第37章 決闘(後編)
翌朝――。
宿屋の前には、すでに多くのギャラリーが集まっていた。
張りつめた空気。誰もが息を呑み、言葉を失っている。
丈太郎の足元には、うつ伏せに倒れたレイブンの姿。 その身体はぴくりとも動かない。
丈太郎は無表情のまま、静かにその男を一瞥した。そして踵を返し、フィリスと共に歩き出す。
二人の背中が群衆の中へと消えていく。
その場には、ただ風の音だけが残った。
やがて――時計の針が再び動き出すように、誰かがぽつりと呟いた。
「す、スゲー……!」
「何が起こったんだ!? 見えなかったぞ!」
「なんでレイブンが倒れてんだよ!?」
「意味わかんねぇ!」
「アイツ……何者だ!?」
ざわめきが一気に広がり、朝の静けさが再び騒音へと変わっていった。
ざわつく群衆を背に、移獣にまたがって進む二人。朝の陽光が差し込み、風が花の香りを運んでくる。
「ごめんね。勝手に決闘なんて取り付けて。弟子をバカにされて、ついカッとなっちゃって」
フィリスは申し訳なさそうに言った。
「いえ、俺のほうこそ考えもなしにあいつを罵倒してしまいましたから。でも……嬉しかったです。俺が負けるはずがないって、信じてくれたんですよね」
「まあね。丈太郎くんがあんなやつに負けるわけないもの。それにしても圧勝だったわね。そこは予想外だったわ。まさか一撃で倒しちゃうなんて」
フィリスはどこか誇らしげに笑う。
「はい。多分、あいつは俺のことを舐めてたんだと思います。初手が単調でした。様子見もあったんでしょうけど……合わせるのは簡単でした」
「痛い目見て、いい気味だったわ」
「出来すぎでしたけどね」
フィリスはふと、にやりと笑った。
「それにしても、丈太郎くんて……私がナンパされると怒るわよね?前にも同じようなことあったの、覚えてる?」
「ああ……ありましたね。あんまりしつこく声をかけてるのを見てたら、なんか無性に腹が立ってきて……つい」
「それってさー、やっぱりヤキモチなんじゃない?」
フィリスが意地悪く目を細める。
「ちっ、違いますよ! 師匠として心配しただけです!」
「ふーん」
フィリスはご満悦な表情を浮かべ、手綱を軽く引いた。春風が二人の髪をなびかせ、遠くの丘に咲く花々が揺れる。
やわらかな陽光の下、移獣はのどかな坂道をゆるやかに進んでいく。その背中に、どこか穏やかな笑い声が混じっていた。
丈太郎とフィリスが宿場町を後にしてから、しばらく経ったころ――。
ミュリナは宿屋のベッドで目を覚ました。
窓の外はもう昼近い。昨日の疲れがよほど溜まっていたのだろう、深く眠ってしまったらしい。
昨日、フィリスたちと別れたあと、リッジ・ヴァンガードの面々は食事も取らずに休んだ。激戦の疲れとショックで、食欲など微塵もわかなかったのだ。
今日は一日、休養にしよう――。
レオンの提案に、皆が無言でうなずいたのを思い出す。
けれど、たっぷり眠ったおかげで、今は身体も心も軽い。魔力の巡りも戻り、お腹が鳴った。 ミュリナは身なりを整え、外に出て食堂を探すことにした。
「丈太郎さんたち、もう行っちゃったかな……」
歩きながら、ふと呟く。
そして、昨日見たあの笑顔が頭に浮かんだ。
――もう一度、あの笑顔が見たかった。
食堂に入ると、昼時ということもあり店内は賑やかだった。香ばしい匂いが漂い、冒険者たちの笑い声が響いている。
ミュリナは空いているテーブルを見つけ、席につく。メニューをざっと眺めてから、店員に声をかけた。
「唐揚げ定食、お願いします」
腹ペコだった。がっつり食べたかったのだ。
料理が運ばれてくるまでの間、隣のテーブルの会話が耳に入る。二人の冒険者らしき男が興奮気味に話していた。
「それにしても、すごかったぜ。今朝の決闘!」
「オレも見たかったなー」
「あのレイブンを一撃だぞ!」
「しかも相手は、フィリスの弟子だってさ」
その言葉に、ミュリナの肩がぴくりと震えた。
「あ、あのっ! 私にもその話、聞かせてもらえませんか!?」
ミュリナは思わず身を乗り出した。
「なんだ、ねーちゃんもレイブンにご執心か? 残念だったなぁ」
男はニヤニヤしながら言う。
「い、いえ……!」
(私は――丈太郎さんの方よ!)
心の中で叫ぶが、もちろん口には出せない。
「まあいいさ。最初から話してやるよ」
「ありがとうございます!」
ミュリナは嬉しそうに、自分の椅子を男たちのテーブルに寄せた。
「今朝方よ。外が騒がしいんで目が覚めちまってさ。 窓から外を見ると、人だかりができてるじゃねえか。 何事かと思って俺も外に飛び出して、取り巻き連中に聞いたら――なんでも決闘だっていうじゃねえか」
「俺も起こせっての!」
「悪かったよ。で、決闘するのが“双牙のレイブン”と“神炎フィリス”の弟子だっていうじゃねえか。こんな面白いこと、滅多にねえ!」
“双牙のレイブン”――その名を、ミュリナは聞き覚えていた。
Aランク冒険者。その実力は噂に聞くほどだ。
(そんな人と、丈太郎さんが……)
ミュリナは、眠りこけていた自分を呪った。
「でな、取り巻きの中心に二人が対峙してたんだよ。レイブンは余裕の表情だったな。 まあ、俺も含めて誰もがレイブンの勝利を確信してたさ。 いくらフィリスの弟子とはいえ、どうにも覇気のない面構えだったぜ」
(この人、目が節穴ね。丈太郎さんの凄さがわからないなんて……)
心の中でそう呟く。
「で、レイブンが仕掛けた。目にもとまらぬ速さだったよ。決まったと思った――でも、倒れていたのはレイブンの方だった」
ミュリナは心の中で、ぎゅっと拳を握った。 思わず頬が緩む。
「なんだよ! ちゃんと見てなかったのかよ! 意味わかんねぇ!」
「いや、俺だってちゃんと見てたんだ!確かにレイブンの双剣が“ジョー”を捕らえたと思ったんだよ。でも次の瞬間、レイブンの顎にジョーの剣の柄頭が当たってた。そして、倒れたんだ!」
「あ、あの、“ジョー”って?」
ミュリナは思わず口を挟む。
「ああ、フィリスの弟子。不滅のジョーって呼ばれてんだ。なんでも、アイスゴーレムのパンチを指先ひとつで止めたらしいぜ。 眉唾だと思ってたが――ありゃ本物だな」
(不滅のジョー。なんてカッコいい二つ名。
Cランクの冒険者に、そんな呼び名がつくなんて聞いたことがない。 ――さすが、丈太郎さん)
「そ、それで……ジョーさんは、どこに?」
「ああ、フィリスと一緒に街を出ていったぜ」
「そう……ですか……」
(丈太郎さん……行っちゃったんだ。また会えるといいな……)
気がつけば、唐揚げ定食はすっかり冷めきっていた。
――丈太郎がレイブンを倒したという噂は、 彼らの歩みよりも早く、街から街へと広がっていった。




