第25章 冒険者ギルド
翌朝。
丈太郎は自室でショートソードを力強く振り下ろし、日課である素振りをこなしていた。額を伝う汗が床に落ち、吐く息は白く散っていく。
その後は宿を出て、まだ人通りの少ない早朝の街をランニングした。
石畳を踏み鳴らす足音が、朝の澄んだ冷気の中に小気味よく響く。
ここ数日の素振りと走り込みの効果は、筋肉痛という確かな形で丈太郎の身体に現れていた。
一歩踏み出すごとに太腿の筋肉が軋むように痛むが、それすらも心地よく感じられる。
(……俺の能力は筋肉痛までは防いでくれない。だけど、それは肉体を鍛えられるってことだ……)
丈太郎は胸の内でそう呟き、さらに歩幅を広げた。
――もっと強くなりたい。
その切実な思いが、痛みを押し退けて前へ進む力となっていた。
ランニングを終え、汗を流そうと宿の大浴場へ向かった。
朝の湯気がもうもうと立ちこめる広い石造りの浴場には、まだ誰もいない。
丈太郎は一番風呂の湯に身を沈め、思わず声を張り上げた。
「……朝風呂、最高ー!」
高い天井に声が反響し、静かな朝の空気に溶けていく。
疲労した身体がじんわりと癒され、筋肉痛すら心地よいほてりに変わっていった。
(今日は……いよいよ冒険者ギルドに行くんだな……)
期待と不安が入り混じり、胸の奥がざわめく。
丈太郎は湯に肩まで沈み込みながら、これから始まる新しい一日へと思いを馳せた。
そういえば昨夜――
『朝ご飯の時間には起こしてね!』
と、フィリスに念を押されていたことを思い出す。
浴場を出た丈太郎は、フィリスの部屋の前で立ち止まり、控えめにノックした。
だが、返事はない。
「フィリスさーん、朝ですよー!」
ドア越しに少し声を張ると、中で布団から抜け出すようなごそごそとした物音がして、やがてゆっくりと扉が開いた。
「……おはよ、丈太郎くん。もう朝なのね……」
髪は寝癖でふわりと跳ね、海のような青い瞳はまだとろんとしている。大きなあくびをひとつ。
普段の隙のない凛々しい姿との落差に、丈太郎は思わず胸がどきりとした。
(……これはこれで、すごく色っぽいな……)
「フィリスさん、朝ご飯食べに行きましょう」
丈太郎が声をかけると、フィリスは眠そうにこくりと頷き、無造作に髪をかき上げた。
フィリスの身支度を待ち、二人は宿の食堂へ向かった。
広い食堂にはすでに何人もの旅人や商人が集まっており、朝から活気にあふれている。
香ばしい匂いが立ちこめる長いテーブルには、焼き立てのふっくらとしたパンや湯気を立てるスープ、厚切りのハムやチーズ、色鮮やかな果物など、多種多様な料理が並んでいた。
「わぁ……ビュッフェ形式か……」
丈太郎は思わず顔をほころばせる。
(でも取りすぎはいけない。ちゃんと食べきれる分だけにしないと……)
そう心に決め、慎重に料理を吟味しながらバランスよく皿に盛り付けていく。
ふと隣で料理を選ぶフィリスの皿を見て――丈太郎は絶句した。
山盛りのパンに、肉料理、山菜のソテー、さらにはデザートらしき果物まで。今にも皿から雪崩を起こしそうなほどの「爆盛り」だった。
「……フィリスさん、それ……」
丈太郎は引きつった笑いを浮かべ、思わず声をかけた。
「ん? どうしたの、丈太郎くん?」
フィリスは小首を傾げ、不思議そうに丈太郎を見つめる。
「いや……朝からそんなに食べられるのかなって……」
恐る恐る指摘する。
「え? 普通だけど?」
きょとんと答えながら、フィリスはさらに肉料理を皿の頂上へ乗せる。
パンの上にベーコンが重なり、デザート代わりの果物が要塞のように積み上がっていく。
「…………」
丈太郎は完全に言葉を失い、そびえ立つ料理の山をただ見つめるしかなかった。
周りの旅人たちも、ちらちらとフィリスの爆盛り皿に目をやり、思わず苦笑を漏らしている。
二人は席につき、食事を始めた。
丈太郎が温かいスープを口に運ぶ横で、フィリスは己の皿に次々と手を伸ばしている。
パンを頬張り、肉を噛みしめ、果物をぱくり――そのたびに満足そうに目を細め、実においしそうに、そして幸せそうな表情を浮かべていた。
(……この人は、ものすごい量食べてるのに、なんでこんなに絵になるんだろうな……)
丈太郎は苦笑いしながら、妙に感心してしまった。
結局、フィリスは目の前の山盛り料理を――まるでそれが当たり前であるかのように――ペロリと平らげてしまった。
呆然と空の皿を見つめ、丈太郎は心の中で激しく突っ込む。
(……フードファイターかよ)
食後、二人は湯気の立つ紅茶のカップを手にした。
ほっと一息つける優しい香りに、丈太郎の肩の力も自然と抜ける。
――けれど、ふと頭の隅をよぎる思いがあった。
(……コーヒーは、ないんだな)
ほんの少しの残念さを覚えながら、丈太郎は紅茶を口に含んだ。
「あー美味しかった! さ、冒険者ギルドに行きましょ」
フィリスは満足げにカップを置いて立ち上がる。
「もういいんですか?」
丈太郎が冗談まじりに尋ねた。
「うん。これ以上食べたら太っちゃうし」
「……」
(いや、まだ食べられるんかい……)
丈太郎は再び心の中で鋭くツッコミを入れた。
軽口を叩き合いながら、二人は席を立った。
窓から差し込む清々しい朝の光に照らされ、冒険者ギルドへと向かう足取りも自然と軽くなる。
宿を出て石畳の大通りを歩いていくと、やがて人の往来が一際賑やかな一角に差しかかった。
大きな荷物を背負った旅人、使い込まれた剣や鎧を身に着けた冒険者たちが、ひっきりなしに出入りしている場所がある。
「――着いたわよ」
フィリスが顎で示した先に、巨大な建物がそびえ立っていた。
重厚な木材と石を堅牢に組み合わせて造られた二階建ての館。
正面には大きな両開きの扉があり、その上部には威厳のあるギルドの紋章が掲げられている。
窓からは朝日が差し込み、出入りする冒険者たちの身につけた鎧や武器がギラギラと光を反射していた。
入口前に設けられた巨大な掲示板には無数の依頼書が張り出され、それを真剣な目つきで睨む冒険者たちの姿がある。
辺境の街とはいえ、このアウトリアは中規模都市の拠点。その冒険者ギルドは活気と、ある種の威圧感に満ちていた。
丈太郎は思わず息をのむ。
「……これが、冒険者ギルド……」
フィリスはにやりと笑い、誇らしげに胸を張った。
「さ、行きましょ。丈太郎くんの冒険が、本格的に始まるわよ」
重い両開きの扉を押し開けると、熱気を帯びた広いホールが目の前に広がった。
室内は、人いきれと革、そして鉄の匂いがむせ返るように満ちている。
壁一面に広がる掲示板には、所狭しと依頼書が重なるように貼り出されていた。
その前には屈強な冒険者たちが集まり、真剣な表情で依頼を吟味している。
低く抑えた声で仲間と綿密な相談をする者、腕を組んでじっと黙考する者……空気にはヒリヒリとした緊張感が漂っていた。
奥には長いカウンターが設けられ、数人の受付嬢が絶え間なく訪れる冒険者たちの応対に追われている。
依頼の受注や報告、報酬の受け渡しが次々と行われ、木札や書類がせわしなく行き交う。
高い天井から吊るされた魔導灯が室内を明るく照らし出し、重いブーツの足音や書類の紙音が絶えず響き渡っていた。
丈太郎はその圧倒的な光景に気圧され、思わず足を止めた。
「……すごい熱気だ……」
フィリスはそんな彼を横目で見て、楽しげに笑った。
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
二人がホールを進み始めると、周囲の空気がわずかに変わった。
「おい、あれ……」
「――神炎のフィリスだ!」
「相変わらず、とんでもない美貌だな……」
「フィリス様!」
ホールのあちこちから、ひそひそ声や感嘆の吐息が漏れ始める。
冒険者たちの熱を帯びた視線が一斉にフィリスへ集まり、場の空気がざわめき立った。
だが、当のフィリスは何事もなかったかのように堂々と歩を進め、まっすぐカウンターへと向かう。
丈太郎は周囲からの突き刺さるような視線を背中に痛いほど感じながら、気まずさを必死に押し殺して彼女の後を追った。
カウンターの前に立つフィリス。
受付嬢が彼女に気づくと、ぱっと表情を明るくして出迎えた。
「あ! フィリスさん、おはようございます。この間はグランドグリズリーの討伐、本当にありがとうございました!」
「こちらこそ、美味しい仕事ありがとね!」
フィリスは気さくに手を上げて応じると、隣で緊張している丈太郎へと視線を向けた。
「今日は、この子を冒険者登録してあげたいの。よろしくね」
フィリスは丈太郎の背中を軽くポンと押し、受付嬢の正面へと立たせた。
「かしこまりました。新規登録ですね」
受付嬢は丈太郎に向き直り、業務的でありながらも丁寧に微笑んだ。
「では、まずこちらにご記入をお願いします」
差し出されたのは、登録用紙と鉛筆。
名前、性別、年齢、出身地――
丈太郎は順に書き込んでいったが、「出身地」の欄でふと手を止めた。
「……出身地、どうしよう……」
後ろから覗き込んだフィリスが、さらりと言った。
「ルノア村でいいんじゃない?」
「はい」
丈太郎は言われた通りに書き込む。
ところが――
「えっ!!」
用紙を見たフィリスが、突然大きな声を上げた。
「どうかしましたか?」
受付嬢が驚いて顔を上げる。
フィリスはそれに構わず、用紙を指さして丈太郎を見た。
「丈太郎くんって……17歳だったの!? 私の二つ下じゃない! もう少し下かと思ってたわ」
「子供っぽくてすみませんねー」
丈太郎は少しむくれて唇を尖らせる。
「あ、ごめんごめん! もう、むくれないの!」
フィリスは慌てて手を振って宥めたが、心の中では少し驚いていた。
(17歳……私とほとんど同世代なのね……)
受付嬢は困ったように微笑みつつ、手続きを進める。
「あの……推薦者はフィリスさんでよろしいですか?」
「ええ、それでお願い」
フィリスが頷くと、受付嬢は丈太郎の用紙を受け取り、さらさらと必要な事項を追記していった。
「次は適性検査です」
受付嬢の声に、丈太郎はごくりと喉を鳴らした。
「……はい」
緊張を隠しきれない上ずった声が出る。
横に立つフィリスも、なぜか同じように表情を引き締め、真剣な眼差しになっていた。
受付嬢はカウンターの下から、淡い光を放つ水晶玉のような魔道具を取り出した。
「魔力の測定をさせていただきます。こちらに手を乗せてください」
(やっぱり……そういうことか!)
丈太郎の脳裏に、昨日、酒場でフィリスが検査について言葉を濁していた場面がフラッシュバックする。
胸の奥にざわめく不安を抱えながら、丈太郎はゆっくりと水晶へ手を伸ばした――。
丈太郎は静かに水晶に手を乗せた。
……しーん。
水晶は一瞬の瞬きすら見せず、まるでただの石ころのように沈黙を保ち続ける。
「えっ……? ま、魔力反応が、ない……ゼロ……?」
受付嬢の顔から愛想の良い笑みが消え、信じられないものを見るように目を見開いた。
その呟きをきっかけに、周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちもざわつき始める。
「おい、ゼロだってよ。あのフィリスが連れてきたからどんな逸材かと思えば……とんでもねぇ雑魚じゃねぇか」
「いや、雑魚どころじゃないだろ……魔力ゼロなんて、ありえるのか?」
嘲笑と困惑が入り混じったざわめきが、ギルドのホール全体に波紋のように広がっていく。
丈太郎は手を水晶に乗せたまま、いたたまれない思いで俯いた。
「ちょっと、この水晶、故障してるじゃない!」
フィリスが、わざとらしく大きな声を張り上げた。
「なんだ、故障かよ!」
「だよなー、ゼロなんてあるわけねぇもんな!」
周囲の冒険者たちは途端に納得したように笑い声をあげ、先ほどまでの嘲笑混じりのざわめきはスーッと収まっていった。
フィリスは小さく息を吐き、丈太郎にだけわかるように安堵の表情を浮かべる。
だが――プロである受付嬢だけは、まだ困惑の色を隠せなかった。
「い、いえ……故障なんてはずは……」
その言葉を遮るように、フィリスが低く、しかし有無を言わさぬ鋭い声で言い放つ。
「――ギルドマスターを呼んで頂戴」
射抜くような真剣な眼差しに圧され、受付嬢はごくりと唾を飲む。
「しょ、少々お待ちください!」
慌ててカウンターの奥へと駆け込んでいった。
しばらくすると、受付嬢と共に奥からごつい体格の男が姿を現した。
分厚い胸板に丸太のように太い腕、顎には立派な髭をたくわえ、片目には歴戦を物語る古傷が走っている。
一目見ただけで、只者ではないとわかる圧倒的な迫力をまとっていた。
「よー! フィリスじゃねぇか!」
豪快に笑いながら、大股でカウンターへと歩み寄ってくる。
その声だけで周囲の冒険者たちの私語がピタリと止み、ホールに緊張が走った。
「お久しぶりです、ブラッドさん。相変わらず元気そうですね」
フィリスも肩の力を抜いた、親しげな笑みを返す。
「当たり前よ! こちとらまだまだ現役気分だぜ。……それにしても、お前さんが俺を呼び出すなんて珍しいな」
男――ブラッドはニヤリと笑い、太い腕を組んだ。
「今日はこの子の登録をお願いしたくて」
フィリスは横で直立不動になっている丈太郎を示す。
「ほぉ……」
ブラッドは片眉を上げ、じろりと丈太郎を値踏みするように上から下まで眺めた。
だが、横に控える受付嬢が小声で事の次第を耳打ちすると、その豪快な表情が一変する。
「……なるほどな」
一瞬だけ鋭く目を細め、ブラッドはホールを見回した。周囲の冒険者たちは、まだこちらのやり取りに興味津々で耳を傾けている。
「ここじゃ話しづれぇな。フィリス、そいつを連れてこい。――別室で聞く」
低い声でそう告げると、ギルドマスターは背を向け、ホールの奥にある扉へと歩き出した。
フィリスは小さく頷き、丈太郎に「ついてきなさい」と視線を送る。
丈太郎は緊張で心臓をバクバクさせながら、二人の後に続いた。
ブラッドの後について重い扉をくぐると、そこは広さこそ控えめだが、重厚で威厳のある雰囲気を漂わせる執務室だった。
壁際には本棚が並び、冒険の記録や魔物に関する分厚い文献、詳細な地図がぎっしりと詰め込まれている。
反対側の壁には、年代物らしい剣や槍が掛けられ、歴戦の証のように鈍い光を放っていた。
部屋の中央には分厚い木製の机が置かれ、上には書類の山と羽ペン、そしてギルドの刻印が押された依頼書の束が積まれている。
窓から差し込む朝の光が机の上を直線的に照らし、埃がキラキラと光に舞っていた。
「ここなら余計な耳もない。さ、座れ」
ブラッドは壁際の来客用の椅子を手で示し、フィリスと丈太郎を座らせた。
自らは机の奥の革張りの椅子に腰を下ろし、腕を組んで二人を真っ直ぐに見据える。
フィリスは椅子に腰掛けると、スッと背筋を伸ばし、真剣な口調に切り替えた。
「ブラッドさん。この子……丈太郎くんなんだけど、ちょっと特殊な体質なの」
「特殊な体質?」
ブラッドが怪訝そうに眉をひそめる。
「そう。……魔力を、一切持っていないのよ」
「なに?」
その言葉にブラッドは目を細め、しばし丈太郎をじっと観察した。
「普通、人間ならどんなに微量でも魔力を宿しているはずだ。ゼロなんて……前代未聞だな」
フィリスは静かに頷いた。
「だから水晶も反応しなかった。――でも、病気や呪いってわけじゃない。そういう“特異体質”だと私は見てます」
ブラッドは腕を深く組み、重い息を吐き出した。
「……なるほどな。だが、ギルドとしては非常に珍しいケースだ。軽々しく扱うわけにもいかん」
丈太郎は自分の異常性を突きつけられ、居心地悪そうに黙り込む。
フィリスはそんな彼の肩にそっと手を置き、やわらかく、力強い笑みを向けた。
「でも、強い心を持ってる子です。私が保証します」
「うーん……」
ブラッドは唸り声を上げ、椅子に深く腰を沈めた。
「規定に達していない者を、冒険者にするわけにはいかん。魔力の有無は生存能力に直結するし、ギルドとして責任が取れねぇ」
低く地を這うような声で言い、分厚い指で机をとんとんと叩く。
ブラッドは視線を上げ、フィリスと丈太郎を交互に見た。
「俺の立場も考えてくれ。規定を破れば、他の冒険者からも文句が出る」
重い沈黙が部屋を満たす。
丈太郎は俯き、自分の無力さに拳を膝の上で強く握りしめた。
「ギルドとしては規定を破るわけにはいかん……」
ブラッドが頭を抱えるように呟いた、その時だった。
フィリスがすっと身を乗り出し、淀みない声で放った。
「だったら――私が責任を持ちます!」
その言葉に、ブラッドの目が鋭く光る。
「お前……軽々しく言っていいことじゃねぇぞ」
「軽々しくなんて言ってません。私が全責任を負って保証する。――丈太郎くんは私の弟子よ、必ず一人前に育て上げる。だから、冒険者として登録させてほしいんです!」
フィリスがそうはっきりと宣言した瞬間、丈太郎の胸がカーッと熱くなった。
(弟子……! フィリスさんが、俺を……!)
嬉しさと、身に余る光栄がないまぜになり、思わず背筋が伸びる。
心臓がどくん、どくんと高鳴り、自分がこの世界でようやく居場所を認められたような気がした。
一方で、ブラッドは目を見開き、机をバンと軽く叩いた。
「……なにぃ? お前が弟子を取っただと? あの、神炎のフィリスが!?」
その声には心底からの驚きと、どこか信じられないという色が混じっていた。
「まさか……誰とも組まないあのフィリスが、弟子持ちになる日が来るとはな」
ごつい顔に呆れたような苦笑が浮かび、視線が再び丈太郎へと注がれる。
丈太郎は偉大な冒険者の視線に居心地悪そうにしながらも、胸の奥に広がる誇らしさを隠しきれなかった。
「……フィリスにそこまで言われちゃあ、しょうがねぇ……認めてやるよ。――特例でな」
ブラッドの決断の一言に、丈太郎は思わず息を呑んだ。
「ありがとうございます!」
隣でフィリスが深々と頭を下げ、丈太郎も慌ててそれにならって頭を下げる。
「ま、ここでお前に恩を売っておくのも悪くねぇしな」
ブラッドはにやりと口元を歪め、打算的な笑みを見せた。
フィリスは軽く笑って肩をすくめる。
「相変わらず打算的ですね。でも助かります」
ブラッドは大きく頷き、扉の外に控えていた受付嬢を呼び入れ、目配せした。
「……よし、特例として登録を進めろ」
「かしこまりました」
受付嬢は慌ただしく机に書類を広げ、登録の最終手続きを始めた。
やがて木札ほどの大きさの板を取り出し、そこに魔法陣のような印を浮かべていく。
淡い光が走り、板はしっかりとした金属のような光沢を帯びて変化した。
「これが冒険者証です」
受付嬢が両手で差し出したのは、丈太郎専用の真新しい冒険者証だった。
「……これが……」
丈太郎は恐る恐る、両手でそれを受け取る。
ずしりとした重みが掌から伝わり、胸の奥で熱いものが込み上げてきた。
「丈太郎くん、これで正式に冒険者ね」
フィリスが横で優しく微笑む。
丈太郎は深く息を吸い込み、ぎゅっと冒険者証を握りしめた。
(ついに……俺も、この世界で冒険者になったんだ……!)
「フィリス、貸し一つだからな!」
ブラッドが笑みを浮かべて釘を刺す。
「わかってますよ」
フィリスは軽く手を振って答えた。
受付嬢が控えめに口を開く。
「本来なら、新規の方には冒険者としての心得や基本事項を一通りご説明する必要があるのですが……今回はフィリスさんのお弟子さんということで、特例として免除にいたします。――フィリスさん、ご指導をお任せしてもよろしいでしょうか」
「ええ、任されたわ」
フィリスは胸を張ってきっぱりと言い切る。
丈太郎は横でそのやり取りを聞き、改めて自分がどれほど特別扱いされているかを実感していた。
(……絶対に応えないと。フィリスさんに、そして自分自身に)
「それから……丈太郎くんの“特異体質”のことは、くれぐれも内密にお願いします」
フィリスは不意に真剣そのものの表情になり、声も低く鋭さを帯びていた。
その気迫に、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
ブラッドは顎の髭を撫で、ふっと笑った。
「わかってるよ。こっちだって特例で認めた以上、おいそれと口にできるもんじゃねぇ」
受付嬢も思わず背筋を伸ばし、慌てて頷く。
「ち、誓って……誰にも言いません!」
フィリスは二人の返答を確認すると、ようやく鋭い表情を緩め、小さくうなずいた。
丈太郎は横でそのやり取りを見ながら、胸の奥で温かいものを感じていた。
(……フィリスさん、俺のことをここまで真剣に守ってくれてるんだ……)
執務室を出て、二人は再び活気あふれるホールへ戻った。
「――みんな、聞いて!」
フィリスの凛とした、よく通る声が高天井のホールに響き渡る。
ざわめいていた冒険者や職員たちの視線が一斉に彼女へと集まった。
フィリスは丈太郎の肩にポンと手を置き、全員を見渡して堂々と宣言する。
「この子は丈太郎。今しがた正式に冒険者になったわ。そして――私の弟子よ。下手なちょっかいは出さないように!」
その声にはAランク冒険者としての威圧感がこもり、場の空気が一瞬で張り詰める。
「なっ、フィリスの弟子だと!?」
「誰とも組まねえあのフィリスが!?」
「凛とした姿も相変わらず美しいな……」
「ずるい! 私も弟子にしてほしい!」
「フィリス様……」
羨望、嫉妬、驚嘆――様々な声が交錯し、ホール全体が大きなどよめきの渦に包まれた。
丈太郎はその熱すぎる視線をまともに浴び、居心地悪そうに視線を泳がせる。
「……うわ、めっちゃ見られてる……」
顔がカッと赤くなり、思わず俯きそうになるが、肩に置かれたフィリスの手がしっかりと、力強く彼を支えていた。
(……でも、俺は――フィリスさんの弟子なんだ)
照れくささと緊張が入り混じりながらも、丈太郎はギュッと拳を握り、真っ直ぐに背筋を伸ばした。




