表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/45

第9章 魔剣士フィリス

帝都へ戻ったのは、ほんの気まぐれだった。

好きな場所で、好きな酒を飲む。そんな旅暮らしに飽きたわけではない。ただ、少しだけ落ち着きたくなったのだ。


ギルドに立ち寄ると、掲示板に辺境の「ルノア村」付近に出没したグランドグリズリーの討伐依頼が張り出されていた。

それを眺めていると、背後からギルドマスターに声をかけられ、依頼を頼み込まれた。


正直、気は進まなかった。

しかし、帝都の許可区域も危険地帯も顔パスで突破できるAランクの称号は、フィリスにとって“旅する自由”そのものだった。

称号を維持するためには年に一度の依頼達成が義務であり、彼女は渋々それを受けざるを得なかった。


かくして辺境のルノア村へとやってきたフィリスは、活気に満ちた酒場のカウンター席で、無言でエールを飲み干していた。

金色の髪を無造作に後ろで束ね、黒の軽甲冑に身を包んだ目の覚めるような美貌。背に漆黒の大剣を負った彼女の存在感に、周囲の男たちの喧騒が一瞬だけ止まる。


「おい……あれ、神炎のフィリスじゃねえか?」


「え!? あのAランクの!?」


「ああ、あの風貌と黒い剣……噂の特徴と一致する。なにより、あの雰囲気……ただ者じゃねぇな」


「なんでそんな大物が、こんな辺鄙な村に……?」


「ひょっとして、三ヶ月くらい前に出たグランドグリズリーの討伐依頼か?」


「確かそのとき、森で少女を助けた青年がいたって話だったよな。しかも無傷で……」


「ああ。助けた青年ってのが今、アンクの治癒院で働いてるって話だ」


そんな男たちの会話の輪に、漆黒の女性は静かに近づいた。


「……その話、詳しく聞かせてくれないかしら?」


男たちから詳しい話を聞いたとき、フィリスは真っ先に「胡散臭い」と思った。

Bランクでも手こずるグランドグリズリーを、少女を庇いながら無傷で退けたなど、あり得ない。逃げ切っただけだとしても眉唾だ。


だが、語る者すべてが同じ事実を口にしており、嘘にしては筋が通りすぎている。

そして、誰もがその青年の名前を「丈太郎」と呼んだ。


聞いたことのない響き。発音も綴りも、この大陸の言葉とはどこか違う。

フィリスの胸に、久しく味わっていなかった強い好奇心がわき上がっていた。


* * *


村の酒場に《神炎のフィリス》が現れたという噂は瞬く間に広がり、治癒院で働く丈太郎の耳にも届いた。

丈太郎がこの村での生活にすっかり馴染んでから、およそ三ヶ月が過ぎた頃のことだ。


開院準備の最中、丈太郎は薬草の仕分けをしながらアリスに尋ねた。


「神炎のフィリスって、どんな人なんだろう?」


「とにかく強くて、カッコいいらしいですよ」


あまりにざっくりした返答に苦笑が漏れる中、薬品庫から現れたアンクが補足した。


「Aランク冒険者だ。冒険者のランクはFから始まり、Aが実質的な最高位。Sランクはもはや伝説とされる存在なんだ。彼女の振るう剣は、天をも焼き切ると言われている」


「へぇ……それだけ強い人が、どうしてこの村に?」


「目的はグランドグリズリーの討伐だろうな」


その名を聞いた瞬間、丈太郎の手が止まる。


「そう。君がミィナを助けたときの、あのグリズリーだよ」


丈太郎は、あの日のことを思い出した。

グランドグリズリーはBランク冒険者でもてこずる存在であり、安全を期すにはAランクの力が必要だが、手配が難しく討伐がここまで遅れたのだとアンクは静かに語る。


その時、治癒院の木製扉が音を立てて開いた。


「すみません、治療の受付はまだ――」


アリスの声が途中で止まる。

扉の向こうに立っていたのは、黒の軽甲冑に身を包み、背には漆黒の大剣を背負った金髪の女性だった。

目の覚めるような蒼い瞳が、静かに室内を見渡す。


「ここに“丈太郎”という人、いらっしゃいますか?」


女性は落ち着いた口調でそう言うと、懐から冒険者証を取り出し、アリスの前に差し出した。黒地に赤い紋章――Aランクの証。


「し、神炎の、フィリス……!」


アリスは目を見開き、呆然とつぶやいた。

室内の空気が、ぴんと張りつめたように静まり返る。


「丈太郎さんってのは……その、あの、えっと……」


しどろもどろになるアリスを見て、フィリスは少しだけ口元を緩めた。

(さて……どんなやつかしら)

本当ならただの確認で終わるはずだったが、自分がわざわざ足を運んでいる事実が、何より彼女の強い興味を物語っていた。


「あの、俺に何か用ですか?」


アリスのすぐ隣。かがんで薬草の仕分けをしていた青年が、ゆっくりと立ち上がり振り返る。


黒髪で長身。女性としては背が高いスレンダーなフィリスよりもさらに高く、自然と彼女が見上げる形となった。

痩せぎすだが無駄のない身体つきの彼こそが、“丈太郎”だった。

フィリスは黙ったまま彼を見つめ――この男が普通ではないことを悟る。


魔力の気配が完全に空っぽの“無”。それでいて、不思議と隙がないのだ。

得体の知れない彼を見つめるうちに、フィリスの口元には自然と笑みが浮かんでいた。


「あなたが、丈太郎さん?」


「……はい。どちら様ですか?」


警戒も威圧もなく、怯えてもいない静かな声。

その自然体な態度に、フィリスはくっと笑った。


「私は、フィリス。冒険者よ。あなたに――ちょっと聞きたいことがあってね」


交差する視線と、抑えきれない好奇心のせいで、治癒院の空気がわずかに張り詰める。


「率直に聞くわ。あなたがグランドグリズリーから少女を庇いながら、無傷で生還したって……本当なの?」


鋭い観察の光を宿した瞳で見つめられ、丈太郎は思わず背筋を正した。


「はい。本当です。でも……あの時は運がよかっただけで。たまたまです」


声がやや硬くなる。あの“能力”のことを知られてはいけないと、丈太郎は直感的に思った。

フィリスはじっと彼を見つめていたが、やがてふっと目を細め、軽く息を吐いた。


「ふーん……そう。ま、いっか」


そう言ってくるりと踵を返すと、片手をひらりと振って見せる。


「丈太郎くん、よろしくね。……あなたとは、長い付き合いになりそうだわ」


冗談めいた言葉を残して、フィリスは出ていった。


* * *


扉が閉まる音がして、治癒院に静けさが戻る。


「フィリスさん、何か……気づいたんですかね?」


アリスが不安げに呟くと、アンクも眉間にしわを寄せて言った。


「うーん……どうだろうな。Aランク冒険者だし、何か感じ取ったのかもしれない。……用心したほうがいいかもな」


そして、アンクは真剣な眼差しで丈太郎を見た。


「丈太郎くん。君もわかってると思うが――君の能力は、非常に危険だ。世間に知られれば、悪用しようとする連中が必ず出てくる。……それは“神炎のフィリス”であっても、例外じゃないかもしれない」


丈太郎は静かに頷いた。


「……わかってます」


声に迷いはなかったが、胸の奥にはフィリスの言葉が妙に引っかかっていた。


一方、治癒院を出たフィリスは静かに歩き出していた。

──グランドグリズリーから、運よく? たまたま?

口元に浮かんだ微笑みが、やがて小さな笑いへと変わった。


「ふふっ……そんなはず、ないわよね」


あれは簡単に逃げおおせる甘い相手ではない。ましてや少女を庇いながら無傷で生還するなどあり得ない。


「丈太郎くん……あなた、絶対に何かを隠してる」


脳裏に浮かぶ、あの時の三人の様子。どこか張り詰めていた空気。それは、確かな何かを守ろうとする者の目だった。

フィリスはふっと空を仰ぐと、満足そうに笑った。


「……これからが楽しみね、丈太郎くん」


黒いマントが風に舞い、彼女は村の雑踏へと消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ