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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第19章

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第80話 黙って、見るのですわ

「第一条は」


「嘘を、つかないこと」


「宿題は」


「切りました」


 ノエミは、腰を下ろすより先に答えた。


   ◇


 昨日の夕方、帽子屋のロールが、いつものように絹の端切れを分けてもらいに来たのだという。ノエミは、店の奥から出ていかない。番頭に、今日からは定価でお売りなさい、とだけ言わせた。


 ロールは、店先で長いこと立っていたらしい。


 今朝になって、手紙が届いている。何か気に障ることをしたのなら謝りたい、と三枚にわたって書いてあった。


「お返事は」


「出しておりません」


   ◇


 どうなったかだけを話せ、と言ってある。ノエミは、そのとおりに話した。どう思ったかは、ひと言も言わない。


 言わない内側が、こちらには見えていた。


  ――三枚も書いてきた。茶会のことは、一行も書いてなかった。覚えてもいないんだわ。


  ――覚えていないなら、ずっと分からない。ずっと。


 すり減った怒りのあとに出た芽が、ひと晩で、少し伸びている。


   ◇


「よろしいわ」


 ヴィオレッタは、それだけ言った。


 褒めもしない。咎めもしない。切るに足るかどうかは、この娘が決めたことである。


 ノエミは、少しだけ物足りなさそうな顔になる。褒められると思っていた顔であった。


   ◇


 三日目は、目の授業である。


 相手役は、マリアンヌがつとめた。応接間の真ん中に立たされた侍女の前に、ノエミが立つ。


「黙って、見るのですわ」


 ヴィオレッタは、長椅子から言った。


「第三条。人前では、言葉より先に、黙って見ること。にらむのではなく、見るの。相手が目を逸らすまで」


   ◇


 はじめのうち、ノエミは三つ数えるあいだも保たなかった。


 まばたきをする。目が泳ぐ。口の端が、こらえきれずに上がる。マリアンヌのほうが先に吹き出しそうになり、ふたりそろって下を向いた。


「やり直しですわ」


   ◇


「にらんでおりますわよ」


「見ております」


「眉が、寄っておりますの。寄った眉は、怒っていると申しているのと同じですわ。申したら、相手は、怒りと戦えます」


 ノエミは、眉を指で押し広げた。


「第二条と、同じでございますね」


「同じですわ。目で理由を言ってはいけませんの」


   ◇


 十度目あたりで、娘の目つきが変わった。


 まばたきが止まる。顔から、表情が抜けていく。ただ、見ている。何を考えているのか、外からは何ひとつ読めない顔である。


 マリアンヌが、先に目を逸らした。


   ◇


「……お嬢様」


 侍女が、小声で言う。


「この方、お嬢様より、怖うございます」


 ヴィオレッタは、答えなかった。


 答えるまでもない。教えてまだ三日目の娘に、王都でいちばん悪名の高い女の目が、もう半分ほど移っている。


   ◇


 ただ、外から読めない顔の内側は、ヴィオレッタには読めた。


  ――マリアンヌさんが逸らした。勝った。


  ――アデライド様なら、何数えで逸らすかしら。


 読めない顔の下で、娘は数を数えている。相手が目を逸らすまでの数を。


   ◇


 四日目は、扇である。


「第一条は」


「嘘を、つかないこと」


 ノエミは、父親の店から、象牙の骨に絹を張った扇を持ってきた。王都でいちばん高い扇だという。開けば、南の海の鳥が描いてある。


「父が、縁談の支度ならと、出してくれましたの」


  ――縁談の支度。本当のこと。


 昨日と同じ声が、昨日より少しだけ慣れた調子で立った。


   ◇


「第四条。鳴らすのは、一度だけですわ」


 ヴィオレッタは、閉じた扇を、手のひらに打ちつけた。


 ぱちり、と乾いた音が立つ。


「二度鳴らせば、癇癪ですの。一度なら、決めたということ。三度鳴らす方は、ただの子どもですわ」


   ◇


 ノエミが、真似をする。


 ぱちん。


「湿っておりますわ」


「湿って」


「迷った音ですの。打つ前に、打ってよいか考えておいでだから。考えるのは、打つ前に済ませておきなさい」


   ◇


 ノエミは、扇を握り直した。


 目を閉じる。開く。開いたときには、もう顔から表情が抜けている。昨日覚えた顔である。その顔のまま、手のひらに打ちつけた。


 ぱちり。


 悪くない音であった。


   ◇


「……ヴィオレッタ様は、いつ、お覚えになりましたの」


 扇を膝に置いて、ノエミが訊いた。


「この作法を、どなたに教わりましたの」


「どなたにも」


 ヴィオレッタは、自分の扇を開いた。


「わたくしは、嘘をつきませんの。つかない者が、人の前で黙らずにいようとしたら、こうなりましたのよ」


   ◇


 ノエミは、少し考える顔をした。


  ――つかない、って決めてるだけ。決めてるなら、わたくしにもできる。


  ――決めたことなら、一度くらいは。


 ヴィオレッタは、扇の陰で目を伏せた。


 一度くらい、の重さを、この娘はまだ知らない。


   ◇


 娘が帰ったあと、マリアンヌが、扇の鳴らし方を真似していた。


 ぱちん、と湿った音がする。


「迷った音ですわね」


「……迷ってはおりません。お嬢様に聞かれるのが、恥ずかしいだけでございます」


「それを、迷うと申しますの」


 マリアンヌは、扇をそっと卓に戻した。


 戻してから、口を開く。


「あの方、四日で、ここまでお出来になるのですね」


「ええ」


「あと一日で、何をお教えになりますの」


   ◇


「いちばん、易しいことですわ」


 ヴィオレッタは、窓の外に目をやった。


 ガルニエ商会の馬車が、門を出ていく。窓の中の娘は、もう振り返らない。膝の上で、扇を、一度だけ鳴らしたように見えた。


「易しいことほど、守るのは難しいのですけれど」

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