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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第20章

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第88話 どれが出てくるか、楽しみですわね

四日目には、何も起きなかった。


 五日目にも、何も起きない。マリアンヌは使いに出るたびに、ほかの家の侍女たちの話に耳をそばだてて帰ってくる。


「今日も、何もございませんでした」


「そう」


「ボワシエ男爵家の首飾りの話は、まだ皆、しておりました。箱の蓋のところまで」


 鏡台の上の小箱を拭きながら、侍女はもうひとつ訊いた。


「お嬢様。三つ目は、なぜ雷に」


「空が、そう決めましたの」


「……左様でございますか」


 侍女の内側で、何かがひとつ言いかけて、引っこんだ。ヴィオレッタは、それを追わなかった。


   ◇


 噂というのは、いったん育つと、なかなか枯れない。


 首飾りは、もう質から出てこないだろう。それでも、蓋をあけたままの空の箱は、王都じゅうの鏡台の上に置かれ続ける。誰も見たことのない箱なのに、誰の頭の中にもある。


   ◇


 五日目の午後、教会へ向かう馬車が、ボワシエ男爵家の前を通った。


 門の脇に、見慣れない荷車が止まっている。運び出されているのは、古い長持であった。首飾りの次は、嫁入りの道具を手放すのであろう。


 ヴィオレッタは、窓の帳を下ろさなかった。下ろす理由がない。見えるものを見ないようにするのは、見たうえで何もしないよりも、ずっと手間がかかるのである。


   ◇


 六日目に、オードランの店から衣が届いた。


 約束の七日より、一日早い。深い緑である。届けに来たのは、あの日、隅で待ち針を数えていた針子であった。


 袖を通すと、左の肩に、薄い詰め物が入っている。鏡の前で、肩の線がまっすぐに揃った。


   ◇


「マダムから、言付けがあります」


 針子は、膝を折ったまま言った。


「詰め物は、先月と同じにしました、と」


「先月と同じ」


「はい。それだけ伝えるように、と言われました」


   ◇


 ヴィオレッタは、針子の内側を聞いた。


 娘は、詰め物が何のためのものかを知らない。言付けの意味も知らない。知っているのは、衣を汚さずに届けることと、帰ったら袖口をかがることだけである。


 それと、七日の約束を守るために、店の皆が三晩眠らなかったこと。


 マダム・オードランは、弟子にも言っていないのであった。


   ◇


 七日目には、ルグランの見習いの少年が、小箱をひとつ届けに来た。


 耳飾りを入れていた古い小箱の天鵞絨が、擦り切れていたのを、老人は見ていたらしい。新しい箱の中は、仕切りがふたつに分かれている。右と左の区別は、つけていない。


「旦那様が、代はいらないそうです」


 少年は、それだけ言って、帰りたそうに足を動かした。内側には、焼き栗の屋台が今日も出ているかどうかしかない。


   ◇


 ヴィオレッタは、新しい小箱を鏡台に置いた。


 二軒とも、主は口を閉じている。主のまわりの者も、何も知らされていない。


 残るのは、一軒であった。


 ファビアンの店からは、何も届かない。半分しか結わなかった髪の続きを、まだ誰も結いに来ていない。ヴィオレッタのほうも、呼んでいなかった。


   ◇


「お嬢様」


 マリアンヌが、小箱を見ながら言った。


「髪結いでございましょうか」


「まだ、分かりませんわ」


「でも、二軒とも」


「二軒とも、今日までは、ですわ。噂というのは、すぐに出てくるものばかりではありませんもの」


   ◇


 ドゥラージュ伯爵夫人の噂は、いつも茶会で出る。


 それも、言われる当人のいる茶会で。ボワシエ男爵家の首飾りも、ソランジュが卓の端に座っている日に出た。


 本人の前で、本当ですの、と誰かに訊かせるために、取っておくのである。だから、まだ出てこない。


   ◇


 その日の夕方、マリアンヌが使いから戻って、珍しく自分から口を開いた。


「ドゥラージュ伯爵家の侍女に、市場で会いました」


「何か言っていて」


「何も申しません。それが、おかしゅうございます」


 侍女は、籠を下ろしながら続けた。


「あの者は、いつもなら、まだ誰も知らない話をひとつは匂わせます。今日は口を結んだまま、わたくしの顔ばかり見ておりました。見て、笑っておりました」


   ◇


 大きな話を抱えている者は、かえって黙る。小出しにすれば、値が下がるからである。


 ヴィオレッタは、扇の先で掌を軽く打った。


「では、もうすぐですわね」


   ◇


 八日目の晩、ベルナールが帳面を抱えて来た。


「ドゥラージュ伯爵家の払いでございますが」


「また、早いのかしら」


「早うございます。今月の分を、三軒とも、もう払っておいでです。いつもより、さらに色をつけて」


「三軒とも」


「三軒とも、でございます」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を閉じた。


 三軒に、同じだけ多く払う。どこから何を買ったのか、払いの帳面からは決して分からないように。


 払いが増えたのは、何かを買ったからである。何を買ったのかは、もうすぐ分かる。


   ◇


「伯爵家の麦は、今年はどうなの」


「悪うございます。三年続けて」


「それで、どこからお金が」


「奥方様の持参金の、最後の残りだと聞いております。銀器を二揃い、手放されたとも」


   ◇


 最後の残りで、悪女の噂をひとつ買った。


 ヴィオレッタは、少しだけ、その夫人に感心した。感心したところで、手加減する理由にはならない。


   ◇


 九日目の朝、シャトラン侯爵夫人から、また茶会の招きが来た。


 客の名が添えてある。ドゥラージュ伯爵夫人の名も、ボワシエ男爵夫人と娘の名も、そこにあった。


「お出になりますか」


 マリアンヌが、招き状を盆に載せたまま訊いた。


「出ますわ」


   ◇


「何をお召しに」


「緑の衣を。詰め物は、もう入っておりますもの」


 マリアンヌの内側で、何かがこわばった。


「肩のことが出てまいりましたら、その衣では」


「出てきたら、ご覧になって、と申しますわ。まっすぐでしょう、と」


   ◇


「耳飾りは」


「つけていきますわ。どちらが作り直しか、当てていただきましょう」


 侍女は、ため息をつきかけて、飲みこんだ。


 肩なら、緑の衣を見せればいい。耳飾りなら、両の耳を見せればいい。雷なら、見せるものは何もない。本当です、と言うだけのことである。


 どれが出てきても、答えはもう決まっていた。


 ヴィオレッタは、招き状を受け取った。


「肩か、耳飾りか、雷か。どれが出てくるか、楽しみですわね」



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