第84話 本当ですの、と訊かれましたら
シャトラン侯爵夫人の茶会で、その日いちばんよく喋ったのは、ドゥラージュ伯爵夫人であった。
ふくよかな、声のよく通る女である。王都の噂は、たいていこの夫人の口から出る。出たときには、もう誰もが知っている話になっている。
◇
ヴィオレッタの席は、窓に近い卓の上座にあった。
隣に座るはずだった子爵家の令嬢は、席札を見るなり顔色を変え、母親に何か耳打ちして、いちばん遠い卓へ移っていった。悪女の隣で茶を飲めば、翌日には何を言われたか分からない。王都の娘たちは、そう教わっている。
おかげで、肘のあたりが広い。ヴィオレッタは、それを少しも不便に思わなかった。
◇
「ボワシエ男爵家のこと、お聞きになりまして」
夫人は、茶碗を置いてから言った。
「お嬢様の嫁入りの首飾りを、質にお入れになったんですって。鏡台の上には、空の箱だけが置いてあるそうよ。蓋をあけたまま」
◇
卓のまわりで、扇がいっせいに動いた。
「まあ」
「空の箱を、蓋をあけたまま」
「ご縁談が止まっているのは、それでしたのね」
蓋をあけたまま、というところで、皆の目の色が変わる。見てきたような話には、人は逆らえない。
◇
ドゥラージュ伯爵夫人の噂は、いつもそうであった。
どの話にも、ひとつ、手で触れられそうな細かいところがついている。箱の蓋、袖の染み、窓辺の手紙。それがあるから、誰も疑わない。疑う前に、頭の中にその絵が浮かんでしまうのである。
◇
卓の端に、ボワシエ男爵家の娘が座っていた。
ソランジュという、色の白い、おとなしい娘である。母親に連れられて来たのだろう。茶碗を持った手が、膝の上で止まっていた。
娘の内側は、ひどく揺れている。
――どうして。誰にも、言っていないのに。
◇
首飾りの話は、本当なのであった。
本当のことだから、娘は何も言い返せない。言い返せば嘘になる。黙っていれば、皆が本当だと思う。どちらにしても、同じことであった。
◇
ソランジュは、母親の袖を引いて、先に席を立った。
扉が閉まるのを待って、向かいの夫人が、こちらへ身を乗り出してくる。
「お可哀そうに。公爵令嬢様も、そうお思いになりません」
「思いませんわ」
ヴィオレッタは、茶碗を持ち上げた。
「首飾りを質にお入れになったのは、あちらのお家ですもの。わたくしが可哀そうに思ったところで、首飾りは戻りませんわ」
◇
夫人は、口をあけたまま身を引いた。
内側で、やっぱり悪女だ、と言っている。その声には、どこか安堵の色が混じっていた。可哀そうがる役は、これで自分のものになったのである。
◇
ヴィオレッタは、ドゥラージュ伯爵夫人の内側を聞いていた。
――出どころなど、誰にも分かりはしない。
――どの家も、あの三軒にしか頼まないのだから。
あの三軒、というのが、どこを指すのかは見当がつく。
◇
王都の令嬢が使う店は、どこの家でも変わらない。
衣は、マダム・オードランの仕立屋。首飾りや耳飾りは、ルグランの宝飾屋。髪は、髪結いのファビアン。どれも、家の奥まで呼ばれる店である。娘の寸法も、宝石箱の中身も、鏡台の前の顔も、三軒は知っている。
アルヴェール公爵家も、母の代から三軒とも呼んでいる。三軒とも、口が堅いという評判であった。
◇
「公爵令嬢様も、あのお店をお使いでしょう」
ドゥラージュ伯爵夫人が、こちらを向いた。
「お気をつけあそばせ。近ごろの王都は、壁に耳がございますもの」
◇
口では、気づかっている。
内側は、まるで違う色であった。
――嘘をつかない女。
――本当かと訊かれれば、本当と答えるしかない。悪女が、自分の口で認めるところを、皆に見せてやる。
◇
なるほど、とヴィオレッタは思った。
ほかの家の噂なら、言われた家は黙るか、ごまかすか、怒って否むかである。否まれれば、噂は半分に痩せる。ところが、この夫人の次の獲物は、否まない。否めない。
だから、いちばん太る。
◇
噂というのは、否まれないものから順に育っていく。
◇
ヴィオレッタについての噂なら、これまでにもいくらでもあった。
侍女を池に突き落としたとか、夜会で男爵家の令息の頬を打ったとか。どれも、誰かが面白がってこしらえた話である。訊かれるたびに、ヴィオレッタは、違いますわ、とだけ答えてきた。
嘘をつかない女が、違うと言う。それだけで、噂は翌日には痩せて消えていく。
だから夫人には、本当の話が要る。悪女が自分の口で認めるしかない、本当の話が。
◇
「ご忠告、ありがとう存じますわ」
ヴィオレッタは、扇を開いた。
「壁の耳なら、わたくしも気になっておりましたの」
夫人が、満足そうにうなずいた。
◇
女主人のシャトラン侯爵夫人は、そのあいだずっと黙っていた。
痩せた、背筋の伸びた女である。噂を自分では口にしない。口にしないかわりに、自分の茶会で誰が何を言ったかは、全部覚えている。
その侯爵夫人の内側にも、さっきから同じ顔がちらついていた。自分の娘の顔である。
――また、うちの茶会で。
◇
屋敷へ戻ると、マリアンヌが着替えを手伝いながら、黙っていた。
黙っている侍女の内側で、ソランジュの白い顔が何度も浮かんでいる。茶会のあいだ、侍女は控えの間にいたのである。けれども、噂というのは控えの間のほうが早い。
「マリアンヌ」
「はい」
「ボワシエ男爵家の首飾りの話、控えの間でも出ましたの」
◇
「出ました」
マリアンヌは、帯をほどく手を止めなかった。
「ドゥラージュ伯爵家の侍女が、話しておりました。あの者は、自分の奥方様と同じ顔で話します。箱の蓋のところまで、同じでございました」
「そう」
「お嬢様。あの家の噂は、いつも、どこからか出てまいります。どこからなのかは、誰も申しません」
◇
その晩、ベルナールを呼んだ。
「ドゥラージュ伯爵家は、お金に困っておいでかしら」
「困っておいでです」
執事は、少しも迷わない。
「領地の麦が、二年続けて悪うございました。それでいて、奥方様のお出入りの店への払いだけは、王都でいちばん早い。しかも、ほかの家より色をつけて払っておられます」
◇
「三軒とも」
「三軒とも、でございます」
金の話になると、この執事は誰より早い。出入りの商人たちと酒を酌み交わすのが、数少ない楽しみなのだという。王都じゅうの家の払いの速さを、帳面より先に知っている。
ヴィオレッタは、扇を閉じた。
三軒すべてに、同じだけ色をつけて払う。そうしておけば、どの店から話が漏れても、どの店から漏れたのか、外からは分からない。漏らしていない店まで、同じように太らせてある。
◇
よく考えてある、と思った。
考えてあるのは、払い方だけではない。三軒の主は、本当に口が堅い。堅いから、どの家も安心して奥まで呼ぶ。安心して呼ぶから、話は漏れ続ける。
漏らしているのは、主ではない誰かである。
◇
誰なのかを、ヴィオレッタは知らない。知らないまま、三軒の主の顔を思い浮かべる。どの顔も、口の堅そうな顔であった。
◇
「ベルナール。三軒とも、呼びなさい」
「はい」
「別々の日に。仕立屋が一日目、宝飾屋が二日目、髪結いが三日目」
執事が、わずかに眉を上げた。
「三軒とも、でございますか。お衣装は、先月誂えたばかりで」
「誂えますわ。お代は、わたくしのお小遣いから」
◇
ベルナールは、それなら、とうなずいて下がった。
マリアンヌが、主人の髪から最後のピンを抜く。鏡の中で、侍女の目がこちらをうかがっていた。
「お嬢様。今度は、何をなさいますの」
「何も」
ヴィオレッタは、鏡の中の自分を見た。
「本当のことを、申し上げるだけですわ」
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




