第19章 準備
村外れの広場。朝靄がまだ薄く残り、草の露が光を返していた。
「まずは剣を抜いて構えて。“抜剣の型”の練習よ。いざという時、綺麗に剣を抜く気配を見せるだけで相手を威圧できるからね」
フィリスに促され、丈太郎は特注のショートソードを鞘から抜き、両手で構える。
重くもなく、軽すぎもせず、手にしっくりと馴染む感触。片手だと少し心許ないが、両手でなら扱えそうだ。
「丈太郎くんの武器はショートソード。本来は片手で使う武器よ。片手に盾を持つのが前提だからね。魔法職や、私みたいな魔剣士は両手で持つこともあるわ。見習い冒険者や新米兵士が、まず最初に扱う武器でもあるの」
そう言いながら、フィリスは背中に背負っていた大剣の柄に軽く手をかけた。
「今の私は大剣を使っているけど……最初はあなたと同じショートソードから始めたの。軽くて扱いやすいから、剣の基礎を覚えるには一番いいのよ」
丈太郎は思わず目を丸くした。
(フィリスさんも……ここから始めたのか)
そう思うと、不思議と胸の奥が温かくなる。
「じゃあ、振ってみましょうか……って、持ち手が逆ね。丈太郎くんは右利きでしょ?なら左手は柄の下を支えて、右手は少し離して軽く添える感じ。……そう、力を入れすぎないで」
フィリスが後ろから手を添えて、持ち方や足の幅まで丁寧に直していく。
「よし、振ってみて」
丈太郎は剣を振り下ろした。
「いいじゃない!その調子で続けて」
丈太郎は30回ほど素振りを繰り返すと、膝に手をつき、ゼエゼエと肩で息をした。
「す、すいません……少し休ませてください……」
「え!?もう疲れちゃったの?」
フィリスは呆れ顔をする。
「絶対防御も、体力の消耗までは防いでくれないみたいね……ふふっ、新しい弱点発見」
「……なぜか嬉しそうですね?」
丈太郎は汗を拭いながら突っ込む。
「だって、無敵すぎると特訓する意味がないじゃない。弱点がある方が伸ばしがいがあるでしょ?」
フィリスはどこか楽しそうに笑った。
「重いものは平気なんだけどなー……そんなに甘くなかったか…」
丈太郎が息を整えながらつぶやく。
「え!?重いの平気ってどういうこと!」
フィリスが思わず食いついた。
「あれ?言ってませんでしたっけ?……ある一定の重みを越えると能力が発動するんです。多分、俺が“重い、キツい”って思った瞬間に……」
丈太郎は広場の片隅にあった巨石を、何でもないように両手で持ち上げて見せた。
「な、ななっ!?聞いてないわよ!何それ!反則じゃない!」
フィリスの声に、近くを歩いていた村人まで足を止めて振り返る。
「ってことはよ!?もっと大きくて威圧感のある武器でも余裕だったじゃない!大剣とかにすればよかったのに!」
「いえ……俺の中ではあのショートソードがしっくりきたんです。それに……能力が発動すると羽根みたいに軽くなってしまうから。せっかくの武器だし、少しは持ってる感も欲しくて……」
「なによそれー!威圧感出すための特注品なのに、意味わかんない!」
フィリスは呆れながらも笑い出した。
丈太郎は紅玉魔晶が輝く黒塗りの刀身を、慎重に布で拭いていく。
その姿にフィリスは思わず微笑む。まるで子どもが初めてのおもちゃを手にした時のようだ。
しかし、次の瞬間、彼女は真剣な表情で丈太郎の肩に手を置いた。
「丈太郎くん……」
その声に思わず背筋を伸ばす丈太郎。
フィリスは深くうなずき、重々しく口を開いた。
「……荷物持ちは、まかせたわ」
「……は?」
丈太郎がぽかんとした顔をすると、フィリスはくすっと笑った。
「とにかく、基礎体力は日々の素振りと走り込みで鍛えていくしかないわね。」
「はい。お願いします」
丈太郎は息を整え、まっすぐにフィリスを見た。
「よし、素振りの続きやるわよ!」
こうして剣の特訓が始まった。
村外れの広場に、剣を振るう音が響いていく。
数日間の剣の特訓で、丈太郎は最低限の基礎を身につけた。
まだまだ未熟だが、剣を握る手に迷いはなくなっていた。
「よし、あとは旅を続けながら毎日鍛えていきましょう」
フィリスがそう言うと、丈太郎は力強く頷いた。
「て事は……」
「うん。帝都へ向かいましょう」
「やった。やっと帝都へ行ける!」
丈太郎は思わず声を上げ、子どものように喜んだ。
「でもその前に、明日は旅に向けての買い出しよ」
フィリスはいたずらっぽく笑った。
翌日、ふたりは村の中心街へ向かい、鍛冶屋の扉を開けた。
分厚い腕をした獣人の店主が顔を出す。
「お!待ってたよ。頼まれてたもの、ちゃんと作っといたぜ」
獣人はカウンターの奥に戻り、どでかいリュックと布に包まれた荷を抱えてくる。
「まったく……うちは鍛冶屋だぜ?鉄を打つのは得意だが、革を縫い合わせてでかいリュックを仕立てるなんざ骨が折れたぜ」
「ありがとうね。お代は弾むから」
フィリスが満足そうにうなずく。
丈太郎は首を傾げ、巨大なリュックを見て呟いた。
「こんなに大きなリュック……まさか、これって……」
「そう!丈太郎くんの為に作ってもらった特注品よ!」
フィリスは自慢気だ。
(荷物持ちは…本気だったのか……)
丈太郎は改めてリュックを眺める。
通常の三倍はあろうかという大きさで、背丈のある丈太郎が背負っても、肩から腰までをすっぽり覆ってしまいそうな代物だ。
厚手の革を幾重にも重ね合わせ、縫い目は太い糸で丁寧に仕立てられている。金具や留め具も無骨で頑丈、どんなに荒く扱ってもびくともしなさそうだった。
にもかかわらず、全体のシルエットは不格好ではない。角の処理や革の張り具合は見事で、職人の技術が光っていた。
巨大なのに、妙に“持ち主に馴染む”ような気配すら漂っている。
「……これ、本当に背負えるのか……?」
丈太郎は目を丸くしながら思わず呟く。
「背負ってみな。体に合わせて調整してあるから」
獣人の鍛冶屋がニヤリと笑う。
おそるおそる肩紐に腕を通すと、意外なほどしっくり背中に収まった。重さも不思議と苦にならない。丈太郎は試しに肩を回してみる。
「……あれ?全然、平気かも」
その瞬間、丈太郎はふと思い出した。
――特訓の合間にフィリスさんがメジャーのようなもので俺の背中とかを計測してたのは、このためか……。
丈太郎は複雑な気分だった。
「でしょ!丈太郎くん専用、究極の荷物持ちリュックよ!」
フィリスは満面の笑みを浮かべていた。
「あ、ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
丈太郎は深々と頭を下げ、フィリスにお礼を言った。
フィリスはぱっと花が咲くような笑顔を見せる。その無邪気な表情を見ているうちに、丈太郎の胸にあった複雑な気持ちは、いつの間にか和らいでいった。
――まあ、荷物持ちでもいいか。彼女があんなに嬉しそうなら。
そう思うと、丈太郎の口元にも自然と笑みが浮かんでいた。
「さ、次いくわよ!」
フィリスは鍛冶屋に料金を払い終えると、迷いなく次の店へと歩き出した。
向かった先は村の中心街にある雑貨屋。ここなら旅に必要な品はひと通り揃うらしい。
店の中は所狭しと道具が並んでいた。干し肉や硬い黒パン、乾燥野菜の袋、旅人用の折り畳みテントや寝袋、火打石や縄――フィリスは慣れた手つきで次々と選び取り、丈太郎の巨大リュックに放り込んでいく。
「うわ……けっこう入りますね……」
丈太郎はリュックの大容量に驚きつつも、どんどん詰め込まれる荷物を見つめる。重みを感じた瞬間、自然と能力が発動し、リュックは羽根のように軽くなる。
その様子を横で見ていたフィリスは、満足げに笑った。
ふと、フィリスは棚の隅に並んでいた酒瓶を手に取った。赤い封蝋がされたものや、透明度の高い蒸留酒らしき瓶もある。
「お酒いるんですか?」
丈太郎は少し呆れ気味に尋ねる。
「当たり前じゃない。旅には必須よ」
フィリスは当然のように答えた。
「必須……なんですね……」
丈太郎は肩を落とすが、楽しげに酒瓶を吟味するフィリスを見て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「これで大体オッケーね」
満足そうに頷くフィリス。
「あの、まだだいぶ余裕ありますけど」
丈太郎がリュックを指すと、フィリスはさらりと言った。
「うん。後で私の荷物も入れるから。安心して」
「……そっか。俺は荷物持ちだった……」
丈太郎は天井を仰ぎ、心の中でそっと嘆息するのだった。
雑貨屋を出た二人。
「丈太郎くん、お腹減らない? 何か食べていきましょ」
フィリスの提案に、丈太郎も素直に頷いた。
近くの食堂に入る。そこはアンクともよく訪れた場所だ。昼時の店内は賑わっており、木のテーブルに座る客たちの笑い声と、肉を焼く香ばしい匂いが充満していた。
フィリスは迷いなくエールを注文し、当然のように丈太郎の分も頼んでいた。
料理が運ばれてくるのを待つ間、フィリスはさっき鍛冶屋で買っていた包みをテーブルの上に置いた。
「フィリスさん、これは?」
丈太郎は目を瞬かせる。
「私からのプレゼント。特訓を耐え抜いたことと、これからの旅立ちに向けてのお祝い的な?」
フィリスはにっこり笑った。
「そんな、特訓をつけてもらったのは俺なのに……」
丈太郎は思わず恐縮する。
「細かいことはいいから、開けてみて」
促されて包みを開いた丈太郎の目に映ったのは、旅用の衣服だった。冒険者風の上下に、しっかりした革手袋とロングブーツ。丈太郎の好きな黒を基調にした地味目なデザインだが、どこか洗練されていて格好いい。さらに、カーキ色のフード付き外套が添えられていた。
「これは……」
丈太郎は言葉を詰まらせた。
「サイズはピッタリだと思うよ」
フィリスは得意げに笑う。
(そうか……リュックの採寸で……)
丈太郎はようやく思い当たった。
「フィリスさん……ありがとうございます。本当に……すごく嬉しいです」
丈太郎は目に涙を浮かべながら礼を言った。
フィリスはその顔を見て、照れ隠しのようにエールをあおる。
「……ほんと、変わってる子ね」
小さくつぶやきながらも、その口元には温かい笑みが浮かんでいた。
「あの……フィリスさん。どうしてここまでしてくれるんですか? 俺みたいな、怪しい異世界人に……」
丈太郎は目尻をぬぐいながら、正面から問いかけた。
フィリスは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑った。
「そんなの――面白そうだからに決まってるじゃない。異世界の話も、あなたの《絶対防御》も、興味は尽きないわ。それに……知らない世界に、たった一人で来てしまったんでしょう? 放っておけるわけないじゃない」
言葉を切ったフィリスは、エールのジョッキを口に運びながらちらりと丈太郎を見る。
(……それに、笑顔が可愛いしね)
心の中だけでそう呟くと、ほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じた。




