第11章 討伐の余韻と、誘いの夜
翌日。
丈太郎はいつものように治癒院での仕事に勤しんでいた。
ベッドのシーツを交換し、薬草を刻み、傷の手当てを手伝う。昨日の出来事が嘘のように、穏やかで静かな時間が流れていた。
アリスが包帯を巻き終えた患者のカルテを棚に戻しながら、興味津々な様子で尋ねてくる。
「で?で?昨日の討伐、どうだったんですか?」
丈太郎は少し困ったように笑いながら答えた。
「まぁ…なんとか無事に終わったよ。グランドグリズリーは、フィリスさんが倒した」
「“一撃で”って噂、ほんとですか?」
「うん。本当に一撃だった。蒼い炎の斬撃で…すごかったよ」
「さすがAランク冒険者ですねぇ……かっこいいなぁ。あ、もちろん丈太郎さんもかっこいいですけど!」
「ありがと……」
アリスの何気ない褒め言葉に、丈太郎は少しだけ耳を赤くしながら笑った。
そんなこんなで、慌ただしくも平和な一日は過ぎていく。
日が傾き始めたころ、治癒院の扉が軽くノックされた。
「失礼するわよ」
入ってきたのはフィリスだった。
昨日とは違い軽装の冒険者の服装に、肩にかかった金髪が夕陽に照らされてまぶしい。
「フィリスさん、どうしたんですか?」
「グランドグリズリー討伐の報酬がギルドから入ったの。せっかくだから、討伐祝いに飲みに行かない?」
そう言って、にっこりと微笑む。
「飲みに……ですか…」
丈太郎は一瞬たじろいだが、なんとなく断る理由もない。
アリスが笑いながら背中を押してくる。
「行ってきてください!丈太郎さん、最近がんばってましたし!アンク院長には私から言っておきますから!」
「……じゃあ、少しだけ」
「決まりね。それじゃ、行きましょ」
フィリスは片手を軽く上げて、丈太郎を促す。
夕暮れの村を、二人の影が並んで歩いていく。
まるで嵐の前のように、どこか静かな空気が漂っていた。
村の中心にある酒場《くるみ亭》は、夕暮れどきになると徐々に人が集まり始め、賑やかな声と木の香りが混じり合っていた。
カウンターに並んだ木製の椅子。油の灯りがゆらゆらと照らし出す木目のテーブル。暖かく、どこか懐かしい空間だった。
「こっち、空いてるわ」
フィリスは慣れた様子で窓際の席を確保すると、丈太郎を促した。
店主が運んできたのは、村で作られた果実酒と、簡単なおつまみの盛り合わせ。塩気の効いた干し肉と、香草を混ぜたチーズが皿に盛られていた。
「はい、乾杯!」
「か、乾杯……」
カチン、と木のカップが軽くぶつかる。
丈太郎が控えめに口をつけると、ほのかな酸味と甘みが舌に広がった。飲みやすいが、アルコールはしっかり効いている。
「どお?いけそう?」
「……けっこう美味しいです」
「よかった。初心者にも飲みやすいって評判なのよ」
フィリスは杯を傾けながら微笑んだ。
一杯、また一杯と進むうち、場の空気がほどけていく。
丈太郎も、いつしか口数が少し増えていた。
「それにしても、昨日は助かったわ。あなたのおかげで無事に仕留められた」
「いえ、僕は何も……」
「でも、変だったのよね」
フィリスの声の調子が少しだけ変わる。視線が真っ直ぐ丈太郎に向けられる。
「グランドグリズリーが突然怯えて逃げ出した。あんなの、初めて見た」
「……」
「私を見て逃げたってことにしたけど――本当は、あなたを見て怯えた。そうじゃない?」
丈太郎の手が、カップの縁で止まる。
「……どうして、そう思うんですか?」
「狩りで鍛えた目よ。魔物の“恐怖の矛先”が、私じゃなくあなたを向いていた。あれは確信がある」
静かに、けれど鋭く。フィリスの言葉は、剣のように真っ直ぐだった。
丈太郎は少し俯き、答えを迷っていた。だが、フィリスはそれ以上追及しなかった。
「……ま、誰にでも秘密はあるわよね」
そう言って、もう一度酒を飲む。
「でも。私にはわかるわ。あなた、普通の子じゃない。だから……無理に隠さなくてもいいのよ?」
それは責める言葉ではなかった。
ただ、静かに信頼を示すような、優しい口調だった。
丈太郎は、カップの底を見つめたまま、そっとつぶやいた。
「……ありがとうございます」
それ以上は、何も語らなかった。
だが、その夜の月はやけに明るく、丈太郎の沈黙をすべて照らしているようだった。
「それにしても丈太郎くん、全然顔色変わらないわね?」
「え……そうですか?」
「うん。もう三杯目でしょ? 普通の子なら、ほっぺたくらい赤くなるのに」
フィリスが少し頬を赤らめながら、じっと彼を見つめる。彼女の視線には、ただの好奇心ではない何かがあった。
丈太郎は気づいていた。
(やっぱり……酔わないの、不自然か)
ほんの少しでもアルコールが体に入れば、人はどこかしらに変化が出るはずだ。顔の火照り、目のとろみ、言葉の乱れ。それが一切、自分には現れない。
丈太郎の能力はあらゆる毒や異物を遮断する。アルコールも例外ではないのだ。
だが、そんな説明は到底できない。
「お酒、強いんだね」
フィリスは笑いながら言った。
「……そういうことにしておきましょうか」
丈太郎も笑ってごまかした。
ーーだが、フィリスの目は細くなっていた。楽しげな雰囲気の中に、確かな警戒心が滲んでいる。
(まるで――毒に耐性があるみたい)
彼女は冒険者として、何人もの“異常な体質”を持つ者を見てきた。
そして、今目の前にいる少年は――普通ではない。
(やっぱり、丈太郎くん……あなた、何か隠してるわね)ーー
酒場の灯りは、夜の深まりとともに柔らかさを増していた。
賑やかな笑い声があちこちの席から響き、店主はせっせと料理と酒を運び続けている。
フィリスは手にしたジョッキを飲み干すと、「ふう」と満足げな息をついた。
「いやー、やっぱり討伐後の一杯は格別ねぇ」
「そうですね。……僕は、飲んでる気がしないですけど」
「ほんと、丈太郎くんの酒耐性は伝説級よ。あなた絶対、何かの加護でも受けてるわよ」
「そ、それにしても……フィリスさんのその剣、かっこいいですよね」
丈太郎は話題を変えるように、テーブルの脇に立てかけられた大剣に視線を移す。
「ふふ、私の自慢の愛剣よ」
そう言うと、フィリスは大剣を手に取り、鞘が繋がっている肩掛けのベルトへと微かに魔力を流した。
カシャッ……と小気味よい金属音が鳴り、大剣を収めていた漆黒の鞘が左右に展開する。フィリスはむき出しになった剣をすっと手元に引き寄せると、再びベルトに魔力を流して鞘を閉じ、テーブルの上にことりと置いた。
「へえ、そんな構造になってたんですね。背負ったままでも抜きやすそうだ」
魔力で動作する鞘のからくりに、丈太郎は素直に感心する。
あらわになったのは、細身で黒い刀身。大剣に分類されるであろう長大な剣だが、その表面には淡く赤い輝きが内側から滲むように揺らめいていた。
「うわ……綺麗だ……。昨日は全然気づきませんでした」
「でしょ? この剣は《イグニシア》って名前なの。フェニックスの灰を触媒にして鍛造されたものなの。どんな高温にも耐えるし、万が一刃が欠けても自動修復する不滅の剣なのよ。だから、私は思いっきり炎を込めて戦えるの。普通の剣じゃ、とっくに溶けてるわ」
「なるほど……だから“神炎”なんですね、フィリスさん」
「うん。私とイグニシア、いいコンビでしょ?」
フィリスは誇らしげに笑った。
「持ってみる?」
フィリスがニッと笑って、テーブルの上の大剣を指差す。
丈太郎は一瞬戸惑いながらも、恐る恐る手を伸ばした。
「……じゃあ、少しだけ」
彼の指が柄に触れ、ゆっくりと持ち上げた、その瞬間――
シュウッ……!
赤い刀身の輝きが、まるで火が消えるようにすっと失われた。
「え……?」
丈太郎が思わず声を漏らすと同時に、剣の切っ先がパラパラと崩れはじめた。
黒い破片がテーブルの上に落ち、まるで風化した石のように砕けていく。
「――きゃあっ!? どゆこと!?!?」
フィリスの叫びが酒場に響いた。
周囲の酔客たちが何事かと一斉にこちらを振り向いたが、剣を見つめるフィリスの険しい空気に気圧されて皆が目を反らした。
丈太郎は慌てて手を放す。
その瞬間――
カァァァ……!
イグニシアの刀身が光を取り戻し、破片は淡い炎の粒子となって集まり、剣はゆっくりと元の形へと戻っていく。
「……な、なんだったの、今の……?」
フィリスが目を見開いたまま、剣を手に取って丹念に確認する。
「……元に戻ってる」
ホッとしたように小さく息を吐いたが、その安心は一瞬だった。
ゆっくりと顔を上げ、丈太郎に向き直る。
笑顔――だが、目はまったく笑っていなかった。
「ねえ、丈太郎くん。説明、してもらえるよね?」
その声は穏やかだったが、どこかに針のような圧があった。
丈太郎は、満面の笑みを浮かべるフィリスの瞳を見て――悟った。
(……これは、詰んだ…)
あの目は知っている。
森で魔物を睨みつけたときの、あの鋭い眼光だ。
「……わかりました。ちゃんと説明します。だから、明日、治癒院に来てもらえますか?今日と同じくらいの時間に」
丈太郎は観念したように言った。
するとフィリスは、パッといつもの笑顔に戻る。
「おっけー!じゃ、明日ねっ♪ さ、飲もう飲もう!店主さーん、エール二つ追加でお願いしまーす!」
空気はすっかり元どおり――
ただし、丈太郎の胃だけは重くなったままだった。




