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第26章 滞在

熱を帯びた周囲の視線を背に受けながら、二人は逃げるように冒険者ギルドの外へ出た。

冷たい秋の風が火照った頬を撫で、丈太郎はようやくこわばっていた肩の力を抜く。


「まずは……丈太郎くんに“冒険者の心得と基本事項”ってやつを指南しないとね」


フィリスが真面目な顔で言うと、丈太郎は突然その場に片膝をつき、騎士のように深々と頭を垂れた。


「イエス、マスター」


「ちょ、ちょっと! 今まで通りフィリスでいいのよ!」


周囲の目を気にして、フィリスは慌てて手を振りながら顔を赤らめる。

丈太郎は残念そうに顔を上げた。


「一度やってみたかったんですよね……」


(異世界ものより、やっぱりスターウォーズが好きだったんだよな)と心の中で呟きながら。


「まったくもう……」


フィリスは照れ隠しのようにため息をついたが、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。


「わかりました」


丈太郎がいつもの調子に戻って素直に頷くと、フィリスは顎で前方を示した。


「ここじゃなんだから……あそこに入りましょ」


そこは、ギルドの真正面にある喫茶店風の建物だった。

木造の外壁に磨かれた大きな窓。外には小さなテラス席まで設けられており、どこか懐かしく落ち着いた雰囲気を漂わせている。


丈太郎は思わず目を丸くした。


(うわ……中世ファンタジーみたいな街並みに、カフェがあるなんて……)


フィリスは迷いなくドアを押し開け、丈太郎もその後に続いた。

カランと柔らかなベルの音が鳴り、焙煎された茶葉とスパイスの甘い香りが鼻をくすぐる。


店内は、木の温もりを感じる落ち着いた空間だった。

武器を置いた冒険者や商人風の人々が穏やかに談笑しており、ギルドの喧騒とはまるで別の時間が流れているようだ。


フィリスは奥の窓際の席を選んで腰を下ろした。丈太郎も向かいに座る。

すぐに店員が温かいハーブティーを運んできて、二人の間に小さな湯気が立ちのぼった。


「さて……」


フィリスはカップを手に取り、一口飲んでから真剣な表情に変わった。


「冒険者の心得ってやつを、まず教えておくわね。これはどのギルドでも最初に叩き込まれる基礎よ」


丈太郎は背筋を伸ばし、真剣に耳を傾ける。


「一つ。己の身は己で守ること。誰もあなたの命を保証してはくれない。

二つ。依頼主との約束は絶対に守ること。信頼を失った冒険者に次は無いからね。

三つ。仲間を軽んじないこと。連携があって初めて、冒険者は生き残れる」


フィリスは指を一本ずつ立てていき、射抜くような眼差しを丈太郎に向けた。


「……この三つを忘れないで。魔物や野盗よりも怖いのは“信用を失うこと”。それだけは絶対に覚えておいてね」


丈太郎はごくりと唾を飲み込み、強く頷いた。


「……はい!」


フィリスはカップを机に置き、今度は少し声を落として身を乗り出した。


「次に――冒険者の報酬について話しておくわ。依頼にはランクがあるの。冒険者と同じようにね。Fランクから始まり、上がっていくごとに難度も、そして報酬も跳ね上がるわ」


「なるほど……」


「当然ながら、Fランクの簡単な採取や配達なんかは小銭程度。でも、Dランク以上になって魔物討伐が増えれば、まとまった額が手に入るようになる。それがAランクの依頼にもなれば――一件こなすだけで、数ヶ月は遊んで暮らせるくらいの大金が入るわ」


フィリスはさらりと笑みを浮かべながら言った。


「……数ヶ月……!」


丈太郎はあんぐりと口を開け、思わず間の抜けた声を漏らした。


「まあ、それだけ命懸けってことでもあるけどね」


フィリスはハーブティーを飲み、平然とした顔をしている。


なるほど――。

丈太郎は、フィリスが普段からきっぷよく金を使っている理由に妙に納得した。


(この人は本当に、次元の違う冒険者なんだ……)


フィリスはくすりと笑う。


「上に行けば行くほど、稼げる分リスクも跳ね上がる。高額な報酬の裏には、必ず“死の可能性”が付いて回るってことを忘れちゃダメよ」


丈太郎は真剣に頷いた。


(甘い世界じゃない……肝に銘じておかないと)


「じゃあ、俺は……?」


恐る恐る尋ねる丈太郎に、フィリスはにやりと笑う。


「もちろんFランク。みんなそこから始まるのよ。Fランクの依頼は危険の少ない雑用が中心だけど、信用と経験を積んで依頼をこなしていけば、少しずつ上がっていくわ。でも、Fランクだからって侮るなかれ。油断して死んだやつも山ほどいるんだから」


「……はい、肝に銘じます」


丈太郎は手元の冒険者証を見下ろし、そこに刻まれた「F」の文字をじっと見つめた。


(ここから始まるんだな……俺の冒険者としての人生が)


「ちなみに――Fランク依頼の報酬は期待しないことね」


フィリスはハーブティーをすすりながら、さらりと言い放った。


「え、どれくらいなんですか?」


「銅貨数枚ってところ。食費で一日分ちょっと稼げるかどうか、って感じかしら」


なるほど、と丈太郎は頭の中でざっくりと計算する。


(食費の感覚からすると……銅貨一枚がだいたい千円くらいか。だとしたら銀貨が一万円、金貨で十万円ってところだろうな)


「……安っ!」


丈太郎は思わず声を上げた。


フィリスは肩をすくめる。


「だから新人冒険者はよく飢えるのよ。長続きするのは、覚悟と根気があるやつだけ。でも――それを積み重ねて信用を得ていけば、依頼の幅も報酬もぐんぐん増えるわ。冒険者はそうやってのし上がっていくの」


丈太郎は真剣な眼差しで頷き、胸の中で決意を固める。


(安くても……ここから始めないと。絶対に強くなってやる)


フィリスは指を軽く鳴らすようにして、話題を切り替えた。


「それから、“緊急クエスト”ってのがあるわ。名前の通り、緊急案件よ」


「緊急……?」


「街の近くに強力な魔物が出現したとか、大規模な魔獣群が発生したとか……そういう非常事態に発令されるの。通常の依頼とは違って、その場にいる冒険者は半ば強制的に招集されるわね」


「強制……!」


丈太郎の顔がわずかに引きつる。


フィリスは真剣な眼差しで言葉を続けた。


「報酬は高額、でも命懸け。場合によっては国や領主も動く一大事になることもある。――冒険者ってのは、ただ稼ぐだけじゃなく“人々の盾”でもあるのよ」


丈太郎はごくりと唾を飲み、膝の上で拳を握りしめた。


(……俺も、そんな場面に立たされる時が来るんだろうか……)


「それにしても……フィリスさんって、教えるのが上手ですよね。やっぱりAランク冒険者ってすごいや」


丈太郎が感心したように言うと、フィリスは少し肩をすくめて笑った。


「ま、まあ……一応“教官資格”も持ってるしね。後進を育てるってやつよ」


「すごいや。……フィリスさんが師匠で、本当に良かったです!」


丈太郎は、心の底からの真っ直ぐな笑顔を向ける。


「~~っ!」


フィリスは急に照れくさそうにうつむき、カップを口に運んで視線を逸らした。


(……素直にそんなこと言われると、ちょっとこそばゆいじゃない……)


「よ、よし! 基礎講座はこんなところね。――で、これからのことだけど」


フィリスは咳払いをして真剣な顔に戻り、指先で空のカップを軽く回しながら話し出した。


「しばらく、この街に滞在しようと思うの」


「滞在……?」


丈太郎が首を傾げる。


「ええ。もうすぐ冬よ。この一帯は一面、雪に覆われるわ。次の大きな街まで行こうと思えば、最短でも一カ月はかかる。途中で雪が降り出したら、小さな宿場町に閉じ込められて身動きが取れなくなるわね」


「……」


丈太郎は思わず息をのむ。

旅の現実は、想像以上に厳しいものだった。


フィリスはにやりと笑い、肩をすくめる。


「どうせ足止めを食らうなら、施設の整ったこの街が一番マシってわけ。温泉もあるしね」


「なるほど……」


丈太郎は納得しつつ、内心ほっとしていた。


「早く帝都に向かいたい気持ちもわかるわ。でも――安全には代えられないの。だから、理解して」


フィリスの真っ直ぐな眼差しを受け、丈太郎は一瞬だけ視線を落とした。


(……一刻も早く元の世界に帰る手がかりを探したい。でも……)


やがて顔を上げ、きっぱりと言った。


「いえ、フィリスさんが決めたなら従います」


フィリスの表情がふっと和らぐ。


「……ありがとう。素直にそう言ってくれると助かるわ」


丈太郎は照れくさそうに頭をかき、心の中で思う。


(信じよう。フィリスさんを――俺の師匠を)


「だから、この街にいる間に――強くなりなさい、丈太郎くん」


フィリスは宣言するように言った。


「手始めに、この街にある『格闘士ギルド』に入門するといいわ」


「……格闘士ギルド?」


「ええ。職能ギルドのひとつよ。冒険者は己の能力を高めるために、こうした専門ギルドで訓練を積むの。体術なら格闘士ギルド、鍛冶を学びたいなら鍛冶ギルド、薬を扱うなら薬士ギルド……といった具合にね。訓練だけじゃなく、装備や物資の融通、仕事の斡旋なんかもしてくれる。冒険者ギルドと並んで、私たちに欠かせない存在なのよ」


「なるほど……職業訓練校みたいなものか」


丈太郎は自分の世界に重ね合わせて納得する。


フィリスは指を折って数えながら続ける。


「この街には格闘士ギルドの他に、鍛冶、薬士、商人、移獣舎――五つの職能ギルドがあるわ。街の規模としてはなかなか恵まれてる方ね。まずは格闘士ギルドで体術の基礎を学びなさい。同時に体力も鍛えられるわ」


「わかりました!」


丈太郎にとっては願ったり叶ったりだった。だが、ふと気になって尋ねる。


「でも、フィリスさんはどうするんですか? 暇になりませんか?」


「私は冒険者ギルドの依頼をこなすわ。長く滞在するとなると、少し懐が心もとないのよね」


「……なんかすみません。俺も一緒に稼げればいいんですけど……」


「気にしないの。丈太郎くんは強くなることに専念して。お金のことは、師匠の私に任せなさい!」


胸を張って断言するフィリスの頼もしい姿に、丈太郎は素直に頭を下げる。


「ありがとうございます」


そして、ふと思い出して口にした。


「じゃあ……宿も安いところに変えるんですか? 今の宿、高そうですし……」


「それは絶対いや。私、狭いところ嫌い」


即座にきっぱりと言い切るフィリスに、丈太郎は思わず苦笑いを浮かべた。


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