表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

第8話 はじめての夜

 部屋の中は、やわらかな灯りに包まれていた。


 暖炉では火がぱちぱちと音を立て、窓の外では夜の森が静かに揺れている。


 天界とは違う夜だった。


 天界の夜は静かすぎた。


 風も、虫の声も、木々のざわめきもほとんどない。


 けれど人間界の夜には、たくさんの音がある。


 葉が擦れる音。


 遠くで鳴く鳥の声。


 小さな生き物が草を踏む気配。


 世界がちゃんと息をしているみたいだった。


 アリッサはベッドの上に座りながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。


 熱は少し下がったらしい。


 サラが薬草茶を飲ませてくれたあと、身体が楽になった。


「無理はしないでくださいねぇ」


 そう言って、サラは何度も毛布を整えてくれた。


 まるで孫を世話するみたいに。


 アリッサはそんな優しさに慣れていなくて、少し困ってしまった。


 けれど、嫌ではなかった。


「……」


 静かな部屋。


 広いベッド。


 ふかふかの毛布。


 こんな場所にいていいのだろうか、とアリッサは思う。


 自分は何者なのかも分からないのに。


 レオンハルトは「ここなら安全だ」と言った。


 本当に信じていいのだろうか。


 その時。


 こんこん、と扉が叩かれた。


 アリッサはびくっと肩を揺らす。


「……アリッサ?」


 低い声。


 レオンハルトだった。


「起きてるか」


「う、うん」


「入るぞ」


 扉が静かに開く。


 レオンハルトは湯気の立つカップを手にしていた。


「サラが持っていけとうるさかった」


「うるさかったって……」


「三回言われた」


 真顔で返され、アリッサは思わず笑ってしまう。


 レオンハルトは少しだけ目を細めた。


「調子はどうだ」


「さっきより楽」


「そうか」


 彼はベッドの近くへ来ると、カップを差し出した。


「飲めるか」


 甘い匂いがした。


「これ何?」


「蜂蜜入りの薬草茶らしい」


「らしい?」


「俺は作ってない」


 アリッサはカップを受け取る。


 あたたかかった。


 両手で包むと、指先まで熱が広がっていく。


 一口飲む。


 ほんのり甘い。


「……おいしい」


「ならよかった」


 レオンハルトは近くの椅子へ腰掛けた。


 部屋の中に静かな時間が流れる。


 アリッサはちらりと彼を見る。


 相変わらず整った顔をしている。


 陽を溶かしたような金色の髪。


 高く澄んだ空のような、やわらかな青い瞳 。


 真っ直ぐな空気。


 けれど今は、戦っていた時より少し柔らかい雰囲気だった。


「……疲れてる?」


 アリッサが聞くと、レオンハルトは少し意外そうな顔をした。


「そう見えるか」


「ちょっと」


「まあ、多少はな」


 彼は苦笑した。


「天界から強行突破で戻ってきたから」


「……ごめんなさい」


 反射的に謝ってしまう。


 するとレオンハルトが呆れたように眉を寄せた。


「またそれか」


「だって」


「君、本当に謝る癖があるな」


「……そんなに?」


「かなり」


 アリッサはカップを抱えたまま俯いた。


 レオンハルトは少し黙ってから、静かに言う。


「誰かにそうしろと言われて育ったのか」


 アリッサは目を瞬く。


「え……?」


「迷惑をかけるな、とか。謝れ、とか」


 その言葉に、胸がちくりと痛んだ。


 記憶は曖昧なのに。


 なぜか、その感覚だけは知っている気がした。


「……分かんない」


 小さく答える。


「でも、怒られるのは嫌だった気がする」


 レオンハルトは静かにアリッサを見る。


 その視線は優しかった。


「ここではそんなに怯えなくていい」


「……」


「少なくとも、サラは君を怒鳴ったりしない」


 アリッサは少しだけ笑う。


 確かにサラは、怒鳴るより先に抱きしめてきそうだ。


「コンラートもな」


「……あの人、ちょっと変」


「否定はしない」


「レオンハルトのこと、すごく好きそう」


「やめろ」


「え?」


「面倒になる」


 真顔で返され、アリッサは吹き出した。


 レオンハルトはそんな彼女を見て、少しだけ安心したように息を吐く。


「笑えるなら大丈夫そうだな」


「……?」


「塔にいた時より顔色がいい」


 アリッサは目を丸くした。


 そんなこと、考えたこともなかった。


「そうかな」


「ああ」


 レオンハルトは静かに頷く。


「さっきまでは、消えそうな顔をしてた」


 消えそう。


 その言葉に、アリッサの胸が小さく揺れる。


 自分は、そんなふうに見えていたのだろうか。


「……私、そんなに危なかった?」


「かなり」


 即答だった。


「正直、白い巨塔で見つけた時は肝が冷えた」


「……」


「あと少し遅ければ、間に合わなかったかもしれない」


 レオンハルトの声は静かだった。


 けれど、その奥に本物の焦りが滲んでいる。


 アリッサは胸の奥がきゅっとした。


 この人は、本当に自分を助けようとしてくれたのだ。


「……どうして」


 思わず呟く。


「そんなに必死だったの?」


 レオンハルトは少しだけ黙った。


 暖炉の火が揺れる。


 橙色の光が、彼の横顔を照らしていた。


「預言のせいでもある」


「……うん」


「だが、それだけじゃない」


 アリッサは静かに彼を見る。


 レオンハルトは少し困ったように笑った。


「君を見た時、放っておけないと思った」


「……」


「死にたがってるようには見えなかったからな」


 アリッサの胸が熱くなる。


 自分でも分からなかった。


 本当に死にたかったのか。


 ただ、あの列に並ばなければいけない気がしていた。


 けれど。


 レオンハルトに手を掴まれた時、怖かった。


 死ぬのが。


 その瞬間、自分は生きたいと思っていたのだろうか。


「……ねぇ、レオンハルト」


「なんだ」


「私、本当に世界を救うのかな」


 彼は少しだけ目を細めた。


「分からない」


「え」


「預言は絶対じゃない」


 レオンハルトは静かに続ける。


「未来は変わる」


「じゃあ、私じゃないかもしれない」


「そうかもしれないな」


 アリッサは少し安心した。


 世界を救うなんて、大きすぎて怖かったから。


 けれど次の瞬間。


「だが」


 レオンハルトの青い瞳が、まっすぐアリッサを見る。


「君が特別なのは確かだ」


 アリッサは息を呑む。


「赤い力。境界への適応。ヴェヒターの反応」


 彼は静かに言った。


「普通じゃない」


 アリッサの肩が少し震える。


 だがレオンハルトはすぐに続けた。


「怖がる必要はない」


「……」


「力があることと、悪であることは別だ」


 その言葉が、胸に沁みた。


 アリッサはゆっくりカップを握りしめる。


「……ありがとう」


 レオンハルトは少しだけ驚いた顔をした。


「何がだ」


「助けてくれて」


「……」


「あと、ちゃんと話してくれて」


 レオンハルトはしばらく黙っていた。


 それから、ふっと小さく笑う。


「律儀だな」


「そうかな」


「礼を言う余裕があるなら、もう少し安心だ」


 その時。


 突然、アリッサの視界がぐらりと揺れた。


「……っ」


「アリッサ?」


 頭の奥に、白い光が走る。


 誰かの声。


 泣いている女の人。


 優しい手。


 そして――。


『アリッサ、絶対に赤い目を見せては駄目』


 知らない男の声。


 けれど、その声を聞いた瞬間、胸が苦しくなる。


「っ……!」


 アリッサは思わず頭を押さえた。


「どうした!」


 レオンハルトがすぐ立ち上がる。


 アリッサの呼吸が乱れる。


「声が……」


「声?」


「知らない人の声が……!」


 レオンハルトの表情が変わる。


 次の瞬間。


 アリッサの瞳に、赤い光が滲んだ。


 暖炉の火が、ぼうっと大きく揺れる。


「……っ、アリッサ!」


 レオンハルトが彼女の肩を掴む。


 その瞬間。


 部屋中に、赤い魔力が溢れ出した。


面白かったらブクマお願いします!励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ