第9話 赤い瞳
ぶわり、と熱風が広がった。
暖炉の火が激しく揺れ、部屋の中の空気が震える。
赤い光。
アリッサの身体から溢れ出した魔力が、まるで感情に呼応するように暴れていた。
「……っ」
アリッサは息を詰める。
苦しい。
胸の奥が熱い。
頭の中に、知らない記憶が流れ込んでくる。
泣いている女の人。
優しい腕。
金色が混ざった緑の瞳を持つ男。
『絶対に赤い目を見せるな』
『見つかれば、奪われる』
『アリッサ、生きろ』
声が響く。
知らないはずなのに、胸が壊れそうになる。
「やだ……!」
アリッサは頭を抱えた。
怖い。
自分の中に、自分じゃない何かがいるみたいだった。
「アリッサ!」
レオンハルトの声が響く。
次の瞬間、彼の手がアリッサの頬に触れた。
「あ……」
「こっちを見ろ」
低く、落ち着いた声。
青い瞳が真っ直ぐアリッサを見つめている。
「呼吸しろ」
「っ……でき、ない」
「できる」
レオンハルトは迷いなく言った。
「俺を見るんだ」
アリッサは震える視界の中で、必死に彼を見る。
青い瞳。
静かな海みたいな色。
その目だけが、今の自分を現実へ繋ぎ止めてくれる気がした。
「息を吸え」
アリッサは小さく息を吸う。
「吐け」
ゆっくり吐く。
レオンハルトはその間も、ずっとアリッサから目を逸らさなかった。
「大丈夫だ」
その声が、不思議なくらい胸に落ちる。
「暴走しても、俺が止める」
「……っ」
「だから怖がるな」
その瞬間。
荒れていた赤い魔力が、少しだけ静まった。
暖炉の火も落ち着きを取り戻す。
アリッサは肩で息をしながら、レオンハルトを見上げた。
「……レオン、ハルト」
「落ち着いたか」
アリッサは小さく頷く。
だが身体はまだ震えていた。
レオンハルトはその様子を見て、そっとアリッサの額へ手を当てる。
淡い金色の光が広がった。
温かい。
まるで春の日差しみたいな魔力だった。
「少し鎮静をかける」
「ちんせい……?」
「安心しろ。眠くなる程度だ」
アリッサはぼんやり頷いた。
確かに、少し眠かった。
というより、力が抜けていく。
レオンハルトは安堵したように息を吐く。
だがその青い瞳には、隠しきれない緊張が残っていた。
「……赤かった」
ぽつり、とアリッサが呟く。
レオンハルトの手が止まった。
「私の目……」
「ああ」
彼は静かに頷く。
「完全じゃないが、かなり強く発現していた」
アリッサは唇を噛む。
「……気持ち悪い?」
レオンハルトの眉がぴくりと動いた。
「誰がそんなことを言った」
「だって、普通じゃないし……」
「普通じゃないから何だ」
少し強い声だった。
アリッサは肩を震わせる。
レオンハルトははっとしたように目を閉じた。
「……悪い」
「ううん」
彼は小さく息を吐く。
「君は、自分を悪く言いすぎる」
「……」
「赤い瞳だからって、君自身が変わるわけじゃない」
アリッサは俯いた。
けれど怖かった。
自分の知らない力が、自分の中にあることが。
もし誰かを傷つけたら。
もしレオンハルトまで傷つけたら。
「……私、怖い」
小さく零す。
「自分が何なのか分からない」
レオンハルトはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと口を開く。
「俺も全部は分からない」
「……」
「だが、君の力は“壊すだけ”のものじゃない気がする」
アリッサは顔を上げた。
「どうして?」
「境界門だ」
レオンハルトは静かに言う。
「君はあれを怖がらなかった」
「……うん」
「普通なら拒絶される。だが君は違った」
彼の青い瞳が細められる。
「まるで、境界そのものに愛されてるみたいだった」
境界。
その言葉を聞くたび、胸がざわつく。
なぜだろう。
どこか懐かしい。
怖いのに、引き寄せられる。
「……ねぇ」
アリッサは恐る恐る尋ねる。
「私、人間じゃないのかな」
レオンハルトは少しだけ驚いた顔をした。
だがすぐに真面目な表情へ戻る。
「そんなことはない」
「でも」
「君はちゃんと生きてる」
彼は迷いなく言った。
「泣くし、笑うし、怖がる」
「……」
「それだけで十分、人だ」
アリッサの胸が熱くなる。
そんなふうに言われたのは初めてな気がした。
自分が何者かも分からないのに。
レオンハルトは、自分を“人”として見てくれる。
「……ありがとう」
レオンハルトは少し困ったように笑った。
「礼を言う暇があったら休め」
「またそれ」
「今日は色々ありすぎた」
確かにそうだった。
白い巨塔。
死の行列。
ヴェヒター。
境界門。
そして、赤い瞳。
たった一日なのに、何年分も生きたみたいだ。
アリッサはようやく疲れを実感した。
「……眠い」
「だろうな」
レオンハルトは立ち上がる。
「今日はもう寝ろ」
「……レオンハルト」
「なんだ」
「どこ行くの」
その問いに、彼は少し目を瞬いた。
「隣の部屋だ」
「……」
「何だその顔は」
「別に」
アリッサは毛布をぎゅっと掴む。
怖かった。
一人になるのが。
目を閉じたら、また知らない記憶が流れてきそうで。
レオンハルトはそんなアリッサを見て、静かに息を吐いた。
「……怖いのか」
アリッサは少し迷ってから、小さく頷いた。
するとレオンハルトは困ったように額へ手を当てた。
「君な……」
「ご、ごめんなさい」
「謝るなと言ってるだろ」
彼は数秒考え込む。
それから観念したように椅子へ座り直した。
「眠るまでここにいる」
アリッサは目を丸くした。
「いいの?」
「よくはない」
「え?」
「コンラートに見られたら面倒だ」
真顔で言われ、アリッサは思わず笑ってしまう。
レオンハルトはそんな彼女を見て、小さく肩を竦めた。
「笑ったなら少し安心した」
暖炉の火が静かに揺れる。
アリッサは毛布へ潜り込みながら、そっとレオンハルトを見た。
彼は窓の外を警戒するように見ていた。
強い人だと思う。
優しい人だとも思う。
そしてきっと、この人は本当に自分を守ろうとしている。
その事実が、胸を温かくした。
「……レオンハルト」
「なんだ」
「おやすみ」
一瞬だけ、彼の表情が柔らかくなる。
「ああ。おやすみ、アリッサ」
その声を聞きながら、アリッサはゆっくり目を閉じた。
暖炉の音。
森の風。
そして、隣に誰かがいる安心感。
それはきっと、アリッサが長い間忘れていたものだった。
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