第42章 転移者(中編)
丈太郎は口をパクパクさせるしかなかったが、仁はくすっと笑う。
「信じられないよね。でも事実さ。ちなみに……丈太郎くんがいた日本は西暦年?」
「え? えっと……2025年、です。7月。」
質問の意図がわからず、戸惑いながらも答える。
仁は小さく息を吐き、紗菜の手をそっと握った。
「……やっぱり」
丈太郎には、意味が全く分からなかった。
胸がざわざわする。何か変な空気だ。
「あ、いや、ごめん!」
仁が慌てて笑顔を作る。
「気にしないで。本当に“何でもない”んだ」
だが隠しきれない違和感。
そして――仁は真顔に戻る。
「僕たちがこの世界に来たのは、2026年。
……君が転移した一年後の世界からなんだ」
「は……?」
丈太郎の涙は完全に止まり、頭は真っ白になった。
「混乱するのも無理ないよね」
仁は苦笑した。
「実はね……一番混乱してるのは、僕らの方なんだよ。この五百年、転移者なんて一人も来なかった。なのに突然、君みたいな“無敵の新人”が現れたんだから」
「そう……なんですね」
丈太郎はようやく少し呼吸を整え始めた。
仁はゆっくりと続ける。
「うん。恐らく転移者っていうのはみんな、この世界に“異能”を持って現れる。君の絶対防御みたいにね。本当に強大な力だから、歴史に必ず痕跡が残るはずなんだ」
「でも……その痕跡が、五百年間ひとつもなかった……」
紗菜が静かに補足する。
丈太郎は眉を寄せた。なにか、とんでもない謎に触れてしまった気がした。
仁は続けた。
「だから――“君が突然ここに現れた理由”は、僕らにもわからない。でも、確かなのは……僕たちは同じ立場だってことだよ」
「仁さん達も……異能を?」
「うん。僕の力は――《万物創造》」
仁はあっさりと言った。
「……え?」
丈太郎は理解が追いつかず、思わず聞き返す。
「名前のまんまだよ。物を造る。建物を造る。土地すら造れる。この迷宮も……僕がこの世界に来て造ったものだ」
「め、迷宮を……造った……?」
丈太郎の声が震える。
隣の紗菜が優しく微笑む。
「仁は“何でも造れる”の。でも、規模が大きいほど魔力が必要になる。仁の魔力量では追いつかないから……」
「だから僕は、紗菜に手伝ってもらった。
彼女の力は――《無限魔力》だからね」
「無限……?」
丈太郎は言葉をなくした。
紗菜は軽く両手を広げて笑う。
「正確には、枯れない泉みたいに魔力が湧き続ける能力って感じかな?だから大規模創造は全部、私が後ろで支えてたの」
仁が肩をすくめる。
「彼女がいなきゃ、迷宮どころか家ひとつ造れなかったよ」
丈太郎は、口が自然とポカンと開いたままだった。
「……すごいとか……そんな言葉じゃ足りない……」
それが、精いっぱい絞り出した感想だった。
「あの…でも、五百年って……仁さんたち、どうやって生き延びたんですか?まさか……魂まで作れるとか……?」
丈太郎の問いに、仁は困ったように笑みを浮かべる。
「いやいや、魂は無理なんだよ。そこだけは“神の領域”らしくてね。僕が作れるのは……せいぜい“殻”だけ。身体そのものは作れるけど、魂だけは絶対に作れない」
「じゃあ……仁さんたちは……」
仁は少し目を伏せ、続けた。
「僕達はね……もう死んでるんだ。こっちの世界に来てしばらくして、ある事故でね。紗菜は――そして僕も、命を落とした」
紗菜がそっと仁の手に触れる。二人の間に、静かな時間が流れる。
仁は苦笑しながら、しかし淡々と続けた。
「今の僕達は……まあ“幽霊”って言った方が近いかな。紗菜の無限魔力と、僕の創造能力で“器となる身体”を作って、そこに僕ら自身が宿ってる。そうすることでようやく、こうして姿を保っていられるんだ」
「な、なんてことだ……」
丈太郎は言葉を失う。
自分と同じ“日本人”でありながら、あまりにもかけ離れた五百年の重みと真実に、膝が震えそうになる。
紗菜は優しい笑みで丈太郎を見た。
「怖がらなくていいよ。姿はこんなだけど……私たちはただの“先輩転移者”ってだけだから」
仁も照れくさそうに肩をすくめる。
「そうそう。ただの“亡霊の夫婦”だよ。安心してくれ」
丈太郎は――ますます混乱した。
仁が静かに息を吸い、丈太郎に向き合う。
「僕達はね……500年前、とある《魔女》に“召喚”されたんだ」
「召喚術……」
丈太郎の胸が痛むように高鳴る。
「そう。東京の神社で結婚式の打ち合わせをして、二人で帰っている時だったの」
紗菜は少し寂しそうに微笑む。
「交通事故に巻き込まれて……気づいたら、この世界の祭壇の上にいたのよ」
「召喚した魔女はね、本当に“好奇心”だけで儀式をやっていたの」
仁が苦笑いする。
「成功するなんて思ってなかったらしい。だから“返す方法”まで考えてなかった」
「それでも彼女は責任を感じて、私達を保護してくれたの」
紗菜の目がやさしく細められる。
「異能の力があると知ってからは……徹底して隠すように言われたわ。危険だからって」
仁が続ける。
「数ヶ月後、ついに“元の世界に戻す方法”を見つけたんだ。召喚の術式の一部を書き換えて、逆転させる方法……。成功するかはわからなかった。でも……帰りたかった。家族にも。友達にも。未来にも」
丈太郎の喉が鳴る。
「でも……僕達は帰れなかったんだ」
仁の言葉は淡々としているのに、その奥に長い絶望が滲んでいた。
「術式の負荷に耐えられず、肉体は……消えた」
静かに紗菜が告げる。
「魂だけが残ったの」
丈太郎の顔は絶望で固まる。
「……そんな……」
仁は微笑む。なぜか、優しく肩を撫でるような声。
「魂だけになっても、能力は消えなかった。だから僕達は決めたんだ。せめて、この世界に……“何か意味のあるもの”を残そうって」
「この迷宮は……その時に二人で作ったの」
紗菜が言う。
「異世界で死んだ、日本人の……最後の仕事」
仁は丈太郎の絶望した顔を真正面から見据え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「丈太郎くん、君の絶対防御は――“理を拒む”力だ。召喚術式の負荷は、普通なら肉体が耐えられずに壊れる。でも、君なら違う。術式そのものが与えるダメージすら、君の身体は無効化するかもしれない」
丈太郎は涙の跡が残る頬をあげる。
「……俺、帰れる……んですか?」
仁は力強く頷いた。
「“可能性は高い”。少なくとも、僕と紗菜よりは圧倒的に。むしろ……この世界の誰よりも、君が一番、元の世界に戻れる資格がある」
紗菜も柔らかい笑みを向ける。
「だからね、丈太郎くん。絶望しないで。
ここに来られたこと自体が……あなたの可能性の証拠なんだから」
丈太郎の胸に、かすかな光が戻っていく。
少しだけ表情が明るくなる丈太郎。
そして――どうしても気になっていた疑問を口にした。
「……あの、でも……どうして“迷宮”なんですか?」
仁は「うん、それね」と頷く。
「理由は二つある。ひとつは、僕たちの異能を隠すため。魔女は、僕たちを帝都で匿ってくれると言ってくれたけど……」
紗菜が言葉を継いだ。
「でも、私たちは……二人で静かに生きていきたかったの。誰の目にも触れない場所でね」
仁が頷き、そこで――少し照れ臭そうに笑った。
「で、もうひとつの理由なんだけど……」
丈太郎は息を呑む。
「理由は……?」
仁は胸を張って言い放った。
「――僕が迷宮を造りたかったから!!」
「…………え?」
丈太郎は素で固まった。
紗菜が苦笑しながら説明する。
「仁はね……昔から異世界物とか冒険物とか、ゲームがすごく好きだったの。だから、自分の能力が“万物創造”だって分かった瞬間……」
「迷宮が造れる!!って思ったんだよ!!」
仁は目をキラキラさせ始め、完全にスイッチが入った。
「最初はランダム生成にするか悩んだんだけど、歩幅マッピング形式の方が管理しやすいし、宝箱も時間経過でリスポーンする方式にして……でね!階層構造をどうするかで――」
「す、すみません、仁さん……詳しすぎて……」
丈太郎はついていけず苦笑する。
紗菜が申し訳なさそうに言う。
「ごめんね。仁は、迷宮の話になると止まらないの」
(父さんと同じタイプだ……)
丈太郎は心の中でそっと頷いた。
仁が夢中で語り続ける。ダンジョン構造や罠、魔物の配置――もはや専門家の集中講義だった。
丈太郎は相槌を打つしかない。
(半分も理解できない……いや、四分の一も怪しい……)
紗菜は静かにお茶を注ぎ足してくれる。
気づけばカップは何杯目かわからない。
(……わかったことがひとつだけある)
(500年間、人類が解けなかった“迷宮の謎”の原因……全部この人だ)
そして、ついに仁の長いプレゼンが終わる。
「――というわけで!どう?僕の迷宮!!」
興奮した目で、仁がテーブルを身を乗り出してくる。
丈太郎は冷や汗をかきながら言った。
「え、ええ……まあ……すごいですね……
すごすぎて……あの……何も言えないです……」
胃の中にはお茶がチャプチャプに溜まっていた。
「いやーわかってくれて嬉しいなー!紗菜はあまりこういうのは詳しくなくてね!同志がいてくれて嬉しいよ!」
「い、いえ、それほどでも…」
(いつの間にか同志にされてる……。でも、父さんなら本当に嬉しそうに語り合ったんだろうな……)
少し、胸がキュッとした。
「まあ、初めは趣味で始めた迷宮作りだったんだけどね。そのうち人が集まりはじめて、探検する人が出てきてさ……迷宮作りもどんどん楽しくなって……街まで出来てしまった。その街が発展していくのを見るのも、これまた楽しくてね。もう、迷宮作りはやめられないよね!」
仁は心から楽しそうに語った。
丈太郎は、話を聞けば聞くほど、なんとも言えない思いに胸を押される。
「……その……仁さんの気持ちは、わかるんですけど……あの……言いにくいんですが……」
言葉が喉につかえる。
「迷宮に潜って……命を落とす人だって……いるわけで……」
仁はピタリと笑顔を止め、真剣な目を丈太郎に向けた。
「だからね、それも踏まえて僕は一生懸命に迷宮を作るんだ。屁理屈かもしれないけど…登山と同じだと、僕は思う。冬山に命をかけて登って、毎年遭難者が出る…それと同じだと」
丈太郎はその言葉を噛みしめながら、小さく頷いた。
紗菜が、そっと仁の言葉に続ける。
「もちろん……最初は何度も喧嘩したよ。
“私達が作るもののせいで、人が死んでしまったらどうするの?”って。仁も悩んでた。すごくね」
静かに、しかしはっきりと丈太郎を見る。
「でも、気づいたの。迷宮に挑む人たちはね、無理に連れてこられたわけじゃない。
自分の力を試したい、仲間のため、家族のため、名誉のため……理由は色々だけど、みんな“自分の意志で”踏み込んでる」
「紗菜……」
仁が小さく息をつく。
紗菜は優しく微笑む。
「だからこそ、仁は全力で“挑むに値する場所”を作らなきゃいけない。中途半端に危険で、中途半端に雑じゃ、誰も幸せにならない。挑む人の覚悟を、ちゃんと受け止める場所にしないといけない……私はそう思ってる」
丈太郎は静かに耳を傾ける。
紗菜の声は優しいが、芯が通っていた。
「それにね……迷宮があったおかげで救われた人もいるのよ。冒険者が集まって、商人が来て、街ができて……今じゃ、たくさんの人の生活の基盤になってる」
仁は軽く肩をすくめて言う。
「まあ、僕は趣味全開で始めただけなんだけどね。でも今は……責任も、誇りもあるんだ」
長野の山で毎年のように起きる遭難事故を思い出す。そのたびに父がよく言っていた。
『何を好き好んで、危ない山に登るんだか……』
冒険者も同じなのだと思った。
“迷宮があるから潜る”。
そこに命をかける者の気持ちは、全く理解できないわけではない。
丈太郎は深く息をつく。
「……なんか、少しだけわかる気がします」
丈太郎がそう呟くと、紗菜はほっとしたように笑った。
「仁さんは生物は造れないのに、魔物は造れるんですね」
丈太郎の問いに、仁が苦笑する。
「ああ、生き物の“魂”は造れない。でも、魔素や瘴気を根源とする“魔力生命体”なら造れる。あれは魂じゃなくて、自然現象に近いからね」
そこへ紗菜がそっと補足を入れる。
「本当はね、仁は魔物なんて造りたくなかったの。でも、迷宮に生態系がないと、ただの空洞になってしまうでしょ?だから、必要最低限の魔物だけを造ったの。あくまで“挑戦の舞台装置”として」
「なるほど……」
丈太郎が納得したようにうなずく。
ふと思い出したように訊ねた。
「じゃあ……何百年か前に迷宮から魔物が溢れたっていう事件は……?」
仁は一瞬だけ目をそらす。
「……あれは、本当に申し訳なかったと思ってる。ちょっと、造りすぎてしまってね。制御魔法が追いつかなくて……」
紗菜は胸の前で手を組み、小さく頭を下げた。
「幸い、弱い魔物ばかりだったから……死者が出なかったのが救いだったわ。でも、あれ以来、私たちは魔物の生成を最小限にしているの」
「そ、そうだったんですね……」
丈太郎は驚きつつも、二人の真摯な表情に少し心を落ち着かせた。
続けて尋ねる。
「なら、あのアークリッチも仁さんが……?」
「いや、あれは僕らが造ったものじゃない」
仁は顔を曇らせた。
「昔ね、一人の魔術師の老人が迷宮に興味を持って訪れたんだ。研究熱心でね、何年も迷宮に潜り続けて……そして迷宮の10階層で命を落とした」
紗菜が静かに付け加える。
「その人は、死してなお強い魔力を保持していたから……エルダーリッチになってしまったの」
丈太郎の背筋にひやりとしたものが走る。
「そんな危険な魔物が10階層にいたら、迷宮のバランスが崩れるからね。私たちで隠し部屋を造って封印したの」
仁は悔しそうに続ける。
「でも……あいつ、進化していたんだ。“アーク”リッチにまで」
「アークリッチは俺を奈落に落とすと言ってました。ここは……迷宮の中なんですか?」
仁はうなずく。
「迷宮の“中”ではあるけど……普通の階層とは隔絶された空間だよ。いわば、僕らの“避難所”のようなもの。アークリッチはここに気づいていたんだろうね。だから傀儡を集めて、いつかここへ乗り込むつもりだったんだと思う」
紗菜がほっとしたように微笑む。
「だとしたら……丈太郎くんに助けられたわ。本当にありがとう」
丈太郎は照れくさそうに頭を掻いた。
「いえ、そんな危険な魔物だったなんて……倒せて良かったです。ところで、この迷宮って……何階まであるんですか?」
丈太郎の素朴な疑問に、仁は少し照れくさそうに鼻を掻いた。
「今は三十一階層まで。でもね、実は――決めてないんだ」
「え?決めてないんですか?」
「うん。僕の中では“終わり”は作らないって決めてる。人類がこの迷宮に挑んで、成長して、また潜って……その限り、僕も階層を造り続けるつもりだよ。どこまでも」
仁はにっと笑う。
それは迷宮の主というより――自分の創った“遊び場”を本気で愛している者の表情だった。
「な、なるほど……」
丈太郎は苦笑しながらも、その“底なしの創造意欲”に軽く背筋を寒くした。
「それで…俺はここから地上に戻れるんでしょうか?」
丈太郎は不安を隠せない声で尋ねた。
「うん。安心していいよ。迷宮内の空間なら、僕がどこにでも転送できるから」
仁はにこりと笑う。
「よ、良かった……フィリスさん達、絶対に心配してると思うので……早めに戻らないと……」
丈太郎が胸をなで下ろした、そのとき。
ぐぅぅ~……
お腹が盛大に鳴った。
「ぷっ……!」
紗菜が吹き出しそうになりながらも、嬉しそうに言う。
「じゃ、決まりね!行く前にごはん食べていきなさい!」
「え、でもそんな……」
「遠慮しないの。久しぶりの“日本の味”食べたいでしょ?」
紗菜が優しく笑う。
丈太郎は観念したように、でもどこか嬉しそうに頭を下げた。
「……お言葉に甘えさせていただきます」
「はい、リクエストは?」
「その……カレーライス……が食べたいです」
「わかるー!こっちの世界ってカレー無いもんね!」
紗菜はぱっと華やぐ笑顔で立ち上がる。
「任せて。すぐ作るから!仁、あなたも手伝って!」
「おう!」
丈太郎は二人の後ろ姿を見ながら、胸の奥にじんわりと温かさが広がった。
(家みたいだ……フィリスさん達に早く会いたいけど……少しだけ、ここにいたいな)




