第43章 再会
数時間前――早朝。
フィリスは、マリナとダリオと共に迷宮の入口に立っていた。
そこには、まだ夜の冷気が残っていた。
周囲には、百名を超える冒険者たちが集まっている。その中心に、ギールの姿があった。ギールは三人を見つけると、足早に近づいてくる。
「……少しは休めたか?」
目の下にくっきりと隈を作ったフィリスを見て、心配そうに声をかけた。
「はい……」
フィリスは短く答える。
だが、その声に力はなく――ほとんど眠っていないことは明らかだった。
「準備はできている」
ギールは静かに告げる。
「ありがとうございます」
フィリスは深く頭を下げた。
やがて、ギールを囲むように冒険者たちが集まり、号令を待つ。空気が張りつめる。
ギールは一歩前に出て、声を張り上げた。
「これより――行方不明者、丈太郎の探索を開始する!」
その一声に、迷宮入口の空気が一斉に引き締まった。ギールは一度、集まった冒険者たちをゆっくりと見渡した。百名を超える視線が、静かに一点へ集まる。
「よく集まってくれた」
低く、しかしよく通る声だった。
ざわり、と小さな波が広がるが、すぐに静まる。ギールは淡々と、だが迷いのない口調で続けた。
「探索は段階的に行う。まずはランクの低い者から順に、低層の確認を徹底する」
冒険者たちの中から、小さく頷く者が現れる。
「フィリス隊を先頭に、ランクの高い者は下層へ向かう。最初の目標は――第十階層。丈太郎が最後に確認された地点だ」
フィリスは唇を噛みしめ、静かに頷いた。
「第十階層の探索が終了した時点で発見に至らなければ、編成を組み直し、さらに下層の捜索へ移行する」
ギールは短く区切り、言葉を続ける。
「各階層には連絡員を配置する。状況の変化は即時共有。独断行動は禁止だ」
冒険者たちの表情が引き締まる。
「本部はここ、迷宮入口に設置する。情報はすべて俺の元に集めろ」
一拍の沈黙。
「――必ず、生きて連れ戻す」
その言葉に、誰も声を上げなかった。
だが、全員の意思は一つだった。
フィリスは剣の柄を強く握りしめる。
(待っていて……丈太郎くん)
そして、捜索隊は静かに――
しかし確かな決意をもって、迷宮へと足を踏み入れた。
隊列は整然と保たれたまま、迷宮の内部へと進んでいく。
先頭にはフィリス、マリナ、ダリオ。
その後ろに、高ランク冒険者たちが続いていた。既に八階層。石壁の湿った空気が、じっとりと肌にまとわりつく。
フィリスは、気づけば歩調を速めていた。
焦燥が足を前へと押し出す。
早足になり、やがて――ほとんど駆け足だった。
(いくら無敵の能力を持っているとはいえ……)
胸の奥で、不安が膨らむ。
(空腹には……勝てない……)
丈太郎が、食料も水も持たずにいることは分かっている。時間が経てば経つほど、状況は悪くなる。――早く、見つけないと。
ふと、脳裏に映像が蘇った。闇が渦を巻き、足元が崩れ。丈太郎が、必死の形相でこちらを見て――自分を突き飛ばした、あの瞬間。
(……っ)
昨夜から、何度も何度も思い出している。
忘れようとしても、振り払おうとしても、あの表情だけは、どうしても消えてくれなかった。
(私が……守らなきゃいけなかったのに……)
唇を噛みしめる。
(丈太郎くんを……巻き込んでしまった……)
自分のため。マリナとダリオのため。
それでも迷わず、笑顔で協力を申し出てくれた。あの、優しい表情。
(……私のせいだ……)
胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。気づけば、フィリスは立ち止まっていた。
そして――
「丈太郎くん!!」
無意識に、声を張り上げていた。
「お願いだから……返事をして!!」
声は、石の通路に虚しく反響する。
返ってくるのは、自分の声の残響だけ。
マリナとダリオが、息を呑む。フィリスは拳を握りしめ、再び前を向いた。足を止めるわけにはいかない。――まだ、諦めない。
八階層の奥へ。
丈太郎が消えた十階層へ。
フィリスは、先頭を切って進み続けた。
やがて――
先頭隊は、十階層へと辿り着いた。かつて、丈太郎が消失した階層。全員が無言のまま、自然と足をその部屋へと向ける。回廊を進んでいた、その時だった。
「――待て。……何かいる」
ダリオが低く告げる。
回廊の向こう。薄暗がりの中に、人影があった。
「……魔物か?」
フィリス達は一斉に身構える。
だが、その影はゆっくりと近づいてくる。
歩き方。佇まい。
――見覚えがある。
フィリスの目が、大きく見開かれた。
「……あ……」
喉が震える。
そして――
「あ……フィリスさん」
聞き慣れた声。
「――丈太郎くん!!」
考えるよりも早く、フィリスは駆け出していた。
距離を詰め、迷いなく――
丈太郎の胸に飛び込む。
ぎゅっと、強く抱きしめる。
丈太郎の鼓動が、確かに胸越しに伝わってくる。
「……良かった……」
声が、震える。
「……本当に……良かった……」
丈太郎の胸元に顔を埋めたまま、フィリスは小さく呟いた。
その身体が、かすかに震えている。
「……ご心配を……おかけしました……」
丈太郎は、少し照れたように、しかし優しく答える。その様子を、後ろから見ていたマリナとダリオは――同時に、大きく息を吐いた。
「……無事で……良かった……」
マリナの目にも、安堵の色が滲む。
その時。
「対象者、発見!!」
後方にいた冒険者の一人が、はっきりと叫んだ。
「伝令! 上へ!」
別の冒険者がすぐに踵を返し、上の階層へと駆け出していく。迷宮の重い空気の中で――その声だけが、確かな希望として響いていた。
丈太郎に抱きついていたフィリスの腕から、ふっと力が抜けた。次の瞬間、その身体がぐらりと傾く。
「フィリスさん!?」
丈太郎は慌てて腕を伸ばし、崩れ落ちそうになる彼女を抱き止めた。力なく預けられた体は、すでに意識を失っている。
「フィリス……?」
マリナが駆け寄り、顔を覗き込む。フィリスは穏やかな表情で、すぅ……すぅ……と寝息を立てていた。
「……寝てるわね」
マリナは肩の力を抜き、安堵したように微笑む。
「無理もないわ。ほとんど休んでなかったもの」
張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。丈太郎も胸を撫で下ろした。
丈太郎は静かに姿勢を整え、フィリスを背中へと背負う。その重みが、なぜか心地よかった。
「マリナさん、ダリオさん……ご心配をおかけしました。ありがとうございました」
深く頭を下げる丈太郎に、ダリオは鼻を鳴らして笑った。
「まったくだ。だが……無事で何よりだ。……詳しいことは後で聞く、とにかく帰ろうぜ」
マリナは少しだけ真顔になり、丈太郎を見る。
「丈太郎くん……お腹、減ってない?」
その問いに、丈太郎は一瞬だけ言葉に詰まり、首を振った。
「はい。大丈夫です」
——嘘ではなかった。ただ、理由が言えなかっただけだ。
「……帰りましょう。地上へ」
丈太郎の言葉に、二人は静かに頷いた。こうして一行は、ゆっくりと歩き出す。丈太郎の背中で、フィリスは安らかな寝息を立て続けている。その温もりを感じながら、丈太郎の胸には、静かで確かな温かさが広がっていた。
数時間後――
丈太郎たちは、迷宮を抜けて地上へと戻ってきた。辺りはすでに夜に包まれ、迷宮入口にはいくつものかがり火が揺らめいている。橙色の光が地面を照らし、昼とはまるで違う静けさが漂っていた。
フィリスは相変わらず、丈太郎の背中で眠りこけている。力の抜けた身体を預け、規則正しい寝息を立てていた。
迷宮入口付近には、冒険者ギルドのマスター――ギールの姿があった。すでに「丈太郎発見」の報告は行き渡っており、捜索に出ていた冒険者たちは解散している。今ここに残っているのは、本部周辺に詰めていた数名だけだった。
丈太郎の姿を認めると、ギールが歩み寄ってくる。ギールは、背負われたまま眠るフィリスと、それを当然のように支える丈太郎を、静かに見比べた。
「丈太郎……無事だったようだな。……で、フィリスはどうした?」
背負われたままのフィリスを見て、ギールは一瞬だけ表情を強張らせる。
「疲れて、眠っているだけです」
マリナが少し困ったように、けれど安心した笑みを浮かべて答えた。
「まったく……人騒がせなヤツだ」
そう言いながらも、ギールの口元には安堵の笑みが浮かんでいる。
丈太郎は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「マリナさんから聞きました。捜索隊を出してくださったそうで……ありがとうございました」
「礼なら俺じゃなくて、フィリスに言ってやれ。あんな必死な顔で頼まれちゃ、断れるわけがない」
ギールはそう言って、丈太郎の背中で眠るフィリスを見上げ、ふっと笑った。
「とにかく、今日はもう帰って休め。詳しい報告は明日でいい」
「ありがとうございます」
丈太郎はそう答え、マリナとダリオに軽く頭を下げる。
「じゃあな。無理すんなよ」
「ゆっくり休んでね」
ダリオとマリナの言葉に頷き、丈太郎は宿のある方向へと歩き出した。
宿へ向かう夜道。
丈太郎の歩く一定のリズムが、背中のフィリスをゆっくりと現実へ引き戻す。
「……丈太郎くん……?」
小さく、眠たげな声。
「あ、起きましたか?」
「え……? あ……!ご、ごめん! 下ろして! もう歩けるから!」
状況を理解した途端、フィリスは慌てたように身じろぎする。
「宿まで、このまま行かせてください」
「で、でも……私、重いし……」
消え入りそうな声でそう言うフィリスに、丈太郎は首を横に振る。
「大丈夫です。能力のお陰で羽根みたいに軽いですから」
「……そ、そう」
(私の体重が軽いわけじゃないのね……)
少しだけ口を尖らせつつも、フィリスはそのまま歩みを止めない丈太郎の背に大人しく身を任せた。
しばらくの沈黙のあと、丈太郎がぽつりと言った。
「……フィリスさん。探しに来てくれて、ありがとうございました。すごく……嬉しかったです」
「当たり前でしょ。弟子なんだから」
少し照れたような、でも強がるような声。
「はい……」
「……また、勝手にいなくなったら……許さないんだから」
「はい……」
フィリスは、丈太郎の身体に回していた腕に、ぎゅっと力を込める。
丈太郎はその温もりを、背中いっぱいに感じていた。
夜の街を、二人は静かに歩いていく。
互いの体温を確かめ合うように。




