第10章 再戦
朝。丈太郎は人の声で目を覚ました。
「丈太郎くーん!起きてるー!?」
玄関の呼び鈴らしき魔道具が連打される。
けたたましい音に、眠気が吹き飛んだ。
――この声は……!
隣の寝室からアンクが寝ぼけ眼で出てくる。
「誰だよ、こんな朝っぱらから……せっかくの休みだってのに」
今日は治癒院も休診日。アンクのテンションは明らかに低い。
丈太郎は慌てて玄関へ向かう。
扉を開けると、そこにいたのは――にこやかに微笑む金髪の美女。
「おはよー、丈太郎くん」
「なっ……フィリスさん!? どうしてここが――」
丈太郎の顔がひきつる。
その隣でアンクがぼそり。
「誰だよ……この娘に家の場所を教えたやつ……」
不機嫌そうな声が、朝の空気をぴりっとさせる。
「アンクさんもおはようございます♪」
どう聞いても“ついで”感まるだしの挨拶だ。
「Aランク冒険者だからね!丈太郎くんの家くらい、探すのは朝飯前よ!」
得意げに胸を張るフィリス。
丈太郎とアンクは、思わず顔を見合わせた。
「ところで、何のご用でしょうか?」
丈太郎が恐る恐る聞く。
「丈太郎くんがグランドグリズリーに遭遇した辺りに案内してほしくてさ。お願いできるかな?」
「だからって、何もこんな朝早くに……」
「こういうのは早い方がいいのよ!」
……意味がわからない。
アンクは寝ぼけ眼をこすりながらも、何かを一生懸命考えているようだった。
「……とにかく、中に入ってもらいなさい」
アンクがめんどうくさそうに言う。
「どうぞ」
丈太郎がうながすと、フィリスはにっこり笑ってうなずいた。
「ありがとう、丈太郎くん。お邪魔しまーす」
とりあえず、食卓の椅子に座ってもらう。
「着替えてきますので、少しだけお待ちを」
丈太郎はアンクを自分の部屋に引っ張り込んだ。
「どうしましょうアンクさん!俺、どうすれば!」
丈太郎は小声でパニック気味だ。
「落ち着くんだ丈太郎くん。案内するくらいなら問題ないだろう。変に断ると、逆に疑われるぞ。それに、あの人はAランク冒険者だ。安全面は心配ない。……多分…」
「はぁ……そんなものですかね。……わかりました、行ってきます」
丈太郎は気を取り直して着替えにかかる。
すると、部屋の外からミィナの声がした。
「おねーちゃん、だれ〜?」
「ん? あ、ミィナちゃんね! 私はフィリス! 丈太郎くんのお友達よ!」
――いつの間に友達になったんだろう。
丈太郎は苦笑しながら、急いで着替えを済ませた。
結局、その後テラさんも起きてきて、朝食を食べてから出発することになった。
フィリスはモリモリと朝食を平らげていた。思いがけず、にぎやかな朝のひとときとなった。
「あー、美味しかったー。テラさんのご飯は最高ね!」
そう言ってフィリスは満足そうに笑った。
そして今、丈太郎とフィリスは森へ向かって歩いている。
実は、あの事件のあとも薬草採取のために森には何度か入っていた。もちろん、そのたびに狩人が同行してくれた。
グランドグリズリーに遭遇した辺りもすでに調べていたが――
何の痕跡も残っていなかった。
「もう、三ヶ月も前のことですし。……何も残ってないと思いますよ」
丈太郎は淡々と言った。
「それでもいいの。やっぱり、実際に現場を見てみないとね」
フィリスはそう言って、軽く地面を蹴った。
丈太郎は無言でうなずくと、彼女を先導して森の中を歩き始める。
その背中を、フィリスは黙って見つめながらついていった。
――この歩き方、この足さばき……。
(素人にしか見えない。身体のバランスも、足音の立て方も……)
心の中でつぶやく。
(よくこんな身のこなしで、あの魔物から逃げおおせたわね……ふふっ、どういうことかしら、丈太郎くん)
フィリスの青い瞳が、じわりと鋭さを増す。
しばらく歩いたところで、丈太郎は足を止めた。
「この辺りです。グランドグリズリーに襲われたのは」
「ふうん、ここが……なるほど、思ったよりも奥ね。でも、この辺って普段は薬草採りに使う場所でしょ?」
「はい。あの後も何度か来ています。狩人の同行つきで」
「そう……たしかに森が明るい。こんなところにあのクマが出るなんて、かなり珍しいわね。グランドグリズリーって、暗くてじめっとした場所を好むから」
フィリスはそう言いながら、周囲を鋭い目でじっくり見渡していた。
「うーん……やっぱり痕跡はないかぁ」
フィリスが諦めかけたそのとき、ふと地面に目を留めた。
「……これは……足跡、かしら?」
彼女が小さくつぶやく。
丈太郎も覗き込むが、地面には枯れ葉と土しか見えない。
(何も見えない……すごいな、Aランクって)
感心しながらも、彼はフィリスの動きに注目する。
「あっちのほうに続いてる……」
そう言って、フィリスは迷いなく森の奥へと歩き出した。
歩くうちに、辺りの光が徐々に弱まっていく。もう、薬草採取のエリアはとうに抜けていた。
丈太郎は焦りながらも、なんとか追いつこうと足を速める。
「ちょ、フィリスさん、ちょっと速いよ!もう少しゆっくり──」
その瞬間、フィリスがピタリと立ち止まり、くるりと振り返った。背中の大剣が、音を立てて抜き放たれる。
見たこともない鋭い眼光。その視線の先──丈太郎の背後。
(え……?)
丈太郎は反射的に振り向いた。
そこにいたのは、あの怪物。
グランドグリズリーだ。
わずか十メートル先。仁王立ちし、唸りを上げている。
(……つけられてた!?)
恐怖で体が凍りつく丈太郎。しかし、グリズリーの様子がどこかおかしい。
──怯えている……?
丈太郎を見るなり、グリズリーは一歩、また一歩と後ずさり──そして、身を翻し森の奥へと逃げ出した。
「丈太郎くん、伏せて!」
フィリスの声に、丈太郎は条件反射で身を伏せた。
「──インフェルノ・スラッシュ!」
蒼い斬撃が空を裂き、グリズリーの背へと飛ぶ。
斬撃が直撃した瞬間、蒼い炎が爆ぜ──
怪物の巨体は、たちまち蒼炎に包まれて黒炭と化した。
「ふう、仕留められてよかったわ。」
フィリスは背中の鞘に剣を収めながら、肩で息をついた。
「まさか逃げるなんてね。あのまま森に紛れられたら、厄介だったわ……。丈太郎くん、怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
丈太郎は立ち上がりながら答えた。まだ少し、心臓がバクバクしている。
「それにしても……すごいです、あの魔物を一撃で倒すなんて」
「ふふん。私の必殺技よ。 《インフェルノ・スラッシュ》!かっこよかったでしょ?」
フィリスは得意げに胸を張る。
「あ、はい。蒼くて……すごく綺麗でした」
「ふふ、素直でよろしい」
フィリスはどこか照れくさそうに笑った。その笑顔は、戦いの時とは別人のように優しかった。
「ところでさ……なんであのクマ、逃げ出したのかしら?」
フィリスがふと立ち止まり、疑うような目で丈太郎を見た。
「なんか……あなたを見た瞬間、怯えて逃げたように見えたんだけど」
「ま、まさかぁ〜。フィリスさんの迫力にビビったんですよ、きっと!」
丈太郎は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「そっかなー。……ま、そういうことにしておくわ」
フィリスは微笑んでそう言いながらも、視線は丈太郎から離れなかった。
彼女は確かに見た。
グランドグリズリーの、あの恐怖に満ちた目を。
その視線の先は――間違いなく、丈太郎だった。
(丈太郎くん……あなた、一体何者なの?)
フィリスは胸の奥に小さな疑念を抱きながら、再び歩き出した。
丈太郎とフィリスは、無事に村へと帰ってきた。
フィリスは、森で倒したグランドグリズリーの燃えカスの中から、かろうじて残っていた片腕のような部位を回収していた。
討伐の証拠としてギルドに提出するためだ。
「私はギルド支部に、討伐完了の報告をしてくるわ。……またね、丈太郎くん」
そう言って手を軽く振り、フィリスは狩人組合の建物へと向かっていった。
この村では、狩人組合がそのままギルド支部も兼ねている。
丈太郎はフィリスと別れ、自分の家へと戻る。
空はだいぶ傾き、村に夕暮れの気配が漂いはじめていた。
「……あー、お腹減った」
玄関を開けながら、丈太郎はぼそっとつぶやいた。




