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第49章 手紙

「――ッ!!」


最大の秘密をいともたやすく言い当てられ、丈太郎は息を呑んで絶句した。


「先生! なぜそれを……!」


フィリスも驚愕に目を見開き、思わず声を張り上げる。


セラフィーナは、驚き固まる二人の反応を見て可笑しそうにくすりと笑った。その艶やかな唇が弧を描く。


「誰とも組まない“神炎のフィリス”が弟子を取るという奇行。その弟子が『不滅のジョー』などと呼ばれ、あのアークリッチを一撃で粉砕したという信じがたい噂……。そんな規格外の弟子を連れて、お前がわざわざ私の元を訪ねてきた」


セラフィーナは気怠げな仕草でゆっくりと歩み寄り、紫の冷たい瞳で改めて丈太郎を値踏みするように見つめた。


「そして何より、このボウヤには魔力がまったく存在しない。……この世界で、魔力を持たない存在が居る可能性はただ一つしかないわ。簡単な推理よ」


「それで、『召喚術』について聞くために、わざわざ帝都まで足を運んできたというわけね」


「……はい。…お見通しの通りです、先生」


フィリスは完全に感服した様子で、小さく息を吐きながら頷いた。


(一撃ではないんだけどな…)


と、丈太郎は心の中でこっそり突っ込む。


「まあ、立ち話もなんなのだから、そこへ掛けなさいな。話くらいは、じっくり聞いてあげるわ」


セラフィーナは気怠げな手つきで、部屋の中央にあるアンティークテーブルへと二人を促した。言われるがまま、セラフィーナを正面にして、テーブルを挟むように丈太郎とフィリスが並んで腰を下ろす。


丈太郎は姿勢を正し、少しだけ緊張した面持ちで真っ直ぐにセラフィーナを見つめて口を開いた。


「あの……本題の前に。俺は預かり物を持っています。仁さんと紗菜さんから、セラフィーナさんに預かってきたものです」


「……っ!」


息を呑むような微かな音が漏れ、彼女の華奢な肩がピクリと小さく震える。


丈太郎は服の内ポケットから、一通の封書と、淡く脈打つような光を放つ魔石が入った小さな巾着袋を取り出すと、テーブルの上へ静かに差し出した。


セラフィーナは一言も発さない。 ただ黙って、少しだけ震える白い指先でそれらに手を伸ばした。巾着袋越しに魔石の懐かしい感触を確かめるようにそっと触れた後、彼女は手紙の封を切り、広げた便箋の文字へと静かに視線を落としていった。


--------------------------------------------------------------------------------


便箋に記されていたのは、彼女にとってはずっと胸の奥に刺さったままだった事。


『セラフィーナさん、お久しぶりです』


穏やかなその一文から始まる手紙には、丈太郎という少年が迷宮に現れた経緯が丁寧に綴られていた。


仁と紗菜は推測していた。丈太郎もまた、何者かの「召喚術」によってこの世界へ呼ばれた可能性があること。そして、五百年もの間誰も成功させられなかったその術を行える者がいるとすれば、それは自分たちを呼んだセラフィーナではないか、と。


だが、彼の召喚がセラフィーナの仕業ではないのだとしたら。『どうか、彼が元の世界へ帰るために、力を貸してあげてほしいのです』と、切実な願いが続いていた。


手紙には、丈太郎が持つ《絶対防御》という特異な能力について詳細に説明されていた。召喚術の帰還時にかかる凄まじい負荷――肉体が耐えきれずに崩壊してしまうという“理の拒絶”すらも、彼の能力ならば無効化し、元の世界へ生還できるはずだという確信。 そして、帰還術式を起動するための莫大な魔力の「核」として、紗菜自身の魔力を限界まで圧縮した魔石を彼に託したこと。


『どうか、丈太郎くんのことをよろしく頼みます』


文字を追うセラフィーナの紫の瞳が、わずかに潤みを帯びていく。 そして、便箋の最後。 そこには、彼女が五百年間ずっと背負い続けてきた深い罪悪感を、ふわりと溶かして包み込むような、優しい一文が記されていた。


『僕達は、とても幸せです』



--------------------------------------------------------------------------------



便箋の最後の一文を読み終えたセラフィーナの瞳から、こらえきれなくなった大粒の涙がこぼれ落ちた。


ポトリ、と。 静かな部屋に、水滴が紙を打つ微かな音が響く。彼女は嗚咽を漏らすこともなく、ただ静かに、静かに泣いていた。


「……先生」


常に余裕と気品を崩さない師の、初めて見るような無防備な姿。フィリスは痛ましそうに眉を寄せ、心配そうに小さく声をかける。


丈太郎は何も言わなかった。ただ真っ直ぐに、静かな眼差しで彼女を見守っている。


その涙は、彼女が五百年間ずっと一人で背負い続けてきた十字架。それを溶かしていく過程なのだと、痛いほど理解していたからだ。


セラフィーナは、震える両手で手紙を大切に胸へと抱きしめた。 ゆっくりと目を閉じた彼女の長い睫毛から、次々と涙の雫が零れ落ちる。


そこには、人々に畏怖される『帝都の魔女』の面影はなかった。 ただ一人の女性として、過去からの許しと救済の温もりに包まれながら、セラフィーナはいつまでも静かな涙を流し続けていた。


先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、マスター室は深い静寂に包まれていた。


「失礼いたします」


控えめなノックの音とともに、リシェルが黒檀の大扉を開ける。その手には、ふわりと湯気を立てるティーポットと三つのカップが載ったお盆が、上品に掲げられていた。


いつもの柔らかい微笑みを浮かべてテーブルへと近づいたリシェルだったが――ふと視線を上げた瞬間、その足がピタリと止まる。


カチャリ、と手元が震え、お盆の上のティーカップが微かに鳴った。


常に妖艶な余裕を崩さない偉大なる師。そのセラフィーナの紫の瞳から、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちていたのだ。


「せ、先生……!?」


普段の彼女からは想像もつかないその姿に、リシェルは信じられないものを見るように目を丸くし、素っ頓狂な声を漏らした。


「……ごめんなさいね」


セラフィーナは絹のハンカチでそっと目元を拭うと、静かに息を吐いた。

そしてリシェルの方へと振り返る頃には、その表情はいつもの「帝都の魔女」らしい、気品と余裕に満ちたものへと戻っていた。 ただ、その紫の瞳だけは、憑き物が落ちたようにどこか晴れやかだ。


「リシェル、お茶を淹れてもらえるかしら」


「は、はいっ!」


リシェルはまだ激しく動揺している様子だったが、必死に表情を取り繕ってティーセットの準備を始めた。

しかし、セラフィーナの前にお茶を出し、続いてフィリスと丈太郎の前にカップを置く際にも、その手はわずかに震え、ソーサーがカチャカチャと微かな音を立てている。


(あの完璧な案内をしてくれた人が、あんなにテンパってる……無理もないよな)


丈太郎は気の毒に思いながら、「ありがとうございます」と小声で礼を言った。


「見苦しいところを見せてしまったわね」


セラフィーナはお茶を一口飲み、ふわりと艶やかな微笑みを浮かべた。


「先生、もう大丈夫……?」


フィリスが少し心配そうに尋ねると、セラフィーナは静かに頷いた。


「ええ、大丈夫よ。五百年の胸のつかえが取れた気分だわ。……さあ、話を本題に戻しましょうか」


セラフィーナが空気を切り替えるように告げる。


「あ、あの……先生」


フィリスは、セラフィーナの後ろに控えているリシェルへとちらりと視線を向けた。

これから話す内容は、迷宮の真実や、世界を越える『召喚術』に関わる超重要機密だ。いくら身内とはいえ、ここで話していいのかという確認だった。


フィリスの視線の意図を察し、リシェルははっとしたように頭を下げる。


「あ、私は席を外して――」


「いいのよ。リシェル、あなたもここにいなさい」


退出しかけたリシェルを、セラフィーナが静かな声で引き留めた。


「え? でも……よろしいのですか?」


リシェルは気まずそうに目を瞬かせる。


セラフィーナは構わず、丈太郎たちに向き直って言葉を続けた。


「知っての通り、リシェルは私の弟子よ。こう見えて、フィリスとは方向性こそ違うけれど、この子も間違いなく『天才』なの。魔力こそ凡庸だけれど、魔法の知識と論理構築においては、私すら凌ぐかもしれないわ」


「えっ! リシェルってそんなに凄かったの!?」


フィリスは驚きと感激が入り混じった声を上げる。


「そ、そんな! 私なんて! 先生に比べたら滅相もないですっ!」


リシェルは顔を真っ赤にして、激しく首を横に振って謙遜している。その慌てぶりは、どう見ても本音だった。


セラフィーナは可笑しそうに目を細め、再びフィリスと丈太郎を見据えた。


「これから『帰還術式』を解析し、再構築するには、この子の頭脳が必ず役に立つわ。心配しなくていい、口の堅さは私が保証する」


「先生……ということは」


フィリスの顔がぱっと明るくなる。


セラフィーナはカップを置き、どこまでも真剣で、力強い眼差しで頷いた。


「ええ。私の方こそ――あなたたちの目的に、全力で協力させてもらうわ」


その真っ直ぐな瞳を見て、丈太郎は小さく息を吸い、ずっと胸の奥につかえていた本音を口にした。


「……正直なところ。俺はセラフィーナさんに、少し憤りを感じていました」


「丈太郎くん……?」


隣でフィリスが驚いたように彼を見るが、丈太郎はセラフィーナから目を逸らさなかった。


「五百年前、召喚さえされなければ……仁さんたちが肉体を失う必要はなかった。そう思って、モヤモヤしていたんです。でも…」


丈太郎は、あの迷宮の奥底で見た、二人の穏やかな笑顔を思い出す。


「迷宮で仁さんたちと出会って、彼らがどれだけあの迷宮を愛し、二人で支え合って生きてきたかを知りました。仁さんは『僕達はとても幸せだよ』と、本当に楽しそうに笑っていたんです。だから……」


セラフィーナは何も言い訳をせず、ただ静かに彼の言葉を受け止めている。


そのやり取りを見ていたフィリスが、ふっと息を吐き、一歩前へと進み出た。


「私も…仁さん達の悲劇を聞いて……。そして何より、私の大切な弟子である丈太郎くんが、こんな理不尽な運命に巻き込まれた原因が……私がずっと尊敬してきた先生かもしれないなんて…」


「フィリス…」


フィリスはぎゅっと拳を握りしめ、言葉を絞り出すように続ける。


「正直、先生とどう顔を合わせればいいか、道中ずっと悩んでいました。……心のどこかで、先生を恨みそうにもなりました」


セラフィーナは何も言わず、かつての愛弟子の真っ直ぐな、そして痛みを伴う言葉を静かに受け止めている。


「でも……さっきの先生の涙を見て、分かりました。先生もずっと、五百年も……一人で後悔して、苦しんできたんですよね。だから……私も、もう迷いません」


フィリスは握りしめていた拳を解き、いつもの快活で、どこまでも力強い「神炎のフィリス」の笑みを浮かべた。

丈太郎も同じ気持ちで強く頷く。


「先生! 丈太郎くんを元の世界に帰すために……どうか、私たちに力を貸してください!」


その晴れやかなフィリスの顔を見て、セラフィーナの紫の瞳がわずかに見開かれ――やがて、心からの安堵と愛おしさが入り混じったような、美しい笑みへと変わった。


「……ええ、もちろんよ。フィリス、丈太郎」


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