脱出、そして―――
リングの反応は途中で消えたが、最早関係ない。獰猛な捕食者の嗅覚が、獲物の匂いを感じ取っていた。
ヴォーレンは滅多に使わない通信機を取り出すと、一応上司となっている男に連絡を取る。
「ガーランド、俺の居場所は分かっているな。部隊を送れ、面白いものが見られるぞ。」
相手の返事は聴かず、通信を終了する。
シェルター建造に使っていた施設を流用した下水路のような通路。この先が、噂に聞いていた反政府組織のアジトなのだろう。
しかし、自分には興味のないことだ。為政者が変わったところで、この世界の在り様が変わることは無い。人類は自らを驕り、真綿で首を締めるように星の寿命を縮めて行った。そして、上は無秩序な荒野と暴虐が広がり、下は徹底した保身と体制維持に躍起になる者たちが作る管理社会と、それによって去勢された人民が住み、それぞれに滅びの道を歩んでいる。うんざりするほど繰り返してきた、これが人間の本質だ。
こんな世界を、それでも愛そうとした女がいた―――ヴォーレンはかぶりを振り、突然頭に湧いた思考を振り払う。何故今更、そんなことを思い出す。あれは捨て去った過去だ。
ならば、どうしていつまでもあの男にこだわる?自問が、またあの白い髪と柔らかな笑顔を脳裏に浮かばせる。その笑みは自分には向けられない。
『はい、これ誕生日プレゼント。』
『そうだったか。なんだこれ?随分アナログだな。』
少女と少年の他愛のない会話。それを見ている自分。
『ドクさんは、これで船造りしてたって言ってたよ。』
『あのジジイは存在自体が骨董品だからな。ところでレン、俺は何歳になったんだっけ?』
『はぁ?自分の年くらい憶えておきなさいよ。15よ!学校に通ってないからそうなるのよ。』
『それとこれと何の関係が?』
『同級生の歳を憶えていれば、自分の歳も忘れないでしょう。』
『そうか。なら俺はレンの歳を憶えておけばいいわけだな。』
『―――まぁ、そういうことになるわね。』
『で、レンはいくつだ?』
『あんた、わざとやってるでしょ。』
『ジン、そろそろいいか。あまり長くかかるようなら俺一人で―――』
堪り兼ねたように二人の会話に入っていく自分。奴とは何をしようとしていのだろうか。およそ他言できることではないのは確かだ。
『おっと、すまないヴォーレン。見ろ、新しい武器を貰った。』
ジンがまだその手には余るくらいのスパナを起用に手の中で回して見せる。
『ちょっと!そんなもの人に振り回しちゃ駄目だからね!ヴォーレン、ジンが無茶したら止めてよ。』
『分かった。ところでレン、俺の歳はいくつだったか憶えているか?』
『もう!』
そこで頭が現実の薄暗い下水路へと引き戻される。
何故、あれほどまでに彼女は純粋だったのだろう。DSのせいだろうか。身も心も白く、美しい、それ故に儚かった。生き汚い者ほど長く生き延びる地表に於いて、それは当たり前の帰結だったのかもしれない。
「ヴォーレン様!」
声とともに、目映い光と足音が近付いてくる。SLI警備部の制服に、強化弾を仕込んだ銃をホルスターに差した男たちが数十人、ガーランドの命を受けてやってきたのだ。
ヴォーレンは部隊長に「この先だ。」と告げる。
「連中に捕縛は必要ない、殺せ。俺は外で待つ。逃がした鼠は、俺が始末する。」
指示を出し終えると、ヴォーレンはここまで来た暗い道を、また戻って行った。
※※
組まれた木造住宅が大きく軋む音がして、ナイグルたちが防弾服に身を包みやってきた。
「エイラ、奴らが来た。迎え撃つぞ。」
エイラがナイグルから武器を受け取り、少し息を吐いてから立ち上がる。戦士の如く精悍な顔つきとなったエイラに、ジンが着ていた服を被せる。
「あんたみたいな女にはよく似合う。」
「それはどうも。」
ナイグルがジンにツナギを渡す。
「クリーニング代はつけておくわ。」
「まだ少し生乾きだぞ。」
エイラは鼻を鳴らして応えると、ナイグルたちに戦闘配備の指示を出す。
「おばさん、カルラ、来て。」
家主と妹を呼び寄せる。
「おばさんは、子供たちと一緒にいてあげて。すぐに片付けて帰ってくるから。カルラ、あなたはこのおじさんの道案内をしてあげて。」
カルラは無表情の碧眼で、クシャクシャ頭の“おじさん”の顔を見上げる。
「あなたはここの誰よりも地下都市へ至る道を知ってる。できるだけ誰にも見つからないようなルートで、ジンと一緒に脱出して。」
不安そうな色を帯びたカルラの顔を見て、ジンが言う。
「道さえ教えて貰えれば、一人で行ける。何ならもう少しここにいてもいい。」
しかし、エイラはその申し出を断る。そして、ジンの耳にだけ聞こえる声で言う。
「ドクの息子であるあなたにお願いします。この子を、私たちの基地に連れて行ってほしい。場所はカミセ、少し遠いけれど、あなたたちもそろそろこの国を離れる時期だと思う。」
「革命家にスカウトか。悪いが、俺はドクの養子で、職業は船大工だ。そんな大それた頼みは受けられないな。」
そう言うと、ツナギを着込み、ポケットに入った携帯PCを操作する。動作することを確認すると、少し俯き加減のエイラに向き直る。そしてカルラの手を自分の身に引き寄せて、言った。
「輸送船のテスト飛行でカミセに向かおう。カルラの運賃は、クリーニング代でチャラにしておくよ。」
エイラの表情が晴れた。その瞬間、爆発音が轟く。カルラがジンの腰に抱き着く。
「大丈夫よ。元々連中をおびき寄せる算段だったんだから。それより、カルラのこと、お願い。思ったよりタフだけど、DSのこともあるし―――」
ジンは腰に纏わりついた少女の頭に手を置くと、言った。
「女性に傷をつけて返すことは無い。この子を戻したら、今度こそデートしよう。」
エイラは白い歯を剥き出しにして笑う。野性的な笑みは、ますますネルに似ている。
「分かった。手を繋ぐくらいなら許してあげるわ。さぁ行って!カルラ、気を付けてね。」
そう言って、カルラの額にキスをする。アサルトライフルを肩にかけ、走っていく。
姉と別れたカルラの行動は素早かった。
「ジン、こっちだよ。」
川の上流へと、ジンを手招きする。
「また濡れるのか?」
「ちょっとくらい我慢して。」
勝気な言葉遣いは姉に似ている。
「そういうことじゃない。カルラ、銃を見せろ。」
カルラが少しその身には大きめの銃を渡した。最新式とは言えないが、防水仕様だ。ならば、何故あの時弾が発射されなかったのか―――
「やっぱりな。」
ジンは少しいじってみて、分かった。安全装置が子供の力では絶対にはずせないようになっている。ジンは腕力でそれを無理やり外す。
「あまりお勧めはしないが、危なくなったらよく狙って撃て。手が震える時は深呼吸だ。」
「大丈夫。あたしも、戦士だから。」
戦士、か。年端もいかない少女を戦いの最中に駆り出す人間の精神については言いたいこともあったが、とりあえず今は脱出が先決だ。
「さて、この川を魚のように昇って行けばいいのかな?」
「そうよ。また潜るけど、怪我は大丈夫?」
「戦士の皆さんの甲斐甲斐しい治療で、少し楽になった。大丈夫さ。」
実際は傷が熱を持ち始めて体調がガタガタになってきたが、そう言うとカルラが少し満足そうな顔になった。どうやら自分がレジスタンスであることに相当プライドがあるらしい。
「じゃあ、行くよ。」
「ああ、少し待て、先にメールを送っておく。」
「浮気!?」
さっき姉にデートの約束をしていたからだろう。棘のある声を出すが、ジンはこともなげに答える。
「親父にだ。早く家に帰れとうるさくてね。」
※※
『CASPER』での作業中、PCにメールが入った。カイはその内容を確認すると、ドックの方に駆けていく。
「ドク!ジンから連絡が入ったぞ。」
小さな老体をちょこまかと動かして作業をしていた男に声をかける。
「ったく、あのクソガキ。今日中に飛べるようになどと無理難題出しおっテ。」
本来ならばまだ未完成の部分を急ピッチで仕上げていく。塗装もされていない、ただ大気中を飛べるだけの大型船だ。
「ダンからも連絡があった。もうすぐアヤちゃんが家族と一緒に来るそうだ。」
ナオからも報告が入る。造船ドックの向こう側では、ネルがジンの言う“夜逃げの準備”を進めていることだろう。
「ふん、ペースを早めるゾ。カイ、お前もとっとと仕事に戻レ。」
だが、カイはまだ何か言うことがあるようだった。
「俺にはよく分からなかったんだが、『SBの無料レンタル業に関して、あとで話がある』そうだ。」
「―――そうカ。」
※※
水面に出ると、目の前には銃口が自分の脳天を向いていた。できる限り誰にも見つからない道、というアドバイス通り、道なき道を潜水してきたが、一番会いたくない人物一人に出くわしてしまった。
「久方ぶりだな、ジン。」
青白く、鋭角な顔に狂気じみた笑みを宿したヴォーレンが立っていた。地下都市の外れにある人口水浄化施設の、巨大な溜池。
「よく分かったな。SLIのヴォーレンさん。」
皮肉めいた物言いは冷笑で償却され、ヴォーレンの銃口は揺るがない。
「捕食者の嗅覚だ。人口水といえど、基となる水が無くては作れない。下らん反抗組織アジトに流れる地下水脈の源流は、ここに繋がっている。犠牲者を出さないよう、人気のない脱出口を選んだのが仇になったな。お前らしい甘いミスだ。」
ジンは銃口から目を逸らさないまま、言う。
「何故殺さない。久しぶりに、世間話でもしたくなったか。なら、良いことを教えてやろう。この地下政府が隠してきた秘密の話だ。」
ヴォーレンが微かに顔をしかめる。
「俺たちが生まれるずっと前、一度使えば1000年は持つという人造燃料の寿命が切れ、それを宇宙空間と地下に廃棄した。だが、不慮の事故で大量の『ダスト』を詰め込んだ人工衛星が落下。この星は『ダスト』に汚染された。人類は仕方なく地下に移住した。それが、地下政府の語っていたストーリーだった。だが、その間には語られていない話があった。」
水面で揺れるジンは、じっくりと狙いをつけながら、話し続ける。
「星が汚染される前に、マーズのテラフォーミングは完了していた。」
ヴォーレンが目に見えた動揺を見せる。
「人造燃料、および『ダスト』の危険性は前々から指摘されていた。人類は先手を打って星外脱出を画策し、それに成功したが、そうしている間に自分たちの故郷と、同胞が汚染された。移住計画は中断。残った住民は地下都市と政府を作り、徹底的に統制された管理社会を作り、見せかけのテラフォーミング事業を展開し、今に至る。どうだ、知っていたか?」
エイラに話さなかったのは、これがあくまで推測だからだ。ヴォーレンの銃口が、わずかに揺れた。
「これが、地下か。まやかしの希望で民衆を従え、保身という下らぬ理由で存在し続ける、これがこの世界の姿だというのか―――」
うわ言のように言うヴォーレン。ジンはそれをただ見つめる。
「これがレンの生きた世界の正体か!ジン!!」
「レンは、死んだ。昨日が命日だ。」
ジンは今にも引き金を引きそうなヴォーレンに告げる。死んだということは知っていても、命日までは知らないはずだった。斯くして、ヴォーレンの狙いが完全に外れる。
「ヴォーレン、お前、いくつになったか憶えているか?」
そう言った瞬間、ツナギの中で携帯PCを操作する。ヴォーレンが銃を放つがジンから数センチ離れた水面に着弾する。二発目を撃とうとするが、アクアラングをつけたカルラの銃撃にあい、果たせず、次に放たれたジンの銃弾に手に持った銃が弾かれる。
―――風の音。ヴォーレンは背後からする気配に振り返る。地下都市に風は吹かない。これは。
「SBか。」
遠くから空気を裂くように進むSBのエンジン音。イノウ・ケンゴのラボにあったものを、ジンが遠隔操作できるように改造したものだった。
ヴォーレンが向かってくるSBを貯水池に飛び込んで避ける。ジンとカルラが水面近くに止まったSBに素早く乗り込み、発進させる。
「また会おう、ヴォーレン。」
「ジン!!」
ヴォーレンの叫び声をかき消すようにSBが全速力で地下都市を飛んで行った。
※※
待ち伏せていたレジスタンスの戦力と火力によって、SLI警備部の兵士たちはほとんど初撃で無力化された。
敵を呼び込むために作ったダミーの通路を、敵が入った瞬間に爆破して塞いだことも奏功した。
「一人二人は殺さずに生かしておけ。政府との交渉に使う。」
エイラの冷酷な命令に生き残った兵士が身を竦ませる。
「エイラ。すぐに次の部隊が来るだろう。行くぞ。」
ナイグルの声に頷くが「子供たちを守る兵は残しておかないと。」と言い、ナイグルにその役目を任せる。
「私たちは、これからB5に潜入し、地下の連中との交渉に向かう。その間、ここを守って。」
ナイグルは力強く頷く。
「お気を付けて、隊長。」
「死なないで。」
お互いに、立場上精一杯の言葉を掛け合い、別れる。
※※
「で、ここからどうやって外に出るの?」
高速で進み、盛大に揺れるSBの中でカルラが潜水服を脱ぎ、白い髪を撫でつけながら言う。
「強行突破だ。エアーバッグは無いからな、その小さい頭をひっこめておけ。」
「あたしはもう14だ!」
目算で10歳くらいと思った非礼を詫びる。
「それは失礼。日光を浴びないせいだな。発育が遅れてる。」
「姉さんと比べてるの!?そっちの方が失礼よ!」
目の前には真っ白な地下都市群。立ち並ぶビルも、家々も、道路も、本当に純白だった。不自然なほどの調和と、美しさ。
「さて、日光浴の前に探し物だ。エレベーターの中で見つけたんだな。どれだったか憶えているか?」
「憶えてるわけないでしょう!何個あると―――あ、そういえば、なんかそれだけ動きが不自然だったような気がする。」
恐らく、ジンが少しいじったせいだろう。ジンは目を凝らす。すると、一つだけフラフラと飛ぶ透明な直方体を発見した。
「見つけた!」
全速力でSBを飛ばし、急停止する。慣性で、カルラが頭を打つ。
「安全運転しなさいよ。」
ジンは構わずコクピットを開け放ち、エレベーターに飛び移る。飛行中のドアを無理やりこじ開けると、お目当ての物が見つかった。
今回はこのせいで随分と手間がかかったな、と思っていると、下から銃声。
「もう来たか、SLIは仕事熱心な奴が多いな。」
SBに戻ろうとして、ふと気付いた。そう言えば、エレベーターは動いていたのだ。ということは、停止させたSBを置いて、自分はかなり移動してしまったことになる。
「仕方ないな。」
カルラの怒った顔が目に浮かぶのを一旦脇に置いて、ジンは再びSBを遠隔操作モードに切り替えると、エレベーターにも再度クラッキングを仕掛ける。
まずは乗っているエレベーターを上昇させる。それに伴いSBも前方へ急発進させ、タイミングを待つ―――
そして、頃合いを見てエレベーターから飛び降りる。開放したままのコクピットに着地した瞬間烈火の如く怒り狂うカルラに首を締められる。
「姉さんの頼みだからって付いてきてるけど、このままあなたの操縦する船に乗るならあそこで死んだ方がマシだったかもしれないわね。」
「そんなことは無いさ。快適な空の旅にご招待するよ。」
真っ白なビル群を縫うように飛び、巨大エレベーターが通るタワーに向かって突進していく。
「南無三!」
「きゃああああああ!」
叫び声を上げるカルラを片手で抱きしめ、操縦桿を持つ手を引き上げる。最高速でタワーの壁を突き抜け、そのまま一気に上昇する。
B4、B3、B2、B1を突き抜け、中破したSBが最後の壁を突破する頃には、ジンの傷も完全に開いてしまっていた。
「なかなかエキサイティングな一日だった。さて、カルラ、これから君の故郷に向かうわけだが、カミセと言うのはどの国にあるんだったかな?」
フラフラと飛ぶSBの中でゆっくりと体を起こしたカルラが言った。もう文句を言う体力も失せたのか、質問に的確に答える。
「トーキョーよ。日本のね。イノウ・ケンゴのルーツでもある。」
この話は、夜中まで小説を書いていた作者が誕生日の時刻を過ぎたことに気付き「あれ、俺いくつになったんだっけ」と呟いたことが元ネタとなっております。




