↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第19章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/110

第82話 生け垣の向こうに、おりましたの

 ロシニョール伯爵夫人の茶会は、秋薔薇の咲く庭に面した広間で開かれた。


 ヴィオレッタが通されたのは、窓際の席である。少し離れたところに、伯爵家の三男ティエリが座っている。栗色の髪の、人のよさそうな青年であった。母親の伯爵夫人は、その隣で客を迎えている。


 マリアンヌは、壁際に控えている。


   ◇


 アデライドは、早くから来ていた。


 淡い水色の衣に、真珠の耳飾り。いつもの角度で笑い、いつもの角度で首を傾けている。隣には、取り巻きのフロランスという令嬢がついていた。


 フロランスは、よく喋る。喋るたびに、アデライドの顔を見る。見て、主人の眉が下がるのを確かめてから、もっと喋る。


   ◇


 ノエミが入ってきたのは、茶が一巡したころである。


 広間の話し声が、ふっと途切れた。


 黄の衣ではない。深い葡萄色の、飾りの少ない衣である。手には、象牙の骨の扇。歩き方が、ゆっくりしている。急がない。誰の顔も探さない。


   ◇


「まあ」


 誰かが、小さく言った。


「あれ、ガルニエの」


「まるで」


 その先を、誰も口にしない。口にしなくても、皆が同じ名を思い浮かべている。窓際の席で、その名の持ち主は、黙って茶を飲んでいた。


 衣の色を教えた覚えはない。葡萄色は、ヴィオレッタがいちばんよく着る色である。


   ◇


 ノエミは、アデライドの向かいの席に腰を下ろした。


 フロランスが、さっそく口を開く。


「まあ、ノエミ様。今日は、ずいぶん地味なお色ですこと。いつもの黄色は、お店に置いていらしたの」


 アデライドが、困ったように眉を下げて笑った。いつもの手である。


  ――言わせておけばいい。笑うのは、皆さま。


   ◇


 ノエミは、答えなかった。


 答えずに、フロランスを見る。


 にらむのではない。ただ、見ている。まばたきもせず、表情もなく、何を考えているのか外からは何ひとつ読めない顔である。眉は、寄っていない。


   ◇


 フロランスの笑みが、少しずつ固くなっていく。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。広間のあちこちで、話し声がやむ。皆が、こちらを見ている。フロランスの目が泳ぎ、アデライドのほうへ助けを求めるように動き、それから、膝の上へ落ちた。


 先に目を逸らしたのは、フロランスである。


   ◇


 ノエミは、扇を閉じたまま、手のひらに一度だけ打ちつけた。


 ぱちり。


 湿っていない音であった。理由は、何も言わない。


   ◇


 フロランスは、真っ赤になって黙りこんだ。


 アデライドの笑顔が、ほんのわずか、揺れる。隣の娘に言わせて、自分は困ったように笑う。その手が、今日は使えない。言わせた娘が、黙らされてしまったのである。


  ――なに、この子。先月までは、一緒に笑っていたくせに。


   ◇


 ティエリが、身を乗り出してノエミを見ていた。


  ――あの子、あんな顔をするんだ。


 伯爵夫人も、見ている。扇の陰で、目を細めていた。


  ――悪くない。商家の娘でも、あれなら、家の中が締まる。


 ふたりの内側が、同じほうへ傾いている。


   ◇


 勝っている。


 ヴィオレッタは、窓際で茶碗を置いた。


 嘘はひとつもついていない。黙って見て、扇を一度鳴らしただけで、あの娘は、もう勝っている。


 ここで、立ち上がって帰れば。


   ◇


 ノエミは、立ち上がらない。


 かわりに、アデライドのほうを向く。


  ――いまなら、皆が聞いてる。ひと言で、足りる。


 娘の内側が、高く鳴っている。


 壁際で、マリアンヌが目を伏せた。伏せたのは、見ていられないからである。何が起こるのかは、侍女には分からない。分からないまま、主人の顔色だけで、何かが起こると分かってしまう。


   ◇


「アデライド様」


 静かな声であった。広間じゅうの耳が、そちらへ向く。


「先週の火曜、こちらのお庭で、ティエリ様に、わたくしのことを悪しざまに仰いましたわね。わたくし、生け垣の向こうにおりましたの」


   ◇


 広間が、しんとする。


 アデライドの顔から、血の気が引いた。


  ――言ってない。火曜は、言ってない。


 その内側の声を、ヴィオレッタは聞いていた。


 聞いて、扇を開かずにいる。


   ◇


 黙って見ていた女が、ひと言だけ口を開いた。誰も聞き漏らしていない。誰もが、そのひと言を胸の中で噛んでいる。


 先週の火曜。こちらのお庭。ティエリ様に。


 噛んで、何人かが、同じところで首をかしげた。


「火曜……?」


「ティエリ様は、先週、たしか」


   ◇


「……火曜、ですか」


 ティエリが、戸惑ったように言った。


「先週の火曜なら、僕は、父の領地におりましたよ。月曜から、狩りに出ておりまして。戻ったのは、金曜の晩です」


 伯爵夫人が、扇を閉じた。


「ええ。この子は金曜の晩に、狩りの泥をつけたまま帰ってまいりましたわ」


   ◇


 ノエミの顔が、白くなる。


  ――うそ。だって、庭を歩いてたって。


  ――誰が、言ってたんだっけ。


 誰が言っていたのかは、娘自身も覚えていない。茶会の隅で、誰かが誰かに囁いていた噂のひとつである。


 確かめなかった。確かめれば、言えなくなるかもしれない。言えなくなるのが、怖かったのである。


   ◇


 広間の空気が、ゆっくりと裏返っていく。


 さっきまで、皆が娘を見ていた。悪くない、という目で。同じ目が、いまも娘を見ている。ただ、目の中身が違う。


「生け垣の向こうに、と仰いましたわね」


 伯爵夫人の声は、穏やかである。


「先週の火曜、わたくしの家の庭に、あなたをお招きした覚えはございませんけれど」


   ◇


 広間の隅で、誰かが扇の陰から囁いた。


「嘘を、おつきになったの」


「公爵令嬢の真似をして、嘘を」


 真似をしたのは、衣の色と、目と、扇である。嘘だけは、真似ではない。ヴィオレッタは、一度も教えていない。


 それを知っているのは、この広間で三人だけである。


   ◇


 ノエミは、何も言えなかった。


 理由を言わないこと。黙って見ること。五日かけて覚えた作法が、いまは、娘の口をふさいでいる。言い訳をすれば、作法が崩れる。黙っていれば、嘘だけが残る。


 どちらを選んでも、もう勝ちはない。


   ◇


 娘は、扇を握りしめたまま立ち上がる。


 立ち上がって、広間を見渡した。誰かひとりでも、目を逸らさずにいてくれる顔を探す目である。


 五日前に、誰の顔も探さない歩き方を覚えた娘であった。


 窓際で、ヴィオレッタだけが、目を逸らさずにいる。


 ノエミは、その目からも目を逸らして、広間を出ていく。

お読みいただき、ありがとうございました!

皆様にお願いです

ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に

応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
急ぎすぎたかな?
何事も経験が必要かな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。