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第42章 転移者(後編)

一方その頃、フィリス達は――。


地上へ戻るため、ほとんど休むこともなく迷宮を駆け抜けていた。迷宮に潜ってからまだ一日も経っていない。本来なら往復に二日は必要な行程――にもかかわらずだ。


三人は無言で歩き続ける。

とくにフィリスは魔力がほぼ枯れているにも関わらず、足元がふらついても、止まろうとしなかった。ただひたすら、丈太郎の無事を祈って。


やがて地上へ出ると、そこは夜。

柔らかな灯火に照らされた街並みが広がっていたが、三人の胸にはその明かりは届かない。迷いもなく――冒険者ギルドへ向かう。


ギルドの扉を静かに押し開けるフィリス。

迷宮が立入禁止のため、普段の喧噪が嘘のように静まり返っている。受付嬢がひとり、書類を整理しながら暇そうにしていた。


フィリスはまっすぐ受付カウンターへ向かう。


「……ギールさんに取り次いで。お願い」


声は小さいが、背筋を凍らせる“迫力”があった。受付嬢はビクリと肩を震わせ、慌てて頭を下げる。


「マスターから伺っております。フィリスさん達が来られたら、すぐに通すようにと。四階のマスター室へどうぞ」


フィリス、マリナ、ダリオの三人は魔力式のエレベーターへ乗り込む。扉が閉じると、沈黙はさらに深く、重たく沈んだ。


「もう帰ったのか!? それにダリオ! 無事だったんだな……良かった」


ギールは驚きと安堵に声を上げた。


「……世話をかけたな。」


ダリオは深く頭を下げる。


だがギールはすぐに眉をひそめた。

助かったはずの三人の雰囲気が、あまりにも重すぎたからだ。そして――いつも快活なフィリスの瞳から光が完全に消えていた。


「……どうした? 何があった?」


フィリスは震える手を握りしめ、一歩前に出る。


「ギールさん……お願い……捜索隊を出して……!」


その声は、懇願というより“悲鳴”に近かった。


「ま、待て。どういうことだ?」


ギールが動揺するが、フィリスは言葉を失っている。


代わりにマリナが深い息を吸い、事の経緯を説明する。


「アークリッチだと!? そんな魔物が10階層に……?バカな、ありえん……。それで?倒したのか?」


ギールは信じられない表情で問い詰める。


「はい……丈太郎さんのおかげで、なんとか……。でも、その後、彼はどこかへ落とされたんです……」


マリナの声が震える。


「なんてことだ……」


ギールの顔が曇る。


「捜索隊の費用は私が全額持ちます!だから、お願いします……!」


フィリスは震える声で懇願する。


「俺たちもだ。一生かけてでも払う!丈太郎くんは命の恩人だ。頼む、ギールさん!」


ダリオの言葉にマリナも力強く頷く。


「丈太郎くんは、水も食料も持っていない……。早く見つけてあげないと……」


フィリスは今にも崩れそうな声で言った。


ギールは一度目を閉じ、すぐに秘書へ指示を飛ばす。


「至急、冒険者を集めろ。緊急クエストだ。報酬は弾む。出発は明朝、迷宮入口に集合。急げ!」


「はっ!」


秘書は駆け足で部屋を出ていった。


「ありがとうございます……」


フィリスは深々と頭を下げる。

ダリオとマリナも続いた。


「それから、捜索隊の費用だがギルドで持つ。アークリッチを倒したんだ。討伐報酬としては当然だ」


「……ありがとう…ございます…」


フィリスの声は、震えながらも確かにギールへと向けられていた。


──地上でフィリスたちが必死の丈太郎救出作戦を練っているとは露知らず――丈太郎は久しぶりの“日本のカレー”を満喫していた。


じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、豚肉。

シンプルで、どこにでもある家庭の具材。

ルーはバーモント中辛とジャワ中辛を半々――母がよくやっていた黄金比だ。薬味は福神漬けとらっきょう。紗菜は丈太郎の言葉をそのまま再現してくれた。皿から立ちのぼるスパイスの香り。懐かしくて、胸の奥がきゅっとなる。


「……美味しい」


ひと口食べた瞬間、思わず声がもれた。

涙が込み上げるくらい、懐かしい味だった。


「うん。絶妙な辛さだね。これはハマるよ」


仁が満足そうに頷く。


「ほんと!バーモントとジャワ混ぜただけなのにね。カレーって奥深いわ〜」


紗菜も嬉しそうに笑いながら、同じカレーを口に運ぶ。丈太郎も笑った。この味が好きだった父の姿がふっと浮かび、胸に温かいものが広がった。


脇目も振らず、丈太郎はひたすらにカレーをかき込んだ。 気付けば皿は空になり、紗菜がよそってくれた「おかわり」まで平らげていた。


そんな丈太郎の様子を、仁と紗菜は嬉しそうに見守っている。


「とても美味しかったです。ご馳走さまでした」


丈太郎は深く息を吐き、両手を合わせた。


「お粗末さま。もういいの?」


紗菜が微笑む。


「はい。大満足です」


「じゃあ、コーヒー飲む?」


「お願いします」


紗菜がキッチンで豆を挽き、湯を注ぐ。

部屋中にふわりと漂う香ばしい香り――丈太郎の胸がきゅっと熱くなる。


(この香り…母さんの好きだったコーヒーだ……)


丈太郎は静かにカップを受け取り、一口すする。久しく忘れていた“帰ってきたような感覚”が胸に広がる。


仁と紗菜が仲睦まじく並んでカレー皿を洗う姿を、丈太郎はぼんやりと眺めた。


(あったかいな……)


満腹と安堵がじわじわ身体を包み、丈太郎の瞼は自然と重くなっていくのだった――。


「……くん……丈太郎くん」


丈太郎はハッと目をさます。

いつの間にかソファーに横たわっていたらしい。柔らかいケットがかけられている。


「起こしてごめんよ。あまりにも気持ち良さそうに寝てたから……声をかけるのが忍びなくてね」


仁は申し訳なさそうに微笑む。


「こ、こちらこそ!寝てしまってすみません!」


思わず姿勢を正す丈太郎に、仁は優しく首を振る。


「いや、起こしたのは……これを見てほしくて」


仁が視線をテレビに向ける。

丈太郎もそちらを見る。

……映し出されていたのは、迷宮の内部だった。見慣れた灰色の石壁。そして――


「フィリスさん!!」


丈太郎は思わず声を張り上げた。

画面の中で、フィリスが必死に何かを探しながら走っている。その後ろにはダリオとマリナの姿も焦燥をにじませていた。


「やっぱりね」


仁は腕を組んで頷く。


「丈太郎くんを探しに来てる人がいるかと思って監視モニターを久しぶりに点けてみたら………丈太郎くんの話してたフィリスさんの特徴と一致してたから、もしやと思ってさ」


「め、迷宮の中が見れるんですか?」


「迷宮内なら“どこでも”。必要なときにね」


仁は少し得意げだが、丈太郎はそんな余裕はない。

フィリスが画面の中で叫んだ。


『――丈太郎くん!! 返事して!!』


胸が締めつけられた。


「行かないと……!」


丈太郎は勢いよく立ち上がる。

紗菜が寂しそうに笑った。


「……もう、お別れなのね。でも、きっとフィリスさん達、すごく心配してるわ。行ってあげて」


仁も頷いて立ち上がる。


「準備はもう出来てる。いつでも転送できるよ」


丈太郎は拳を握りしめ、深呼吸をひとつ。


「……はい。行きます。フィリスさん達のところへ」



「……あ、そうだ。丈太郎くんにいくつか渡しておくものがある」


仁はテーブルの引き出しから、一通の封書を取り出した。上質な紙に、流れるような文字で宛名が記されている。


「帝都の魔女宛てだ」


「……魔女、ですか…」


「そう。僕らを召喚した魔女。名前はセラフィーナ」


「え!」


丈太郎は驚きの表情を見せる。


「彼女はまだ生きてる。エルフなんだ。今は帝都の魔術師ギルドのマスターをしている」


(エルフ…長命だとフィリスから聞いた事があった)


仁は封書を丈太郎に差し出した。


「この手紙は、直接彼女に渡してほしい。

 中身は……まあ、丈太郎くんの事と僕らは元気にやってるってことかな。彼女なら必ず助けになってくれる」


丈太郎は、少しだけ緊張しながら手紙を受け取った。


「……ありがとうございます」


「こちらこそ、だよ」


そのやり取りを見ていた紗菜が、今度は小さな巾着袋を差し出してきた。


「丈太郎くん。これも、持っていって」


中を覗くと、淡く脈打つような光を放つ石が入っている。


触れただけで、空気が震えるのがわかるほどの密度だった。


「……これは…?」


「うん。私の魔力を、ぎゅっと圧縮してあるの」


紗菜はさらりと言った。


「帰還術には莫大な魔力が必要だから。術式を安定させる“核”になるはずよ」


丈太郎は思わず巾着を両手で包み込んだ。


「こんな大事なもの……」


「いいの」


紗菜は柔らかく微笑む。


「あなたが帰るために使うなら、これ以上意味のある使い道はないわ」


一拍置いて、仁が咳払いをする。


「……で、最後に、これ」


仁は腕を伸ばし、白い布に包まれたものを取り出した。布をほどくと、中から現れたのは二つの腕輪。

装飾は極めてシンプル。白金のリングに、それぞれ小さな石が一つだけ嵌め込まれている。

ひとつは赤。

もうひとつは青。


「《絆の石》」


仁がそう名付けを告げる。


「装備者が生命の危機に陥ったとき、石が“身代わり”になる。石は砕けるけどね」


丈太郎の喉が鳴る。


「……それだけじゃない」


紗菜が続けた。


「砕けた瞬間、もうひとつの腕輪を着けている人の近くへ、転送されるの」


「……つまり」


「命綱みたいなものだね」


仁は少し照れくさそうに頭を掻いた。


「紗菜にせがまれて作った。正直、二度と作りたくないレベルで面倒だったよ」


「もう」


紗菜は軽く肘で仁をつつく。


丈太郎は、二つの腕輪を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。


「……誰に持たせれば…」


「それは、丈太郎くんが決めること」


仁は穏やかに言う。


「君が“絶対に失いたくない”と思う相手とだ」


丈太郎の脳裏に、迷わず浮かんだ顔があった。

(……フィリスさん)


腕輪をそっと握りしめる。


「……大事に、使います」


「うん」


紗菜は安心したように頷いた。


「それじゃあ……」


仁が手を広げる。

空間が淡く歪み、転送の兆しが現れる。


「丈太郎くん」


紗菜が一歩近づく。


「あなたなら大丈夫。ちゃんと家に帰れるわ」


紗菜の表情は自信に満ちていた。


「……ありがとうございます」


最後に顔を上げ、二人を見る。


「また……会えますよね」


仁は、すこし考え、笑った。


「そう…だね。また会える」


仁が丈太郎の足元に手をかざす。


「えーと、フィリスさんたちはいま8階層か…なら、10階層のアークリッチがいた部屋でいいかな。そこなら行き違いもないだろう」


「ありがとうございます」


光が、丈太郎の足元から立ち上る。


「丈太郎くん、君は間違ってない。それに僕達はとても幸せだよ」


隣で紗菜が仁と手を繋ぎ頷く。


「さようなら丈太郎さん」


意味深な言葉に丈太郎は戸惑う。


「あの…それはどういう…」


いいかけた次の瞬間――

丈太郎の姿は、静かにその場から消えた。

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