第29章 成長
こうして、丈太郎たちのアウトリアでの滞在生活が始まった。
朝は部屋で素振りをし、フィリスと朝食を取った後に格闘士ギルドで鍛錬に励む。
フィリスは冒険者ギルドで依頼をこなし、依頼がない日は休息日として、丈太郎も一緒に街をめぐったり、軽く剣術の型を教わったりした。
夜になれば二人で食事を取り、笑い合いながら一日を振り返る。そして眠りにつく。
――そんな日々を、いつしか自然に繰り返すようになっていた。
季節は少しずつ冬へと傾き、丈太郎の胸には不思議な充実感が芽生えつつあった。
滞在が始まって半月。空は今にも雪を降らせそうな鉛色に覆われていた。
格闘士ギルドの訓練場で、オルドは丈太郎とリーファの組み手を静かに見守っていた。
相変わらず丈太郎は攻撃を避け続ける。だがその動きは日に日に洗練され、無駄がなくなっている。――それでも、一切攻撃はしない。
「そこまで!」
オルドは組み手を止め、丈太郎に声をかけた。
「丈太郎、攻撃とは拳や蹴りだけじゃないんだよ。……リーファ、ちょっと来てくれ」
「はい、先生!」
リーファはオルドの元に駆け寄る。
「リーファ、なんでもいいから俺に攻撃を仕掛けてみろ」
「わかりました」
リーファは構え、オルドへ鋭い蹴りを放つ。
捉えた、と思った瞬間。オルドは軽く手を添えただけのように見えた。だが次の瞬間、リーファの体は宙に舞い、地面へと転がっていた。
「くっ……!」
リーファは素早く受け身を取り、きりりと立ち上がる。その顔には驚きと、納得の色が混じっていた。
丈太郎は目を見開く。
(これは……合気道だ!)
日本で見たことのある武術の動きに似ていた。相手の力を利用し、最小の動きで制する技。
オルドは穏やかに言った。
「これなら、殴らずとも“攻撃”になる」
「……はい!」
丈太郎の胸に、電流が走ったような衝撃が突き抜ける。
(これだ……俺にできる闘い方は!)
丈太郎の瞳は輝いていた。
(俺でも……これなら!)
オルドは微笑む。
「よし、丈太郎。今日からはこの型を覚えてもらう。力は必要ない。相手の勢いを受け流し、導くだけでいいんだ」
「はい!」
丈太郎は勢いよく返事をする。
オルドが手本を示すたびに、丈太郎は必死に食らいついた。
初めはぎこちなかった動きも、フィリスに鍛えられた体力と集中力で、少しずつ形になっていく。
(すごい……相手の力を利用するなんて、考えもしなかった。これなら俺でも闘える!)
額から汗が滴り落ちても、丈太郎は止まらなかった。
リーファが何度も攻撃役を買って出て、丈太郎は投げ、受け、また挑み続ける。
「いいぞ、丈太郎!」
オルドの声に、丈太郎の胸は熱く高鳴った。
――こうして丈太郎は、新たな戦い方を掴み始めていった。
訓練後、オルドは丈太郎に話しかける。
「丈太郎、その型は――空蝉の型というんだ」
オルドの声は静かだが、確かな重みがあった。
「空蝉の型……」丈太郎は呟く。
「相手の攻撃をいなし、無力化する。守りの型だから使い手は少ない。だが――君には合っていると思う。励んで精進するといい」
「はい!」
丈太郎の返事は力強く、その瞳はこれまでになく真っ直ぐだった。
その夜。獅子亭の喧騒と肉料理の香ばしい匂いの中で、丈太郎は興奮冷めやらぬ様子で身を乗り出した。
「こんな闘い方があったなんて!これなら俺でも闘えます!」
瞳はキラキラと輝き、声には力がこもっている。
フィリスはエールの杯を口に運びながら、その表情をじっと見つめた。
「そう……」
口元に浮かぶのは、嬉しさを隠せない優しい笑み。
(弟子が成長していく姿を見るのも……悪くないものね)
心の中でそう呟きながら、フィリスは誇らしげに杯を傾けた。
今までの丈太郎くんは、帝都を目指すために――家族の元へ帰るために――どこか義務のように鍛錬に励んでいた。
だが今は違う。闘うことに初めて前向きな光を見せている。
(この子……化けるかもね……)
フィリスは頬を緩め、弟子の可能性に目を細めた。
「丈太郎くん、その調子よ。これからもどんどん頑張りなさい」
フィリスの声は、どこか誇らしげで温かかった。
丈太郎は力強く頷く。
「はい!」
アウトリアの空から、ついに白いものが舞い始めた。
しんしんと降る雪は、街並みを静かに塗り替え、季節が確かに変わったことを告げていた。
これまでの日々が積み重なり、そして新しい日々が始まろうとしている。
丈太郎とフィリスにとって――冬は試練と成長の季節になる。
更に半月。丈太郎は毎日のように「空蝉の型」に励み続けていた。
この日もリーファとの組み手。彼女の鋭い突きを、丈太郎は軽やかに受け流し、その勢いを利用して体勢を崩す。
リーファは歯を食いしばり、何度も立ち向かうが――丈太郎は焦ることなく、ひらりとかわし、確実にいなしていく。
その様子を腕を組んで眺めていたオルドの口から、思わず言葉が漏れた。
「……凄まじい成長速度だな」
リーファもまた、悔しそうに唇を噛みながらも、丈太郎を真剣な眼差しで見ていた。
訓練の合間の休憩。
丈太郎は腰を下ろし、組み手を続ける門下生たちをぼんやり眺めていた。
そのとき、一人の門下生が突きをまともに受け、派手に吹き飛ぶのを目にした。
丈太郎の目が見開かれる。
(こ、これは……使えるかもしれない!)
「リーファ、ちょっと頼む!」
「え?何を?」
「俺に突きを入れてくれ!」
リーファは戸惑いながらも構える。
「突き?……まあいいけど。どうせ当たらないんでしょ?」
「いいから!」
「わかった。じゃあいくよ!」
リーファが渾身の突きを繰り出す。
丈太郎はギリギリまで引きつけ、直前で身体を捻り、後ろに大きくステップ。――そのまま派手に回転しながら地面へと倒れ込んだ。
「えっ!?」
リーファは驚き、拳に手応えがなかったのに丈太郎が勢いよく吹き飛んだことに目を丸くする。
「丈太郎!大丈夫!?」
慌てて駆け寄るリーファに、丈太郎は笑みを浮かべて上体を起こした。
「ふふふ……成功だな」
秘技――やられたフリ。
これを極めれば、無駄な戦いを避けられるかもしれない。同時に能力も隠せる。
丈太郎は新たな“奥の手”を磨こうと心に決めた。
更に月日が流れ、滞在から二か月。
アウトリアはすっかり雪に閉ざされ、訓練場も白い息が立ちこめる寒さの中にあった。
その日の稽古が終わり、門下生たちが去った後。
広い訓練場に残っていたのは、オルドとフィリス、そして丈太郎だけだった。
「丈太郎……ひとつ、手合わせしてみないか?」
不意にオルドが声をかける。
「え!?オルドさんとですか!?」
丈太郎は思わず目を見開いた。
「いい機会じゃない。やってみなさいよ!」
フィリスが笑みを浮かべ、丈太郎の肩を叩く。
戸惑いながらも丈太郎は深く頷いた。
「……オルドさん、是非お願いします!」
二人は向かい合い、構える。
「――はじめ!」
フィリスの声が静かな訓練場に響いた。
開始と同時に、オルドの突進。
連撃の突き、蹴り――凄まじい速さ。
だが丈太郎はいなし、捌き、後方宙返りで間合いを取り直す。
「……凄い……」
フィリスは驚きに息を呑む。
オルドはさらに加速する。攻撃のたびに本気が滲み出し、気が付けば全力の打ち込みとなっていた。
だが、それでも丈太郎には届かない。
拳が届く寸前でいなし、その力を利用して投げ飛ばす。
オルドは体勢を立て直し、攻撃を続ける――だが、そのたびに妙な感覚に襲われた。
確かに自分は攻めているはずなのに、逆に圧を受けている。
それは殺気ではない。むしろ心地よさを伴う、不思議な圧力。
「……まさか……」
オルドの脳裏に稲妻が走る。
その瞬間、観戦していたフィリスの瞳が大きく見開かれた。
「――燐気!」
目の前の攻防を見つめながら、フィリスはかつての師匠の言葉を思い出していた。
――燐気……殺気とは逆の気配。相手を護る気。
当時の彼女には到底理解できなかった。命のやりとりの場で、そんなものは絵空事だと笑い飛ばした。
しかし今、理解してしまった。
その気配は――確かに、丈太郎の中にあったのだ。
フィリスは信じられない表情で弟子を見つめる。
その瞬間、オルドの蹴りが丈太郎を捉えた。凄まじい勢いで吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「そこまで!」
フィリスが思わず声を張り上げ、丈太郎に駆け寄る。
「丈太郎くん!大丈夫!?」
叫ぶように抱き起こすと――丈太郎は何事もなかったように顔を上げた。
「フィリスさん、見てくれました?……秘技、《やられたフリ》です」
眩しい笑顔でそう言う丈太郎に、フィリスの胸がドキリと鳴った。
「も、もう!……バカ!」
フィリスは顔を赤らめながら、思わずげんこつを振り下ろした。
「いやあ、参ったよ……本当に強くなったな、丈太郎」
オルドは苦笑しながら丈太郎に歩み寄る。
「いえ、オルドさんの教えのおかげです!」
丈太郎は深々と頭を下げた。
「空蝉の型……完全に自分のものにしたな。正直、すでにその型だけなら僕を超えているよ」
オルドの声には驚きと感嘆が入り混じっていた。
「すごいじゃない!丈太郎くん!」
横で聞いていたフィリスの目が輝く。
「まさかこんな短期間でここまで強くなってるなんて!」
「ふふん。やっぱり私の見る目に狂いはなかったわね!」
フィリスは自慢げに胸を張る。
「いや、まだまだです!」
丈太郎は真っ赤になりながら必死に首を振った。
「ところで……」
オルドは突然、真剣な顔をした。
「丈太郎、その力はいつからなんだ?」
思わず息を呑む丈太郎とフィリス。
二人の反応を見て、オルドはわずかに笑った。
「はじめは避けるのが上手いだけだと思っていた。だが……攻撃を紙一重でいなし続ける姿を見て、確信したよ」
オルドは淡々と続ける。
「普通、人間は攻撃を受けそうになれば恐怖する。身体は硬直し、判断も鈍る。だが丈太郎にはそれがない。むしろ――『当たっても構わない』という絶対的な自信があるように見えるんだ。だからこそ、相手の攻撃を最後まで見切れる。だから成長が異常に早い」
オルドは鋭い眼差しで丈太郎を見据える。
「結論から言えば……彼は傷つかない。そうでなければ説明がつかない」
「それに――」
オルドは腕を組み、わざとらしく肩をすくめた。
「自ら“やられたフリ”なんて練習するやつが、どこにいる? どう考えてもおかしいだろ」
痛いところを突かれ、丈太郎は思わず苦笑いを浮かべる。
「……はは、確かに」
否定できずに頭をかく丈太郎の姿を見て、フィリスは堪えきれず吹き出した。
ひとしきり笑い声が響いた後、再び静まり返る訓練場。
フィリスは観念したように、深くため息をついた。
フィリスはオルドに、丈太郎の能力について簡潔に説明した。
「……なるほどな」
オルドはしばし沈黙し、やがて納得の表情で頷いた。
「このことは秘密にして頂戴」
フィリスの声が低くなる。
「私はあなたを斬りたくはない」
その瞬間、訓練場の空気がぴたりと凍りついた。
フィリスの眼差しは炎のように鋭く、殺気ではないはずなのに背筋が凍る迫力を放っていた。
オルドは短く息を吐き、微かに笑みを浮かべた。
「……安心して。誰にも言わないよ」
その声音は軽さを欠き、真摯なものだった。
傍らで丈太郎は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
――自分のために、ここまで真剣になってくれる。
フィリスという存在の大きさを改めて実感するのだった。
「ところでフィリス、この後――」
オルドが言いかけた瞬間、
「お断りするわ」
フィリスは笑顔で即答した。
「……そうか」
オルドが肩をすくめるのを横目に、フィリスは丈太郎へ向き直る。
「じゃあ、帰りましょう、丈太郎くん」
「はい!」
丈太郎は力強く頷いた。
二人は並んで格闘士ギルドを後にする。
冷たい外気の中、フィリスの後ろ姿はなぜかとても頼もしく見えた。




