第16章 特訓
次の日、治癒院。
いつものように掃除や薬草の仕分けをしていたアリスに、丈太郎は帝都行きのことを告げた。
「……本当に、行っちゃうんですか?」
大きな瞳が瞬きを忘れたように見開かれ、すぐに潤んでいく。
「うん。でも、まだ準備があるからすぐじゃないよ」
丈太郎が苦笑しながら言うと、アリスは唇を噛み、そして微笑もうとした。
「……寂しいです。でも……絶対に無事に帰ってきてくださいね」
涙をこぼしながらも、アリスはしっかりと丈太郎の手を握った。その温もりに、丈太郎は胸が少し痛くなる。
この日から、フィリスの特訓が始まった。
治癒院の仕事はテラが手伝ってくれることになり、アンクからも「今は特訓に専念しろ」と背中を押された。
丈太郎は、胸の奥に不安と期待を同時に抱えながら、広場へと向かった。
待っているのは、容赦のないAランク冒険者――フィリスだ。
「丈太郎くん、まずあなたに足りないものは……その能力への“慣れ”よ」
フィリスは腰に手を当て、少し呆れたような目を向ける。
「この間、私が攻撃した時、いちいちビビって目を閉じてたでしょ。あんな物腰じゃ舐められるわよ。治安の悪い街に行ったら、間違いなく絡まれるわ」
「……いや、あれは反射的に……」
丈太郎が言い訳しかけるが、フィリスは手をひらひら振って制した。
「ダメ。そういうのがトラブルの元なの。あなたの能力は無敵なんだから、まずそれに慣れなさい。自信を持つの」
広場に立つ丈太郎の前で、フィリスは剣を軽く振り回しながら笑った。
「というわけで、今日は“目を閉じない”が目標!」
「……はい」
丈太郎はごくりと唾を飲み込む。
フィリスは少し離れて構える。
「いくわよ! 《フレイムショット》!」
掌から放たれた火球が一直線に飛んでくる。
――わかってる、消えるってわかってる……!だが本能が、熱と衝撃を予期してまぶたを閉じさせる。寸前で火球は霧散し、熱風だけが頬を撫でた。
「ほら、また目をつぶった!」
「す、すみません……!」
休む間もなく、フィリスが手をかざす。
「次はちょっと強め! 《ツインフレイムバースト》!」
両手の炎が重なり、轟音と共に押し寄せる。丈太郎は歯を食いしばり、なんとか目を開けたまま耐えようとするが――
直前で視界が暗転する。やはり閉じてしまった。
「ダーメ! あなた、その反射が抜けるまで何百回でもやるからね!」
「……そんなに……」
「はい、次っ!」
火球、炎の渦、光の矢、突風の刃――
フィリスは魔法と剣技を交互に繰り出し、丈太郎はそれをひたすら受け続けた。
最初は一発ごとに肩が跳ね、目がぎゅっと閉じてしまう。
しかし、十回、二十回と繰り返すうち、恐怖よりも「またか」という感覚が勝ち始める。
「いいわ、その調子!」
フィリスがニヤリと笑い、今度は剣で一閃する。刃は丈太郎の鼻先で崩れ、光を失って消えた。それでも丈太郎は――目を開けたままだった。
「……やればできるじゃない!」
息を弾ませながら、フィリスが剣を肩に担ぐ。丈太郎も大きく息を吐き、額の汗をぬぐった。
「……でも、まだ怖いです」
「怖くていいのよ。その怖さを、動じない自信に変えるの」
丈太郎は拳を握った。
――この特訓、絶対にやり遂げる。
特訓が始まって数日。
丈太郎はもう、フィリスの攻撃に目をつぶることはなくなっていた。
あとは――どれだけ余裕を持って受けられるか、だ。
目を開いて、しっかりとフィリスの攻撃を見据える。すると、今まで気づかなかったことが見えてきた。剣の軌道、重心の移動、踏み込みの間合い――。
魔法も確かにすごい。けれど、剣はそれ以上に洗練されていた。
訓練だからだろう、丈太郎でも追える速度で振ってくれているが、それでも一つひとつの所作が無駄なく、流れるように美しい。
――なんだこれ、ずっと見ていられる。
気がつけば、丈太郎はただ剣の動きに見惚れていた。
「……なに、ぼーっとしてるの!」
フィリスの声が飛んできて、丈太郎はハッと我に返る。
「あ……いや、あまりにも綺麗で……見とれちゃいました」
「なっ……! 特訓中よ、今!」
フィリスが思わず声を上ずらせ、頬がわずかに赤く染まる。
「フィリスさんの剣、本当に綺麗ですね。見てて飽きないです」
「へっ?……あ、ああ、剣ね! あははは……」
一瞬、目をそらして笑い飛ばすフィリス。
けれど、その耳までほんのり赤くなっている。
さらに特訓を重ねる丈太郎。
何度目かの斬撃を受けきった直後、ふっと足元が揺らぎ、そのまま膝から崩れ落ちた。
「丈太郎くん!?」
駆け寄るフィリス。
肉体はほとんど疲れていない。
息も乱れていないし、体に傷一つない。
――ただ立っていただけなのだから。
だが、頭の奥が重く、全身から力が抜けていく。
胸の奥に、鉛のような疲労感が広がっていた。
フィリスの技は、どれも殺気を伴う本物の一撃だった。
たとえ無効化できるとわかっていても、目の前で迫る炎刃や雷撃は、反射的に心を削っていく。
慣れてきたつもりだった――だが、戦いに無縁だった丈太郎にとって、それは精神を磨り減らす作業だった。
(……これ……能力じゃ防げない……)
丈太郎は悟る。
無敵の防御も、精神的な疲弊までは無効化できない。
それが、この力の弱点だった。
じっと丈太郎を見下ろすフィリスも、その事実を感じ取っていた。
彼女の瞳に、一瞬の影が落ちる。
「……今日はここまでにしましょう」
そう言ってフィリスは、そっと丈太郎の腕を引き、近くの切り株に座らせた。
「え、でも――」
「でもじゃないの。体は無事でも、心が疲れてたら意味ないでしょ」
フィリスは軽く笑いながらも、その声は優しかった。
夕暮れの空を見上げながら、丈太郎は深く息を吐いた。
さっきまで全身を覆っていた緊張感が、少しずつ溶けていく。
隣に腰を下ろしたフィリスが、ちらりと丈太郎の顔を覗き込む。
「ねえ……正直に言って、私の攻撃、ちょっとは怖かった?」
「ちょっとどころじゃないですよ……めちゃくちゃ怖かったです」
「ふふ、だよねぇ。」
フィリスは得意げに笑ったあと、急にニヤリと悪戯っぽく口元を上げる。
「でもさ、丈太郎くん……あれだけ間近で私の顔見てて、見とれたりしなかった?」
「えっ!?な、なに言ってるんですか」
「だって、“剣が綺麗”とか言ってたじゃない。もしかして“剣を持ってる私”が綺麗だったんじゃないの〜?」
茶化すような口調に、丈太郎は思わず赤面し、慌ててそっぽを向く。
「そ、そんなわけないでしょ!」
「ふふふ、図星かな〜」
笑い声が、広場に心地よく響く。
それは戦いの緊張を一気に吹き飛ばし、二人の間に柔らかな空気を生み出していた。
フィリスは腰を上げ、手を差し出す。
「さ、そろそろ帰ろっか。今日はちゃんと休むこと。明日も特訓するんだから」
丈太郎はその手を取る。
温もりが、夕暮れの中でやけに心強く感じられた。
丈太郎は自宅のベッドに横たわり、天井を見つめていた。
今日の特訓で浮き彫りになった、自分の意外な弱点。
――精神的な疲弊。
こればかりは能力では防げない。繰り返しの訓練で慣れ、心を鍛えるしかない。
しかし、それだけじゃ足りない気がした。
いくら攻撃を無効化できても、ただ棒立ちしているだけでは何かが違う。
本物の強者は、立っているだけで周囲を圧する何かを持っている。
自分には――それがない。
「どうすれば……」
額に手を当てて考え込む丈太郎。
そして、ある瞬間、頭の中に一筋の光が走った。
「……そうだ!」
勢いよくベッドから起き上がる。
その瞳には、ほんの少しだけ“強者”の影が宿っていた。
次の日、フィリスの特訓が始まる。
火球が一直線に丈太郎へ飛んでくる。
丈太郎は片手をすっと前に出し、掌を広げた。
その掌の前で、炎は霧のように消える。
丈太郎は口元をわずかに上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ……考えたわね」
「こうしたほうが、なんか雰囲気出るかなーって思って……どうですか?」
「いいと思う! 防御魔法を展開してるみたいに見えるし、絶対防御の“何しても効かない感”をちょっと和らげられるね」
フィリスは面白がるように笑う。
丈太郎は内心、安堵しながらも頷いた。
昨晩、ベッドで考えて飛び起き、このポーズを練習したのだ。
正直……厨二っぽくて恥ずかしい。
だが、この世界ではむしろ「それっぽさ」が求められる――いや、これはマストだ。
丈太郎はその夜、様々な防御姿勢を鏡の前で試し続けたのだった。
「次は剣の攻撃お願いします」
丈太郎が構えをとりながら言った。
「はいよ!」
フィリスは丈太郎にわかりやすいよう、大きなモーションで、しかもスピードを落として剣を振るう。
丈太郎はすっと人差し指を伸ばし、その刃先をピタリと止めた。
――もちろん、不敵な笑みは忘れない。
「おお、いいじゃん! どんどん行くわよ!」
フィリスの連撃が、ひゅん、ひゅんと空気を裂いてくる。
丈太郎は指先一つでそれらを捌いていく。 ……何度か指を外れて腕や頭にモロに当たっているが、そこは『絶対防御』で無傷だ。動揺を顔に出さず、大事なのはあくまで強者の“雰囲気”を醸し出すこと。 最後の一撃を止めた瞬間、丈太郎は口元を歪め、低く言った。
「フッ……やるな、フィリスくん……」
「……なんかムカつく」
フィリスは眉をひそめるが、どこか楽しそうに剣を下ろした。




