第22章 野盗
三日目の朝。
丈太郎はテントから身を起こし、外へ出た。冷えた空気の中、朝日を浴びて大きく背伸びをする。澄んだ空気に混じって、焚き火の煙の匂いが漂ってきた。
「おはよう、丈太郎くん。すっかり野営にも慣れたみたいね」
声の方を見ると、フィリスはすでに起きていて焚き火のそばに腰掛けていた。鉄串に刺したパンを火にかざし、こんがりと焼いている。
「おはようございます……。初日こそ不安でしたけど、こうして過ごしてみると案外安全ですね。そうそう襲われるものじゃないとわかってきました」
丈太郎は苦笑しながら答え、焚き火の温もりに手をかざした。
「油断は大敵よ。次の街まで、あと二日。ちょうど中間地点ね」
フィリスは焚き火の炎を見つめながら、にやりと笑う。
「もし私が野盗なら、この辺りで襲うわ」
「……なんでそんなに嬉しそうなんですか」
丈太郎は思わず突っ込んだ。
フィリスは肩をすくめて、楽しそうにパンをかじる。
* * *
そんな二人のやり取りを、森の木陰からひとりの男がじっと見つめていた。
男はすぐに踵を返し、森の奥へと足早に戻っていく。
やがて少し開けた場所に出ると、そこには数人の荒くれ者たちがたむろしていた。
「どうだった?」
いかつい顔つきの男が、戻ってきた男に低い声をかける。
「女が一人と、ガキが一人です。女はなかなか腕が立ちそうでしたが……ガキの方はただの雑魚ですな。しかも、あの女、かなりの上玉ですよ。それにガキの腰の剣はかなりの業物ですぜ」
報告した男はいやらしい笑みを浮かべる。
「ほう……やっとカモが来やがったか」
ボスらしき男が口元を歪め、獰猛な光を目に宿す。
「まずはガキから殺るぞ。その後は……ふふふ」
「お頭、俺たちにも残しておいてくださいよ!」
取り巻きたちが下卑た笑いをあげる。
久しぶりの獲物にありつけると、彼らの顔には欲望と残虐さが浮かんでいた。
* * *
二人は朝食を終えると、焚き火の跡を簡単に片づけて野営地を後にした。
街道を進むことおよそ一時間。森の木々が少し深くなり、鳥の声も遠ざかっていく。
丈太郎は落ち着かない様子で鞍の上でもじもじしていたが、ついに口を開いた。
「フィリスさん、ちょっと……行ってきます」
「はいな」
フィリスはあっさりと答える。
丈太郎は顔を赤らめながら移獣から降りると、慌てて木陰へ駆け込んでいった。
フィリスは呆れたように小さく肩をすくめる。だが次の瞬間、その瞳は鋭さを帯びた。
――五人……いえ、六人か。
森の奥から漂う気配を、確かに感じ取る。
フィリスの唇が、不敵な笑みに歪んだ。
丈太郎は用を足して戻ってきた。
次の瞬間――。
空気を切り裂く鋭い音。ポトリ、と一本の矢が丈太郎の足元に落ちる。
「ん?」
丈太郎が不思議そうに矢に目をやり、拾おうと屈んだ瞬間。
再び風を裂く音が響き、数本の矢がばらばらと丈太郎の周囲に落ちる。
「え?」
丈太郎は思わずフィリスを振り返った。
「くくく……」
フィリスは口元を押さえ、笑いを堪えている。
その時ようやく、丈太郎は事態を理解し、顔を青ざめさせた。
「な、なんだこのガキ! 矢が効かねぇ! 防御魔法か!?」
森の中から数人の男たちが飛び出してくる。
「構うことはねぇ! 直接首をはねろ!」
一斉に丈太郎へ斬りかかる男たち。
「ひいっ!」
丈太郎は思わず頭を抱えてしゃがみ込む。
しかし男たちの刃は、丈太郎の体に触れる寸前で音もなく静止した。
「な、なんだ!?」
焦った彼らは次々と斬撃を浴びせるが、結果は同じ。刃は丈太郎を前にして止まり、まるで見えない壁に阻まれるかのように空を切る。
「どうなってやがる……! 気持ち悪ぃ!」
男たちは顔を引きつらせた。
「くそっ! ガキはもういい! 女を押さえろ!」
標的を切り替えた男たちがフィリスへと突進する。
先ほどまで笑っていたフィリスの表情が、冷たく鋭いものへ変わった。
次の瞬間――一閃。
いつ抜いたのかすらわからない。フィリスの手には、赤い輝きを帯びた漆黒の大剣が握られていた。
「……!」
いかついボスらしき男が目を見開いた瞬間、その額から一筋の赤い線が走り――そこから炎が噴き出した。
燃え上がる炎に包まれ、男は悲鳴をあげる間もなく焼き尽くされて消えた。
「おあいにくさま」
フィリスは冷たい笑みを浮かべる。
「ひっ……ひいい! 化け物だ!」
残された野盗たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
フィリスは大剣を音もなく納め、丈太郎のもとへ歩み寄った。
「ちょっと丈太郎くん、ビビりすぎ! 特訓の成果がまるで出てないじゃないの。」
呆れ顔でそう言いながら、手を差し出す。
丈太郎はその手を取って立ち上がったが、膝はまだ小刻みに震えていた。
「す、すみません……でも、いきなり襲われたら誰だってビビりますよ!」
「はあ……」
フィリスは残念そうに大きな溜め息をつく。
けれどすぐに、屈託のない笑顔を浮かべた。
「まあ、面白いもの見れたし良しとするか!」
「……フィリスさんこそ笑いすぎですよ。あの感じだと、最初から気づいてたんですね。どこから気づいてたんですか?」
丈太郎は少しムッとしながら問いかける。
「野営地から。ずーっと付けられてるなーって」
「なっ!? それなら早く教えてくださいよ!」
「教えたら特訓にならないじゃない。……それにしても見た? あの野盗たちの顔。襲ってたはずなのに、最後は真っ青になって逃げてったじゃない。あー、思い出しただけで笑える!」
フィリスは肩を震わせながら「くくっ」と笑い声を漏らした。
丈太郎はそんな彼女を見て、苦笑いを浮かべる。
――味方で良かった。本気でそう思った。
同時に、彼女を敵に回すなど絶対にしたくない、と背筋が冷たくなる。
朝日に照らされたフィリスの笑顔は、どこか恐ろしくも、眩しいほどに頼もしかった。
野盗との戦闘を終え、二人は再び街道を進んでいた。丈太郎は落ち着かない様子で、辺りをキョロキョロと見回している。
「丈太郎くん、挙動不審すぎ。もう襲ってはこないから」
フィリスは大きく溜め息をついた。
「ほ、本当ですか?」
「多分この辺りはあいつらの縄張り。他の野盗が入り込むことは考えにくいわ。それに――さっき斬ったのはおそらくボス。しばらくは大人しくしてるでしょうね」
「そうなんですね……良かった」
丈太郎は胸をなでおろした。
「もっと堂々としなさいよ。特訓したでしょ?」
「はい……すみません。」
丈太郎は俯き、悔しさを噛みしめる。
フィリスは少し言い淀んだ後、真剣な表情で丈太郎に向き直った。
「……キツイかもしれないけど、言うね」
「はい」
「丈太郎くんが襲われたとき、もっと堂々としていれば……あいつらは逃げていたかもしれない」
「……!」
丈太郎の目が見開かれる。
「そうなれば、私は無駄に人を斬る必要がなかった。……まあ、あくまで可能性の話だけど」
「なんてことだ……」
丈太郎は愕然とし、唇をかむ。
フィリスは静かに言葉を継いだ。
「私は殺人狂じゃない。無駄に命を奪うのは本意じゃないのよ」
「誰も傷つけたくない……その志は立派よ」
フィリスはじっと丈太郎を見つめ、言葉を重ねる。
「でもね、だからこそ戦いから目を背けちゃ駄目。立ち向かうの。――それが、志を守る唯一の道だから」
その瞳は厳しくも、どこか温かさを宿していた。
「……はい。分かりました」
丈太郎は拳を握り、決意の表情でうなずいた。
胸の奥に、いくつもの顔が浮かぶ。
笑顔で送り出してくれたアンク、弁当を用意してくれたテラ、無邪気に「元気でね」と言ってくれたミィナ。
そして、遠い世界に残してきた両親の顔――。
(守りたい。必ず。大切な人を失いたくない)
丈太郎は静かに誓った。
その眼差しには、これまでになかった強さが宿っていた。
二人は無言のまま街道を進んでいた。
丈太郎はうつむき、ただ黙々と歩いている。
(戦いから目を背けちゃ駄目……)
フィリスの言葉が胸の奥に重く響いていた。
――この世界では命のやり取りが当たり前。俺の言葉なんて、絵空事に過ぎないのかもしれない。
それでも……強くならなきゃ。誰一人傷つけずに守れる、そんな強さを……。
「――野営地についたわよ、丈太郎くん」
フィリスの声で、丈太郎ははっと顔を上げた。
「あ……もう着いたんですか」
気づけば目の前に、街道脇の野営地が広がっていた。
「はぁー!お腹減った! やっぱりお昼抜きは辛いわー」
フィリスは大げさにお腹をさすり、笑ってみせる。
「あ……そういえば、お昼食べてませんでしたね」
「そうよ! 丈太郎くんったらずーっと考え事して、何か聞いても空返事ばっかりなんだから!」
むくれ顔のフィリスに、丈太郎は思わず苦笑する。
「……すみません。気づきませんでした」
「もう! いいからさっさとテント張りましょ。夜ご飯にしないと私、倒れるわ!」
フィリスは腕をぶんぶん振って、丈太郎を急かした。
丈太郎が手際よくテントを設営し、フィリスは慣れた様子で焚き火の準備を進める。
互いに声を掛け合わなくても、自然と役割分担ができていた。三日目にして、二人の連携はすっかり板についてきたようだ。
やがて火がぱちぱちと燃え上がり、二人は焚き火を囲んで腰を下ろした。
炎の温もりと、漂う食事の匂いに包まれながら、長い一日の終わりを迎える。
二人はお昼の分まで取り戻すように夕食をがっついた。
腹が落ち着いた頃、フィリスがふと焚き火を見つめながら口を開いた。
「ねえ、丈太郎くん。……今朝のこと、気にしてたんだよね。私、ちょっと言い過ぎた。ごめんね」
丈太郎は驚いた顔でフィリスを見た。
「いえ!こちらこそ……フィリスさんの期待に応えられなくて、すみませんでした。反省してます」
思わず頭を下げる丈太郎。その姿に、フィリスはくすりと笑みをこぼす。
互いに目を合わせ、自然と笑い合った。
やがて丈太郎は真剣な表情になり、焚き火の炎を見つめながら言った。
「俺、今朝の野盗の襲撃のこと……ずっと考えてました。どうしたらもっと上手く立ち回れたのか。どうしたらもっと強くなれるのかって」
「丈太郎くん……」
「……いまさらですけど、俺には“戦う”ってことの経験が圧倒的に足りないんです。だから……教えてください、フィリスさん!」
「しょうがないわねー。……いいわよ、丈太郎くん。私の持ってるもの、全部教えてあげる!」
フィリスはどこか誇らしげで、けれど嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
丈太郎は深く頭を下げる。
「わからないことがあれば、気兼ねなく聞きなさい。……手取り足取り、教えてあげるからね♡」
最後に軽口を叩くフィリスに、丈太郎は思わず顔を赤らめた。
「あの……早速なんですけど、いくつか質問してもいいですか?」
「よかろう。では――酒を持て、丈太郎」
フィリスは胸を張って命じた。
「……了解です」
丈太郎は苦笑しつつ、巨大リュックをごそごそと漁り、酒瓶を取り出してフィリスに手渡す。
「ふふん!」
フィリスは満足げに受け取ると、栓を抜いてぐいっと一口あおった。
「質問には答えてあげるわ。でもね、私は“酒を飲みながら答える主義”なの!」
豪快にそう言い放つフィリス。
丈太郎は呆れたように眉をひそめた。
「……そんな主義、初めて聞きましたよ」
焚き火の炎に酒瓶が照らされ、ぱちぱちと火の粉が舞う。
まるでこれから始まる“深夜の講義”を祝うように。
丈太郎は焚き火の炎を見つめながら口を開いた。
「あの……フィリスさん。さっき“野盗は野営地から付けてきた”って言ってましたよね? でも、なぜ野営地で襲わなかったんでしょうか。あそこには俺たち二人しかいなかったのに……」
フィリスは酒瓶を軽く振ってから、ゆっくりと答える。
「リスクがあるからよ。野営地は基本的に無人だけど、衛兵が定期的に見回りに来るの。そこで争った痕跡が見つかれば捜索が始まる。捕まれば……極刑ね」
「……なるほど」
丈太郎はごくりと唾をのみ込んだ。
フィリスは焚き火を見つめ、続ける。
「だから奴らは、街と街の“中間”を狙うの。見回りも薄く、人通りも減る。助けを呼ぶのも難しい……襲うなら一番都合がいい場所ってわけ」
「……そういうことだったんですね」
丈太郎は火の粉が舞い上がるのを目で追いながら、背筋に冷たいものを感じていた。
丈太郎は焚き火の炎を見つめたまま、もう一つ疑問を口にした。
「……野盗に襲われる前、俺、用を足しに行ったじゃないですか? あの時、なんで襲ってこなかったんでしょう。あんなに無防備だったのに」
フィリスは酒瓶を傾け、一口あおってからにやりと笑った。
「いい質問ね。それは――やつらが、あなたの命と私、両方を確実に手に入れるためよ」
「えっ……フィリスさんの命は狙ってなかったんですか?」
「そ。どうせあいつら、私をさらって弄ぶつもりだったんでしょ。……可愛すぎるのも問題よね」
わざと軽口を叩くフィリス。
「な、なんてことを……!」
丈太郎は拳を握りしめ、怒りに震える。
フィリスは肩をすくめて、さらりと続けた。
「つまり、用を足してるあなたを狙って私に気づかれ、逃げられるのを恐れたのよ。だから二人が近くにいて、しかも移獣から降りてるタイミングを狙った。最も確実に仕留められる瞬間をね」
「……なるほど」
丈太郎は唇をかみしめながら深くうなずいた。
「ならば……分担して、俺とフィリスさんを同時に襲えば良かったんじゃないですか?」
丈太郎の疑問に、フィリスは酒瓶を揺らしながら静かに答えた。
「前にも言ったでしょ。野盗は元冒険者や元兵士――つまり戦闘のプロよ。あいつらは私の強さに気づいていた。だからこそ、戦力を一点に集中させたかったの」
「……な、なるほど」
丈太郎は小さく息をのむ。
フィリスは焚き火を見つめ、淡々と続けた。
「無謀な真似はしない。だから厄介なのよ、ああいう連中は」
丈太郎はその言葉の重みを噛みしめながら、改めて野盗の恐ろしさを実感していた。
「じゃあ、何故最初にフィリスさんじゃなく俺を狙ったんでしょう? 強いフィリスさんを先に押さえた方が安心じゃないですか?」
フィリスはチッチッと人差し指を振った。
「弱そうなやつから倒す。数を減らして、自分たちをより有利にする。――集団戦闘のセオリーよ」
「すごい……そんなことまで計算してたとは……」
丈太郎は目を丸くする。
「野盗だからって侮っちゃダメ。奴らは狡猾で慎重。だからこそ確実に獲物を仕留めるのよ。……今朝の連中も、連携はかなり取れていたわね」
フィリスは酒瓶を傾け、焚き火の炎に目を細める。
丈太郎は黙ってその言葉を胸に刻み込んだ。
「私が斬ったあいつも、Bランクくらいの実力はあったわね」
フィリスは何でもないように言った。
「そ、そんなに強かったんだ……」
丈太郎は目を見開く。
――Bランク。冒険者の中でも上位に属する実力者。並の魔物なら一人で討伐できる力を持つと聞く。
それを一撃で……。
丈太郎は改めて、フィリスの圧倒的な強さに感嘆した。
そして丈太郎は、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。
「そうか……だから……あの時、俺が目をそむけずに“強者の構え”をとれていれば……。
アイツらにとってリスクは増大して、撤退する可能性も十分にあった。
でも俺は戦う意思を示せなかった。……結果、アイツらにとって俺はリスクじゃなく、ただの石ころになったんだ」
フィリスはにっこりと笑い、人差し指を立てた。
「――そういうこと。よく出来ました、丈太郎くん」
丈太郎は拳を握りしめ、声を震わせた。
「本当に……すみませんでした。俺のせいでフィリスさんに、無駄な殺人をさせてしまった」
フィリスは少し目を細め、焚き火を見つめながら静かに首を振った。
「無駄かどうかは、私が決めることよ。降りかかる火の粉を振り払った、それだけの事よ」
丈太郎はハッと顔を上げる。
「でも……」
「だからこそ強くなりなさい。次は“守るために”立ち向かえるように」
フィリスの表情は厳しくも、どこか優しさが滲んでいた。
「それに……」
フィリスは真剣な面持ちで続けた。
「最初の襲撃で、丈太郎くんに矢が通じないとわかった時点で、奴らは撤退しても良かったはず。
それでもなお襲撃を続行した理由は――」
「……その理由は?」
丈太郎はごくりと息をのむ。
フィリスは一拍置いて、胸を張った。
「私の美しさよ。あいつらはそのリスクを冒してでも、私を手に入れたかったの。……はぁ、私って罪ね」
「……」
丈太郎は言葉を失い、ただ呆れ顔でフィリスを見つめるしかなかった。
「だから――丈太郎くんだけのせいじゃないってこと!」
フィリスは力強く言い切り、酒瓶を軽く掲げた。
「初めての旅だったから稽古は中断してたけど……明日から再開よ!」
丈太郎は焚き火の炎を見つめながら、真剣な眼差しでうなずいた。
「はい! お願いします」
夜空には満天の星が瞬き、二人の誓いを静かに見守っていた。




