第46章 誕生日
夕方――
丈太郎とフィリスは、慰労会の店の前に立っていた。
「ここね」
フィリスが扉を見上げる。
店はマリナが手配してくれたものだ。
こじんまりとしているが、小綺麗で洒落た雰囲気の店構え。入口には――
“本日貸切”の札がかかっている。
「貸切……?」
丈太郎は少し驚いたように呟く。
「気合い入ってるわね」
フィリスは気にした様子もなく微笑み、そのまま扉を開けた。
店内に足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように静かだった。
中もまた洒落ている。
木目を基調とした落ち着いた内装に、柔らかな灯り。
メイキュリア特有の雑多さはなく、どこか洗練された空間だった。
店の中央には――大きなテーブルが一つ。
よく見ると、もともと二つだったテーブルを並べて繋げたようで、継ぎ目がわずかに見えている。
「へえ……」
フィリスが興味深そうに店内を見渡す。
「マリナ、センスいいわね」
そして、その横にはカウンター席。
椅子が四つほど並び、整然と片付けられている。
「……あれ?」
フィリスが首をかしげる。
「マリナたち、まだみたいね」
店内には、二人の姿はなかった。
「少し早かったですかね」
丈太郎はそう言いながら、店の中を見回す。
「いらっしゃいませ」
カウンター横の厨房から、女性の店員が姿を現した。
「フィリス様と丈太郎様ですね。マリナ様から伺っております。こちらへどうぞ」
店員に案内され、二人はテーブルの席に腰を下ろす。
「とりあえずエールを二つお願いね」
フィリスは迷いなく言った。
「かしこまりました」
店員は一礼し、カウンターへと戻っていく。
「え!? 二人を待たないんですか!?」
丈太郎は思わず声を上げた。
「何言ってるの」
フィリスはきょとんとする。
「駆け付け一杯は常識よ」
「そうなんですね…」
(そんな常識があるのか…この世界には、まだまだ知らないことが多いな……)
そんなことを考えているうちに、エールが運ばれてきた。
「お待たせしました」
「ありがとう」
フィリスはジョッキを手に取り、当然のように掲げる。
「乾杯」
「え、あ、はい……乾杯」
カチン、と軽い音が響く。
次の瞬間――
フィリスはそのまま、ぐびぐびとエールを飲み干していく。
「ぷはぁ……!」
満足げな表情。
(早っ……)
丈太郎が呆然としていると――
店の扉が勢いよく開いた。
「あー! もう飲んでる!」
「おまえには常識ってもんがないのか!」
マリナとダリオが声を上げながら入ってくる。
「あなたたちが遅いからじゃない!」
フィリスは悪びれもせず言い返す。
「おまえたちが早すぎるんだよ!」
ダリオが即座にツッコむ。
一瞬で、静かだった店内が賑やかになる。
(……まあ、こんなことだろうと思ったけど)
丈太郎は苦笑しながら、ジョッキに口をつけた。
マリナとダリオも席につき、エールが運ばれてくる。
フィリスはすでに二杯目に手を伸ばしていた。
ふと――
フィリスが立ち上がる。
さっきまでの賑やかな空気が、すっと静まった。
フィリスは三人を見渡し、真剣な表情で口を開く。
「みんな……今回の迷宮探索、本当にありがとう」
一瞬、間を置いて――
「おかげで、全員生きて帰ってこれた」
そう言って、深く頭を下げた。
「フィリスさん……」
丈太郎が思わず声を漏らす。
「よせよ」
ダリオが照れくさそうに笑う。
「助けられたのは、俺たちのほうだ」
「そうよ。お互い様でしょ」
マリナも穏やかに頷いた。
「みんな無事に帰ってこれた。それで十分じゃない」
ダリオがジョッキを持ち上げる。
「さ、飲もうぜ!」
「……うん」
フィリスは小さく頷いた。
そして顔を上げる。
そこには、いつもの明るい笑顔が戻っていた。
「じゃあ、改めて!」
フィリスはジョッキを掲げる。
「迷宮探索、お疲れ様!」
「乾杯!!」
四つのジョッキがぶつかり、軽やかな音が響く。
――こうして、宴が始まった。
料理が次々と運ばれてくる。
焼き立ての肉料理、色鮮やかな野菜、香ばしい匂いのスープ――
気づけばテーブルは、あっという間に皿で埋め尽くされていた。
ふと視線を向けると、厨房の様子が垣間見える。奥では男性が手際よく鍋を振り、火を操っている。
それを女性の店員が受け取り、丁寧に盛り付けて客席へと運ぶ。
無駄のない動き。
息の合った見事な連携だった。
「ここの料理、最高!」
フィリスは料理を頬張りながら、満面の笑みで言う。
「マリナ、いい店知ってるじゃない!」
「でしょ?」
マリナはどこか誇らしげに笑った。
「このお店、こじんまりしてて落ち着くし、料理も美味しいからお気に入りなの」
「へぇ……」
丈太郎が感心していると、ダリオが厨房の方へ顎をしゃくる。
「あの二人、元冒険者なんだ」
「え?」
「結婚して、この店を開いたらしい」
ダリオはどこか懐かしそうに目を細めた。
「俺たちも昔、何度か一緒に迷宮に潜ったことがあるんだぜ」
「そうだったんですか」
丈太郎はもう一度、厨房の二人を見る。
息の合った動き。
言葉を交わさずとも通じ合っている空気。
(どうりで……)
どこか、冒険者特有の気配が残っている気がした。
(こういう生き方も、あるのか……)
「それで、あなたたちはこれからどうするの?」
フィリスがふと尋ねる。
「結婚しても、冒険者続けるの?」
丈太郎も思わずマリナたちを見る。興味津々だった。
「まだ決めてないの」
マリナは少し考えるように微笑む。
「とりあえず、どこかに腰を落ち着けて……その先のことは二人で考えていこうかなって」
「アークリッチの討伐報酬も、たんまり入ったしな」
ダリオがニヤリと笑う。
「捜索隊の費用に回すって言ってたのに……それじゃ割に合わないって」
マリナはしみじみと呟いた。
「ギールさんには感謝しかないわね」
「ほんとよね」
フィリスも頷く。
少し間を置いて、マリナが口を開いた。
「でも、フィリス……良かったの?」
「?」
フィリスが首をかしげる。
「アークリッチの討伐は、あなたたちがいたから成せたものよ。むしろ私たちは助けられた側なのに……報酬まで貰ってしまって」
どこか申し訳なさそうな表情。
すると――
「なーに言ってるの!」
フィリスは笑って言い切った。
「お互い様って言ったのはマリナでしょ?」
「報酬はきっちり四等分。それでいいの!」
にこりと笑う。
「そうそう! フィリスがこう言ってるんだ、遠慮なく頂こうぜ!」
ダリオが便乗する。
「あなたはもう少し遠慮しなさいよね!」
フィリスが即座にツッコむ。
場に笑いが広がる。
その流れのまま、ダリオがニヤリと笑って丈太郎を見る。
「そういやさ、丈太郎くんがいなくなった時――フィリス、泣き叫んでたんだぜ!」
「え!?」
丈太郎が思わず声を上げる。
(フィリスさんが……?)
「ちょっと! 何言ってるのよ!」
フィリスの顔が一気に赤くなる。
「ダリオだって操り人形みたいになってたじゃない!」
必死の反撃。
丈太郎は思わずマリナを見る。
マリナは――小さく頷いた。
(……本当なんだ)
胸の奥が少しだけ熱くなる。
「ダリオ、あなた丈太郎さんに完封されてたわよ」
マリナがさらりと追撃する。
「な!? 俺が!? 完封!?」
ダリオが目を見開く。
「そうそう」
フィリスはすぐに立ち直り、得意げに笑った。
「私の弟子は凄いんだから!」
「くっ……覚えてねえ……」
ダリオは悔しそうに唸る。
「丈太郎くん! 今度もう一回勝負してくれ!」
「あ、あはは……考えておきます」
苦笑する丈太郎。
「あなたじゃ相手にならないってさ」
フィリスが横から茶化す。
「な、なんだとー!?」
「そ、そんなこと一言も……!」
笑い声が弾ける。
――宴は、まだまだ続く。
宴もたけなわになった頃――
女性店員が、空いた皿を手際よく片付けていく。
気づけば、テーブルの中央にだけ、ぽっかりと空間が生まれていた。
マリナが、そっと店員に目配せする。
その次の瞬間――
ふっ、と。
店内の灯りが落ちた。
「え? 何事!?」
暗闇の中、フィリスの戸惑った声が響く。
そして――
再び、灯りがともる。
そこにあったのは。
テーブルの中央に置かれた、一つのケーキ。
生クリームたっぷりのイチゴショート。
上にはチョコプレート。
――『フィリス 誕生日おめでとう!』
揺れる五本のロウソクの炎。
「え……?」
フィリスは目を丸くし、言葉を失った。
「フィリス! 誕生日おめでとう!」
三人の声が重なる。
「え……え……?」
フィリスは戸惑いながら、ケーキと皆の顔を見比べる。
「私の……誕生日……?」
「なんだよ、自分の誕生日も忘れてたのかよ」
ダリオが呆れたように言う。
「……そっか」
フィリスは小さく呟いた。
「今日だったわね……」
ゆっくりと、状況を理解していく。
そして――
ふっと、表情がほどけた。
「みんな……ありがとう」
幸せそうに、ケーキを見つめる。
「ほら、ロウソク吹き消して」
マリナが優しく促す。
フィリスは少し照れくさそうに頷き――
ふっと息を吹きかけた。
炎が、ひとつずつ消えていく。
「おめでとう!」
拍手が広がる。
少し離れた場所では、店員の夫婦も静かに手を叩いていた。
「ありがとう……」
フィリスの瞳は、うっすらと潤んでいる。
その時――
「フィリスさん」
丈太郎が静かに声をかけた。
「誕生日おめでとうございます。これ……プレゼントです」
差し出されたのは、小さな箱。丁寧にラッピングされている。
「丈太郎くん……」
フィリスはそれを受け取り、今にも泣き出しそうな顔で見つめた。
「ありがとう……」
「開けてもいい?」
「どうぞ」
フィリスは、まるで壊れ物に触れるかのように、そっと包装を解いていく。
現れたのは、小さな木箱。
ゆっくりと蓋を開ける――
中に収められていたのは。
白金色に輝く、細身のブレスレット。
無駄のない、洗練されたデザイン。
そして中央には、菱形にカットされた小さな青い宝石が一粒。
静かに、光を放っている。――それは、迷宮の底で仁達から託された《絆の石》だった。
「……綺麗……」
フィリスは思わず呟いた。
「わあ……」
マリナも、思わずため息を漏らす。
フィリスはそっと左手を差し出した。
「……着けて」
「……はい」
丈太郎は一瞬だけ息を呑み、慎重にその手首を取る。
細くしなやかな手首に触れた瞬間、わずかに指先が強張った。
留め具を外し、ゆっくりとブレスレットをはめる。
触れないように気をつけているはずなのに、時折かすかに肌が触れてしまう。
(……近いな)
心臓の鼓動が、妙に大きく感じられた。
マリナとダリオが小さく肩を寄せ合いながら、ニヤニヤとその様子を見守っている。
やがて、留め具が小さく音を立てて閉じた。
「……できました」
フィリスはゆっくりと腕を持ち上げ、天井の灯りにかざす。
白金色の輪が光を受け、青い宝石が澄んだ輝きを放った。
「……綺麗」
小さく、息を漏らすような声。
その横顔を見つめながら、丈太郎はぽつりと呟く。
「良く似合ってます」
(青にして正解だったな……瞳の色と、ぴったりだ)
フィリスは一度だけ瞬きをし、そっと視線を落とす。
そして、右手でブレスレットを包み込むように触れた。
胸の前で、大事なものを守るように。
「……ありがとう、丈太郎くん」
静かで、でも確かな声だった。
「一生、大事にする」
その言葉に、丈太郎はわずかに目を見開く。
「……喜んでもらえて、良かったです」
照れを隠すように視線を逸らしながら、そう答えた。そのとき、不意に自分の懐へと意識が向く。
服の内ポケットに隠れるようにして――同じ意匠の、赤い宝石のブレスレットがひっそりと収まっていた。
(本当は、これをフィリスさんに渡そうと思っていた)
ふと、そんな考えが胸をよぎる。
(でも……赤は、フィリスさんの色だから)
あの炎のような強さも、まっすぐな優しさも。
すべてを象徴するその色を、自分の手から手放すことが、なぜかできなかった。
(せめて……お守りとして、持っていたい)
誰にも知られない、小さな願い。
フィリスと“お揃い”だと知られるのは、さすがに気恥ずかしい。
丈太郎はそっとポケットの上から押さえ、何事もなかったかのように手を離した。
(これは……ここだけの秘密にしておこう)
胸の内で、小さくそう誓うのだった。
「あー……コホン。あのー、フィリスさん?」
わざとらしい咳払いが、しんみりとした空気を軽く揺らす。
「俺たちからも、プレゼントがあるんだけど……?」
ダリオがニヤリと口角を上げた。
「えっ!?」
フィリスははっとして、少し照れたように二人の方を振り向く。
「良かったわね、フィリス。本当に似合ってるわよ」
優しく微笑みながら、マリナが一歩前に出る。
「はい、これ。私から」
差し出されたのは、丁寧に包まれた小さな贈り物。
「私特製のスキンケアポーションよ。お肌は女の命、でしょ?」
軽くウインクするマリナ。
「マリナ……」
フィリスは思わず頬を緩める。
「で、俺からはこっちだ」
続けてダリオが、もう一つの包みを差し出した。
「アーティファクト専用のメンテナンスセットだ。イグニシアの手入れに使ってくれ」
「ダリオまで……」
フィリスは両手いっぱいにプレゼントを抱え、しばらく言葉を失う。
そして――
「……二人とも、本当にありがとう」
静かに、でも噛みしめるようにそう言った。
その声には、先ほどよりもさらに深い感謝が込められていた。
その後、皆でケーキを分け合って食べた。
――もっとも、その大半がフィリスの胃袋に収まったのは、言うまでもない。
ひとしきり笑い合ったあと。
食後の紅茶をすすりながら、穏やかな時間が流れる。
「それで……フィリスたちは、明日発つの?」
マリナがカップを傾けながら、何気ない調子で尋ねた。
「うん。帝都に行って……丈太郎くんの家族を探さないと」
フィリスはまっすぐに答える。
「そう……」
マリナは小さく頷き、ほんの少しだけ視線を落とした。
その横顔に、わずかな寂しさが滲む。
「丈太郎くん。家族と再会できるといいな!」
場の空気を変えるように、ダリオが明るく言った。
「はい。ありがとうございます」
丈太郎は、静かに頭を下げる。
――本当のことは、話していない。
自分がこの世界の人間ではないことも。
突然この地に現れたことも。
それは、フィリスと二人で決めたことだった。
(……すみません)
心の中でだけ、小さく呟く。
今の自分は――
記憶が曖昧で、家族を探している旅人。
そういうことになっている。
「ありがとうございましたー!」
店の中から店員夫婦の声に見送られ、四人は夜の通りへと出た。
ひんやりとした外の空気が、火照った頬を優しく冷ます。
店の前で、丈太郎はマリナに向き直った。
「マリナさん。今日はお店の手配とか、色々ありがとうございました」
「いいのよ。――フィリスがあんなに楽しそうだったんだもの」
マリナは、どこか満足そうに微笑む。
「あの……ケーキなんですけど。気づいたらテーブルにあって……どうやったんですか?」
丈太郎が不思議そうに尋ねると、
「ふふ。実はあの店員さん、凄腕のシーフだったのよ」
「な、なるほど……」
(神業だな……)
思わず心の中で呟く。
「丈太郎くん、気づいてなかったの? まだまだね」
フィリスがくすりと笑う。
「フィリスさんは気づいてたんですか……さすがですね」
丈太郎は素直に感心した。
「フィリス、丈太郎くん。元気でな。また会おうぜ!」
ダリオが片手を上げて言う。
「私たちはしばらくメイキュリアにいるわ。近くに来たら、また顔を出しなさい」
マリナも優しく続けた。
「うん……」
フィリスは小さく頷く。
そして――
「今日は……人生で一番、幸せな誕生日だった」
胸の前でブレスレットにそっと触れながら、言葉を紡ぐ。
「みんな、本当にありがとう。マリナ、ダリオ……またね」
その笑顔は、どこまでも晴れやかだった。
――こうして。
フィリスの、少し特別な一日は、静かに幕を下ろしたのだった。




