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第39章 迷宮(後編)

準備を終えた二人は、メイキュリアの中心へと歩き出した。

街の中心部に近づくにつれ、何かを囲むように築かれた巨大な壁が見えてくる。

その前には重厚な門があり、両脇には槍を構えた兵士が立っていた。


門前の広場の片隅――石造りのベンチに、白いローブ姿の女性が腰かけていた。

マリナだ。彼女は丈太郎たちに気づくと、穏やかな笑顔を浮かべて手を振り、こちらに歩み寄ってくる。


手には銀の錫杖。整えられたセミロングの銀髪が、夕陽を受けてきらりと光る。


「ごめん、マリナ。待った?」


「ううん。私も今来たところ」


マリナはフィリスをじっと見つめ、口元を緩めた。


「へぇ……それが噂の“神炎のフィリス”の装備なのね。いいじゃない。似合ってるわよ」


「まあねー、あの頃の装備なんてお粗末なものだったから」


フィリスは照れくさそうに笑う。


(フィリスさんの駆け出し時代……見てみたかったな)


丈太郎はそんなことを思いながら、二人を見守っていた。


「あなたも、すっかり“祝聖のマリナ”らしいじゃない!」


「“らしい”じゃなくて、“そのもの”よ!」


二人は顔を見合わせ、くすりと笑い合った。


マリナはふと丈太郎の方へ向き直る。


「改めまして、治癒士のマリナです。――先ほどは、呪いを解いてくれてありがとう。不滅のジョーさん」


「そ、その呼び方はやめてください! 丈太郎でお願いします!」


「ふふ、わかったわ。――丈太郎さんね」


マリナは楽しそうに微笑んだ。


「少し元気になったみたいで良かった」


フィリスが安心したように言う。


マリナはしっかりとした声で答えた。


「ダリオは無事だもの。泣いてる理由なんてないわ」


その瞳は強く、まっすぐだった。


「そうね……じゃあ、行きましょうか」


「ええ」


「はい!」


フィリスは門兵に冒険者証を見せ、重々しい門をくぐる。

丈太郎とマリナもその背中を追った。


門をくぐると、そこは石畳の広場だった。

中央には、地下へと続く巨大な階段が――まるで獲物を待つ口のように――静かに開いている。


三人は階段の前に立ち、しばし無言でその暗闇を見つめた。

やがてフィリスが口を開く。


「フォーメーションは――先頭が丈太郎くん、次に私、最後がマリナね。マリナは探知魔法で索敵と罠の場所の確認、それと道順の指示をお願い」


「了解。でも……フィリス、今回はシーフがいないけど、罠はどうするの?場所は分かっても、解除まではできないわよ?」


「その点は大丈夫。丈太郎くんがいるから」


「え?丈太郎さんって……シーフなの?」


「いえ、シーフじゃないですけど――任せてください」


丈太郎は静かに頷いた。


マリナは少しだけ眉をひそめる。


「……そう、ならお願いするわね」


その声には、ほんのわずかな不安と、それ以上の信頼が混ざっていた。


「じゃあ、行ってみようか、丈太郎くん」


「わかりました」


丈太郎は深呼吸をひとつしてから、ゆっくりと階段を下り始めた。


――地下一階。


空気がひんやりと肌を撫でる。

だが思ったよりも明るい。

長方形の石ブロックを積み上げたような構造で、壁には魔光のランタンが等間隔に並んでいる。

幅も高さもおよそ三メートルほど――正方形の回廊が、まっすぐ奥へと続いていた。


「思っていたより明るいんですね」


丈太郎は周囲を見回しながら言う。


「冒険者ギルドが中心になって“踏破済み”の階層には、こうして明かりを取り付けていくのよ」


フィリスが軽く振り返りながら説明する。


「なるほど」


「だから二十九階層までは、照明魔法も松明も必要ないのよ」


マリナが補足する。


丈太郎はうなずき、再び前方に目を向けた。


「ここからは、しばらくまっすぐ進んで」


マリナが静かに指示を出す。


丈太郎は短く返事をし、慎重に足を進めた。


――靴音が、静かな回廊にコツコツと響く。


「……凄く静かですね。ほかの冒険者はいないんですか?」


丈太郎は、足音が響く回廊の中でぽつりと呟いた。


「今は、ダリオの件で迷宮内の立ち入りを一時的に禁止にしたって、さっきギールさんが言ってたわ」


マリナが前を向いたまま答える。


「普段はね、いろんな冒険者で賑わってるのよ。掛け声や金属の音がそこら中で響いてて――うるさいくらいにね」


フィリスが懐かしそうに笑う。


「へぇ……そうなんですね」


丈太郎は頷き、再び静寂に包まれた回廊を見渡した。


――今はただ、自分たちの足音だけが響いていた。


その静寂を破ったのは、マリナの低い声だった。


「……反応あり。二十メートル先、正面に微弱な魔力反応――魔物ね」


身構える丈太郎を見て、フィリスが穏やかに声をかける。


「大丈夫よ、丈太郎くん。ここの魔物は視覚より魔力の気配に敏感だから。私たちの魔力量にビビって、近寄ってこないわ」


「でも油断はできないわ。あの扉からは、凄まじい濃度の瘴気が溢れ出たの。想定外の強敵が出るかもしれない」


マリナの声はわずかに強張っていた。


「だってさ、丈太郎くん」


「はい」


少し進むと、回廊の先に動く影が見えた。

体長一メートルほどの、角の生えたウサギのような魔物が四匹。


「……一角バニーね」


フィリスが小声で囁く。


一角バニーたちはこちらに気づくと、脱兎のごとく――闇の奥へと逃げ去っていった。


「この辺りは心配ないようね」


フィリスがマリナに振り向いて言った。


「そうね……ずっとこんな感じならいいんだけど」


マリナはわずかに不安そうな表情を浮かべる。


マリナの心配をよそに、三人の歩みは順調だった。

そしてやがて――五階層に到達する。


迷宮に入ってから、すでに五時間が経過していた。

“迷宮”という名の通り、回廊はいたるところで枝分かれし、どの道も同じような光景が続く。

方向感覚に自信のある丈太郎でさえ、マップがなければ確実に迷っていた。


一階層あたり一時間。

最短で進んでもこの時間――丈太郎は、その広大さに思わず息をのんだ。

フィリスは、回廊の壁に並ぶ扉のひとつの前で立ち止まった。


「……少し休憩しましょ」


その言葉に、丈太郎とマリナは頷く。

フィリスが扉を押し開けると、八畳ほどの正方形の小部屋が現れた。

壁には魔光のランタンが一つ灯り、やわらかな光が空間を包んでいる。


三人は部屋の中央あたりに腰を下ろした。

マリナがリュックから魔法瓶を取り出し、木のカップにお茶を注ぐ。


湯気が立ちのぼり、ほのかに香るハーブの匂いが疲れを和らげる。


丈太郎は一口飲んで、思わず小さく息を漏らした。


「……温かい」


その一言に、マリナが穏やかに微笑む。

冷えた空気の中、わずかな温もりが心まで染み渡っていくようだった。


「本当はゆっくり休みたいところだけど……ダリオが心配だし、少し休んだら行きましょう。二人とも大丈夫?」


フィリスが問いかける。


「はい。俺は大丈夫です」


丈太郎は力強く頷いた。


「私も大丈夫。本当に……ありがとう、二人とも」


マリナは申し訳なさそうに微笑む。


「でも、まさかマリナがまだダリオと一緒だったとはねー」


フィリスが軽く言うと、マリナは少し目を伏せた。


「……フィリス、私……ダリオと婚約してるの」


「え?」


フィリスの表情が固まる。


「迷宮に潜ったのもね……これから先、物入りだからって、ダリオが言い出して……」


マリナはうつむいたまま、声を震わせた。


部屋の中を静寂が包む。

丈太郎は何も言えず、ただマリナの手に視線を落とした。

その指には、淡い光を放つ銀の指輪がはめられていた。


「……そう、だったのね」


フィリスは小さく呟き、視線を落とす。

その声には、驚きと、そして複雑な想いが滲んでいた。


マリナはかすかに笑みを浮かべる。


「ダリオは……いつも無茶をする人だった。でも、放っておけなくて……」


「……わかるわ」


フィリスは目を閉じ、そっとマリナの肩に手を置いた。


「だからこそ、絶対に助けましょう。今度はマリナが、彼を守る番よ」


マリナは涙をこぼしながら、強く頷いた。


しばしの沈黙のあと、気を取り直すようにフィリスが口を開いた。


「マリナ、ここまでの瘴気濃度に変化はないのよね?」


「ええ。いつもより少し高いくらいかな……問題になる数値じゃないわ」


マリナは懐から懐中時計のような器具を取り出し、針の動きを確認しながら答える。

それは魔力で動く“瘴気測定器”のようだった。


「よし。これなら十階までは問題なさそうね」


フィリスは頷き、少しだけ表情を引き締めた。


丈太郎は二人のやり取りを聞きながら、ずっと気になっていた疑問を口にする。


「あの……さっきから気になっていたんですけど、“瘴気”って一体なんなんですか?」


「えーと、ねぇ……」


フィリスは顎に人差し指を当て、少し宙を見上げてから丈太郎の方を向いた。


「丈太郎くん、前に“魔素”の話をしたの覚えてる?」


「はい……確か、魔力の基になるもので……でしたよね」


丈太郎は記憶をたどりながら答える。


「正解!よくできました~」


フィリスは満足げに親指を立てる。


「ふふっ」


マリナが思わず吹き出した。


「な、なによマリナ!」


フィリスが少しむくれた顔で睨む。


「ごめんなさい。ただ……ちゃんと“師匠”してるんだなって思って」


「もう、茶化さないでよ~」


フィリスは頬を赤らめながら顔をそむけた。


「コホン!」


フィリスは軽く咳払いして、真面目な声に戻った。


「簡単に言うと――魔素が使われた後に残る"澱み"のようなものね。濃度が高いと体に影響が出るの。密閉された迷宮だと特に溜まりやすくて、下層ほど危険になるわ。マリナたちが開いた扉から濃い瘴気が出たってことは――その向こうには、十階層とは思えない何かがいる可能性があるってこと」


丈太郎は息を呑んだ。


「まあ、丈太郎くんがいれば――三十階層より下だって余裕で行けるでしょうけどね」


フィリスは肩をすくめるように笑って言った。


「えっ? どういう意味なの、フィリス?」


マリナがぐっと身を乗り出す。

その目は真剣で、好奇心と不安が入り混じった色をしていた。


「えーっと……」


フィリスは丈太郎へ視線を送る。

丈太郎は小さく頷いた。


「……マリナ。落ち着いて聞いてね?」


フィリスはそう前置きをすると、丈太郎の《絶対防御》の能力を丁寧に語り始めた。


マリナは最初こそ困惑していたが、

話が進むにつれて息を呑み、目をみはり、

最後には言葉を失って固まった。


「そ、そんな……そんなことが……信じられない……」


長い沈黙のあと、マリナは震える声を絞り出した。


フィリスは静かに言う。


「丈太郎くんがいたから、あなたの呪いも解けたのよ」


「あ……」


マリナは自分の腕にそっと触れる。

そこに巻きついていた黒いイバラの幻影を思い出すように。


「……あの呪いは、本当に強力だった。

 私の“上級解除魔法”でも歯が立たなかった……。なのに……丈太郎さんは触れただけで……」


マリナはゆっくりと丈太郎の方を向く。

先ほどまでの戸惑いは消え、その瞳には確信が宿っていた。


「――丈太郎さんの能力は、本物なのね」


丈太郎は照れくさそうに頭をかいた。


フィリスの話をすべて聞き終えたマリナは、長く息を吐きながら言った。


「……話してくれてありがとう、フィリス。安心して。誰にも言わないわ」


「助かるわ、マリナ。それに――お礼なら丈太郎くんに言ってあげて。ダリオを助けに行くって言い出したのは、彼なんだから」


その言葉に、マリナの肩が小さく震える。

ぱっと丈太郎の方を見つめる瞳は、驚きと、救われた安堵で潤んでいた。


「丈太郎さん……本当に……ありがとう。

 あなたがいなければ、私は……」


丈太郎は照れくさそうに微笑んだ。


「ダリオさんは絶対に助けます。必ず」


その静かな言葉に、マリナは強く頷く。


フィリスはぱん、と手を叩いた。


「よし! じゃあ休憩はおしまい! 行くわよー!」


迷宮の静寂に、フィリスの明るい声が力強く響いた。


休憩を終え、6階層に降り立つ三人。


「丈太郎さん、6階層からは罠が仕掛けられているので気をつけてね」


マリナが先頭の丈太郎に声をかける。


「了解です」


丈太郎は短く頷いた。


しばらく静かな回廊を進む。


すると――


「……待って。前方三メートル、右側の壁に"空洞"。罠の反応よ」


マリナの声が緊張を帯びる。


「はい。二人はそのまま後ろで」


丈太郎がゆっくりと歩みを進めた瞬間――壁の隙間から鋭い音とともに矢が飛び出す。だが、丈太郎の身体に触れた瞬間、矢は力を失ってそのまま床へ落ちた。


「す、すごい……これが丈太郎さんの能力……」


マリナは矢と丈太郎を交互に見比べ、驚きを隠せない。


その横で――なぜか胸を張って自慢げに頷いているフィリス。


「ね? 私の弟子、すごいでしょ?」


これ以上ないほどのドヤ顔だ。


「私たちがダリオの救出に自信満々なのも、少しはわかってもらえた?」


フィリスが意地悪く笑う。


「ええ……丈太郎さんの能力……これほど心強いものはないわ。ダリオが生きてさえいれば……」


マリナは希望と不安が入り混じった目をしていた。


「きっと大丈夫です」


丈太郎は静かに言い、マリナを安心させるように微笑む。

ふと視線を落とすと――


床に落ちていたはずの矢が、霧のようにふわりと消えていく。


「……あれ?」


矢が飛び出してきた壁の隙間も、まるで最初から存在しなかったかのように跡形もない。


丈太郎が不思議そうに壁を触っていると、

フィリスが軽い調子で声をかけてくる。


「ね? 本当に不思議でしょ。一度発動した罠は、その場から消えて……しばらくするとどこか別の場所で復活するのよ。まるで迷宮そのものが意思を持ってるみたいに」


「原因はいまだに解明されていないの」


マリナが静かに補足する。



「そうなんですね……謎だらけの迷宮か……」


丈太郎は静かで薄暗い回廊を見つめながら、胸の奥に得体の知れない不気味さが広がるのを感じていた。


その後も三人の歩みは順調だった。


罠も――

壁から矢が放たれ、

床から槍が飛び出し、

天井から炎が噴き出す。


多彩ではあるが、

丈太郎の“絶対防御”の前では、

どれも触れた瞬間に霧散し、

無力な光景となって消えていく。


フィリスとマリナは慣れていないのに、

まるで“自分たちだけ安全地帯にいる”ような安心感があった。


そうして九階層を抜けた三人は――


ついに、十階層へと続く階段の前にたどり着いた。


薄暗い階段の先から、微かだが“空気の質が違う”気配が漂っていた。

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