第34章 二つ名
春の兆しは、確かにアウトリアの街にも訪れていた。
長く続いた雪に覆われた景色はすでにやわらぎ、石畳の隙間からは小さな緑が顔を覗かせている。
街を囲む城壁の外でも、雪解け水が細い小川を作り、土の匂いが風に混じりはじめていた。
吐く息も白くならなくなり、旅人たちは分厚い外套を脱ぎ、軽装で歩く姿が目立ち始める。
街の人々も冬籠りを終えたように活気づき、市場には新鮮な山菜や早咲きの花が並び出した。
――もうすぐ、出発できる。
その予感が丈太郎の胸に高鳴りをもたらしていた。
夕暮れの獅子亭。
窓の外には雪解けの小道が夕日に照らされ、赤く輝いていた。
店内は相変わらず冒険者や旅人たちで賑わっている。
その一角に、丈太郎とフィリスの姿があった。
二人の前には湯気を立てるシチューと焼きたてのパン、そして定番のエールが置かれている。
「冬の間、本当に色々あったわね」
フィリスはジョッキを軽く掲げ、しみじみと呟く。
そしてジョッキを置くと、脇に置いた鞄から一枚の地図を取り出した。
テーブルいっぱいに広げ、指先で街道をなぞる。
「さてと……雪もだいぶ溶けてきたし、そろそろ出発の準備ね」
フィリスの表情は真剣だ。
丈太郎は身を乗り出して地図を覗き込む。
「帝都までは、どれくらいかかるんですか?」
「順調に行けば二か月……でも、途中の街や村に寄りながら進むことになるから、それ以上かかるかもしれないわ。特に――この辺りは魔物の活動が活発だから注意が必要ね」
フィリスの指が山岳地帯を示す。
丈太郎はごくりと唾をのんだ。
「二か月か……気が遠くなるな。でも、行かないと」
「ええ、もちろん。今の丈太郎くんなら、きっとやれるわ」
フィリスは笑みを浮かべ、彼の背を軽く叩いた。
丈太郎は頷きながら、窓の外に目をやった。
「はい。……もう春ですね。出発の日が近づいてるって、実感します」
夕暮れの光が二人を照らし、どこか名残惜しさを含んだ空気が漂っていた。
「いま、いるのがここ」
フィリスは地図の右上、アウトリアの名を指で叩いた。
広げられた羊皮紙には複数の街道が描かれている。北から南へ伸びる太い一本の道を、フィリスは指先でゆっくりとなぞっていき、地図の中央で止めた。
「ここが帝都。全ての道の中心ね」
堂々と記されたその名は、地図全体の重心を示すように存在感を放っている。
「そして――」フィリスは再び指を戻し、アウトリアと帝都の間にある一つの印を示した。
「ここが迷宮都市メイキュリア。アウトリアと帝都の中間に位置する大都市よ。冒険者も商人も必ず立ち寄る拠点。私たちもここで物資を整えてから帝都へ向かうわ」
丈太郎は感嘆の声を漏らす。
「なるほど……補給地点ってことですね」
「そういうこと。迷宮探索の街だから、武具も薬も他じゃ手に入らないようなものが揃ってる。準備にはうってつけの場所よ」
地図を見つめながら、丈太郎の胸は期待と緊張で高鳴った。
(帝都に行く前に……迷宮都市か。きっとまた、新しい出会いと試練が待ってるんだろうな。)
フィリスは地図をなぞりながら言葉を続ける。
「それで――メイキュリアへのルートなんだけど、ここで分岐するの」
丈太郎が覗き込むと、街道が二つに別れているのが分かった。
「ひとつは山越えルート。最短距離でメイキュリアに辿り着けるけど、その代わり魔物が多く出没する。険しい山道で遭難者も絶えないわ」
フィリスの指がもう一方をなぞる。
「そしてもうひとつが街道ルート。街や宿場町を経由するから安全。だけど大きく迂回する分、半月は遅れることになる」
丈太郎は唸った。
「速さか、安全か……そういうことですね」
「ええ。どちらを選ぶかで、これからの旅の流れは大きく変わるわ」
フィリスは地図から目を上げ、腕を組んで丈太郎を真っ直ぐに見つめた。
「急ぐ旅ではないとはいえ……丈太郎くんは、1日でも早く帝都へ行きたいわよね?」
丈太郎は一瞬考えたが、すぐに頷いた。
「……そうですね。速く着けることに越したことはありません」
「ふふっ、だと思った!」
フィリスはにやりと笑い、地図の山越えルートを指で強く叩く。
「じゃあ、山越えルートに決定ね!」
その力強い宣言に、丈太郎の胸も高鳴った。険しい道のりになるのは間違いないが、背中を預けられる師匠と一緒なら――きっと乗り越えられる。
フィリスは胸を張り、にっこりと笑った。
「大丈夫!いまの私達なら余裕よ!」
その言葉に丈太郎は思わず笑みをこぼす。
「……はい、フィリスさんと一緒なら、どんな道でも行ける気がします」
フィリスは照れ隠しのようにエールを掲げる。
「よし、決まりね!じゃあ出発に備えて、今夜は飲んで英気を養いましょ!」
丈太郎もグラスを掲げた。
二人の声が獅子亭の喧騒に溶けていく。
丈太郎がフィリスと旅の行程について話していると、隣に酒臭い酔っぱらいの冒険者がドスンと座った。
「お前が――不滅のジョーか?」
「え!? 俺はジョウタ……」
「そうか!やっぱりそうか!今度、俺と手合わせしてくれよ!」
「は?」
丈太郎は事態が飲み込めない。
周囲の冒険者たちがざわめき出す。
「え、不滅のジョー!?」
「知らないのかよ、フィリスの剣を何度も受けながらも立ち上がるらしいぜ」
「アンデッドみたいに何度でも立ち上がるって噂だぞ!」
「首を落とされても生きていたやつだろ!」
「いやいや、アイスゴーレムのパンチを指先で止めたんだって話だ!」
酒場は一気にざわつき、視線が丈太郎に集まる。
「ま、手合わせの件、考えておいてくれや、不滅のジョー」
酔っぱらいは丈太郎の肩をバンバン叩くと、笑いながら自分の席に戻っていった。
「な、何!? 不滅のジョーって!」
丈太郎は混乱しながらフィリスを見る。
「~~!!」
フィリスは腹を抱えて、肩をプルプル震わせながら、笑いを必死にこらえていた。
「フィリスさん、笑い過ぎですよ!」
必死に抗議する丈太郎。だが、フィリスはこらえきれなくなったのか、テーブルに突っ伏す勢いで笑い出した。
「ご、ごめんごめん……ぷくくっ……」
目尻に涙を浮かべながら、肩を震わせる。
「でも、良かったじゃない。素敵な二つ名もらえて……くくく……!」
どう見ても“素敵”と思っていない表情で笑い転げるフィリスに、丈太郎は頭を抱えた。
(しかも、不滅のジョーって!……厨ニ丸出しじゃん!めっちゃ恥ずかしいんだけど!!)
丈太郎は心の中で叫び、顔を覆いたくなる衝動に駆られた。
「とにかく俺はこんな二つ名嫌ですからね!」
「わかってないわねえ。二つ名ってのは自分で決められるものじゃないのよ。周りが勝手に噂して定着していくの。私達じゃどうする事も出来ないわ…」
フィリスはようやく笑いを収めて真面目に話すが、口元はまだ緩んでいた。
「な、なんてことだ……」
丈太郎は愕然とする。
「諦めなさい。これからもよろしくね――不滅のジョー!」
「フィリスさんっ!」
堪えきれず、フィリスは再び腹を抱えて笑い出す。
「あははは!」
その笑いにつられるように酒場のあちこちからも声が上がり、夜はますます賑やかさを増していった。




