第21章 旅立ち
出発の日の朝。
丈太郎はアンクの家の玄関先に立っていた。約四か月間世話になったこの家に、とうとう別れを告げる時が来たのだ。
アンク、テラ、ミィナが並んで見送ってくれている。治癒院の仕事で忙しいはずのアリスも駆けつけてくれた。
アンクが一歩前に出て、布包みを丈太郎に差し出した 。
「これは?」
丈太郎が受け取ると、アンクは穏やかに笑った。
「丈太郎くん用に調合したポーションだ。魔力成分は取り除いてある。君には効かないからね。その代わり、疲労回復や滋養強壮の効果がある。包みの中に作り方のレシピも入れてあるから、治癒院や薬士ギルドに持っていけば、同じものを作ってくれるだろう」
「ありがとうございます……」
丈太郎は、その細やかな気遣いに胸が熱くなるのを感じた。
「お兄ちゃん、元気でね!」
ミィナは寂しさをこらえて笑顔を見せる。その小さな手が、丈太郎の袖をぎゅっと握った。
「丈太郎さん……行ってらっしゃい。旅の無事を祈っているわ」
テラは丈太郎に丁寧に包まれた弁当を手渡す。優しく微笑みながら、まるで本当の家族に言うような温かい声で送り出してくれた。
「丈太郎さん、お元気で。お帰りをお待ちしてます」
アリスは潤んだ瞳でそう言った。
丈太郎は四人を見回し、深く頭を下げた。
「お世話になりました……ありがとうございました!」
その声には、強い決意と名残惜しさが入り混じっていた 。
村を出る前、丈太郎はフィリスの泊まる宿屋の前で待ち合わせ、移獣舎ギルドへと向かった 。
「ちょっと待ってて。手続きしてくるから」
フィリスはギルドの中に入っていった。
待っている間、丈太郎はギルドの横に整然と並んでいる何頭もの『移獣』を興味深く観察した。
馬に似ているが、目の色が赤だったり青だったりとバリエーションは豊富だ。体躯も、細身のものから頑強そうなものまで様々である。とても静かでまるで置物のようだが、たまに瞬きしたり尻尾を振ったりするので、確かに生物だと認識できる。
アンクから聞いた話によれば、移獣は「グレイホース」という魔物を改良して作られたものだという。用途に合わせて各地で養殖・量産されており、その種類は豊かだ。
例えば、全身を柔らかな毛で覆われた巨大で温厚な運搬型は、村の物流や商隊の荷馬車引きに欠かせない。
緊急の伝令や高ランク冒険者が好んで使うのは、脚力とスピードに特化した細身の早馬型。
そして、アンクの家にも繋がれていたような、小柄で愛嬌のある家庭用小型種などがある。
ちなみに、この世界には普通の野生の馬も存在しているとのことだった。
丈太郎は村にいる間、アンクの家の《コメット》に何度か乗せてもらったことがある。少し習うだけで、とても簡単に乗ることができた。
「おまたせ」
フィリスが戻ってきた。
「えーと…これね」
フィリスが選んで前に立ったのは、赤い瞳をしたスラリとした体躯の移獣二頭だった 。
最も量産されている汎用型の《ラナー》というタイプで、バランスが良く初心者にも扱いやすいため、冒険者や一般の旅人がよく利用するものらしい。
2人は移獣にまたがり、村を出た。
いよいよ、冒険の始まりだ 。
「この移獣、どうやって返すんですか?」
「次の街の移獣舎ギルドで乗り捨てるのよ」
なるほど、レンタカー方式か……と丈太郎は心の中でつぶやいた。
「ただし、借りるには信用が必要なの。道中は治安が悪いし、無事に返せる保証がない人には貸してくれないわ。普通は護衛つきの定期便を使うものよ」
「へぇ……フィリスさん、信用あるんですね。ちょっと意外です」
「ちょっと! それどういう意味よ!」
フィリスはむっとしながらも、懐から冒険者章を取り出してひらひらと振る。
「これを見せれば一発よ。ありがたく思いなさい!」
「……はい。ありがとうございます。感謝します」
アンクから聞いた話では、この世界では村や街を結ぶ街道がきちんと整備されているらしい。
舗装こそされていないが、移獣や獣車がすれ違えるよう幅は広く、要所ごとに宿場や休憩所もある。いわば交通インフラはしっかりと整っていると言える 。
「次の街まで、どれくらいかかるんですか?」
丈太郎が尋ねると、フィリスは手綱を軽く引きながら答えた。
「そうね……アウトリアまでは…五日くらいかしら」
「えっ、そんなに!」
「これでも近いほうよ。もっと遠いところだと十日以上かかることだってあるんだから」
丈太郎は驚きながらも、ふと気になって口を開いた。
「あの……治安が悪いって言ってましたけど、魔物が出るんですか?」
不安げな問いに、フィリスは首を横に振る。
「街道に魔物はめったに出ないわ。多いのは――野盗ね」
「野盗!?」
「そう。元は兵士や冒険者、傭兵だった連中が身を崩して流れ着いたならず者よ。中には組織化してる集団もあって、国も対応に頭を抱えてるの」
丈太郎は首をかしげる。
「なぜそんな……この国は貧しいんですか? 村にいた時は、とてもそうは見えなかったけど」
「貧しさとは関係ないと思う。むしろ逆かもしれないわね。この世界は魔法のおかげで、国や組織に属さなくてもある程度は生きていける。だからこそ、自由を求めて国を出た者たちが野盗になるのよ」
「……なるほど」
フィリスは前を見据えたまま、小さく笑う。
「気持ちはわからなくもないわ。帝国に縛られて生きるのも、窮屈だからね」
街道を進むうちに、太陽は西の空へと傾いていった。
気温がぐっと下がり、吐く息が白くなる。フィリスは外套のフードをすっぽりとかぶり、肩をすくめた。
紅葉した木々の葉が、冷たい風に乗ってはらはらと散り落ちてゆく。季節は――秋の終わりなのだろうか。
「冷えてきたわね……丈太郎くんは寒くないの?」
「それが、能力のせいか全然平気なんですよ。気温の変化はわかるんですけど、暑さも寒さも辛く感じなくなってて……常に快適なんです」
「……便利すぎる能力ね……」
フィリスは心底羨ましそうに横目で丈太郎を見た 。
やがて前方に、街道脇の広場が見えてきた。
「もうすぐ野営地があるはずよ」
「えっ、宿場町に泊まるんじゃないんですか?」
「こんな辺境の街道沿いに宿場町なんてないわ。あるのは野営地がいくつかだけ」
「……マジか」
丈太郎の肩が思わず落ちる。するとフィリスはにやりと笑って、声を潜めるように言った。
「それに人通りも少ない街道だから――野盗には気をつけないとね!」
「な、なんですって……」
丈太郎は青ざめ、背筋をのばした。
「ほんと、無敵の能力があるのにビビり症ねー!」
フィリスは楽しそうに笑い声をあげた 。
やがて野営地にたどり着いた。
街道沿いを少し切り開いた広場で、地面は踏み固められていてテントが張りやすそうだ。片隅には湧き水を引いた小さな水場まで整えられている。
――キャンプ場じゃん。
丈太郎は思わず心の中で呟いた。
背負ってきた巨大リュックを降ろし、テントを取り出して手際よく設営を始める。
その様子を、火起こしの準備をしていたフィリスがじっと見ていた 。
「……ずいぶん手馴れてるのね?」
「ええ、あっちの世界でも野営はたまにしてましたから」
「ふーん、そうなんだ」
丈太郎の脳裏に、かつての思い出が浮かぶ。
マウンテンバイクの大会――会場近くのキャンプ場で、両親と一緒に張ったテント 。
焚き火の煙、母の笑い声、父の背中。
今はもう届かない遠い世界の光景に、胸の奥が少しだけ寂しくなる。
丈太郎は二人分のテントを建て終えると、腕を軽く伸ばしてフィリスの方を振り返った。
その瞬間、視界にぱっと赤い光が飛び込んでくる。薪の山から、勢いよく炎が立ち上っていた。
「もう火が起きてる!?」
丈太郎は思わず声を上げた。
彼の知る限り、薪に火をつけるには細い枝から順番に火種を育てる手間がかかる。普通はそう簡単に燃え上がるものではない。
フィリスは得意げに片眉を上げ、手のひらに小さな火の玉を浮かべてみせる。
「ふふん、私を誰だと思ってるの?」
――なるほど。強引に火をつけたのか。
丈太郎は呆れながらも、改めて魔法という存在の便利さを実感した 。
二人は焚き火の前に腰を下ろし、温かな炎を囲んで夕食をとることにした。
包みを開くと、朝にテラが持たせてくれた弁当がきれいに詰められている。色とりどりの野菜や肉、焼きたてのパンまで入っていて、心のこもった一品だ。
「……テラさんのお弁当、本当に美味しいわね」
フィリスが感動したように目を丸くし、頬をほころばせる。
「はい……」
丈太郎も静かにうなずいた 。
口に運ぶたび、テラの優しい笑顔が浮かんでくる。
一緒に暮らしたアンクやミィナの顔も思い出される。――つい今朝まで、当たり前のように一緒にいたのに。
胸の奥に切なさがこみ上げ、丈太郎はしばし無言になった。
火のはぜる音だけが、二人の間に静かに流れていく 。
なんとなく、しんみりとした空気のまま、二人は弁当を食べ続けた。
そんな空気を破るように、丈太郎が口を開いた。
「あの……夜って、見張りとかするんですか?」
「必要ないわ。あのテントには簡易な防御結界が張ってあるから」
「でも簡易なんでしょ? 襲われたら破られちゃうんじゃ……?」
「まあ、ゼロではないわね。でも狙われるとしたら丈太郎くんの方だから、大丈夫」
「全然大丈夫じゃないんですけど! ってか、なんで俺のだけ狙われるんですか!?」
フィリスはクスクス笑いながら指をさした。
「だって丈太郎くんのテント、防御結界機能ないから」
「……え!?」
「普通は結界のない方を狙うものよ。いいじゃない、無敵なんだし! それに、丈太郎くんが先に襲われれば、私がすぐに助けてあげられるでしょ?」
「そうかもしれませんけど……気持ちの問題ですよ、それ!」
フィリスはお腹を抱えて笑い、丈太郎は頭を抱える。
焚き火の炎がぱちぱちとはぜ、夜の闇に二人の笑い声が溶けていった。
――こうして、丈太郎の冒険初日の夜は、不安とともに更けていった 。




