第42章 転移者(前編)
「……うそ。丈太郎くん?……どこ?」
フィリスのかすれた声が広間に沈む。
返事を返す者はいない。
フィリスの肩がガタガタと震え始める。
「な、なにがあった!?丈太郎くんはどこに行った!?」
ダリオの声には焦りと怒りが混ざっていた。
「わからない……アークリッチの声が聞こえて……丈太郎さんの方を見たら……もう、いなかった……」
マリナは顔面蒼白で震えている。
ダリオはさっきまで丈太郎が立っていた場所を必死に探るが痕跡ひとつ残っていない。
「フィリス!何があった!?丈太郎くんはどこだ!」
苛立ちを隠せない声でダリオが問う。
フィリスの目は焦点が合っていない。
「あの声がして……丈太郎くんが……突然、私を突き飛ばして……丈太郎くんの足元に……穴が……できて……堕ちて……消えて……」
歯がカチカチと鳴り、呼吸も浅く速い。
今にも壊れそうな声音だった。
「うそ……そんなはずない……丈太郎くん! 返事して!!」
「フィリス! 落ち着け!」
「いや!!いやだ!!そんなの……いや!!丈太郎くん……どこ……!!」
フィリスは半狂乱になり、泣き叫んだ。
ダリオが後ろから抱きしめるように抑えつけ、必死に宥める。
マリナはその場に凍りついたように立ち尽くす。こんなフィリスを見るのは初めてだった。
フィリスの叫びは――
広間の虚ろな静寂の中に、ただ吸い込まれていく。
やがて、彼らの視線は一点に集まる。
広間の片隅。
そこにぽつんと置かれていたもの。
――丈太郎が背負っていたリュック。
誰も手を伸ばせず、ただその存在だけが、丈太郎が確かにここにいたことを示していた。
「……助けにいかなきゃ……探さなきゃ……」
フィリスはダリオの腕を振り払うと、足元をふらつかせながら広間の出口へと歩き出した。
「おい、馬鹿!そんな状態で行けるわけないだろ!魔力だって空っぽだ、立ってるのがやっとじゃねぇか!」
ダリオが腕を掴もうとするが、フィリスはその声も無視して前へ進む。
その前に――
マリナが音もなく立ちはだかった。
パチィンッ!!!
乾いた音が広間に響く。
マリナが、全力でフィリスの頬を打ったのだ。
「しっかりしなさい!!フィリス!!」
「……マリナ……?」
ビンタの衝撃に、フィリスは我に返ったように目を見開く。
マリナの頬には涙が伝っていた。
「そんな状態で探しに行ってどうするの!?あなたがここで死んだら……丈太郎さんがどれだけ悲しむか、わかってるの!?」
フィリスの瞳が揺れる。
「私達も探すわ。命をかけてでも。……でも、今じゃない。今のあなたは戦えない。」
マリナは震える手でフィリスの肩を掴んだ。
「丈太郎さんは“魔力反応ゼロ”なのよね。
だったら、探知魔法じゃ絶対に見つけられない。なら――人海戦術しかないの。ギルドに戻って、正式に捜索隊を出してもらうしかないのよ!」
フィリスは唇を噛み、拳を握りしめた。
「……でも……私……」
「ひとりで背負わないで。丈太郎さんは、あなたをひとりにしないために、あの場所から守ったのよ」
フィリスは顔を伏せ……震える声でつぶやいた。
「……わかった……」
ポタリ、と涙が落ちた。
ダリオは深く息を吐くと、二人に寄り添うように肩を貸す。
「なら、行くぞ。ギルドへ。必ず見つけ出す」
こうして三人は――
丈太郎が消えた迷宮を後にし、ギルドへ引き返していくのだった。
ーーーー
気がつくと——
丈太郎は、見覚えのある広間の中央に立っていた。
「……ここは……?」
確かに同じ広間に見える。
しかし、瘴気も闇もまったく感じない。
空気は澄んでいる。天井に天窓が幾つもあり、光さえ差し込んでいる。
「さっきの……あの場所じゃない……?」
辺りを見渡すが、フィリスもマリナもダリオもいない。あるのは、ぽつんと一つの扉だけ。
(……確か、足元に闇が……吸い込まれて……)
丈太郎は胸を押さえる。
あの恐怖を思い出すと、背筋がぞくりと震えた。
「……生きてる……のか、俺……?」
だが、恐怖もすぐに引いていく。
代わりに、いつもの冷静さが戻ってきた。
「奈落……とか言ってたよな。ってことは、ここ……地獄? いや、こんな明るい地獄あるか?」
考えてもわからない。
丈太郎はぽりぽりと頭を掻きながら呟く。
「フィリスさんたちがいないってことは……無事だってことだよな。うん……それならまあ、良し」
丈太郎は自分に頷く。
「とりあえず、行くしかないか」
丈太郎はひとり、扉へと歩き出す——。
扉の前に立つ丈太郎。
「この扉……どこかで……」
記憶の底から、ふっと浮かび上がった。
日本にいた頃、自分の家の玄関とよく似ている。
呼び鈴はない。
丈太郎はドアノブにそっと手をかけた。
ガチャリ。
鍵はかかっていなかった。
ゆっくり開く。
そして丈太郎は、目を見開く。
そこに広がっていたのは——
“どこにでもある日本の玄関”。
靴が二足、丁寧に揃えて置かれている。
男性物と……女性物。
「……え? ここ……どこだ? 誰の家……?」
心臓が早鐘を打つ。
真っ白な壁、靴箱、マット……
すべてが“日常”すぎて、逆に怖い。
廊下がまっすぐ伸びており、左右がいくつかの扉。正面にも一つの扉——間取りも、よく知っている。
丈太郎は喉を鳴らす。
「……あの……すいませーん!誰かいますかー!」
シーン。
返事はない。
(どうしよう……勝手に入るのって……不法侵入じゃ……でも、他に行く場所もないし……)
悩んだ末、丈太郎はゆっくりとブーツを脱ぎ、そろえて置いた。なんだか懐かしい感覚が胸に刺さる。
「……おじゃましまーす」
小さく頭を下げ、廊下を進む。
正面の扉の前に立つ。
(たぶん……リビング……だよな……)
そっと、扉に手をかけ——開いた。
中は——
丈太郎が想像していた通りの、いや、
あまりに“普通すぎる”リビングだった。
テレビ。
ソファ。
ローテーブル。
その奥に見える、白いキッチン。
どれもこれも、日本のどこにでもある光景。
窓の外には庭が広がり、
その上には青空と日差しまである。
「……ここ、どこだ?迷宮じゃ……ないよな?」
頭が混乱していく。
その時だった。
ガチャン!
甲高い破裂音。
丈太郎の心臓が跳ねあがる。
反射的に振り返ると——
そこには見知らぬ女性が立ちつくしていた。
二十代ほどの黒髪の女性。日本人に見える。怯えきった表情。足元には割れたティーカップ。
「だ、だれ……?」
震える声。
すぐに、奥の部屋から男が飛び出してくる。
「どうした!?」
こちらも二十代くらいの日本人風の男性。
女性を庇いながら、丈太郎を見て目を見開く。
「えっ……!?人……?誰だお前!」
完全に警戒している。
女性は男の腕にしがみつき、震えている。
(……そりゃそうだよ!見知らぬ人が、家に突然立ってたらさぁ!!)
丈太郎は慌てて深々と頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!!本当にすみません!! 勝手に入ってしまって……!決して怪しい者じゃありません!」
ペコペコと謝り続けながら、
(いや……怪しいよ……めっちゃ怪しいよ……)
と自分にツッコむ丈太郎。
必死に頭を下げ続ける丈太郎に——
「……ぷっ……!本当にこの子、大丈夫そうね」
女性が思わず吹き出した。
「ああ。どう見ても敵意なさそうだ」
男性も安堵の笑みを浮かべる。
それでも丈太郎はペコペコし続けていた。
「もういいよ、もういい。わかったから」
男性が手をひらひらさせる。
「それより、まずは質問に答えてくれる?
君は……誰だ?」
丈太郎はすっと顔を上げ、背筋を伸ばす。
「は、はい!山之内丈太郎と申します!
17歳です!……長野県出身です!」
「ぷはっ! なにそれ!自己紹介!?」
女性は堪えきれず笑った。
「山之内……丈太郎……」
男性は目を細めてつぶやく。
「ってことは……やっぱり日本人か」
丈太郎の顔をじっと見つめる。
つられて女性も顔を覗き込み——突然、はっと目を見開いた。
「えっ、この子って……!」
「……ああ。間違いない」
男性も頷く。
なぜか、懐かしさを帯びたような目で丈太郎を見る二人。
丈太郎は思わずたじろいだ。
「あ、あの…お会いしたことありましたっけ?」
「いや、ごめん。こっちの話」
男性は笑って首を振った。
「僕は鈴木 仁、24歳」
「私は唐沢 紗菜。同じく24歳よ。えーと、私は神奈川県出身、仁は東京都出身です!」
紗菜は可笑しそうに言った。
「やっぱり日本人……!」
丈太郎はこみ上げる嬉しさに頬が緩んだ。
仁はにこりと微笑む。
「じゃあ、腰を落ち着けて。ゆっくり話を聞かせてもらえる?」
「はい!」
丈太郎はテーブルへ案内され、椅子に座る。
その時。
「丈太郎くん、何か飲む?」
紗菜が優しく声をかけた。
「いえ、おかまいなく……」
と言いかけた瞬間、喉がカラカラなことに気づく。
「……あの、もしよければ、冷たいものが……」
「了解〜」
紗菜は冷蔵庫を開け、ペットボトルを二本取り出す。
——コーラとウーロン茶。
丈太郎の手は迷わずコーラへ伸びた。
「……こ、これは……コーラ……!」
キャップをひねる感覚。
プシュッという音。
それは確かに、“日本の生活の音”だった。
丈太郎は一気に飲み干した。
「ぷはぁぁぁ!!……最高……」
仁と紗菜は微笑みながら、まるで帰省した子供を見るような目で丈太郎を見守るのだった。
丈太郎が落ち着きを取り戻したタイミングで、仁はお茶の入った湯飲みを手にしながら穏やかに口を開いた。
「さて……丈太郎くん。まずは——どうやってここに来たのか、聞かせてくれる?」
丈太郎はうなずき、アーク・リッチとの戦い、突然現れた闇の穴、そして気づいたらこの家の前に立っていたこと——順に説明した。
仁は一度も口を挟まず、真剣そのものの表情で聞いていた。
「……なるほどね。あのアーク・リッチの仕業だったか」
仁はため息をつき、頭をかいた。
「危ないから封印しておいたんだけどなぁ。内側から封印を書き換えて、中に入れるようにしたわけか。アイツなら……確かに、それくらいはやれる」
「えっ!?仁さん、アークリッチを知ってるんですか?それに……迷宮のことにも詳しすぎません?」
丈太郎は椅子ごと後ずさる勢いで身を乗り出した。
仁は軽く肩をすくめ——
「それについては後でゆっくり説明するよ」
横で紗菜も穏やかに頷いた。
「まずはね、丈太郎くん。君自身のことを教えて。どんな旅をしてきたのか——全部」
丈太郎は、ふいに胸の奥が熱くなるのを感じた。
フィリスのこと。
能力のこと。
冒険のこと。
自分がどれだけ必死で生きてきたか。
——ようやく、誰かに話せる気がした。
丈太郎は、これまでの道のりを全て語った。
日本で過ごした日々。
事故の瞬間。
気がつけば異世界の森で目を覚まし、絶対防御という能力を身に付けていたこと。
フィリスに拾われて、旅を共にしたこと。
帝都で召喚術を調べるつもりだったこと。
そして——フィリスの友を救うため、迷宮へ潜ったこと。
言葉を選びながら、丁寧に、丁寧に紡いだ。
仁も紗菜も、一度も口を挟まず、真剣に、まっすぐに、丈太郎の話に耳を傾けていた。
話し終えると、仁が穏やかに言う。
「……ありがとう。よくここまで頑張ったね。17歳の子が背負うには、あまりに重いよ」
その一言に、丈太郎は唇を噛む。
「いえ……フィリスさんがいましたし……
他にも優しい人がたくさんいて……
なんとか、やれてきただけで……」
言っているうちに、胸の奥で抑えていたなにかがぷつりと切れた。
「……でも……」
喉が震える。
「日本に……帰りたくて……家族に……会いたくて……でも、どうしたらいいかわからなくて……怖くて……」
ポタリ、と涙がこぼれ落ちた。
丈太郎は慌てて袖で拭おうとして、
その手を紗菜がそっと包んだ。
「泣いていいんだよ、丈太郎くん」
紗菜は席を立ち、自分の息子をあやすかのように丈太郎の背中を静かにさすってくれる。
その優しさに触れた瞬間——
これまで張り詰めていた心が、一気に緩んだ。
丈太郎は、声を殺して泣いた。
仁は黙って見守りながら、どこか懐かしむような瞳で丈太郎を見つめていた。
紗菜がそっと丈太郎にハンカチを差し出す。柔らかい布で涙を拭うと、胸の奥のざわつきもようやく落ち着いていった。
「……じゃあ、次は僕たちの番だね」
仁がゆっくりと息を吸い、丈太郎の方を見る。
「察しているとは思うけど……僕たちも、君と同じ“転移者”だよ」
「……はい。なんとなく、そんな気はしてました」
丈太郎はハンカチを握りしめながら答える。
だが、仁の次の言葉が、脳天を打ち抜いた。
「でもね。僕たちがこの世界にやって来たのは……ちょうど500年前なんだ」
「……っ!?」
丈太郎は椅子から落ちそうになる。
紗菜は静かに頷き、どこか諦めの混じる笑みを浮かべた。




