第2巻 第3話:無虚
一瞬。瞬きよりも短い間。
さっきまで俺は絶対的な無の渦中に立ち、死の臭いを嗅ぎながら、指先一つで俺を消し去ることのできる存在の目を見つめていた。だが唐突に、周囲の空間がひっくり返るように収縮し、眩い光と共に弾けた。
足の下に硬いアスファルトの感触。鼻を突く排気ガスの臭い、安っぽいファストフード、そして……生命の気配。
俺は東京の賑やかな交差点の真ん中に立っていた。人々は忙しなく行き交い、車はクラクションを鳴らし、ネオンの看板が何かを買えと点滅している。地獄の紅い空と虚無の灰色を経験した後では、この世界は不自然なほど鮮やかだった。
「なんてことだ……」俺はバランスを崩しそうになりながら息を吐いた。あまりの転移速度に頭がくらくらする。「どうやってここに来たんだ?」
「私が移動させた」隣から静かで、ベルベットのような声がした。
虚無はそこに立っていた。食べ終えたばかりのアイスの棒を手に持ったままだ。彼女は蟻の巣でも観察するように群衆を見ていた。彼女の巨大な翼と角は、通りすがりの人々を硬直させた。バッグを落とす者、急ブレーキを踏むドライバー。辺りは騒然となった。
「クロナ」彼女は俺の方を向き、その赤い瞳を好奇心で輝かせた。「人間の生活を教えて。ここに何があるのか見せて。あなたがなぜ、これほど必死にこの……騒がしい場所を守ろうとしたのか知りたい」
俺の頭の中は真っ白になった。一分前まで恐怖に震えていた古の龍、クラヤミでさえ、俺の思考の中で一言こう漏らしただけだった。『は?』
「は……」俺も声に出した。「『見せろ』って? 俺たちは今さっきまで戦争の瀬戸際にいたんだぞ! 仲間はあっちに残ってるし、リュウザキも待ってる……」
虚無は首を傾げた。その角の一つが信号機に当たりそうになる。
「私がいれば、彼らに危険はない。今は……散歩がしたい」
俺は反論しようと口を開けたが、彼女の目を見て悟った。無駄だ。彼女は天災なのだ。散歩をしたいと言えば、彼女は散歩をする。俺が拒めば、この街ごと「散歩」され、何も残らなくなるかもしれない。
「分かった! 分かったよ! でもまずは服だ!」俺は周囲の人々がスマホを取り出し始めたのに気づき、手を振り回した。「虚無、自分を見てみろ! 人間の世界で下着同然の格好に翼と角なんてありえない! 変な目で見られるぞ!」
彼女は難しい数式でも解かされるように、不満げにため息をついた。
「服……面倒なこと」
彼女は辺りを見渡し、ショックで固まっている通りすがりの女子高生に目を止めた。虚無が指を鳴らす。黒い霧が一瞬彼女の体を包み、翼と角が強力な幻影で隠された。だが、服に関しては……。
彼女はその子の制服をコピーした。短いプリーツスカートに白いシャツ。だが、虚無は自分のスタイルとの差を全く考慮していなかった。さっきまでブラジャーだけで覆われていた彼女の胸は、今やシャツのボタンを引きちぎらんばかりだった。生地は限界まで張り詰め、少しでも深く呼吸をすればボタンが弾丸のように通行人へ飛んでいきそうだった。
俺は手で目を覆い、深くため息をついた。
「虚無……これじゃ何も変わってない。服を着てようがなかろうが、目立ちすぎるのは同じだ」
俺は何も言わず自分のジャケットを脱ぎ、彼女の肩にかけた。彼女には少し大きすぎたが、おかげでシャツの「爆発的」なポテンシャルは隠れた。虚無はジャケットの襟に触れ、少し驚いた様子だった。彼女は何も言わなかったが、俺の匂いを吸い込むように、少しだけ深くそのジャケットにくるまった。
「行くぞ、『教え子』さん。街を案内してやる」
俺たちは中央通りを歩いた。店のショーウィンドウを見せ、公園について話し、なぜ人間にこんなに多くの靴が必要なのかを説明しようとした。虚無は黙ってついてきたが、小さな商店の前に差し掛かった時だった。
「あ、まずい……」
虚無は外にあるアイスクリームの冷凍ストッカーの前で足を止めた。彼女の目が輝く。俺が何か言う前に、彼女はその細い腕で冷凍庫を丸ごと抱え、持ち上げた。
「おい! 何してんだ!?」駆け寄ってきた店主が、華奢に見える少女が百キロ近い塊を持ち上げている光景に、恐怖と困惑で顔を赤くして叫んだ。「金を払え! さもなくば警察を呼ぶぞ! 営業妨害だ!」
「金?」虚無は、お気に入りのぬいぐるみを抱くように冷凍庫を抱えたまま、俺を不思議そうに見た。「クロナ、お前の言っていたあの紙をこの男に渡せ。私は中身が必要だ」
俺は慌ててポケットを弄った。財布がない。「クソ、別のジャケットに置いてきた!」だが突然、指先が革の感触に触れた。取り出した財布を見て俺は固まった。それはホタルの財布だった。地獄の城で急いで準備した時、自分の荷物と一緒に机から払い落としてしまったらしい。
「ホタル、頼むから許してくれ……」俺は呟きながら束になった万札を取り出し、アイスクリーム代をまとめて支払った。
俺は店主が黙り込むほどの額を渡し(店主は冷凍庫を運ぶのを手伝うとまで言ったが、丁重に断った)、虚無はその場で蓋を開けて次から次へとアイスを平らげ始めた。彼女は恍惚とした表情で目を細めていた。
「次は」ストックの半分が消えたところで俺は言った。「遊びを教えてやる。人間の生活を知りたいなら、娯楽を知るべきだ」
俺たちは巨大なゲームセンター、「タイトーステーション」へ入った。騒音、歓声、電子音……虚無は戸惑っているようだった。俺は彼女を最新のレースゲームの筐体の前へ連れて行った。
「見てろ、虚無。これはゲーム機だ。このボタンがアクセル、こっちがブレーキ。一番になればいいんだ」俺はコントローラーを握り、ボタンの操作を教えた。
彼女は集中した。眉間に可愛らしい皺を寄せ、一生懸命さのあまり舌の先を少しだけ出した。彼女はその長い指でボタンを押そうと苦戦し、画面の中の車がようやく真っ直ぐ走り出した時、感嘆の声を漏らした。
俺は思わず微笑んだ。この瞬間、彼女は強大な悪でも何でもなかった。ただゲームを心から楽しんでいる一人の少女だった。『可愛いな』という思いが頭をよぎり、俺は慌てて顔を赤くしてその考えを振り払った。
だが、平穏は長くは続かなかった。俺たちは「クレーンゲーム」の前へ来た。
虚無は標的を選んだ。リボンのついた小さなピンクのテディベアだ。彼女はコインを投入し(またホタルの金だ、済まん!)、アームで捕まえようとした。一回目、空振り。二回目、アームが滑り落ちる。
虚無の周囲の空気が重くなるのを感じた。彼女の忍耐が限界に近づいている。彼女は拳を振り上げ、その中に黒いエネルギーが凝縮され始めた。
「中から直接取り出す……」彼女はガラスを叩き割ろうと振りかぶった。
「待て!」俺は間一髪で彼女の手を掴んだ。「建物ごと吹き飛ぶぞ! 虚無、これは遊びだ! 必要なのは力じゃなくて技術なんだ!」
俺は彼女をそっと下がらせ、自らレバーを握った。自分の命がかかっているかのように(実際、かかっていたが)集中した。ゆっくりとアームを寄せ、タイミングを見計らって……ボタンを押した。アームがベアの耳をしっかりと掴み、取り出し口へと運んでいく。
ゴンッ!
ピンクのベアが取り出し口に落ちた。俺はそれを取り出し、虚無に差し出した。
「ほら。やるよ。お前に」
彼女は固まった。虚無は両手でぬいぐるみを受け取り、柔らかい毛並みに触れると、突然……微笑んだ。それは、これまでの捕食者のような笑みでも、退屈そうな笑みでもなかった。温かく、純粋で、子供のような微笑み。彼女はベアを抱きしめ、目を閉じた。
俺は目を逸らすことができなかった。筐体の光が彼女の瞳に反射し、その瞬間、彼女は……神々しいほどに愛らしかった。心臓が跳ねた。
「ありがとう、クロナ」彼女は静かに言った。「この……『クレーンゲーム』、気に入ったわ」
俺は喉を鳴らし、耳が熱くなるのを感じた。
「まあ……まだ始まったばかりだ。行くぞ、次はカラオケがある」
この一日がどう終わるのか、俺にはまだ分からなかった。だが一つだけ確信している。俺は今、虚無そのものに恋をしてしまったらしい。そしてホタルには、この財布の件で間違いなく殺されるだろう。
俺たちはカラオケボックスの建物に入った。虚無はピンクのテディベアを抱きしめながら、派手な看板を疑わしげに眺めていた。俺は個室を予約した。世界の終焉を具現化したような存在が、マイクの扱いに苦戦している姿を誰かに見られるのだけは避けたかったからだ。
部屋のドアが閉まるなり、俺は主導権を握ることにした。
「いいか、やり方は簡単だ。リモコンで曲を選んで、画面に流れる歌詞を歌えばいい」
俺は古いアニメの熱いオープニング曲を選んだ。音楽が耳に響き、俺は(冷凍庫を抱えて歩いた後では、もう怖いものなんて何もなかった)羞恥心をかなぐり捨てて歌い始めた。飛び跳ね、マイクを振り回し、本物のロック歌手さながらに高音を張り上げた。
虚無はソファに座り、まるで俺が複雑な魔術の儀式でも行っているかのような目で見つめていた。曲が終わり、息を切らした俺は彼女にマイクを差し出した。
「次は君だ。君の番だよ!」
彼女はゆっくりと立ち上がった。その動きには相変わらず恐ろしいほどの優雅さがあったが、今はそこに……戸惑いがあるのだろうか? 彼女は画面に近づき、まるで危険な遺物でも扱うかのように、二本の指でマイクを摘み上げると、そのまま固まった。
静かで可愛らしいメロディが流れ始めた。俺がわざと選んだ、歌いやすい曲だ。虚無は深く息を吸い、目を閉じ……歌い出した。
それは……ひどかった。ものすごくひどかった。音程は全く合っておらず、声は低すぎたり、かと思えば突然高い笛のような音に変わり、テーブルの上のグラスが割れそうになった。だが、彼女は一生懸命だった! 画面を食い入るように見つめ、眉間にしわを寄せ、指でマイクをぎゅっと握りしめていた。
「キ……ミ……ノ……ナ……ワ……」
一文字ずつ区切りながら、地獄の運命がかかっているかのような真剣な表情で彼女は歌った。
その姿があまりに愛らしくて、俺は笑いをこらえるのに必死だった。彼女が歌い終えると、部屋に静寂が訪れた。彼女は採点を待つように俺を見た。
「どう……かしら?」
彼女の白い頬が、わずかに赤らんでいるのに気づいた。
「……唯一無二だったよ!」俺は正直に親指を立てた。「大事なのは音程じゃない、魂だ」
それから一時間、俺たちはカラオケを楽しんだ。一番笑えたのは、彼女がラップに挑戦しようとして、無意識にテンポを速めすぎたあまり、マイクの周りに黒い稲妻が走り始めた時だ。建物ごと吹き飛ばされる前に、俺は慌ててマイクを取り上げた。
「歌はこれくらいにしよう」俺は額の汗を拭った。「もっと落ち着ける場所に行こう」
次の目的地は「猫カフェ」だった。中に入るなり、虚無は硬直した。何十匹ものふわふわした猫たちが、棚やクッションの上でだらだらと寝転んでいた。
「……何だ、この小さな捕食者たちは?」彼女は爪とぎをしている茶トラの猫を不信げに見つめながら、囁くように言った。「毛の匂いと……不遜な気配がするわ」
「猫だよ」俺は微笑んだ。「人間界で最も危険な生き物だ。魔法も使わずに、すべてを従わせてしまうんだから」
俺たちは低いテーブルについた。猫たちは彼女の真の力を感じ取っているのか、彼女を避けて歩いていた。そこで俺は、一番小さくてふわふわした、雲のような白い子猫を一匹抱き上げ、そっと彼女の膝の上に置いた。
虚無はびくっと体を震わせた。体が強張り、動くのを恐れて固まっている。子猫は何も知らずに彼女の膝の上で足踏みをし、何度かスカートをふみふみすると、丸くなって大きな音で喉を鳴らし始めた。
「……振動しているわ」彼女は恐怖に満ちた声で呟いた。「クロナ、これは爆発する前触れなの?」
「いいや、ただ満足してるだけだよ」俺はこらえきれずに吹き出した。「撫でてごらん。こうやるんだ」
俺はそっと彼女の手を取り、その手のひらで子猫の柔らかい背中をなぞった。虚無はゆっくりと、自分から撫で始めた。冷たく突き放すようだった彼女の表情が、不意に和らいだ。彼女は心からの驚きと優しさを込めて子猫を見つめていた。その姿があまりに儚く、人間らしく見えて、俺は彼女の正体を一瞬忘れてしまいそうになった。
「……柔らかい」
彼女が静かに呟くと、その唇にまたあの神々しい微笑みが浮かんだ。
店を出る頃には、もう夕暮れ時だった。東京の街に無数の灯りがともる。俺たちは、木の葉のざわめきだけが聞こえる夜の公園を歩いた。虚無はまだピンクのテディベアを抱きしめながら、何かを考え込んでいた。
突然、彼女は街灯の下で足を止め、俺の方を向いた。
「クロナ」
「何だい?」
「今日は……不思議な一日だったわ。でも、気に入った。人間には無駄なものが多いけれど、それらは……温かいのね」
彼女が一歩近づき、その赤い瞳が俺の瞳を射抜いた。
「私はもう、ただの『虚無』でいたくない。この世界のすべてのものには名前があるわ。猫にも、クマにも、あなたにも。私も名前が欲しい。あなたが……私に名前を付けて」
俺は言葉を失った。不変の無を具現化した存在に名前を付ける……それは途方もない責任だ。俺は頭の中で候補を巡らせた。彼女の性質を表しつつ、美しく響く言葉を。
彼女と出会ったあの冷たく命のない世界と、猫や歌に触れて変わった今の彼女の姿を思い返した。
「……無虚」俺は言った。「ムキョだ」
彼女は首を傾げ、その言葉を味わうように繰り返した。
「……ム、キョ? どういう意味?」
「嘘のない、ありのままの無」俺は彼女の目を真っ直ぐ見て答えた。「『無』は虚無を、『虚』はまやかしのない真実を意味する。俺にとって、君はただの空間の裂け目じゃない。君はムキョだ」
彼女はその名前を舌の上で転がすように、ゆっくりと繰り返した。
「ムキョ……ムキョ」
彼女は微笑んだ。その瞳に夜の街の明かりが反射している。
「気に入ったわ。今日から、私はムキョよ」
その時、俺は確信した。この一日は彼女だけでなく、俺をも変えてしまった。この先何が起ころうと、俺はリュウザキや他の誰にも、彼女をただの「虚無」に戻させはしない。
夜の公園に静寂が訪れた。ムキョは街灯の下に立ち、ピンクのテディベアを抱きしめていた。まるで世界の時間が止まったかのようだった。だが突然、彼女は何かに耳を澄ませるように、わずかに首を傾げた。
彼女は俺の方へ一歩歩み寄り、軽く肩を叩いた。その手のひらはひんやりとしていたが、触れ方は驚くほど優しかった。
「あなたの仲間たち……随分と頑張っているわね」
ムキョは微かに微笑んだ。その笑みには威圧感など微塵もなく、ただ軽い皮肉が混じっているだけだった。
彼女が指を上に向ける。その動きを追って俺が見上げると、背筋に冷たいものが走った。公園の上空がかすかに揺らめいている。巨大な、ほとんど透明に近い魔法の結界が、俺たちを密閉するように覆っていた。散歩に夢中で、いつの間にか囲まれていたことにさえ気づかなかった。恐らく、サイトーたちが総力を挙げて、もしムキョが暴れだした時のために結界を張ったのだろう。
「また来るわ、クロナ」彼女は静かに言った。「私の世界にある、あのアイスを食べ終えなきゃいけないから」
俺が言葉を発する前に、彼女の周囲の空間が歪み、彼女はただ……消えた。空気の中に溶け込むように消え去り、後には花の淡い香りと、すぐに霧散した微かな黒い跡だけが残った。
その直後、頭上の魔法結界が大きな音を立てて弾け、見えない火花となって降り注いだ。
「クロナ! 生きてるか!?」
真っ先に茂みから飛び出してきたのはサイトーだった。その手にはまだ魔術の印が握られており、顔は緊張で青ざめていた。
続いて他の面々も姿を現した。ユミコは剣を構え、アマネは安堵のあまり泣き出しそうな顔をしていた。キョウコは少し離れた場所で、ムキョがいた場所を注意深く観察していた。そして、ホタルが誰よりも先に歩み寄ってきた。その瞳には怒りの炎が宿っていた。
「何があったの? あの化け物はどこへ行ったのよ?」ホタルは俺に怪我がないか確認するように詰め寄った。「あいつ、あんたに何かしたの?」
俺は思わず微笑んでしまった。ムキョがカラオケで歌った姿や、子猫を優しく撫でていた姿を思い出したからだ。俺の頭の中では、彼女はもう「化け物」でも「脅威」でもなかった。
「大丈夫だよ」俺は努めて落ち着いた声で答えた。「彼女はただ……帰ったんだ。世界は平和だよ」
ホタルは俺の目をじっと見つめ、何か裏がないか探っていた。やがて彼女は大きくため息をつき、その緊張を少しだけ解いた。
「あんたはバカね、クロナ」
彼女は毒づくと、俺の頭を軽く小突いた。
「二度とこんなことしないで」
それから彼女は手のひらを差し出し、厳しく俺を見つめた。
「さあ、私の財布を返して。あんたが持ってるのは分かってるんだから」
俺は気まずそうに咳払いをして、ポケットから高価な革の財布を取り出した。それが彼女の手に触れた瞬間、俺はカラオケで流れていた鼻歌を無邪気に口ずさみながら、振り返ることなく、抜き足差し足で公園の出口へと歩き出した。
「じゃ、俺はこれで……ほら……修行に行かなきゃいけないから!」
早足になりながら、俺はそう口ごもった。
背後で財布が開くカチッという音が聞こえた。直後、墓場のような静寂が訪れる。
「クロナ……」
ホタルの声が不気味なほど低く響き、サイトーとユミコが同期したように一歩後退した。
俺はもう走り出そうとしていた。
「クロナ! あんた、私の金を全部あの虚無に使い果たしたの!?」
彼女の絶叫は、東京中に響き渡るかのようだった。
「大金が入ってたのよ! アイスの工場でも買い占めたっていうの!?」
「世界平和のための投資だよ!」
俺は背後で叫び返し、全力で並木道を疾走した。
「止まりなさい、この一文無し! 地獄の果てまで追い詰めてやるんだから!」
ホタルが地を蹴って飛び出し、彼女のオーラが怒りの紅い炎となって燃え上がった。
俺は人生で一番の速さで逃げた。背後からはホタルの足音とサイトーの笑い声、そしてアマネの呆れた叫び声が聞こえてくる。追跡され、財布は空っぽになったけれど、俺は心から幸せだった。




