第38章 メイキュリア
レイブンとの決闘から、およそ一ヶ月が経った――。
フィリスと丈太郎の旅路は、ついに迷宮都市メイキュリアへとたどり着いた。
メイキュリア。
今から五百年前、突如として地の底から現れた巨大な迷宮。
その入口を囲むようにして築かれた街は、やがて“冒険者の聖地”と呼ばれるようになった。今日もまた、無数の冒険者たちが財宝と名誉を求めてこの地に集う。
巨大な防壁のアーチをくぐる。
見上げれば、遠近感が狂うほどの高さ――街を環のように取り巻くその壁に、丈太郎は思わず息をのんだ。
「この壁はね、外からというより――内側から守るための壁でもあるのよ」
「内側? 何からですか?」
「決まってるでしょ?魔物よ」
「魔物……!?」
「そ!まあ、詳しいことは宿についてからにしましょ!あーお腹減ったー!」
フィリスはそう言うと、軽やかに街中へ歩き出した。
メイキュリアの街は活気に満ちていた。
通りには冒険者たちが行き交い、武具の音や商人の呼び声が絶えない。
アウトリアは温泉街ということもあり観光客が多かったが、ここはまるで別世界――ほとんどが冒険者で占められている。
街並みもどこか雑多で、泥臭く、しかし生き生きとしていた。
そしてその規模は、アウトリアをはるかに凌ぐものだった。
「どの宿にしよっかなー!」
フィリスは楽しげに通りを歩きながら、ずらりと並ぶ宿屋の看板を眺めていた。
さすが冒険者の街だけあって、宿の数も酒場の数も桁違いだ。
夕暮れとはいえ、まだ日は高い。
それなのに、あちこちの酒場からは笑い声と楽器の音、そして怒号が入り混じったような喧騒が響いてくる。
フィリスの瞳は、まるで子供のように輝いていた。
「あの……宿屋を探してるんですよね?」
「もちろん。ちゃんと探してるわよ」
フィリスはぴたりと立ち止まり、ある建物を指さす。
「ここにしましょ!」
「え!? どう見ても酒場ですけど……」
「ふふふ。ここは酒場兼宿屋なのよ! 最高じゃない!」
そう言うなり、フィリスは一切の迷いなく扉を押し開けた。
「あの、俺はもっと静かなとこが……」
丈太郎の声は、店の喧騒にかき消された。
店の中に入ると、思っていたよりもずっと広かった。
天井は高く、木の梁がむき出しで、開放感のある造りだ。
テーブルも二十はあるだろうか。
数組の冒険者が酒を酌み交わしていたが、まだ空席は多い。
フィリスはまっすぐ奥のカウンターへ向かう。
「おじさん、部屋を二つお願い。一番いいやつね」
まるでエールでも注文するかのような軽さで、金貨を5枚、指で弾くように差し出す。
「あいよ」
おじさんと呼ばれた店主は、無言で棚から鍵を二つ取り出し、フィリスに手渡した。
「は、早っ……!」
丈太郎は思わず目を丸くする。
今まで泊まった宿では、名前を書いたり、帳簿をつけたりするのが当たり前だったのに――。
「はい、丈太郎くん」
フィリスは鍵を一つ差し出した。
丈太郎はそれを受け取りながら尋ねる。
「ここは、冒険者証での支払いはできないんですね」
「迷宮で死んだ冒険者の証を奪って、不正利用するような犯罪も多いからね。ここでは確実な現金がすべてよ。覚えておいてね」
「はい…」
丈太郎は不安な気持ちで頷く。
フィリスはホールの片隅にある小さな扉を開ける。トイレかと思ったが、その奥には静かな廊下が続いていた。
扉が閉まると、さっきまでの喧騒が嘘のように消える。
廊下にはいくつもの客室の扉が並び、
木の床がかすかに軋む音だけが響いていた。
「安心した?」
「はい。思ったよりずっと静かで、良かったです」
「じゃ、後で酒場に集合ね!」
フィリスはふっと微笑み、鍵を回して部屋に入っていった。
丈太郎も自分の部屋に入ると、街の喧騒とはまるで別世界のような静けさだった。
そして何より――豪勢だ。
ベッドがやたらと大きい。ふかふかの羽毛布団に思わず体を投げ出す。
「……最高だな」
宿に着いたら一風呂浴びて、食堂で飲む。
ここ一ヶ月、それがすっかり旅のルーティンになっていた。
街道は安全で、途中にはいくつもの宿場がある。魔物の襲撃もなく、野営をする必要もない。その分、フィリスの特訓は厳しかったのだが。平和な旅――それは良いことのはずなのに、どこか物足りなさを感じていた。
(戦いもなく、命の危険もない……それなのに、何かが足りない気がする)
天井を見上げながら、丈太郎は小さく息を吐いた。
丈太郎は風呂を浴び、さっぱりした気分で酒場へ向かった。
ホールは先ほどよりも賑わっており、笑い声とグラスの音が混じっている。
フィリスの姿は、まだない。
席もかなり埋まっていたが、入り口近くの隅に小さなテーブルを見つける。
丈太郎はそこに腰を下ろした。
この場所なら、フィリスが来ても人の視線から外れる。――ナンパもされにくいはずだ。
レイブンの時のような騒ぎは、もうごめんだ。
(フィリスさん、すぐ注目を集めるからな……)
メニューを開き、彼女の好きそうな肉料理をいくつか、それに赤ワインをボトルで注文した。
料理とワインがテーブルを埋めたころ、
明るい声が後ろから聞こえた。
「丈太郎くんって、ほんっと隅っこ好きよねー!」
振り向くと、湯上がりのフィリスが笑顔で立っていた。
艶やかな金髪がまだ少し湿っていて、香り立つようだ。
「……ええ、まあ……落ち着くので」
「わあー、美味しそう!丈太郎くん、注文してくれたのね!さ、乾杯しましょ!」
フィリスは嬉しそうにグラスを手に取った。
丈太郎も微笑み、ワインを掲げる。
「メイキュリア到着、お疲れ様です」
「お疲れ様、相棒!」
「それで、さっき言っていた“魔物が街に出る”って、どういうことですか?」
丈太郎は先ほどの疑問を思い出し、フィリスに尋ねた。
「それはね、このメイキュリアという街が――“地下迷宮の上”に築かれているからよ」
フィリスはワイングラスをくるりと回しながら話し始めた。
「何もなかった荒野に、今からおよそ五百年前――突如として“迷宮”が現れたの。誰が、何のために作ったのかは今も謎。けれど、その中で財宝が見つかったことで、人々が集まり、やがてこの街ができたのよ」
丈太郎は真剣な表情で耳を傾ける。
「この迷宮の最大の特徴はね――“宝箱が復活する”ことなの」
「復活……?」
「そう。発見された宝箱は数時間後には別の場所で再出現するの。ダンジョンや遺跡の宝物は、一度取ればそれっきりだけど、メイキュリアの迷宮だけは違う。罠も同じように、解除しても数時間後には元通り。原因はまだ誰にも解明できていないわ」
フィリスは少しワインを口に含み、言葉を続ける。
「迷宮は複雑な構造だけど、構造そのものが変化することはない。だから、地図を作っていけば踏破はできるの。今の到達記録は――三十階層。ただし、まだ半分もマッピングされてないの。“瘴気”が濃くて長時間の探索は難しくてね。命を落とす前に、みんな引き返すのよ。だから30階より下の階層があるのかはまだ不明なの」
丈太郎は息を呑む。
未知と危険、そして好奇心が入り混じった街――それが、この“迷宮都市メイキュリア”だった。
「そして、宝箱が復活するってことは――つまり、無限に稼げるってこと。下層に行けば行くほど財宝の価値も上がっていく。当然ながら、魔物もそれだけ凶悪になっていくけどね」
フィリスはワインをくるくると回しながら言った。
「だから、冒険者たちはひっきりなしに訪れるようになったの。そして、彼らを相手に商売をする商人たちが現れ…… やがてこの地は“街”として発展していった、というわけ」
丈太郎は感心したように頷く。
「……なるほど」
「でもね、三百年くらい前に一度――迷宮から魔物が溢れ出したことがあったらしいの。大混乱だったみたいよ。それをきっかけに、この街の周りに“巨大な壁”が築かれたの。魔物が外に出ないように、ね」
昼間に見上げた巨壁が、丈太郎の脳裏に蘇る。その意味を、今ようやく理解した気がした。
「フィリスさんは、この迷宮に入ったことがあるんですか?」
「うん。駆け出しの頃に何度か潜ったことがあるわ。――十階層くらいまでだけどね」
フィリスは懐かしそうに微笑んだ。
「へぇ、フィリスさんにもそんな時代があったんですね!」
「まあね。でも、あの地下迷宮ってジメジメしてて暗いのよね。あの雰囲気がどうにも苦手でさ。だからそれ以来、ほとんど潜ってないのよ。でもメイキュリアの街そのものは大好き。だから、つい来ちゃうの」
そう言って、フィリスはワイングラスにワインをドボドボと注ぎ、
幸せそうに一口飲んだ。
「……フィリスさんらしいや」
丈太郎は思わず笑みをこぼした。
「丈太郎くん、もしかして――行ってみたいの?」
フィリスがからかうように笑う。
「いえ……俺もあまり暗いところは得意じゃないので。それに、帝都へ早く行きたいですし」
「そっか。じゃあ明日は観光がてら、必要な物資を買い足しましょ。明後日には出発、ね」
「はい」
丈太郎は素直に頷いた。
フィリスは満足そうにグラスを傾ける。
その笑顔を見ながら、丈太郎も静かにワインを口にした。
翌日、丈太郎はフィリスの案内で、買い物がてらメイキュリアの各所を巡った。
フィリスは甲冑姿ではなくラフな格好だ。
まだ早朝だというのに、街はすでに活気づいている。
道端の屋台では香ばしい匂いが漂い、酒場の前では朝から酔って騒ぐ冒険者たちの姿もあった。
ギルドの数も驚くほど多い。
剣士、格闘、魔術といった戦闘系はもちろん、錬金術、皮細工、鍛冶などの職能ギルドもほぼすべて揃っている。
どこを見ても人、人、人。丈太郎は改めて、この街の規模と熱気に圧倒されるのだった。
フィリスは楽しそうに街を眺めていた。
意外なことに、彼女は朝から酒を飲むことはしない。
昼食のときに軽く嗜む程度で、それ以上は決して口にしなかった。
夜になれば当たり前のように飲むのに――。
本人いわく、「気分がのらないから」らしい。そんなフィリスの良識的なところを、丈太郎は素直に尊敬していた。
買い物は思いのほか早く終わった。帝都までは宿場を経由するため、半日分の食料と水を買えば十分だ。リュックを重くしていた酒類も、もう必要ない。緊急用として数本だけ常備しているが、それで足りる。
「丈太郎くん、お昼ご飯の前に冒険者ギルドに寄って、現金を下ろしてくるね」
「わかりました」
メイキュリアの冒険者ギルドは、アウトリアとは比べものにならないほど大きかった。二階建てだったアウトリアに対し、ここは四階建ての巨大な建物だ。
丈太郎はフィリスに続いて中へ入る。
内部は多くの冒険者でごった返しており、談笑する声と鎧のきしむ音が混ざり合っている。
フィリスはカウンター近くに据えられた箱型の装置に、自分の冒険者証をかざした。
――ピコン。
軽い電子音のような音が響く。
「これで順番がくれば呼ばれるわ」
不思議そうに装置を見つめる丈太郎に、
フィリスが笑いながら言った。
「なるほど……(整理券か……)」
丈太郎は納得したように頷く。
「ここはね、一階が依頼の受付と簡易的な治療所。二階が依頼報告と素材・アイテムの鑑定。三階はフリースペースで、情報交換やパーティーの待ち合わせに使われるの。お茶や軽食もあるの。で、四階がギルドマスター室と応接室」
「すごいですね……」
丈太郎は感心したように言った。
「で、地下階が――」
フィリスが言いかけたその時――。
「紅き絶防のフィリス様ー!」
受付カウンターから声が響いた。
「あ、はいはーい!」
フィリスは軽く手を上げてカウンターへ向かう。
その瞬間、ホール内の空気が変わった。
一斉にこちらを振り向く冒険者たち。
「紅き絶望って……フィリスが作ったパーティーか!?」
「ってか、本人じゃねぇか!相変わらず綺麗だな……」
「“紅き絶望”って呼ばれてたぞ!死の山でハイ・トロールを瞬殺したって、あの?」
「ああ、“ハイ・トロールを絶望の淵に突き落としたパーティーだ!」
「ってことは……あの隣の男が“不滅のジョー”か!」
「レイブンを一撃で倒したって噂の……?」
「やべぇ、見てるだけで背筋がゾクッとするな……」
「え!?あの人がジョー様!?」
ホール内がざわめきに包まれた。
「ふふふ。すっかり有名人ね、丈太郎くん」
「勘弁してくださいよ……」
丈太郎は顔を真っ赤にしながら、泣きそうな声でつぶやいた。
(しかも“紅き絶望”って……“絶防”なんだけど! 意味が変わっちゃってるから!)
(っていうか噂広がるの早すぎでしょ! しかも“不滅のジョー”って二つ名まで定着してるし! ほんと、やめてよ……!)
(さらに個人情報を大声で呼ぶとかおかしくない!? コンプライアンスどうなってんの!?)
丈太郎は――穴があったら入りたいと、人生で初めて痛感した。




