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第28章 格闘士

翌朝。

丈太郎は宿の前で軽く伸びをしてから、緊張気味に息を整えた。


(今日から、格闘士ギルドでの訓練か……)


「準備はいい?」


背後から声をかけられ振り向くと、フィリスがいつもの冒険者姿で立っていた。


「はい!」


丈太郎は大きく頷いた。


二人は並んで石畳を歩き、やがて頑丈な石造りの建物の前に辿り着いた。

入口には屈強そうな門番が立ち、ひっきりなしに人の出入りがある。


「ここが格闘士ギルドよ」


フィリスが胸を張って言う。


丈太郎は思わずごくりと唾を飲み込んだ。

中に入ると、広々とした訓練場が目に飛び込んでくる。木製の人形や砂袋、模擬戦用の広場があり、既に多くの格闘士たちが汗を流していた。


そんな中――フィリスが姿を見せた瞬間、ざわめきが広がった。


「おい、あれ……神炎のフィリスじゃないか!?」


「なんで格闘士ギルドに…」


「隣のアイツはだれだ?」


視線が一斉に丈太郎へ集まる。

丈太郎は思わず肩をすくめたが、フィリスが堂々と前を歩いてくれるおかげで、不思議と足は止まらなかった。


(大丈夫だ……俺にはフィリスさんがいる……!)


訓練場で門下生に指導をしていた男が、こちらに気づいて歩み寄ってきた。


「やあ、フィリス。君がここに来るなんて珍しいね」


穏やかな口調。華奢に見える体つきだが、動きは無駄がなく、全身に研ぎ澄まされた力強さが漂っている。爽やかな笑顔を浮かべるイケメンだった。


「久しぶりね、オルド。元気にしてた?」


「もちろん。見ての通りさ。それにしても君の方から僕に会いに来てくれるなんて……とても嬉しいよ。僕が恋しくなったのかな?」


――こ、これは……どこかで聞いたセリフ。

丈太郎は思わず心の中で突っ込む。


「今日は私の弟子をここで鍛えてもらおうと思って連れてきただけよ」


フィリスはさらりとかわし、丈太郎の方を向いた。


「……弟子!?」


オルドは笑顔を崩し、驚きの表情でフィリスの隣に立つ丈太郎をまじまじと見つめる。その視線は一瞬で鋭さを帯びた。


「丈太郎といいます。よろしくお願いします」


丈太郎は慌てて頭を下げた。


「丈太郎くん、彼が格闘士ギルドのマスター、オルドよ」


「ギルドマスター……?」


丈太郎は思わず呟いた。もっとごつい巨漢を想像していただけに、その爽やかすぎる姿は意外だった。


オルドは再び柔らかな笑顔に戻り、軽く肩をすくめる。


「君が弟子をとるなんて、どういう風の吹きまわしだい?」


「とにかくそういうことだから、お願いね」


フィリスはあっさり言い切る。


「……恋人かと思って焦ったよ。ふーん、弟子ねぇ」


オルドは興味深そうに丈太郎を眺めた。


丈太郎は、胸の奥がざわつくのを感じた。


(……なんか、面白くないな……)


「でね、オルド。丈太郎くんは魔力がとても弱いの。だから、基礎的な体術をしっかり教えてあげてほしいの」


フィリスは軽い調子で言った。


「ふーん……魔力がねえ。まあ、わかったよ」


オルドは丈太郎をじろりと見やり、興味深そうに目を細める。


「丈太郎くん、私は依頼を受けてくるから、行くわね。――頑張って!」


にっと笑うと、フィリスはひらひらと手を振って背を向けた。


「あ、えっ……フィリスさん、もう行っちゃうんですか!?」


丈太郎は思わず声を上げる。


だが、振り返ったフィリスは堂々と笑った。


「大丈夫よ。安心して修行しなさい。オルドは腕利きだから」


そう言い残し、軽やかな足取りでギルドを後にしてしまった。


取り残された丈太郎は、不安と期待を胸にオルドを見る。

オルドは腕を組み、にやりと口元を歪めた。


「さて――フィリスがわざわざ連れてきた弟子くん。どんなもんか、試してみようか」


「リーファ! ちょっと来てくれ!」


オルドが声を張ると、訓練場の片隅で型の稽古をしていた若い女性が顔を上げた。


「先生、御用でしょうか?」


栗色のショートカットが軽やかに揺れる。小柄ながら引き締まった体つきで、瞳はまっすぐに輝いている。実直そうな雰囲気の格闘士だった。


「うん。彼と少し組み手をしてみてくれないか?」


オルドは丈太郎を顎で示す。


「彼とですか? ……わかりました」


リーファは迷いなく答え、一歩前へ出た。


「え、いきなりですか!?」


丈太郎は思わず声を上げた。心の準備も何もない。


そんな丈太郎に、オルドは耳元でボソリと言う。


「あのフィリスが弟子として連れてきたんだ。――期待を裏切らないでくれよ、弟子くん」


周囲の門下生たちも、興味津々といった顔でこちらを見ている。

丈太郎は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


(……いきなり試されるのか……!)


フィリスさんの顔に泥を塗るわけにはいかない――。

丈太郎は奥歯を噛みしめ、心臓の鼓動がうるさいほど高鳴るのを感じた。


「……わかりました。お願いします!」


声を張り上げると同時に、背筋を伸ばしてリーファと向き合う。


リーファは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに小さく頷き、静かに構えを取った。


「では……始めましょう」


丈太郎も両手を上げ、ぎこちなく構える。


(逃げない……ここで、証明するんだ!)


「はじめ!」


オルドの声と同時に、リーファが低く踏み込み、拳を突き出した。


「やあッ!」


鋭い一撃。だが――


「!」


丈太郎の体は自然に反応していた。わずかに体をひねり、拳をかわす。


「なっ……!」


リーファは目を見開くが、すぐさま蹴りを繰り出す。だが、それも丈太郎は難なくかわした。


(なんだ……? 妙に遅く見える……)


丈太郎は不思議な感覚に襲われていた。

リーファの拳も蹴りも、まるでスローモーションのように映る。普段フィリスの剣撃を受けているせいか、どうしても“遅い”と感じてしまうのだ。


幾度となく繰り出される攻撃を、丈太郎はひらり、ひらりとかわす。


「……ほう」


腕を組んで見守っていたオルドの口から、低い感嘆の声が漏れた。


周囲で見ていた門下生たちも、思わずざわめく。


「かわしてる……」


「あの子、素人に見えたのに……」


リーファの眉がぴくりと動いた。


(……避けられてる? 本気でやってるのに……!)


リーファの動きが一段と鋭さを増した。拳も蹴りも、さっきまでより速く、気迫も込められている。

だが――丈太郎はそれを次々と交わしていく。


(……速い。でも、フィリスさんに比べれば……全然遅い……!)


丈太郎は心の中で呟いた。


(気迫も速度も……フィリスさんとは比べものにならない。怖くない……全然怖くないや)


リーファの拳をひらりとかわした丈太郎の表情は、むしろ冷静だった。


「……っ!」


リーファの額に汗がにじむ。

本気で打ち込んでいるのに、まるで当たる気がしない。


「信じられん……リーファの攻撃を全部かわしてるぞ!」


「なんてヤツだ……!」


周囲の門下生たちがざわめいた。


オルドも腕を組みながら興味深そうに頷く。


「そこまで!」


オルドの声で組手が止められた。


「先生、私はまだやれます!」


リーファは荒い息を吐きながら、なおも構えを解こうとしない。


だがオルドは首を振り、丈太郎に視線を向けた。


「弟子くん――いや、丈太郎。君、冒険者ランクは?」


「Fランクです。昨日、登録したばかりです」


「な、Fランクですって!? 私はEランクなのに……」


リーファは目を見開き、悔しそうに唇を噛んだ。

周囲で見ていた門下生たちもどよめく。


「昨日登録?」


「嘘だろ、リーファの攻撃を全部かわしたのに?」


オルドは頷き、改めて問いかける。


「ふむ。――で、丈太郎。なんで一度も攻撃しなかったんだい?」


「それは……」


丈太郎は言葉を詰まらせる。


沈黙の末、正直に口を開いた。


「……攻撃の仕方が、わからなかったので……」


場の空気が一瞬止まった。


リーファは思わず目を丸くし、周囲の門下生たちも顔を見合わせる。

オルドだけが穏やかに笑みを浮かべていた。


オルドはふと、先ほどフィリスが残した言葉を思い出した。


「――基礎的な体術を教えてあげて」


(……なるほどな)


腕を組んで丈太郎を見つめ、ゆっくりと告げる。


「丈太郎。確かに君はリーファの攻撃を避けていた。だが、その動きはまだ素人同然だ。無駄が多く、体の軸も安定していない。まずは“型”の稽古と身体の使い方から始めてもらう」


「はい……!」


丈太郎は真剣な表情で頷いた。


オルドは続けて、肩を落とすリーファに視線を向ける。


「リーファ、そんなに落ち込むんじゃない。こういうこともあるさ。――なんたって彼は、フィリスの弟子だからね」


「えっ……フィリス様の!?」


リーファの瞳が大きく見開いた。


(さ、様!? ……フィリスさん、そんなに慕われてたのか……)


丈太郎は思わず内心で突っ込んだ。


リーファはまだ肩で息をしながらも、ふと遠くを見るような目をした。


「……フィリス様。強くて、美しくて……私の憧れであり、目標……」


小さく呟くその声は、羨望と尊敬に満ちていた。


そして、すぐ隣に立つ丈太郎に視線を向ける。


「そのフィリス様に弟子として選ばれるなんて……正直、羨ましいです」


素直な言葉に、丈太郎は思わず目を瞬かせた。


(フィリスさんって……本当にみんなから慕われてるんだな……)


リーファの表情には悔しさだけでなく、憧れの人を追いかけたいという真っ直ぐな想いが滲んでいた。


「リーファ。――ならば丈太郎の良きライバルとして、これから共に鍛錬を積めばいい」


「……はい!」


リーファは力強く頷いた。その表情には、悔しさの中に闘志と憧れが混じっている。


オルドは満足げに頷き、丈太郎に視線を向ける。


「そして丈太郎。君はまず、型と体の使い方を徹底的に叩き込む。リーファと切磋琢磨しながらな」


「はい!」


丈太郎は拳を握りしめ、力強く返事をした。


訓練場に、緊張と高揚が入り混じった空気が満ちていく。


「よし、それじゃあ今日から本格的に始めようか」


オルドが手を打つと、訓練場にいた門下生たちの視線が丈太郎へと集まった。


「丈太郎。まずは“型”だ。力任せに拳を振るう前に、正しい姿勢と動きを体に染み込ませる必要がある。冒険者として生き残りたいなら、基礎を疎かにしてはいけない」


「はい!」


丈太郎は声を張り上げる。


オルドはリーファを呼び、正しい構えと基本の打ち込みを実演させた。


「こうだ。腰を落とし、軸をぶらすな。腕だけで打つな、全身で繋げ」


「は、はいっ!」


丈太郎は見様見真似で構え、拳を突き出す。

だが――


「違う、背中が丸まってる。もっと胸を張れ!」


「腕だけ動いてるぞ、腰を使え!」


オルドの指摘が次々と飛ぶ。


「くっ……」


丈太郎は汗を滴らせながら必死に修正を繰り返す。


リーファはそんな丈太郎を横目で見ながら、真剣に指導を続ける。


「もっと腰を回して! そう、体全体で繰り出す感じ!」


丈太郎の拳が再び前に伸びる。今度はさっきよりも鋭く、力が乗っていた。


「……いいぞ。その調子だ」


オルドが頷き、わずかに口元をほころばせた。


(まだまだぎこちないけど……俺はここで、強くなる!)


丈太郎は心の中で決意を新たにした。


懸命に稽古を続ける丈太郎。

額から汗が滴り落ちても、拳を繰り出す眼差しは真剣そのものだった。



フィリスは依頼を終えて戻ってきたが、彼女の姿に丈太郎は気づかない。ひたむきに打ち込みを繰り返すその姿に、フィリスは思わず目を細めた。


少し離れた場所で腕を組んで見守っていたオルドの横に、フィリスが並ぶ。


「どう? 私の愛弟子は?」


どこか自慢げに声をかける。


オルドは丈太郎を見つめたまま、ゆっくりと答えた。


「まったく……とんでもないのを拾ってきたものだね」


「でしょ!」


フィリスは得意げに笑う。


だが次の瞬間、オルドの横顔がわずかに真剣さを帯びた。


「彼……魔力が“弱い”んじゃなくて、“ない”んだろ?」


フィリスの胸が一瞬、冷たくなる。

ギクリと肩を揺らしたが、すぐに柔らかな笑顔で返す。


「……まあ、深いことは聞かないでちょうだい」


オルドは肩をすくめ、再び丈太郎へ視線を戻す。


「彼は攻撃するのが苦手なのかい?」


オルドはフィリスに組み手のことを話した。


「…まあね、だから攻撃面よりも、防御の方を重点的に教えてあげて」


フィリスは真剣な声で言った。


「……事情は色々あるようだが、聞かせてはくれないのかい?」


オルドは探るように問いかける。


「知らない方が身の為よ。とにかく、彼に攻撃を強制しないで」


フィリスの瞳には強い意志が宿っていた。


「……わかったよ。君の言う通りにしよう」


「ありがとう。恩に切るわ」


フィリスが軽く頭を下げると、オルドは少し笑みを浮かべた。


「ところでフィリス、良かったらこの後、一緒に食事でもどうだい?」


「――お断りするわ」


フィリスは笑顔で即答した。


オルドは苦笑し、フィリスは澄ました顔で腕を組む。

一方で丈太郎は、そんなやり取りにも気づかず、ただ真剣に拳を突き続けていた。


稽古を終え、汗に濡れた丈太郎にフィリスが歩み寄った。


「丈太郎くん、そろそろ帰りましょ」


「あ、フィリスさんお帰りなさい」


丈太郎は少し照れくさそうに笑い、荷物を手に取る。二人は並んで出口へと向かっていった。


その背中を見送りながら、リーファは思わず息を呑む。


「フィリス様が……あんなふうに……」


憧れの存在が、弟子と呼んだ少年に寄り添う姿。

声をかけたい気持ちはあったが、胸の鼓動が強すぎて、言葉が出てこない。


結局リーファは、去っていく二人の後ろ姿をただ黙って見つめることしかできなかった。


夜の街を歩きながら、フィリスが横目で丈太郎に声をかけた。


「どうだった? 訓練初日は」


「いきなり組み手やらされて、大変でしたよ……」


丈太郎は困ったように笑う。


「聞いたわよ!リーファちゃんの攻撃をかわしまくるなんて、大したもんじゃない」


フィリスは嬉しそうに頷いた。


丈太郎は少し照れくさそうに、しかし真剣に答える。


「いや、フィリスさんの攻撃に比べたら全然速くなくて、怖くなかったんです。だから、相手の攻撃がゆっくりに見えて……落ち着いて避けられました」


そしてふっと笑みを浮かべる。


「それに……今までやってきたことが無駄じゃなかったんだって思えたら、なんか楽しくなってしまって」


その表情は心から楽しそうで、どこか誇らしげでもあった。


フィリスはそんな丈太郎を見つめ、少し柔らかく微笑んだ。


「……そう、それでいいのよ」


冷たい夜風の中、二人は肩を並べて宿へと歩みを進めていった。


「でも、問題もあって……オルドさんに『なんで攻撃しないんだ』って聞かれたんです。俺、素手の攻撃は能力のせいで効かないから……能力のことがバレちゃいけないと思うと、どうしても困ってしまって。今日はなんとか誤魔化せましたけど……正直、冷や汗もんでした」


「それについてはオルドにさっき話しておいたから大丈夫よ。だからあなたは安心して修行しなさい」


「……はい!ありがとうございます!」


丈太郎の顔に安堵の色が浮かぶ。


フィリスは少し口元を緩めながら続けた。


「オルドはああ見えて、れっきとしたAランク冒険者よ。拳一つでオーガを倒したなんて武勇伝もあるくらい。実力は本物よ。彼から学べば、あなたはもっと強くなれるわ」


「Aランク!? そんな凄い人だったのか……」


丈太郎は思わず声を上げ、目を丸くした。



丈太郎は胸の奥がざわつくのを抑えきれず、視線を落とした。


「……あの、フィリスさん。その……オルドさんとはどういう関係なんですか?」


「ん? オルド?」


「はい……やけに親しくしてたから……」


うつむいたままの丈太郎に、フィリスは口元を緩める。


「あれ~? 丈太郎くん、ひょっとしてヤキモチ?」


楽しげにニヤニヤと笑う。


「そ、そんなわけないですよ! ちょっと気になっただけです!」


丈太郎は慌てて顔を上げるが、耳が真っ赤になっていた。


「ふーん……」


フィリスはにやけ顔を崩さず、わざとらしく溜めを作る。


「昔、ナンパされたのよ」


「ナ、ナンパ!?」


丈太郎は激しく動揺する。


「そ、それで!?」


「あまりにもしつこいからボコボコにしてあげたわ」


フィリスはさらりと言った。


「え!オルドさんを??ボコボコに!?」


「うん」


「そ、それだけですか?」


「うん。それだけ」


「そうだったんですね…」


丈太郎は胸を撫で下ろす。


「ちょっと丈太郎くん!なにその反応!やっぱりヤキモチなんじゃない?」


フィリスは上機嫌だ。


「ち、違いますって! ただ気になっただけです!」


丈太郎は必死に否定したが、その耳は真っ赤なままだった。


フィリスは楽しげに微笑み、軽く肩をすくめる。


「ふふっ、素直じゃないんだから」


フィリスはご機嫌に笑みを浮かべる。


そのやり取りのうちに、二人は獅子亭の前へとたどり着いていた。

石畳の上を吹き抜ける夜風が冷たい。丈太郎はまだ何かブツブツ言っている。


フィリスはそんな丈太郎を横目に見て、にこりと笑った。


「――じゃあ、今日はしっかり食べて、ゆっくり休みましょ。明日も訓練があるんだからね」


「はい」


丈太郎はまだ少し赤い顔のまま頷いた。


二人は獅子亭で食事を取り、宿へと戻っていった。静かな夜が、アウトリアの街に更けていく。

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