。


給仕が注いでくれた最高級のワインも、彼女にかかればエールと同じだ。


「ぷはぁっ! 美味しい!」


ごくごくとグラスを呷り、至福の表情を浮かべている。


丈太郎もワインを一口飲んでみた。元の世界では高校生だった彼に酒の奥深い味などまだ分からないはずだが、それでも、口当たりの良さと芳醇な香りははっきりと伝わってきた。アルコールを無効化する体質の丈太郎にとっても、それはただただ美味しい飲み物だった。


「フィリスさんは、本当に美味しそうに召し上がりますね」


リシェルが、呆れるどころかどこか嬉しそうに、にこやかに言った。


「……あの、フィリスさん。せっかくの高級店なんですから、もう少し上品に食べたほうが……」


見かねた丈太郎が小声で突っ込みを入れる。しかし、フィリスは肉を頬張りながら悪びれもせずに言い返した。


「かしこまって食べたら、逆に料理に失礼でしょ!」


そう言って、お構いなしに次の皿へと手を伸ばす。そのブレない姿に、丈太郎は思わず天を仰いで小さくため息をついた。


そんな二人を、セラフィーナはワイングラスを片手に楽しそうに見つめていた。


「美味しく食べられるなら、それが一番よ。存分に味わいなさいな」


かつての愛弟子の変わらぬ見事な食べっぷりに、偉大なる魔女は優しく目を細めていた。


「先生のお言葉に甘えて、遠慮なくいただきます!」


フィリスはさらに肉料理を取り分けながら、満面の笑顔を見せる。


「それにしても丈太郎くん、あなた本当に顔色一つ変わらないわね。せっかくの最高級ワインなんだから、少しは酔ったフリでもしたらどうなの?」


フィリスが呆れたように言うと、丈太郎は肩をすくめた。


「酔ったフリは流石に無理ですよ。酔ったことないし……でも、味の良さはちゃんと分かってますから」


「ふふ、アルコールすらも無効化してしまうなんて、本当に規格外な能力ね」


セラフィーナはワイングラスを揺らしながら、妖艶に微笑む。


「お酒飲みからしたら、羨ましいような、もったいないような……不思議な体質だわ」


「私もそう思います。お酒の味は楽しめるのに、酔う楽しさは味わえないなんて」


リシェルがにこやかに相槌を打つ。


「でも、だからこそフィリスさんのような無茶な飲み方をする方の介抱ができるんですよね」


「ちょっとリシェル! 私はいつもシャンとしてるわよ!」


「確かに……フィリスさんが酔いつぶれたの見たことないな……あんなに飲んでるのに」


丈太郎が言うと、セラフィーナがくすりと笑った。


「昔からあなたは食べるのも飲むのも豪快だったわ。シュナイゼルとどっちが多く食べるか張り合って、結局二人して動けなくなってたじゃない」


セラフィーナの唐突な暴露に、フィリスは顔を真っ赤にする。


「せ、先生! その話はもう時効です! 丈太郎くんの前で言わないでください!」


「えっ、あのフィリスさんが動けなくなるまで……?」


丈太郎が驚いて目を丸くすると、リシェルがくすくすと笑い声を漏らした。


「ふふっ、フィリスさんにもそんな可愛らしい時代があったんですね」


「リシェルまで! もう、今日は私の昔話は禁止!」


フィリスは照れ隠しのように、さらにワインをごくりと呷った。 そのブレない様子を見て、個室は温かな笑い声に包まれる。


「……でも、こうしてまた先生と一緒に食事ができるなんて、思ってもみませんでした」


ふと、フィリスがグラスを置き、少しだけ真面目な顔になって呟いた。


「私、先生のこと……少し恨みそうになっていた時期もあったから」


「フィリス……」


セラフィーナの青い瞳が、優しくフィリスを見つめる。


「ごめんなさいね。私が五百年間、ずっと一人で抱え込んでしまっていたから……」


「いえ、いいんです。先生の涙を見て、全部わかりましたから。それに……丈太郎くんが、私たちをまた繋いでくれたんです」


フィリスの言葉に、丈太郎は少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「俺は何もしてませんよ。ただ、皆さんが本当は強い絆で結ばれてるってわかったから……」


「丈太郎さん……」


リシェルが、少しだけ潤んだ瞳で丈太郎を見つめる。


「私が召喚してしまったのに……本当に、優しくて、器の大きな方ですね」


「だから、リシェルさんももう気にしないでください。こうして美味しい料理を一緒に食べられてるんだから、結果オーライです」


丈太郎がにっこりと笑うと、リシェルは頬を赤く染め、心からの笑顔を見せた。


「さあ、しんみりするのはここまでよ」


セラフィーナがグラスを高く掲げた。


「明日は星の神殿への出発。古赤竜の説得という厄介な任務が待っているけれど……あなたたちなら、きっと大丈夫でしょう」


「当然です! 先生とリシェルは小難しい帰還術式の再構築、頑張ってくださいね!」


フィリスもグラスを掲げ、自信満々に笑う。


「はい、全力でサポートさせてもらいます! 丈太郎さん、フィリスさん、道中お気をつけて」


リシェルもグラスを合わせる。


「はい! 皆さん、今日は本当にありがとうございました。……乾杯!」


丈太郎の声を合図に、四つのグラスが軽やかな音を立てて重なり合う。


帝都の夜は更けていく。かつての師弟、新しい師弟、そして世界を越えてやってきた少年。彼らの賑やかで温かな晩餐は、笑い声と共にいつまでも続いていった。



和やかな決起集会を終え、丈太郎とフィリスはレストランの前でセラフィーナとリシェルを見送った。 二人の姿が夜の雑踏に紛れて見えなくなるのを見届けてから、丈太郎たちも帰路につく。


帝都の夜は、昼間とはまた違う幻想的な美しさを持っていた。 空中に架かる魔力の橋や、街路を照らす魔力灯の淡い光が、白亜の街並みを柔らかく浮かび上がらせている。


「いやー、楽しかったですね!」


丈太郎が、充実した夕食会を思い出しながら明るい声を上げた。 極上のお酒と料理、そして何より、元の世界へ帰還するという目的に向けて道が開けた希望が、彼の足取りを軽くしていた。


「そうね……」


隣を歩くフィリスの返事は、どこか上の空だった。 いつもの快活な彼女らしくない、しんみりとした響き。


丈太郎が不思議に思って隣を覗き込むと、フィリスは自分の左手首にそっと触れていた。 そこには、丈太郎が誕生日に贈った白金色のブレスレット。菱形にカットされた青い宝石が、魔力灯の光を受けて静かに、澄んだ輝きを放っている。


「丈太郎くん……本当に、帰ってしまうのよね……」


宝石を愛おしそうになぞりながら、フィリスは誰に言うともなく、小さな声でぽつりと呟いた。 その声には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。


「え? フィリスさん、いま何か……」


夜の街の喧騒に紛れ、丈太郎にはその言葉がうまく聞き取れなかった。


「ううん、なんでもないわ!」


はっとしたフィリスは、すぐにいつもの明るい笑顔を作って顔を上げた。


「料理も美味しかったし、先生の奢りで飲むお酒も最高だったわね!」


「そうですね! ……あ、そうだ。フィリスさん、宿まだとってなかったですよね。どこかお気に入りの場所とかあるんですか?」


メイキュリアや道中の宿場町でのように、また二人で宿を探すものだと思っていた丈太郎が尋ねる。


「ああ、それなら必要ないわ。帝都には私の家があるから」


フィリスはさらりと言ってのけた。


「そうなんですね。そっかー、フィリスさんにとっては地元みたいなものですもんね」


丈太郎は一人で納得して頷く。


「じゃあ、俺はこの辺りで適当に宿を見つけますね。今日はありがとうございました。おやすみなさい」


そう言って軽く頭を下げ、歩き出そうとした丈太郎の腕を、フィリスがガシッと掴んだ。


「ちょっと、何言ってるの? 私の家に泊まればいいでしょ」


「え!?」


丈太郎は素っ頓狂な声を上げた。


「いやいやいや! さすがに年頃の女性の家に、男が泊まるのは……!」


「いいから! 弟子が師匠の家に泊まるのなんて普通でしょ? さ、行きましょ。こっちよ」


「えっ、ちょ、えええ……!?」


有無を言わさない強引さで、フィリスは丈太郎の腕を引いて歩き出す。 戸惑う丈太郎をよそに、フィリスの横顔には、先ほどの寂しさを吹き飛ばすような、悪戯っぽくも嬉しそうな笑みが浮かんでいた。



フィリスに腕を引かれるまま、丈太郎が連れてこられたのは、帝都の中心部の喧騒から少し外れた閑静な住宅街だった。 魔力灯が照らす白亜の高層建築が立ち並ぶ中心街とは打って変わり、この辺りは緑豊かで落ち着いた静寂が漂っている。


「ここが私の家よ」


フィリスが立ち止まったのは、しっかりとした造りの木造平屋建ての一軒家の前だった。 彼女が普段身につけている最高級の装備や、豪快な金遣いから、どれほどの豪邸に住んでいるのかと丈太郎は内心身構えていた。だが、予想に反して外観は質素で、どこか温かみのあるデザインだった。


「お、お邪魔します……」


緊張でガチガチになりながら、丈太郎は恐る恐る玄関をくぐる。 中に入ると、室内は埃一つなく整頓されており、隅々まで掃除が行き届いていた。数ヶ月にわたる長旅で家を空けていたとは思えないほどの綺麗さだ。


「フィリスさん、ずっと旅に出ていたのに、すごく綺麗ですね」


丈太郎が感心して見回すと、フィリスは事も無げに言った。


「掃除屋さんに定期的に入ってもらってるの。たまにしか帰らない家が埃まみれだったら、くつろげないでしょ?」


「なるほど、さすがですね……」


(それにしても……)


丈太郎は室内を見渡し、そっと息を呑んだ。 内装はダークブラウンの木目を基調とした、シックで落ち着きのある空間だった。アンティーク調の家具がセンス良く配置されており、大人の女性の一人暮らしという洗練された生活感がひしひしと伝わってくる。


「さ、立ったままじゃ疲れるでしょ。適当に座ってて。温かいお茶でも淹れるわ」


「あ、はい。ありがとうございます……」


フィリスに促され、丈太郎はリビングの中央にあるふかふかのソファに、ぎこちなく腰を下ろす。 沈み込むようなクッションの感触と、部屋に漂うフィリスと同じほのかな香りに包まれ、丈太郎の心臓は先ほどの『古赤竜の説得』という厄介な任務の話を聞いた時よりも、はるかにうるさく早鐘を打っていた。


しばらくして、フィリスがリビングに戻ってきた。


いつもの黒い軽甲冑から、ゆったりとした薄手の部屋着へと着替えている。無造作にまとめられていた金髪もほどかれ、ふわりと肩に掛かっていた。 普段の隙のない冒険者としての姿とは違う、無防備で艶やかな大人の女性の雰囲気に、丈太郎は思わず視線を泳がせる。


「お待たせ。はい、お茶」


コトン、とテーブルに温かいお茶の入ったカップが置かれる。


「あ、ありがとうございます……」


丈太郎はカップを受け取ったものの、ふかふかのソファの上で手と膝を揃え、まるで置物のようにガチガチに固まったまま座っていた。 そんな彼の様子を見て、フィリスは可笑しそうにくすりと笑う。


「いま、お風呂のお湯を張ってるから。沸いたら先に入ってね」


「え! あ、はい! ありがとうございます!」


『お風呂』という単語が出たことで、丈太郎は「本当に泊まるんだ」という現実を改めて突きつけられ、思わず声が裏返ってしまう。


「ちょっと、かしこまりすぎよ。自分の家だと思って、もっとリラックスして寛いでちょうだい」


フィリスは呆れたように言いながら、部屋の壁際に設えられた棚へと向かう。


(く、寛げるわけがない……!)


大人の女性と二人きりの空間、しかも彼女の家でお泊まり。元の世界では普通の高校生だった丈太郎のキャパシティは、とっくに限界を超えていた。 心の中で必死にツッコミを入れながら、丈太郎はこわばった体を少しだけソファに沈める。


一方のフィリスは、壁際の棚の扉を開けていた。 丈太郎がちらりと目をやると、そこには大小様々な酒瓶がズラリとコレクションのように並んでいる。 フィリスはその中から年代物らしき一本を取り出すと、グラスに琥珀色の液体をなみなみと注ぎ、ごくりと喉を鳴らして飲み干した。


「ぷはぁーっ! やっぱり我が家で飲むお酒は最高ねー!」


先ほどまで高級レストランで最高級ワインをたらふく飲んでいたはずなのに、まったく飲み足りなかったかのような見事な飲みっぷりだ。 至福の表情を浮かべた後、フィリスはグラスを揺らしながら丈太郎を振り返った。


「あ、丈太郎くんもお茶じゃなくてお酒が良かったかしら?」


「い、いえ! 俺はお茶で十分です!」


まったくブレない師匠の姿に、丈太郎は引きつった笑みを浮かべながら温かいお茶をすすった。


やがて、「お風呂が沸きました」という魔道具の控えめな音が室内に響いた。


「ほら、沸いたみたいよ。着替えは……私の大きめの服でも貸そうかと思ったけど、丈太郎くんのあの特注の巨大リュックなら入ってるわよね」


「あ、はい。大丈夫です」


丈太郎は逃げるように巨大リュックから着替えを引っ張り出し、教えられた脱衣所へと向かった。


(ふう……)


湯船に肩まで浸かり、丈太郎はほうっと大きな息を吐き出した。 メイキュリアや道中の宿場町でも風呂には入ってきたが、誰かの『家』の風呂というのは、なんだか妙に落ち着く反面、やはり緊張する。 壁の向こうには、大人の女性であるフィリスがいるのだ。


(……考えないようにしよう。明日は星の神殿で古赤竜の説得だ。しっかり休まないと……)


パシャッと顔にお湯をかけ、丈太郎は無理やり意識を明日の任務へと向けた。



風呂から上がり、少し火照った体でリビングに戻ると、フィリスはすでにソファでうたた寝をしていた。 テーブルの上のグラスは空になっており、片手には年代物の酒瓶を抱え込むように持っている。


「……フィリスさん?」


小声で呼びかけてみるが、すぅすぅと規則正しい寝息が返ってくるだけだった。


(……本当に、無防備だな……)


普段の隙のないAランク冒険者としての姿からは想像もつかないほど、穏やかであどけない寝顔だ。丈太郎は思わず見とれそうになり、慌てて首を振った。


「フィリスさん、風邪ひきますよ。お風呂、入らないんですか?」


少しだけ肩を揺すると、フィリスは「んん……」と小さく唸り、薄く目を開けた。


「あ……丈太郎くん、お風呂あがったの……?」


とろんとした瞳で丈太郎を見上げる。その艶っぽさに、丈太郎は再び心臓が跳ね上がりそうになった。


「はい。……あの、俺、どこで寝ればいいですか?」


「んー……そこの客室のベッド、使っていいわよ……。私は……もうちょっとここで……」


言うが早いか、フィリスは再び目を閉じ、ソファのクッションに顔を埋めてしまった。


(ここで寝られたら、俺が困るんだけど……!)


だが、無理やり起こすわけにもいかない。仕方なく、丈太郎は客室のベッドにあった毛布を一枚持ってくると、丸くなっているフィリスの肩にそっと掛けた。


「……ん……ありがとう、丈太郎くん……」


寝言のように呟くフィリス。その左手首で、誕生日に贈った白金色のブレスレットの青い宝石が微かに光を反射していた。


「……おやすみなさい、フィリスさん」


丈太郎はフィリスに聞こえないほどの声で呟いた。



案内された客室のベッドは手入れが行き届いており、清潔なシーツの香りがした。 ふかふかのマットレスに身を沈めると、これまでの旅の疲れと、今日の様々な出来事による緊張が、一気に押し寄せてくる。


明日は、星の神殿への出発。伝説の古竜種である古赤竜の説得という、かつてない厄介な任務が待っている。


(……でも、フィリスさんが一緒なら、きっと大丈夫だ)


リビングにいる頼もしい師匠の姿を思い浮かべながら、丈太郎はゆっくりと目を閉じた。 静寂に包まれた帝都の夜、丈太郎の意識は深い眠りへと落ちていった。


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