第5章 村と魔法と、忘れられた記憶
温かな朝食を終えた丈太郎は、アンクとミィナに連れられ、村長の家へと向かっていた。
道すがら、丈太郎はアンクから村の様子について話を聞く。
ルノア村。
柔らかな風が吹き抜け、豊かな水脈に恵まれたその集落は、山々に囲まれた盆地の中央に息づいていた。
およそ百世帯の家々が身を寄せ合うように立ち並ぶその光景は、一枚の絵画のように美しく調和している。だが、丈太郎が想像していた不便な“田舎村”という印象とは、少し趣が異なっていた。
通りを歩けば、家々の軒先には「光晶ランプ」が吊るされ、朝の光を受けてキラキラと煌めいている。
これは魔力を注ぐことで一定時間発光する簡易照明で、各家庭の夜間の灯りや、緊急時にも役立っているという。
道沿いには清らかな小川が流れているが、飲料水は井戸に頼らず、村全体に張り巡らされた魔力導管を通じて各家庭へ直接供給されていた。
さらに、温水や生活用水も魔法炉によって加熱・循環される仕組みになっているらしい。
「この村、けっこう発展してるんですね……」
丈太郎は思わず感嘆の声を漏らした。
「ははっ、まあな。昔、優秀な魔導師のじいさんが村のインフラを整えてくれてな。俺たちは、その恩恵にあずかってるってわけだ」
「そういえば……」
丈太郎は、ポケットの中で沈黙している壊れたスマートフォンを思い出しながら尋ねた。
「遠くの街や人と連絡を取りたい時は、どうするんですか? 例えば、一瞬で声を届けられるような便利な道具とかって……」
アンクは少し顎を撫でて答える。
「一瞬で声を届ける、か。大きな街のギルド支部同士や、王族・貴族の館には『念話の魔道具』ってのが設置されていて、遠距離通信ができるらしいぞ。ただ、あれは莫大な魔力と高価な設備がいるからな。俺たち一般の村人には縁のない代物さ。残念ながら、この村にもその設備はないな」
「そうなんですね。じゃあ、普段はどうやって連絡を?」
「基本は手紙だな。定期的に村を巡回する行商人や、移獣の定期便、あるいは冒険者ギルドに配達を依頼するのが一般的だ。まあ、この村みたいな辺境じゃ、王都に手紙が届くまでに何日もかかるのが普通だよ」
「緊急の時はどうするんですか?」
「本当に急ぎの時は、足の速い移獣に乗った伝令を飛ばす。一番近くてアウトリアの冒険者ギルドだな。緊急の討伐案件なんかは、そこへ伝令を走らせて、アウトリアから帝都などの主要なギルドへ念話で連絡してもらうって寸法さ」
「なるほど……」
丈太郎は小さくうなずいた。
(インフラは整っていても、スマホみたいに個人がいつでも遠くと連絡が取れるわけじゃないのか。やっぱり、俺のいた世界とは違うんだな……)
丈太郎は納得すると同時に、元の世界との物理的な距離を改めて実感していた。
ちょうどその時、向かいから巨大な獣が荷車を引いてゆっくりと通りを横切っていくのが見え、丈太郎は思わず立ち止まった。
昨日、村へ来た時に見かけたあの獣だ。
「あれは……なんていう生き物ですか?」
尋ねる丈太郎に、アンクが答える。
「移獣《キュリア》って種類だ。体はでかいが温厚でな、村の物流には欠かせない存在なんだよ」
全身を柔らかな毛に覆われたその動物は、ゆったりと大地を踏みしめながら進んでいく。頭部には魔法の制御装置が装着されており、魔力による簡易操作も可能なようだった。
(うーん……異世界。父さんが見たら喜ぶだろうな)
丈太郎は自分の状況を棚に上げてふっと苦笑した。
村の中心に近づくにつれ、建物が密集してくる。
小さな市場、鍛冶屋、治癒院、そして祈祷所。
どれも質素な造りだが、どこか温かみがあり、住人たちの穏やかな暮らしの息遣いが感じられた。
「さ、着いたぞ。あれが村長の家だ」
アンクが指差した先には、他の家々より一回り大きな木造の建物がそびえていた。
立派な門構えと、丁寧に手入れされた庭が、村をまとめる者の威厳を示している。
丈太郎は、胸の奥にかすかな緊張を覚えながら、そっと門をくぐった。
ミィナが勢いよく先に駆けていき、アンクと丈太郎もそのあとに続く。
玄関先に立ったアンクが呼び鈴らしき魔導具に触れると、小さく澄んだ音が鳴り響いた。
しばらくして中から姿を現したのは、昨日ミィナの家で会った白髪の老人――村長だった。
「お主は、昨日ミィナと一緒にいた者じゃな」
「はい。山之内丈太郎といいます」
丈太郎は深く頭を下げる。
「丈太郎くんが、ミィナをグランドグリズリーから救って村まで連れてきてくれたのです」
アンクがすかさず補足した。
「なんと……村長として、わしからも礼を言わせてくれ」
村長は深々と頭を下げる。
「いえいえ、とんでもないです……」
丈太郎は恐縮して手を振った。
「立ち話もなんじゃ。中に入られよ」
村長に促され、三人は屋敷の中へと足を踏み入れた。
通された居間は、木を基調にした温かみのある造りで、壁には美しい織物や風景画が飾られていた。ミィナの家よりも少し広く、彫刻の施された家具は丁寧に手入れされており、村の代表らしい落ち着きと気品が漂う空間だ。
「まあまあ、アンクちゃん、いらっしゃい。ミィナちゃんも」
明るい声とともに現れたのは、年配の女性だった。
「マルタさん、こんにちはー!」
ミィナが声を弾ませ、それに続くようにアンクが挨拶する。
「おじゃまします、マルタさん」
マルタは丈太郎に目を留め、「初めて見る顔だね。あなたは……?」と尋ねた。
「山之内丈太郎といいます」
丈太郎は姿勢を正して名乗る。
「ご丁寧にどうも。私はマルタ。この家の主──村長の妻です。よろしくね」
「今日は、村長さんにお聞きしたいことがあって伺いました」
アンクが本題を切り出すと、マルタは優しく微笑んだ。
「そうかい。それじゃあ、お茶を淹れてくるよ。ついでに、美味しいお菓子も出すからね!」
「わーい!」
ミィナが嬉しそうにはしゃぐ。
丈太郎たちは、立派な彫刻が施されたテーブルを囲むように席についた。
「さて、話というのは――丈太郎のことじゃな」
村長が静かに切り出す。
「はい。村長なら、何か手がかりがあるかと思いまして……。丈太郎くん、昨日のことを説明してくれる?」
アンクに促され、丈太郎は頷いた。
森で目を覚ました瞬間からの出来事を、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「なるほどのう。記憶がないか……。昨日の丈太郎の服装も、変わったいでたちだったしの。気にはなったが、せっかくの家族の再会に水を差すのも無粋かと思うて、そそくさと退散したわい」
村長は苦笑する。
「お気遣いありがとうございました」
アンクが頭を下げた。
「丈太郎……その名も、わしは聞いたことのない響きじゃ。どこか異国の地から来たのは間違いなかろうて。問題は、“どこ”から来たかじゃな……」
村長は顎を撫でる。
「私は、転移魔法の類ではないかと」
アンクが自らの推測を口にした。
「ふむ。転移魔法は超高度な魔法じゃ。使える者も限られておる。失礼だが、おぬしがそうとは……とても見えん」
村長は腕を組み思案する。
「丈太郎くん、気を悪くしないでくれ。村長はこう見えて魔術師なんだよ」
アンクが丈太郎に小声でフォローを入れた。
「お主からは、魔力の“ゆらぎ”すら感じん。こんなことは初めてじゃ。魔力なき者に転移魔法は使えん」
村長の眼差しが鋭くなる。
「転移魔法は魔法陣を介して転送される。お主の側に魔法陣はあったかの?」
「いえ。魔法陣ぽいものは何も。痕跡もなかったと思います……」
丈太郎が答えると、村長は難しい顔をして黙り込んでしまった。
その重い空気を破るように、マルタがお盆にお茶と焼き菓子をのせて戻ってきた。
「おまたせ、さあどうぞ」
「わーい! おいしそう!」
目を輝かせるミィナ。
「ありがとうございます」
アンクと丈太郎は揃って礼を言った。
「となると、残された可能性は──召喚術かのう……」
村長がぽつりとこぼした。
「召喚術?」
アンクが首をかしげる。彼にとっても初耳のようだった。
だが、丈太郎にはピンときた。
(あれだ……勇者が異世界に呼ばれる、的なやつ)
内心で密かに納得する。
「異なる世界から“異能の者”をこの世界へ呼び寄せる魔術じゃ。それにより、魔を打ち払った……とも伝えられておる。太古の魔術ゆえ、もはや伝説にすぎん。わしも帝都の図書館で古文書に記されていたのを見たことがあるだけじゃ」
村長は語る。
「じゃあ……召喚術で呼ばれたなら、逆に、それを使えば元の場所に帰れる可能性もあるんじゃ……?」
丈太郎は希望を見出して思わず身を乗り出した。
「……おそらく、かなり厳しかろうな。なにせ、召喚術そのものが、実際に使われた例が残っておらんのじゃ。すまんのう……力になれなくて」
村長は申し訳なそうに首を振った。
「いえ、こちらこそ……。色々教えていただいて、ありがとうございました」
丈太郎は深く頭を下げる。
「なんにせよ、何かわかるまでは、この村にいるとよい。わしの家でも構わん。ここで暮らすがよかろう」
村長は温かく提案してくれた。
すると、アンクがすっと前に出る。
「村長、丈太郎は我が家で預からせてください。娘の命の恩人です」
「うむ、好きにするとよかろう」
「えっ、いいんですか!?」
丈太郎が驚いてアンクに向き直る。
「もちろんだとも!」
アンクは力強く頷いた。
「ありがとうございます! お世話になります!」
丈太郎は改めて深々と頭を下げる。その優しさに胸を熱くした。
「わーいっ! お兄ちゃんとずーっと一緒だーっ!」
ミィナが勢いよく丈太郎に飛びついてきた。




