キス
こちらも『暁の鐘』同様、最終章の、はず 笑
どうぞお付き合いください。
着陸というよりは、墜落といった体でSBが『CASPER』の前に降り立った。
ジンは血の流れ出る肩口を抑えつつ、涼しい顔で言う。
「ようこそ我が家へ。あまりゆっくりはしていられないが。」
カルラがその白い肌を赤く紅潮させて言う。
「何言ってるのよ、傷口が開いてるじゃない。」
ジンの顔に触れると、やはり熱が出ていた。
「動かないで、人を呼んでくるから。」
カルラはSBを降り、一見すると焼け跡でしかない場所の入り口を探す。ずっと地下のくらい隠れ家に暮らし、同時に地下都市に潜入を繰り返しててきた自分だ。見つけ出すことなど造作もないはず。
「―――あった。」
砂地の、わずかな地面の盛り上がりを見逃さずそこに四つん這いになり、手探りすると、溝に引っかかった。そこに両手を差し込み、力を込めて持ち上げる。ハッチが開き、地下への階段が顔を出した。
「誰か!ジンが!」
叫びながらそこを駆け下りていく。まず目に入ったのは冷たい印象の事務室。そこで何やら作業をしている、姉によく似た女性だった。
「あなた……ジンがどうかしたの?」
褐色の肌がよく見える露出の多いツナギ姿の女性は、カルラの身元を訊くことも無く本題に入った。何よりまず仲間の安否を気遣えるこの人は信用できると思った。
「怪我をしているの。私と一緒に来て。」
手を引こうとするカルラを女性は制し、言った。
「あいつも結構思いからあたしたちだけじゃ難しいわね。ちょっと待って、力の有り余ってる連中にやらせるから。あ、あたしはネル。よろしくね、お客さん。」
ジンから連絡を受けているのだろう。カルラも自身の名前を明かす。ネルは奥の方に走っていき、やがて大柄の男と、それよりはやや細身な男を連れてきた。
「ダン、ナオ、あいつは船の中で治療するから、持ってきたらそのまま船に叩き込んで。」
重傷者に物騒なことを言うネルに快く応じるダンとナオを見て、カルラはこの連中が益々信用できるようになった。
『リーダーってのは、普段何もせず部下に自由にやらせるくらいがちょうどいいのよ。カルラもよく覚えておいて。』
姉、エイラの言葉を思い出す。ジンは信頼されている、ここのリーダーのようだ。
「ジンさん!」
急に、自分より少し上の少女が飛び込んできた。黒髪のショートカットで、ネルらと同じようなツナギ姿ではあるものの、どうやら地下都市の人間のようだった。纏っている空気感で、大体分かってしまうのだ。
「あれ?あなたは―――」
「カルラよ。ジンの連れてきた、お客さん。カルラ、この子はアヤ・イノウ。」
カルラは黙って頷く。地下の人間に対しての評価は早計にできない。彼らは一様に流され易く、確固たる思想を持っていない割には自分たちのことを頭が良いと思っている。無知であることを自覚している人間はまだ良いが、無知であることを知らずに生きている人間は嫌いだった。
「よろしくお願いします。カルラさんも、地下から来たんですか。」
地下から来たことは間違いないが、自分の場合は彼女とやや事情が異なる。どう説明すればいいのか迷っているところで、背後で騒ぎが起こった。
「おいジン、無理するんじゃねぇ。」
「血で汚すとドクに怒られるぜ?」
ダンとナオの声、そして、冷や汗と血を流しながら自分の足で事務室に入ってきたジン。
「相変わらずガキみたいな痩せ我慢だけは一人前だなお前は。」
ネルが呆れた声を出す。ジンは荒い息を吐きながら笑みを崩さない。
「やぁ、みなさんお揃いで、フライトの準備はできているか?」
その声の終わらないうちから、アヤは歩き出していた。誰も止める者のいない、素早い動きだった。そして、あっという間にジンとの間を詰めると、明らかに弱っている相手に強烈な平手を一閃させる。
狭い部屋だったこともあり、爽快なほどに肉を打つ良い音が鳴り響いた。
「レンでもこれは無かったよな。」
ナオがダンに横目で言う。ダンは自身の妻を思い出すように少し思案した後、頷いた。
「アヤちゃん、いくらなんでもこのタイミングでやるのは―――」
そう言うダンの声は聞こえていない様子で、アヤは頬を赤く腫らしたジンの目を真っ直ぐに見つめている。ジンの方はというと、初めてここを訪ねてきたアヤの激昂を見た時のような表情をしている。
「死ななかった、から―――」
震える声で一言ずつ、言い含めるように言うのは、一気に喋ると涙まで一緒に流れ出してしまうからだ。
「これで、勘弁して、上げ、ます。」
言い終えると、ジンの胸の中に顔を押し付ける。筋肉質の痩身を抱きしめた体から、低い慟哭が聞こえてくる。
「ああ、ありがとう。次にもし俺が死んだときは殺してくれ。」
ジンが血に塗れた手でアヤの頭に手を置く。慟哭は泣き叫ぶ声へと変わった。
「さぁ、あまり長居している暇はない。出発だ。」
ジンがアヤを抱いたまま、歩き出す。
「聞いてなかったけど、どこに行くって言うの?」
さりげなくジンに肩を貸しながら、ネルが訊く。
「トーキョーのカミセだ。パスポートは持ったか?初のテスト飛行だ。」
※※
個人レベルが作ったとは思えないような50m級の大型輸送船に乗り込んだアヤは、急いでジンを医務室まで運んだ。
頑なに自分で歩くジンがベッドに横たわると、まずは巻かれているだけとなっている左肩の包帯を剥ぎ取っていく。血がより盛大に流れ出すが、構わず全て外すと、患部を見る。皮膚も肉も綺麗に抉った銃弾は貫通しており、止血と縫合をすれば、何とかなりそうだった。
『発信するわ!アヤちゃん、何かにつかまって!』
放送でネルの声を聞き、アヤは慌てて掴まる物を探すが、無い。どうしようかうろたえていると、ジンの右腕が自分を抱き寄せた。
「輸送船の名前―――」
うわ言のようにジンが言う。アヤは耳を澄ませる。
「コスモス・オブ・ペンギン。また、空を飛び出したんだ、レン。」
機体が大きく揺れた。アヤはジンの腕に収まったまま、まぁ、これも止血のうちだし、などと無理に自分を納得させつつ、されるがままになっている。
「ジン―――」
さん、を付けようか迷った。どうやら意識が混濁しているジンは、アヤをレンだと思っているらしかった。幼馴染の恋人がさん付けで呼ぶわけもない。
「ジンさん、治療をしますから、少し離れていただけますか?」
だから、さん付けで呼んだ。アヤはジンの腕を逃れると、止血用の薬品と縫合糸、新しい包帯を選ぶ。
「操縦はドクに任せたわ。大丈夫?アヤちゃん。」
ネルがやってきた。カルラもだ。
「ごめんなさい。自分でやろうと思ったんですけど、そういえばあたし、こういうことやったことないなって―――」
恥ずかしそうに言うアヤに、ネルが「知ってた。」と笑う。
「私に任せて頂戴。あなたよりは場馴れしてるから。」
カルラが前に進み出る。
「あ、ありがとう、カルラさん。」
「カルラでいいわ。アヤ、私は地下の人間だけど、あなたの知っている世界の外側から来たの。」
見た目だけならば自分より大分下に見える少女は、アヤ以上に芯の強い口調で言う。
「これから向かう場所も、あなたが知っている世界の外よ。トーキョーのね。」
てきぱきと処置を施しながら喋るカルラの“トーキョー”という言葉に反応するアヤ。
「日本の?第三地下政府がある―――」
「いいえ、日本の“東京”ではないわ。正確には国ですらない。どこでもない、打ち捨てられた“爆心地”の方のトーキョー。」
それを聞いて、かつて小学校で習ったことを思い出した。歴史の一丁目として習う基礎知識。初めて“人造燃料”の基となる物質が見つかった場所。そして、それが原因でどこよりも早く汚染が進んだ場所。新東京市上瀬地区。現在は国土とすら認められておらず、完全な地図上の空白地帯。
「地下政府に反抗する組織の本拠地としては、うってつけの場所ね。」
ネルが言う。確かにその通りだ。誰も近づこうとはしない。
「私も、行くのは初めてだわ。さぁ、とりあえず止血はこんなところね。後は縫合だけど、ネルもアヤも、少しジンを押さえていてくれる?気絶してるけど、突然動かれたら手元が狂うし。」
言われた通りにジンの体を軽く押さえる。こうしてみると引き締まった体で、あちこちに傷がある上半身だ。ジンの半生を見たような気がした。
「あとで女が三人も乗っかってたのに寝ていたって聞いたら、ジンは落ち込むでしょうね。」
ネルが面白そうに言う。アヤも「あはは、そうですね。」と苦笑混じりに言う。カルラは何も言わず、ジンの肌に針を差し込み、糸で縫合していく。麻酔の無い治療に、ジンが苦悶の声を上げる。
「うるさいわね。アヤ、キスして塞いじゃって。」
「ええ!?」
「冗談よ。あと、この男、私の姉も口説いてたから、注意しなさいね。」
「ああ、それは別に大丈夫です。」
「……あら、そう。」
けろっとした顔でいうアヤに攻めどころの分からなさを感じながら、治療を続けるカルラ。
しかし、先程は信用できないと思っていたが、自分の中で一気にこの少女の株が上がったのが不思議だった。
「ジンさん、頑張ってくださいね。あたしたちが付いてますから。今度からは守られるばっかりじゃありません。あたしが、あなたを守ります。」
懸命にジンに呼びかけ続ける姿を見て、ああ、こういうところか、と思った。アヤは無知に自覚的でも、頭が良いわけでもない、だが、立ち止まらない。考えることもやめない。強いのだ。今まで見た地下の人間とは違う、人間としての強い芯を持っている。彼女の父、イノウ・ケンゴの血だろうか。その決して折れない信念の決勝が、こうして空を飛んでいる。
「アヤ。」
カルラの呼びかけに、アヤがやや萎縮したようになる。
「あ、ごめんなさい。うるさかったですか?」
カルラはかぶりを振る。
「いいえ、逆よ。もっと話しかけて。山場を乗り越えるのに必要なのは、あなたみたいな人の声。」
あなたみたい、という言葉に少し引っかかったが、アヤはジンに声を力強い言葉をかけ続けた。
※※
小一時間かかり、ようやく簡易手術が終了した。熱はまだ出ているが、あとは薬で何とか乗り切るしかない。
「あたしたちはデッキに戻っているから、何かあったら連絡して頂戴。」
ネルの言葉に頷き、アヤはベッドに仰向けになり苦しそうに息をするジンの汗を拭ってやる。
「頑張って。」
そうとしか言えない自分に歯がゆさを感じながら、それでも呼びかけ続ける。アヤは視線を下半身の方に移す。いくつもの工具をぶら下げたベルトの中に、スパナを見つける。
「こんな大きいもの、こんなところにぶら下げておくから落としちゃうんですよ。」
言いながら、スパナに手を伸ばす。が、直前でジンの右手が伸びて、アヤの左手を掴んだ。当然、ジンは眠ったままだ。
「本当に大事なものなんですね。大丈夫ですよ、盗ったりしませんから。」
ジンの手を外そうとするが、接着剤で付いたようにごつごつとした感触が離れない。
「ほら、ジンさん、あたしの頭撫でて良いですから、ちょっと手を離してください。」
ジンの顔付近に頭を近づけながら、我ながらおかしな物言いだと思った。別にジンは自分の頭を撫でたくて撫でているわけではない。あれは何か面倒くさいことをやり過ごすための行動だ。
アヤは身を乗り出し、ジンの寝顔を見る。歳は忘れてしまったと言っていた。今年18になる自分よりはかなり上だと思われるが、30までは行っていないだろう。その顔を、右手で撫でる。そして、頭も。
「今日はあたしの番ですね。ジンさん―――」
ゆっくりとジンの顔に自分の顔を被せていく。カルラの言っていたことが頭に残っていたせいだろうか。いや、単に、そうしたかっただけだろう。ジンの唇に唇を乗せていると、左手が自由になった。ジンの手が、アヤの頭に置かれる。
数秒間そうしているうちに、スパナをジンの腰から外してしまう。なんだかスリのようだが、仕方ない。
「簡単に落とさないような場所に入れておきますね。」
唇を離し、耳打ちして、ジンから離れる。上着の、落としにくい場所にスパナを入れると、一旦医務室を出る。
※※
デッキには、ドクが操縦桿を握り、ダン、ナオらがそのサポートをしていた。
「進路、異常なし、エンジン安定、気候も問題ない。ドク、ハンドルが重たくなったらいつでも言えよ。」
ナオの物言いに「黙っとレ!」とドクが怒鳴る。体が小さいせいで、操縦席の床に足が付いていない。
「ネルさん。ジンさんの容態、安定してきましたよ。」
アヤの報告に、通信機の前に座っていたネルが満足げに頷く。
「何かあった?アヤちゃん。」
うきうきとした気分を察したネルから言われるが、アヤは「さぁ?」と、しらばっくれる。だが、その背後ではカルラが年に似合わぬ大人びた様子でほくそ笑んでいたので、ネルにも何事かばれているだろう。
「もう、日本の領土には入ったんですか?」
「もうすぐだね。海の防衛網は世界でもかなり強固だから、最悪の場合、交戦も覚悟しなきゃいけないけど。」
「おいおい、お嬢さん方、この俺の情報解析能力を侮ってもらっちゃ困るぜ。最短ルートで、誰にも見つからないように行ってやるさ。この船はニンジャだからな。」
陽気な声で言うナオ。
ジン、ネル、ヴォーレンなどと同じく孤児で旧知の中だが、どことなく影のある彼らと比べると開けっ広げで、その言動には裏表が無い。頭も良く、盗賊をやっていたときからジンの立てた作戦に肉付けをする“右腕”的な役割を担ってきた。
余計なことを言うことが多いので、ジンの憂さ晴らしの対象に選ばれることも多く喧嘩も苦手だが、もしジンがいなくなったときはこのナオが後釜を担うのが最適だと、ネルは思っていた。
「あんたの腕は疑ってないよ、ナオ。」
ネルの、普段とは違う突然の賞賛に少しまごついたが「そうだろう。」と調子のいい返事を返す。
その時、通信が入った。
『J-56海区を航行中の飛行船舶に告ぐ。直ちに停船せよ。』
「ばれた!?」
アヤがうろたえるが、ネルは手で制す。
「酷いなぁアヤちゃん、俺を疑うなって言っただろう。この通信は“トーキョー”からだよ。」
なんと、もう目的地に着いたという。アヤは「ドク、ブレーキに足届く~?」と言って怒られているナオの方をまじまじと見た。
「ジンほどじゃないけど、結構使えるでしょう。じゃあカルラ。通信はお願い。」
ネルがカルラと席を代わる。
「こちら第一地下政府レジスタンス司令官エイラの代理です。作戦コード“DD”の発動により、ご報告に参りました。基地への誘導をお願いいたします。」
「作戦の実行は了承していない。階級と識別コードを伝え給え。」
カルラが黙った。正式なレジスタンスメンバーではないため、そんなものは持っていない。
「私の名はカルラ。エイラの妹です。作戦の実行は緊急時、独断で行っていいことになっているはずです。こちらには地下政府との交渉カードがあります。基地に通してください。」
伝え終えると、長い沈黙があった。駄目か、と思われた時、通信機の横からカルラより小さな頭がひょっこり顔を出した。
「とっとと玄関を開けんカ、クソガキ共。」
『―――あなたは?』
「ペークドック・クライド。貴様らに貸したSBの代金を取り立てに来タ。分かったら基地に連れて行ケ。」
『あれは、無償で―――』
「その声はリョウか?いっちょまえの口を聞くようになったナ。」
『ドク、あなた、確かに金は要らないと―――』
家主が替わっタ!金にがめつい社長を怒らせたくなかったら耳を揃えて待っているんだナ!あといつまで待ちぼうけさせるつもりダ、船ごとそっちに突っ込むゾ!」
ドクの剣幕に押されたように『すぐに誘導戦を出します。』という声が戻った。
「ふう、年寄りに大声を出させおっテ。ただでは済まさんぞ、あのガキメ。」
「ドク、あなた何者なの?」
「ただの船大工ダ。」
ネルの質問に、それ以上は聞くな、とでもいうような不機嫌そうな声で言う。
「ツケで仕事をするのは親子一緒だな。」
「ダン、信号弾の砲門にこいつのケツを詰め込め。海の藻屑にしてくれル。」
ナオが笑いながら逃げ回る様子を、アヤはあっけにとられたように見ていた。
「目的地に着いたのね。あら、アヤ、どうかしたの?」
エリがデッキに顔を出した。
「お母さん、あたし、今さらだけど、とんでもない人たちにお仕事頼んじゃったみたい。」




