第3章 森を抜けて
丈太郎たちが村へたどり着いた頃には、日はすでに傾きかけていた。
西の空が赤く染まり、森の影が長く地面に伸びている。
「もう少しでミィナの家だよ!」
ミィナは元気に先を歩く。
安堵する間もなく、丈太郎の胸に何ともいえない違和感がこみ上げてきた。
目の前に広がる村の光景──
どこかおしゃれな観光地のような雰囲気もあるが、何かが決定的に違っている。
家々はどれも中世ヨーロッパ風。
日本の住宅街にも輸入風の家が一軒二軒くらいはあったが、この村は……すべてがそうだ。
街灯はある。けれど、電線が見当たらない。
整然として綺麗な町並みなのに、どこにも電柱も、車も、アスファルトもない。
──なにか、おかしい。
視界の端に、動くものがあった。
……馬? いや、似ているが違う。
見たことのない形の生き物に、人が乗っている。
「……っ!」
そのすぐ横を、耳と尻尾の生えた女性がすれ違った。
ふわふわの毛並み。軽やかな足取り。
明らかに着ぐるみではない。生身の「ヒト」だ。
ミィナが嬉しそうにその人に手を振っている。
「ディズニー……なわけないよな……」
丈太郎は立ち止まり、言葉を失った。
ディズニーがある千葉と長野では距離感が狂いすぎている。理屈が通じない。
長野の山で迷子になっただけだと思っていたのに。
ふと、父の顔が浮かぶ。休日にソファでゴロゴロしながら、中世ファンタジーのRPGを好んでプレイしていた父の姿が。
(まさか……ここは、長野じゃない? 日本でもない……?)
ありえない。そんなアニメやゲームみたいなこと、現実にあるわけがない。
必死に否定しようとするが、目の前の光景がそれを許さない。
丈太郎の心に、得体の知れない恐怖とパニックが渦巻いた。
「……マジかよ」
丈太郎は、荒ぶる心をなんとか静めようと大きく深呼吸をした。
混乱はまったく晴れない。それでも、今は冷静になるしかない。
ミィナが一軒の家の前で立ち止まった。
小ぢんまりとした木造の家。煙突からはうっすらと煙がのぼっている。
「ここだよ!」
ミィナは勢いよくドアを開けた。
「ただいまーっ!」
中ではちょうど、大人たちがなにかを話していたらしく、部屋の空気が一瞬ピタリと止まった。
「ミィナ!」
すぐに母親らしき女性が立ち上がり、ミィナに駆け寄る。
「もう……!どこ行ってたの!どれだけ心配したか分かってるの?」
「ごめんなさい……」
しょんぼりと謝るミィナを、母は力強く抱きしめた。
「ミィナ!無事だったか!」
今度は父親らしき屈強な男が近づいてくる。
「ほんとうに……よかった……!」
丈太郎はその様子を、少し離れた場所から見守っていた。
心の奥に、小さくあたたかい灯がともるのを感じる。
部屋の奥では、初老の男性が椅子に腰かけていた。
白髪まじりの口ひげに落ち着いた瞳。
「無事でなによりじゃ、ミィナ」
「村長さん!こんにちは!」
ミィナが元気に挨拶する。
どうやら、ミィナの両親と「捜索隊を出すかどうか」で相談していたようだった。
「では、ワシはこれで失礼するかの」
村長はそう言うと、ゆっくりと腰を上げた。
「ご迷惑おかけしました!」
両親が深々と頭を下げる。
村長は丈太郎に軽く一瞥をくれたあと、静かに家を後にした。
扉が閉まると、ようやく家の中に落ち着きが戻る。
丈太郎は、なぜかその村長の背中が妙に印象に残った。
家の片隅にぽつんと立ち尽くす丈太郎。
場違いな空気にどう振る舞えばいいのかわからず、ただ静かにその場にいた。
その様子を見ていたミィナの父が、ふと娘に尋ねる。
「ミィナ、この人は……?」
「このお兄ちゃんがね、森で私を助けてくれたの!それで、ここまで一緒に来てくれたの!」
ミィナが誇らしげにそう言うと、父も母も目を見開いた。
「……まあ、なんとお礼を言えばよいか……本当に、ありがとうございました」
ふたりは深々と丈太郎に頭を下げた。
丈太郎は少し恐縮しながら口を開いた。
「いえ……俺も森で道に迷って、困ってたんです。偶然ミィナに会って……助けたっていうより、一緒にここまで来た感じで。連れてきてもらったのは、むしろ俺のほうで……ありがとうな、ミィナ」
「えへへ〜!」
ミィナがうれしそうに笑う。
(……俺、本当に助けたのか? クマは勝手にどこかへ行ったし、俺は何もしてない――)
丈太郎は内心、少しだけ心苦しかった。
「そうだったのか……森で迷って、大変だったろう」
ミィナの父が穏やかに言った。
「よかったら、夕飯を食べていってくださいな」
母親がにこやかにそう言った。
正直――めちゃくちゃ腹が減っていた。
こんな状況でも、腹は減るんだな……と自分でも驚く。
「ありがとうございます」
丈太郎は、迷うことなくそう答えた。
ミィナの家族と夕食を囲みながら、丈太郎は今日一日の出来事を語った。
気がついたら森の中にいたこと。
どこから来たのか――正確には思い出せないこと。
森をさまよっているうちに、ミィナがクマに襲われそうになっていたこと。
助けようとしたが、クマは不思議と、自分から逃げるように去っていったこと。
ミィナの両親は、時折うなずきながら静かに耳を傾けていた。
丈太郎は、この世界が自分の知っている世界とはまったく違う場所である可能性が高いと、すでに感じていた。
だから――なんとなく森に来る前のことについては、意図的に曖昧に語った。
ミィナが森でクマに襲われかけたと聞き、両親は言葉を失った。
「それは……グランドグリズリーではないか? この辺りでは滅多に姿を見せないが、超危険な魔物だぞ!」
ミィナの父親は驚愕の面持ちで声を荒らげた。
「そんな相手に……あなたがいなければ、ミィナはどうなっていたか……」
「本当に……ありがとうございました」
ミィナの母も深く頭を下げる。二人の瞳には、本気の感謝と安堵の色がにじんでいた。
「お兄ちゃん、ジョウタロウって名前なの。ちょっと変な名前でしょ」
ミィナが無邪気に笑いながら紹介する。
「ジョウタロウ……あまり聞かない響きだな」
ミィナの父親が首をかしげつつも、優しく微笑んだ。
「失礼、私はアンク。そしてこちらが妻のテラです」
「丈太郎さん、本当に……本当にありがとうございます。あなたはミィナの命の恩人です」
「いえ、こちらこそ、ご馳走様でした」
(あのクマ……マモノ??ケモノの聞き間違えだよな。いや、まあ、確かに尋常じゃない大きさだった。認めたくはないけど……あれは、俺の知ってる世界の生き物じゃなかった)
丈太郎は心の中でそうつぶやいた。
夕食の席で、森に来る前の記憶がないことを告げると、ミィナの両親は顔を見合わせ、深刻な表情になった。
「記憶を失うとなると……どこかで頭を打ったのか、それとも魔物の呪いの影響か……」
「治癒士に見せたほうがいいかもしれませんね」
ミィナの両親は本気で心配してくれていた。
丈太郎は思わず視線を落とす。
(バッチリ記憶あるけどな……)
後ろめたさを感じつつも、丈太郎は曖昧に頷いて、適当に相づちを打つだけだった。
「記憶がないということは、帰る場所もわからないってことだよな?」
アンクが静かに問いかけた。
丈太郎は少しうつむき、ぽつりと答える。
「……はい」
実際、今のこの状況で、どこに帰ればいいのかまったく見当もつかなかった。
「なら、うちに泊まっていきなさい」
アンクがはっきりと言った。
「ええ、ぜひそうしてくださいな」
テラも、やわらかな笑みを浮かべながら続ける。
「わーい! 私、お兄ちゃんと寝るー!」
ミィナが無邪気に声を上げ、ぴょんと飛び跳ねた。
温かい――。
目の前にあるこの優しさが、胸に染みる。
(俺の両親……今ごろ、どれだけ心配してるだろうか)
思い浮かぶ両親の顔。心が締めつけられるような痛みが、胸をよぎる。
「……ありがとうございます!」
丈太郎は、込み上げるものをこらえきれず、涙ぐみながら頭を下げた。
「丈太郎さん、お風呂どうぞ。疲れがとれますよ」
テラにすすめられ、丈太郎は素直に頷いた。
汗もたくさんかいていたし、気疲れもしていた。正直ありがたかった。
風呂は、意外と現実世界と変わらなかった。
蛇口をひねれば湯が出て、石鹸やシャンプーも置いてある。
ただ、木の枠や真鍮の装飾が中世風で、どこか洒落ている。
夕食の味も思い出される。パンに、スープに、肉料理。あたたかく、優しい味だった。
湯船に肩まで浸かりながら、丈太郎はぼんやりと考える。
(……ここは、本当にどこなんだろう……)
考えても、答えは出ない。けれど、今はもう何も考えたくなかった。
風呂を出て、用意された寝間着に袖を通す。さらさらしていて肌触りがよい。
客間らしい部屋に案内されると、ミィナが一緒に寝ようと近づいてきたが、両親にあっさり止められ、ひきずられていった。
丈太郎は思わず笑いそうになる。
ベッドに身を沈めると、心地よい柔らかさが全身を包む。
(今日は……もう……)
それ以上、考えることはできなかった。
丈太郎は、泥のように眠りについた。




