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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第19章

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第83話 覚えたまま、なさいましたのね

 回廊で、ヴィオレッタは娘に追いついた。


 追いついた、と言っても、急いだわけではない。ノエミが柱の陰で足を止めていたのである。扇の骨が、一本、折れていた。


「ヴィオレッタ様」


 娘の目は、濡れていない。


「なぜ、止めてくださらなかったのです。わたくしが何をするつもりか、お分かりでしたのでしょう」


   ◇


「全部、お出来になりましたわね」


 ヴィオレッタは、問いには答えず、折れた扇を見た。


「黙って見るのも。理由を言わないのも。扇を一度だけ鳴らすのも。ひと言だけ口を開くのも。教えたとおり、全部」


   ◇


「……第一条だけ、忘れておりました」


 ノエミが、小さく言った。


 ヴィオレッタは、扇を開かない。


「いいえ」


   ◇


「覚えておいででしたわ。毎朝、いちばん早くお答えになりましたもの」


 娘の唇が、震える。


「覚えたまま、なさいましたのね」


   ◇


 ノエミは、何か言い返そうとした。


 言い返す言葉の内側が、こちらには見えている。


  ――だって、ひとつくらいなら。ヴィオレッタ様だって、一度くらいは。


 見えていて、ヴィオレッタは、それにも答えなかった。答えれば、この娘はまた、そこへ逃げこむ。


   ◇


「いま、忘れておりました、と仰いましたわね」


「……はい」


「それも、嘘ですわ」


 ノエミの顔から、最後の色が引いていく。


 広間で嘘をついて、回廊でもうひとつ。ひとつくらいなら、と思った嘘が、ひとつでは済まない。済ませようとすれば、もうひとつ要る。


「嘘は、強すぎますの。一日目に、申し上げましたわね」


   ◇


「……どうして」


 娘の声が、ようやく崩れた。


「どうして、一日目に、もっと強く仰ってくださらなかったの」


「申し上げましたわ。五日のあいだ、毎朝」


 ヴィオレッタは、静かに言った。


「毎朝、あなたがご自分のお口で、お答えになりましたのよ」


   ◇


 ノエミは、それきり黙った。


 黙ったまま、長いこと、折れた扇を見下ろしている。


「あのまま、お帰りになればよろしかったのよ」


 ヴィオレッタは、言った。


「あなたは、もう勝っておいででしたもの。フロランスが目を逸らしたところで」


「……勝って、おりましたの」


「ええ。ティエリ様も、伯爵夫人も、あなたをご覧になっていましたわ。悪くない、というお顔で」


 顔だけではない。内側も、そう言っていた。そこまでは、言わない。


   ◇


 娘は、何か言おうとした。


 言わずに、膝を折る。教えたとおりの、深い礼である。それから、回廊を歩いていく。


 もう、急がない歩き方であった。急ぐ先が、どこにもなくなったのである。


   ◇


 広間へ戻る途中で、アデライドが待っていた。


 いつもの角度で、笑っている。笑顔の下の濁りは、今日はいつもより澄んで見えた。安堵の色である。


「ヴィオレッタ様。おかげさまで、助かりましたわ」


 ヴィオレッタは、立ち止まった。


   ◇


 黙って、娘を見る。


 にらむのではない。ただ、見る。五日のあいだ、ノエミに教えた目である。


 アデライドの笑顔が、少しずつ固くなっていく。


  ――なに。なんで、黙ってるの。


  ――火曜じゃない。言ったのは、土曜。ティエリ様が戻られた翌日。フロランスに言わせた。


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を開いた。


「火曜でなければ、何曜日でしたの」


   ◇


 アデライドの笑顔が、そこで止まった。


 後ろに、フロランスが立っている。その顔が、ゆっくりと、主のほうを向いた。


  ――土曜。わたしが言った。アデライド様が、言いなさいって。


  ――わたしだけ、今日、あんな目で見られて。


 ヴィオレッタは、それきり何も言わずに、広間へ戻った。理由は、言わない。


   ◇


 三日後、ガルニエ商会から使いが来る。


 娘の縁談は、こちらから取り下げた。ついては、授業料の半分なりとも、お返し願えないか、という口上である。


「お断りいたしました」


 ベルナールが報告に来たときには、使いはもう門の外にいた。


「前払いでございますので、と申し上げました。使いの者も、それ以上は何も」


 金の話になると、この執事は誰より早い。


   ◇


「それと、もうひとつ」


 ベルナールは、書付をめくった。


「ロシニョール伯爵家は、ティエリ様のご縁談を、もう一方も見送られたそうでございます」


「アデライドの」


「はい。フロランス嬢が、あちこちの茶会で話しておいでだとか。何を言うにも、ヴィルヌーヴの令嬢に言わされていた、と」


   ◇


 隣の者に言わせて、自分は困ったように笑う。


 言わせる者がいなくなれば、笑う顔だけが残る。残った顔に、もう誰も笑い返さない。


 王都の茶会では、ああいう娘がいちばん長生きをする。長生きのこつは、隣の者の口を、最後まで自分のものにしておくことである。アデライドは、それをひとつだけ、しくじった。


   ◇


「お嬢様」


 マリアンヌが、茶を注ぎながら言った。


「あの方、よい生徒でございましたね」


「ええ」


 ヴィオレッタは、茶碗を取った。


「第一条のほかは」


   ◇


 マリアンヌは、ポットを置いた。


「アデライド様も、ノエミ様も、落ちてしまわれましたね」


「落ちましたわね」


「お嬢様は、はじめに、知ったことではないと仰いました」


「申しましたわ」


 ヴィオレッタは、茶を飲んだ。


「知ったことではございませんわ。今でも」


 マリアンヌは、何も言わずに、少しだけ笑った。


   ◇


「ベルナール。ガルニエ商会から、扇を一本、取り寄せておきなさい。象牙の骨の、南の鳥のものを」


「お代は」


「授業料から、お払いなさい」


 執事の眉が、わずかに動いた。


 金庫から金貨が出ていく話になると、この執事はいつもより遅い。


   ◇


「どちらへ、お届けいたしましょう」


「ガルニエ商会の、ひとり娘へ」


「お手紙は、お付けになりますか」


「要りませんわ」


 ヴィオレッタは、扇を閉じた。


 ぱちり、と一度だけ鳴る。


「理由は、言わないものですもの」


   ◇


 ベルナールが、一礼して下がっていく。


 マリアンヌは、閉じた扉を見ていた。


 届いた扇を開いて、あの娘は、ひと晩じゅう考えるであろう。なぜ、これが届いたのか。何がよかったのか、何がいけなかったのか。数え上げて、数え上げたどれもが理由に思えて、どれが本当の理由なのか、一生分からない。


 楽師と同じ夜である。


 ただ、楽師には、扇は届かなかった。

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― 新着の感想 ―
( ゜∀゜)o彡° あらっ、相討ちでしたか。 ただ今後のことを考えると、フロランスの方がダメージ大きいかも。 ノエミの言ったことは当たらずとも遠からずであったと解釈されるでしょうし。
( ゜∀゜)o彡° ヴィオレッタ様は唯一無二 しかし授業料半分返せとはセコいな 今日はちょっとおしゃべりになりまして すみませんm(__)m
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